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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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毎年、5月の最終日曜日は竜頭山スーパーM(Mとはマラニックのこと)
今回の仲間は
シゲみつさん
クニさん
ウッチャン
トモゾウさん
山草人さん
ヒロボーさん
カワイさん
しんしん
サポートに
ツバモトさん
計9名で竜頭山を佐久間や水窪の大自然を走り旅で大いに楽しんできた。
コースは ↓
 
朝7時に集合、7時15分に平和登山口から竜頭山に入山、登山ポストに入山届けを記入した。
7時15分、私他7名
竜頭山山頂→山住神社→向市場→城西→切開→横吹→西渡、予定
今、水窪では遭難者がいるという、山ブーム、健康志向で走ったり歩いたり山間部に遊びにきてくれるのも有り難いのだが、事故があると地元のボランティアもそれに携わらなければいけない。
山に生きる会のメンバーも、その捜索に参加しているという。
山間部に暮らす者の一人として(悩)

竜頭山の登山道途中の分岐からは、杣小屋コースに進む、山頂手前、展望台横のツツジは蕾だった。
遠くの山並みを、目を凝らしてみていると、うっすら富士山らしきシルエットが見えた。
誰もかれも、その富士山が見えるという。
あれは、本物なのか?
それとも・・・。

竜頭山山頂を通過し、ほうずき平からほうずき平第二駐車場へ、私は迷わず、ツバモトさんの車に乗せてもらった。
山住神社の横の茶屋でヤマメ?の丸焼きを食べた。美味しかった。
そこからも車で移動、佳江さん栃の木を探しに行く。
佳江さんを写真に撮った栃の木は、栃の木ではなく、ホウの木だった。

「この木は違うよ」
そんな話もあったが、この木だと今、写真を見て思う。
去年の今頃は、楽しく走っていた。
アタリマエに来ると思っていた、未来は、アタリマエでなない。
この、竜頭山スーパーMも、今年で13回目、佐久間町が合併して走り始めた自分が居た。
数々の思い出がある。
自分は今、調子が悪い、しかし、そこからは走り始めた。
布滝、そこからまた車に乗った(笑)
 
切開で、夢街道の看板
そこからカワイさんと歩く、途中から車に乗る。

最後のエイドから、歩く、瀬戸から朝登った竜頭山がその全容を現す。
わたしの故郷の山、竜頭山(1351m)
ゴールである西渡に到着16時30分
ありがとうございました。
有り難い。事だ。

山住神社でいただいた令和元年の御朱印

来年再来年と続けて押してもらおうと思っている。
継続は力なり

最後に平和登山口にいってきて、登山ノートに無事に帰ってきましたと書いてきた。
ありがとうございました。
竜頭山。。。
写真は昔の写真。
この写真のヨッピーさんの横目で笑う姿が好きだ(*^^)v

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はじめは浦川キャンプ場だった、この飲み会、いつしか上島キャンプ場になった。

2015年(浦川キャンプ場)
2016年(浦川キャンプ場)
2017年(上島キャンプ場)
2018年(上島キャンプ場)
2019年(上島キャンプ場)
同級生と始まった、この飲み会も、人数集めのため、それにはこだわらなくなった。
呑みたい。酒好き。話したい。いろいろな考えがあると思うが、とにかくやろう!その想いで55歳の自分が始めたことだ。

人生とは、自分の限られた時間を使って生きること。
その限られた時間の一部を上島キャンプ場へ来て酒を飲むこと話し合うことに使う。

いいじゃないか。
人生は楽しむためにある。

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朝日新聞「教育」
東京海洋大客員助教授・さかなクン
の言葉がある。
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
と。

今、走る仲間が書いた本「空につづくカミーノ おじさんパッカーのサンティアゴ巡礼の旅」をアマゾンで注文している。
広い広い、広大な平野が広がるスペインのキリスト教の聖地の旅、今年の6月にまた行くのだと言っていた。

わたしのラン友でのマラニックは走る仲間が家族のように、助け合い認め合い走る旅ラン。
そうしたいと思っている

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一般に登録を行った会員間で特定の自動車を共同使用するサービスないしはシステムのこと。自動車を借りるという面ではレンタカーと近い存在であるが、一般にレンタカーよりもごく短時間の利用を想定しており、利用者にとってはレンタカーよりも便利で安価になるように設定されていることが多い。
ウィキペディアより。

野辺山100㎞を走った人の投稿で知った。

先日、余呉湖の帰りに車のラジオで、リチウムイオン二次電池の発明者の一人 吉野彰さんの話があった。
昔日本は、車は一家に一台の時代があった。そして一人に一台の時代になった。
コンピューターが普及し、スマホが普及し、これからは電気自動車が普及するのか?
大きな蓄電池ができ、発電所は少なくなるのではないか、との話も合った。

それと、これからの時代「シェア」がキーワードになると。も。
ひとつの物を、仲間で友達でシェアする。
そう仲間。友達

仲間→ 同じ種類のもの。同類。「オオカミは犬の仲間だ」
友達→ 一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人
ネット友達、 リアル友達
ネットの仲間、リアルの仲間
「シェア」
この前の飲み会のとき、ある人がわたしのスマホのバッテリーが無くなったのを知り
自分の充電器のバッテリーと繋いでくれた。
これもシェアか。
小さなことだけど、ホッコリした。

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NHKスペシャル シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」第2集 "DNAスイッチ"が運命を変えるを見た。
DNAは未来の設計図、しかし、それにはスイッチがあり癌になりにくいDNAがあったとしても、そのスイッチが入っていなければそのDNAは働かない、そこでそのスイッチを入れるための酵素を開発している。
そんな内容だったと。
詳しくは↓
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_972.html

双子の宇宙飛行士、一年宇宙ステーションに滞在したスコットさん。地球に残ったマークさん。
DNAに変化が現れた。
宇宙という地球とは違う環境下で、9000以上のDNAが変化する。
長い年月をかけて様々な環境に適応するために進化してきた人類、それはDNAスイッチが切り替わることによって繋いできた生命のリレーだ。

「DNAスイッチが切り替わり宇宙にも暮らせる日が来るかも?」
そんな話もあるが、化学が発達し宇宙に人が行く日が来ようとも。
いまある地球の環境を大切にすること。
富士山一周を走って、夜昼と富士山を中心軸として走り歩きをして楽しくもあり苦しくもあるマラニックを走って。
感じた。
 

最後に
教育者・東井義雄先生の詩
心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目
見ようという心がなかったら
見ていても見えない

人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら
聞いていても 聞こえない

頭も そうだ
はじめからよい頭 わるい頭の区別が
あるのではないようだ
よしやるぞ!」と
心のスイッチが入ると
頭も
すばらしい はたらきを しはじめる

心のスイッチが 人間を
つまらなくもし
すばらしくもしていく

電灯のスイッチが
家の中を明るくもするし
暗くもするように
 

何歳になろうとも、どのような環境下でも、自分のスイッチをONにして前に向かって走って行こう(^O^)/エイエイォ~。

 

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富士山一周マラニック、夜は満月で夜富士が綺麗だったと聞いた。
夜は走っていない自分は、それは分らなかった。
早朝、第二エイドから走り始めた自分は、道の駅「鳴沢」から見えた富士山が綺麗だった。
それから間もなく天気が悪くなり富士山は雲に隠れた。

痛い足を引きずり、鳴沢村・富士吉田市・忍野村・山中湖村と歩いたり走ったり、した。
籠坂峠を越え静岡県に、帰ってきたゾ~っと思った。
小山町・御殿場市・裾野市、自衛隊演習場の中を走る。

https://www.mod.go.jp/pco/obihiro/

ゴールである、富士山が日本で一番きれいに見える宿「大野路」が見えてくる。
あと少しだと思うと、走れる勇気がわいてくる。
その時、富士山が雪をかぶった富士山が山頂だけ少し見えていた。
富士山が応援しているように感じた。

26日は佐久間の山「竜頭山」に登る。そして水窪・佐久間と走る。
竜頭山は、私が少年の頃、斜面集落「横吹」を登っていた時に、国道沿いでは見えない山頂が、家近くまで行くと、その山頂が見えてきた。
若き頃、大きな山の麓での生活に憧れた。
しかし、私にとっての故郷の山は、まぎれもなく竜頭山だ。

日本一の富士山を楽しんで、自分の故郷の山を登る。
富士は日本一の山~♪
それは、富士山が日本一だと言っているのではない。
人間がかっててに順番を付けているに過ぎない事だ。
大切にしていきたい、故郷の山「竜頭山」
それと故郷。

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3・2・1、スタート
2019年5月18日の午前0時、富士山一周マラニック100㎞、が裾野市の日本一富士山が綺麗に見える旅館、ゆうゆうの里「大野路」からスタートした(^O^)/
わたしは多くの走る仲間と、その集団の中にいた。
が、ががが。
走り始めて300m
やはり、膝の調子が悪いと、その集団から脱落し、スタート地点の「大野路」まで帰って来た(笑)(泣)

膝の調子が悪い。
100㎞。走れる分けが無い。
今回は、参加だけはしよう。
そう思っての参加だった。
萩田さんのサポートカーに乗って、萩田さんの話を聞きながら、「大野路」をスタートしたランナ―の姿を見ながらの車での移動だった。
AP1(エイド)
今回はココでボランティア。
萩田さんは、ココの空き地を借りるとき、所有者の会社に話したら。
そこで働いている人も走る人だったそうだ、そしてその人も萩田さんの大会に参加したことがあると言っていたと言っていた。偶然にもそんなことがあったと話していた。
その人も急遽応援に来てくれた。
バナナは5当分。キューイも5当分。オレンジは8当分、切れ目を付けて。
カステラも一口サイズに。どら焼き4当分。
萩田さんはランナー目線で食べやすい様に考えている。
萩田さんのマラニックは、多くの繋がりで出来ている。
そう思ったボランティアだった。
しかし
それにしてもサブイ(水窪弁で寒いこと)走っている方が良い、とは思ったが走れない。

最終ランナーを送って、畑島さんが走れなくなって、二人はサポートカーで第2エイド(AS2)に向かった。
第2エイドでは、さくらさんから温かな味噌汁を頂いた。
サブイ身体が生き返った。
その味噌汁の温かさは、味噌汁の温かさはもとより、人の温かさも感じた。
第2エイドから見える本栖湖、その向こうに見える雪をかぶったアルプスが綺麗だった。

ココから走ろう。そう思った。
「ココから走ります」と萩田さんに申告した。
膝が心配だけど、ココまで何をしに来たのかと、人の温かさに触れ、雄大な景色の中にいて自問自答して見つけた答えだった。
畑島さんも走ると言った。
畑島さんの背中を追いかけて走った。

膝の故障。
走る前から萩田さんに相談はしていた。そんなとき。萩田さんから、ピンチとチャンスの話があった。
ピンチはこれからの生き方を好転していく良いチャンスだと。
ピンチをチャンスにしていく生き方、それは大切なことだ。

一緒に走った畑島さんからも、様々な体験からの生き様を教え頂いた。
30㎏
そんな小さな身体から大きなパワーを頂いた。

志野村を走っている時に、クニさんウッチャンクミちゃんが後から来た。
「大丈夫~」と言って抜かされる。
大丈夫ではないのです。しかし笑って済ませた。
山中湖(第3エイド)
円谷さんが居た。疲労困憊だったが元気が出た。
両手を合わせた。パワーをもらった。
人は、もうダメだ。と気力を失う。しかし些細な切っ掛けで元気が出るときがある。
それは(泡)だったりもする。

少し飲んで、先を急ぐ。
籠坂峠の上りで、見知らぬ人に声をかけられる。
第1回天竜川リバーサイドで、わたしのエイドで味噌汁を飲んだ人だという。
佐久間ダムの思い出を教えてくれた。
籠坂峠の下り坂で、その人たちは遠くに行って見えなくなった。

籠坂峠を下り切り、コンビニでオレンジジュースを買った。
青きんと山ちゃんが駐車場で休んでいた。俺は先を急いだ。
だが直ぐに二人に抜かれた。
歩きが入り、第4エイドまで長かった。道を間違えたのではないかと思った。
コンビニが出てボランティアの人が誘導してくれていた。
麦わら帽子の渡邊さんが居た。
牛乳が美味しかった。
第4エイドで休憩していたら、クニさんが来た。
のこり10㎞
その二人の後を着いていった。
腹の調子が悪くなり、交番に駆け込んだが
「治安維持のため使えない」
と断れれる(涙)
我慢に我慢を重ね、コンビニを見つけ何とかセーフ(笑)

最後の最後、自衛隊演習所の中の真っ直ぐな道、一緒に走った東京の人との会話が楽しかった。
奥武蔵野のウルトラの話し。オクムサシと言えばビキニ。
本物を見てきた話は参考になった。
男として、自分も見たい。と思った。

本物を見てきた人の背中を追ったが着いていけなかった。
時計は制限時間の18日17時5分前、遠くにゴール地点の建物が見えるが足腰は激痛が。
やっとの思いで着いたゴール地点、旅館「大野路」ゴール時間18日15時09分、制限時間には間に合わなかった残念。
今回は調子が悪く富士山一周はハーフになった。途中の第2エイドからのスタートとした。
それでも、わたしの大切な59歳の宝物になった。記録だ。
最後の最後、雲にかくれていた富士山が雲の隙間から少し現れた、私を励ましていたような気がした。

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自分の人生の中で、多くの人に出会ってきた。

出会い。

そして、その人に出会うことによって、その人に影響され、自分の人生が進んで行く。

昔、「横吹」で山の斜面で煙草をふかしながら、隣のアキチャンがハンググライダーをやらないかと話をした。

夢を語った。

そんな事、危ないし出来ない。即答した自分がいた。

しかし、アキチャンは横吹の斜面集落から見える眼下に舞うトンビを見ながら気持ちよさそうだと話した。

その目はキラキラしていた。

多くの人に出会い、自分が影響され今がある。

良い人もいれば、反抗したくなる人もいる。

時が経ち、その反抗した人の言葉が身に染みることもある。

過去があり今がある。

多くの出会いがあり、影響され人は生きていく。

出会いという言葉、出逢いと書く場合がある。
「出会い」と「出逢い」
「会う」と「逢う」
会う→たまたま人と出あう。
逢う→大切な1人の人物と対面すること。
そんな意味があるらしい。
昔、仇討ちがあったころ。
「ここで逢ったが100年目」
そんなときに使っていた漢字だという。
逢う。


過去があり今がある。

そして未来がある。

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日々の生活をしていると、いろいろなことがある。
良いこともあれば、悲しいこともある。
楽しいこともあれば、悔しいこともある。
凹むこともある。
 
昨日、LINEで繋がっている友人と電話で話した。
たわいもない昔話を15分くらい話した。
楽しかった。良かった。癒された。
 
人は他の人とコミュニケーションしたがる動物。
昨日は清美ちゃんとの電話で癒された。
いろいろなことがあるけど、明日からまた頑張ろうと思った。
ありがとう。清美ちゃん。
 
清美ちゃんとは佐久間中学校時代の同級生、
昔っから知っているので好きなことを言い合うことができる、わたしの大切な男友達です。

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その前に
朝は「おしん」第36話を見た。
(祖母の死を見たおしんは、祖母の一生を哀れと思った。おしんはおしんなりに成長していった)
家の草刈を少しやって、9時に中部天竜駅に向かった。
駅で受付をすまし、いざ出発(^O^)/エイエイお~。
 

今回のJRさわやかウォーキング、目的はダムカード、先日の天竜川リバーサイドの最後の宴会のときに畑島さんから
「ダムカード欲しい。孫の分と二人分」
と言われたので、それを貰いに行くこと。
もう一つ。佐久間ダムに向かうトンネルの中が照明が少なく危険だと思たからだ。
https://walking.jr-central.co.jp/course/detail/1413.html

9時15分HR中部天竜駅を出発、井上靖の碑に到着、飯田から来たという人に写真を撮ってもらう。
そこからは、その飯田から来たという二人ずれの男性と話しながら歩く、その一人の人から、中部の町に「花園」という美容院があると思うが、と話はじめた。
「その人は飯田の人で、その弟子たちが佐久間で美容院をやっていると思う」と話していた。
その後、その飯田の人と、原田久吉翁の石碑の着く。
そして、石碑にある「数つ美て ほ古らぬ穐の 米俵」を読、原田久吉翁の話をした。
その石碑のことは↓
https://arukunodaisuki.hamazo.tv/e7716891.html
 
佐久間ダムに向かい高度を上げていく。危ないようなところにはボランティアの人がいて誘導してくれている。
トンネルの入口にも誘導員が居て「暗いので足元に注意してください」と。
二番目のトンネル内では足元を照らすライトがあった。次のトンネル内は発電機でのライトがあった。最後のトンネルが暗かった。
やっと着いた佐久間ダム、ダムカードは電力館、電力館入り口から入って正面に城西の人がいたけど私は受付でダムカードをもらった。振り向いて、その城西の人が何か袋を配っていたので、貰おうとしたら。
ダメだと言われた?
受付の人が、その人もウォーキング参加者の人だと言ったが、ダメだと言った?
私は、その袋を返した。そしたら、その城西の人が
「足りなくなると困るデ」と言った。
何だか分らなかったが、この場は、この方がイイと思った。
JRさわやかウォーキング、爽やかな気持ちが一瞬暗くなった。

電力館を廻って屋上から、この景色を見て気持ちを切り替えた。
電力館入口にある、佐久間パンプキンレディースのパンを購入(カレーパン三個メロンパン二個)買った。
帰りは観光協会の邑○さんに出会った。
最初のトンネル出口で城西の○岩さんが誘導していた。最後のトンネルの出口で歩いている人と誘導員の人が少し揉めていた。佐久間病院前で歯医者さん○賀さんと出逢い一緒に歩いた。中部天竜駅でゴールして受付でカードに印鑑を押してもらい、小松屋でトチモチを買った。

「おしん」
幼年期の苦労を描いただけではなく、いろいろな場面で様々な出会いがあり、築き上げた地位だった。
人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきた沢山の恩人の言葉を通して散りばめられている。
わたしも人生の出逢いで多くの良い人に出会ってきた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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