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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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「そこイイネ!」
とは?
南信州「遠山郷」そこにある廃村になった集落の名前である。
ホントのそこの名前は底稲集落
遠山郷観光協会「アンバマイ館」そこの向かいの山に、その底稲集落があると聞き、私は、その集落を目指し登った。
木沢小学校からバイパスを走り観光協会「アンバマイ館」前から集落を目指し登った。
登れど登れど、集落は出なかった。
松林があり雑木があり、ネットではスギ林の中だとに書いてあったので、もう通り過ぎたのかと思って帰ろうかな、と思ったときヤマップの地図を見たら、少し上ると平らなところが、そこに行ってみよう。
進んだら、あった、底稲集落跡、山の山頂近くに平らなところが、朽ち果てた家が四軒、あった。



その家を見て回って、いたら、帰る道が分からなくなる。
GPS、ヤマップの地図をたよりに、帰り道を探し、もと来た道を下っていった。
山を下り、観光協会「アンバマイ館」で、木沢小学校に電話をかけ、迎えに来てもらおうかと思ったが。
車に乗れる状態の人はいない。
とのこと。
木沢小学校まで行けば、酒が待っている。
最後の力を振り絞って、
木沢小学校まで走って。
その木沢小学校まで辿り着く。
そこで飲む、ビールは最高の味がした。
(*^▽^*)


そこイイネ!
集落「底稲」そこいね
そこをそこイイネ!は無理があるかも。
でも私が勝手につけた。
そこイイネ!

過去に誰かが住んでいた。
そこイイネ!
底稲
昔の話し、でも、そこには人の生活が、確かにあった。
そこイイネ!

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還暦の年を迎え、自分の今までを振り返り、自分史を書こうと思った。
去年の4月、朝ランでの出来事「おまえは自分の好きなことばかりやっている」そんな言葉を浴びせられ自分なりに考えた。
たしかに自分は自分の好きなことが出来た”ありがたい”人生だったと思う。

夢T
そのお腹の所に、絵を入れた。
女の子が山に向かって走って行く。山の上には満月がある。
「ありがとう、
   言われるように 
       言うように」
四つの「愛」
家族愛・地域愛・祖国愛、その「愛」をシッカリ繋いで最後に「人類愛」となっていくのだと、藤原正彦さんの本「日本の品格」に書いてあった。
全くその通りだと思う。


最後のページに「夢」と「希望」の写真集、何年かたって自分で、その本を見て、どのように思うのか?
分からないけど、今まで私は、このように生きてきた。
つづく。

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人には分からないことがある。
分からないから人に聞く、質問する。辞書で調べる、ネットで検索する。
しかし、記憶力がないと忘れる。だから繰り返し覚えようと頑張る。繰り返してもすぐに忘れる。諦める。こんな自分でもよいのではと思う。
 

人の得意不得意は様々だ、運動が得意な人も勉強の得意な人もいる。
しかし中には勉強も運動も得意「文武両道」の人もいるナ~と思う。
それは子どもの時代から得意だった訳ではない。克服してきたのだ。

人には分からないことがある。
分からないから人に聞く、質問する。あまりしつこいと無視されることがある。
そんなときは本で調べる、ネットで調べる。

自分には分からないことがある。
分からないことが多い。分かったことも忘れる。忘れないようにするには何回も繰り返すこと。
分かるから、より理解できるようにすることだ。

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ある日のこと、極楽の蓮池の周りを散歩していたお釈迦様は、地獄で苦しむ亡者どもの姿を眺めていた。そしてその中にカンダッタという男がいたことに気付く。そのカンダッタは生前は大泥棒として悪事の限りを尽くした男だった。
お釈迦様はこのカンダッタも、たった一つだけ良いことをした事を知っている。ある時、蜘蛛の命を奪わずに助けたことがあったのだ。何とかこの悪人を救い出そうと、お釈迦様は極楽の蜘蛛の糸を蓮池から下ろされた。
カンダッタは蜘蛛の糸を見つけ蜘蛛の糸を上る。
自分は助かると思う。
ところが他の亡者たちも、その蜘蛛の糸を上ってくるではないか。
蜘蛛の糸が、このままでは切れてしまうかも知れない。
そう思ったカンダッタは、糸を振ってなんとか亡者を振り落とそうと試みる。
亡者は落ちない、カンダッタは「これは俺のものだ」と叫んだ、そのとき。プツリと音を立てて、糸は切れてしまう。カンダッタはくるくると回りながら、真っ逆さまに血
の池地獄に落ちていった。
この一部始終を見ていたお釈迦様は悲しそうな顔をなさると、再び極楽をぶらぶらと歩いていくのであった。

小学校の国語?道徳?の授業の教科書で見た「蜘蛛の糸」
カンダッタは蜘蛛の命を奪わずに助けた、この縁で蜘蛛の糸が下りてきて、その糸で助かろうと必死に上った。が、「これは俺のものだ」と叫んだ途端に、蜘蛛の糸は切れた。

私は田舎に暮らしている。
先週の日曜日、国道をジョギングしているとレジャーの人なのか、車の上に船を積んだ車が北上ししてくる。
たまの休み、空気の良い田舎に遊びに来る。しかし、不要不急の外出を控えなさいと言っている。

私はカンダッタにはならない様に、気を付けよう。

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こんなメッセージが来た。
「ひとりじゃないよ、って思いを、共有してみました」
「まだ、後蘭になってないかと思って。。。」
こんな動画と共に。。。。

3月15日(日)
愛知県民の森~宇連山~棚山高原~鳳来寺山~湯谷温泉までを4人で走った。
次の土曜日、森町三倉で勉強会、次の日曜日が西鹿島駅~走って磐田に行ってカラオケ♪
コロナ騒ぎを上の空で聞いていた。他人事と感じていたのか。
コロナで志村けんが死に、4月になって24日岡江久美子さんの死去のニュースを知った。

安倍首相は16日夜、新型コロナウイルスの感染者が増え続けている状況を踏まえ、緊急事態宣言を出した。期間は4月16日~5月6日まで。
大型連休で人々が動き回り、感染の拡大を危惧しての緊急事態宣言と思う。
 

フィリピンでは新型コロナウイルスの対策に当たっていた警察官が、外出制限に従わない男性を射殺した。
日本では連休に走りに行こうとの誘いが来た。

ネットでも、ドラッグストアのタッチパネルが殺菌してないとコロナウイルスに過剰な反応、小さな争いが始まった。

今、自粛しても、5月6日まで我慢しても、その後も今の状態が変化するっことは無い。大半の意見だ。
がしかし、まずは5月6日まで我慢しようと思っている。

今は一人で走ろう。
キットまたみんなで走ることができる時が来る。そう信じて今は我慢しよう。

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日本の年金制度は、若い世代が支払う保険料を財源として高齢者世代に年金を給付する仕組みになっている。
世代間で支え合う仕組み、これを賦課方式という。
賦課方式では高齢者世代の生活の不安を取り除き、若い世代の今後の老後の不安や年老いた親への仕送りの心配を取り除く役割を果たしている。のだそうだ。
また、年金の運用の仕方には「賦課方式」と「積立方式」とがありそれぞれのメリット・デメリットが説明してあった。
税金・社会保障教育HP
https://www.mmea.biz/column/

半場に越してきたころの夏、消防団で盆踊りの警備をしたときの話し、私より五つくらい年上のある方が高齢の人に向かって「年金もらっている奴がエラソウコクじゃない!!」と怒鳴っている場面を目の当たりに見た。
横吹から引っ越してきた私には考えられない行為だった。高齢者は労わるものだと思っていた。町だと様々な人がいると思った。
それから数年たって、その五つくらい年上のある方は病気で亡くなった。その高齢の人は施設に入ったが元気に今も暮らしていると聞いている。

NHKの討論番組があった。団塊の世代、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれた人たちが60歳になり多くの人が定年退職を迎える。そんなとき。
その団塊の世代の人と団塊ジュニアの人たちとの討論番組だったと記憶する。人口ピラミッドの頂点の人たちが退職し日本はこれからどうなるのか、子を産み育てる若い世代はワーキングプアとか引きこもりなど様々な問題がある。そんな問題を若者と高齢者の間で議論する言葉のバトルだった。
多くの意見の中を割ってアナウンサーが「ちょっと待ってください」と話を遮り、あるビデオを見せた。定年退職を迎えた年代の人が豪華化客船で船旅をするシーンだ。若者の間でため息が漏れていた。
ビデオが終わり、議論が始まり、若者から非難の声が出ているときに、団塊の世代の中から女性のある人が手をあげて指名された。その人は。
「私たちは戦後の復興で多くの苦労をした、自分の金でそのような事をやって何で悪い」と、言ったのだ。場内はシーンとした。
その人の胸には教師と書いた名札が着けてあった。

今日からできる、誰にでもできる!「60歳を人生のピークに持っていく法」そのまんま東の本がある。そのまんま東の本は他に「芸人学生」も読んでいる。自分の波乱万丈の人生を面白おかしく書いてある良い著作だ。
その「60歳を人生のピークに持っていく法」の一部を抜粋する、p38中ほどから
そんな日本再生のカギは、60歳から70歳の世代の方たちが握っている。この方たちが「もう僕らは年金なんていらない。そんなのアテにしなくても、若い世代をアテにしなくても、自活して行けるよ」と言えるくらい心身共に健やかであるなら、日本もかつての勢いを取り戻していけるのではないだろうか。ほとんど破城している公的年金。この不安感が高齢者予備軍の方たちに翳りを落としているのだろうか。僕は社会人の責務として、今の高齢者を支えるために年金を納めているけれども、僕が受給者の年齢になってきてもきっと受け取ることはないだろうと思う。

昭和10年生まれの父親は60歳で年金を貰い始めた。しかし、病気ぎみの父親は佐久間病院に行き、せっせと病院にその金を納めた、病院友が沢山いた。大正15年生まれの母親は会社勤めの父親のおかげで年金をもらえていたと思う。がしかし、派手な買い物はしなかったと記憶する。私たち大家族を支える食料品の買い物の時に半額は母親が負担してくれた。

公的年金は、老後の生活の大きな支えとなるもの、日本の年金制度は賦課方式で、若い世代が支払う保険料を財源として高齢者世代に年金を給付する仕組みになっている。
働けるうちは働いて、保険も税金も納めるようにしたいものだ。

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近江の国とは今の滋賀県琵琶湖近くの場所を言う。近江商人とは江戸時代に大阪商人・伊勢商人とならんで全国的に活躍した商人である。
その近江商人の「三方よし」という、考え方があることを知っているだろうか。
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」
近江商人は、この「三方よし」の考え精神を基に商売をしてきた。自らの利益のみを求めることなく、多くの人に喜ばれる商品を提供し続け少しずつ信用を獲得していったのです。

この「三方よし」の考え精神は、多くの経営者の中でも受けつがれている、今もその精神で経営を進めている企業が日本にはある、いや世界にもある。
三方よし研究所
http://www.sanpo-yoshi.net/study/idea.html
こんなHPがある。

5月に佐中還暦同窓会を企画している。
「主催者よし」「集まる同級生よし」「会場のホテルよし」
そんな還暦同窓会になるようにしたい。
が、しかし、、、、。

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今日は休みだったので天竜の針鍼灸医院に行こうと思った。


何時もはマスクはしていなかったが、テレビでも騒いでいるのでマスク着用で車に乗った。


長時間運転すると左のお尻の奥と腿の奥が痛くなる。


鍼灸医院で治療してもらうと楽になる。

街に出たついで、杏林堂によって買い物を、、、。


買い物途中、マスク姿から覗いている目が観たことのある人が。


「久しぶりです。○○さんです?私○○です」


ところが、その人は何かに怯えたような。


一歩退くように。


「はあ」


と。


周りを見ても、何時もの賑わいわなく、マスク姿の人が閑散としている。


二人は、少し離れて会話した。


「大変なものが流行って・・ネ」


「針鍼灸医院に来て腰を治療中です」


「まだ走ってるんですネ」


「ハイ」


「ボートはやっていますか」


「春になれば」

帰りの車の中、お尻の痛みはやわらいだ。


コロナウイルス、多くのものが自粛と大変な時期だ。

朝、布団の中で、甲府の病院の先生からのFBがあった。

イタリア新型コロナ:休校中の校長先生が送った手紙が秀逸

何処の国でも大変、だと思った。

早くコロナが治まって、いつもの春が待ち遠しい、です。

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五年前の冬、原田橋は新原田橋の建設途中に崩落した。


佐久間駅伝の6日後の大惨事だった。


55歳の自分は当時、原田橋を渡り下川方面に走っていた。

新原田橋の建設進捗を見ながらのラン、過疎の町の希望の橋だった。


崩落した橋は取り除き、新々原田橋として下流に工事が新しい橋の工事が始まった。


長いながい工事期間を経て、完成した新々原田橋、60歳の自分は今朝走って渡った。

 

原田橋には歴史がある。物語がある。初代原田橋は原田さんの寄付で作られた。


原田久吉翁の足跡を訪ねるPDF


多くの事故もあった、犠牲者も多くいる。


もう終わりにしてほしい。


都会も山間部もライフラインは保障してほしい。

原田橋が・・・・無くなった(涙)
2015/01/31のブログ

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昨日の山行、宇連山~鳳来寺山に向かう時、年配の男女のハイカーに出会った。ご夫婦であろうか?

向こうの方から声をかけてくれた。

「どちらに行きますか?」

「鳳来山から湯谷温泉に下り、そこから県民の森まで」

「そこに車を置いている、から」

「それは、まだ、ありますネ」

「お宅は」

「私たちは、クロセまで、すぐそこです」

そんな会話を、相手の旦那さんと、私の師匠と話していた。

クロセ、すぐそこ、クロセを知らない私は分からない?

道に詳しい師匠は、分ったみたいだ。

宇連山~鳳来寺山は上りあり下りあり階段ありで険しいルートだ。

すれちがったハイカーもこの道を歩いてきた。

年配の男女のハイカー。ご夫婦であろうか?そんな人に。

奥さんらしき人は、後方でニコニコしていた。

都はるみの「夫婦坂」の歌のように、自分達の人生をなぞるようにして鳳来山の方から坂道を上ったり下ったりして来たのだろうか。

後ろ姿が、印象的だった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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