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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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まさに,、花・鳥の楽園・パラダアイス。

入園してすぐ、花の香りイッパイの園内は色とりどりの花で入園者を歓迎。

日本では見られない珍しい鳥も、ココでは御目にかかることができる。
「動かない鳥」として有名なハシビロコウだ。
  
自分、こんかい初めて見た。
野生ではアフリカのタンザニアにある湿地帯に暮らし、主に魚を食べているそうだ。
じっと動かず待ち伏せして魚を捕まえるそうだ。

掛川花鳥園に行ってきた。

日本に居ながら、アフリカの奥地に暮らす鳥たちに出会うことができた。
掛川花鳥園
 
楽しかった(^O^)/
そんな気持ちと裏腹に
先日、読んだ本
「ローマ法王に米を食べさせた男」
の中で書いてあった言葉。
神様が人間以外の動物や植物から
「なにか一つ願を叶えさせてやろう」
ということになった。
人間以外の動物や植物は話し合った。
そして神様に お願いした。
次の日
世の中から、人間が居なくなった。
 
佐久間という山奥に暮らしていると野生動物が、自分たちの暮らしている里にきて畑など荒し放題だ。
シカ・サル・イノシシ・ハクビシン
どうにかならないものかと悩んでしまう。厄介者だ。
しかし、本当は、一番、この世で
厄介者は、人間なのだ。
byしんしん

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水窪NPO「山に生きる会」の道造りに行ってきた。
場所は
水窪ダムに行くトンネル手前に登山道がある
「ゼンモン山」963.9M
 
兼帯、鍬などを持参して会員が登山道の整備。

1000mもない低い山だけど

地域の山を、地域の人が整備する。
 

大切なことだと思う。

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台湾一周の走り旅に行ってきた人たちがいる。

そんな旅を我らが師匠 ヒロボーさんも行ってきた、楽しんできた。
そうだ。走だ。
 
とにかく楽しかった。
と、言っていた。

台湾の人たちは親切だった。
食べ物は安くて美味しかった。
80歳以上の方は、片言の日本語を話せ、多くの事を話した。
台湾ジャーニーラン8日目
鳳林で熱烈歓迎を受け、途中コンビニでは現地新聞社から取材を受けた。
などなど。
 
ヒロボーさんは、お手製の横断幕を持って走った。

その横断幕に、現地の人からのメッセージも書いてある。


環台湾超級馬拉松之旅
日本語に変換すると
台湾の周りにスーパーマラソンの旅
となる。
 
まさしく、最高の人生、だナ~っと思った。
しんしん

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若かったころ、走る事なぞ考えもしなかったころ。
湖西市に住んでいて、佐久間に帰るようになって、水窪のフジユニバンスで働くようになって、職場の仲間から誘われたのが
佐久間駅伝だった。
チーム名は「フジユニバンス水窪事業所」
数年たって、地元 半場の消防八分団の会合時に団長から話が合った。
「佐久間駅伝の参加チームを半場消防八分団から出せないだろうか?」
話が盛り上がり、半場消防八分団だからチーム名は「ハッチ」にしよう(^O^)/
となった。
団長がポケットマネーでユニホームを買ってくれた。
選手は佐久間小学校横の消防器具置き場に夜7時に集合して練習した。
盛り上がった。
数年たって、佐久間町でもずば抜けて俊足だったO君が半場に引っ越してきたとの話が合った。
選手の一人が佐久間高校の同級生だとの事で、そのO君を半場チーム「ハッチ」に誘った。
その年、半場チーム「ハッチ」は町内在住在勤の部、三位だった。
半場チームは盛り上がった。
ところが二年後、O君は佐久間からいなくなり、半場チームは走る人もいなくなり、半場八分団も中部の消防団と合併するようになった。
そんな時、隣村の「川合」から、お誘いがあった。
「川合」では、川合の花の舞という伝統芸能がある。
川合花の舞チームからのお誘いだ。
無理言って、ハッチという名前を残してもらった。
「ハッチ&花の舞」
というチーム名で、何回も走った。
ところが、そのチームも、今年はメンバーが集まらなく参加できないと、私の携帯に連絡が来た。

今回、私が走ったチームは

「山香A」

町内在住在勤の部、第二位。

山香、西渡(にしど)の人たちと佐久間駅伝の慰労会。
西渡バス停横の「みどり屋」での飲み会だった。
初めての「みどり屋」多くの料理が出てきた。
西渡の人たちと、多くの話をした。
西渡の街を盛り上げようと頑張っている人たち。
佐久間町全体を見ても、これほど盛り上がっているところは、今は無いだろう。
佐久間町を日本で例えると

〆の「みどり屋」特製のラーメン。
ショッパさが疲れた身体と心に染み入った何とも言えない格別な味だった。
しんしん

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森信三先生の本

日本の覚者 森信三

覚者とは、人生の真理を悟り、自らの人格を完成させ、世に大きな感化を及ぼす人のこと。

人には迷いがあります。
森信三の若い時代も迷いの連続でした。
しかし、真摯な取組みで人生の真理の解明にあたり、独自の人間哲学、教育哲学の道を切り拓いてきました。

膨大な著作、中でも「修身教授録」は大ベストセラーとして信三の名を高め、半世紀以上経た今でも広く読み継がれていますが 、信三は著作以上に実践のひとでした。

学校での講義の合間に全国津々浦々に脚を延ばして人間教育の土台づくりを図りました。
精力的な教育行脚は晩年を迎えて更に拍車がかかりました。

信三に接した人々は皆、信三の一言で迷いが消え、新たな気持ちで職務にあたれたと語っています・・・・・
 森信三の世界HPから引用
 

自分には迷いがあった。
道州制や平成の大合併と時代の変化に着いていくべきではないかと。
12市町村の合併で浜松市になると、佐久間町の役場の人が地域の区民センターに説明に来た事が、先に大合併をした静岡市の井川地区を例にとって説明したことを。
主要の人で井川地区を視察に行ったことを。主要な人の説明で「佐久間町も、静岡市に合併した井川地区みたいになるでしょう」との無責任な言動も。
また、浜松市都市部の人の「こんなとこ浜松市ではないよ~♡」 などの言葉も。
 
笑って跳ね返すことができるようになった。
それも、この勉強会のおかげ。修身教授録(森信三)の本に出会ったおかげ。

修身教授録
第16講 一道を開く(Ⅰ)
10年後20年後を考えて生きる。
漠然と生きていたのではダメだということ。

人間とはパソコンだ。
パソコンはキーボードから指令を出し様々なことをやってくれる。
人間にとってのキーボードは目であり鼻であり口である。
目鼻は感じることだけだが、口は声に出して発することができる。
これからなりたい自分の姿を口に出して何回も何回も発し続けていけば願いは必ず叶うものだ。
それは、自分で声に出すことにより、自分の耳でその言葉を認識し自分がそのようになるように行動するようになるからだ。
 
佐久間町も「ここは良いとこだぞ~」と言い続けていけばいい所になる。
「こんなとこ何やってもダメだぞ~」と言ってばかりだとダメになる。
今回も一つ利口になった(^O^)/
しんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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