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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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29歳の春、私は佐久間町に帰ってきた。横吹という斜面集落に暮らし始めた。次の年昭和天皇が崩御し時代は平成へと変わった。
夕張市(ゆうばりし)は、北海道中部空知地方の市である。夕張メロンの産地として知られる。北海道の中央部に位置し、かつては石狩炭田の中心都市として栄えたが、1990年(平成2年)までに全ての炭鉱が閉山した。その後、ヤミ起債が発覚し深刻な財政難となり、2007年(平成19年)3月6日をもって財政再建団体(現在の財政再生団体)に指定された。
ウィキペディアから。
ヤミ起債とは、地方自治体が長期の償還期限を定めた借り入れ契約を総務大臣や都道府県知事の許可を得ずに締結すること。
消滅可能性都市
少子化の進行に伴う人口減少によって、存続が困難になると予測されている自治体。「日本創成会議」人口減少問題検討分科会が、2040年までに全国約1800市町村のうち約半数(896市町村)が消滅する恐れがある、と発表した(14年5月)。10年の国勢調査を基にした試算で、40年時点に20~39歳の女性人口が半減する自治体を「消滅可能性都市」と見なしている。同時点までに人口1万人を切る523の自治体は、とりわけ消滅の危険性が高いという。「日本創成会議」座長・増田寛也が試算・発表したことから、通称「増田レポート」とも呼ばれる。
 都道府県別では、青森・岩手・秋田・山形・島根の5県は8割以上の市町村が該当し、特に秋田県は大潟村を除く全自治体に消滅の危機があるという。人口が多い首都圏も例外ではなく、東京23区では豊島区、神奈川県では三浦市(他8自治体)、大阪市では中央区(他4区)なども「消滅可能性都市」にリストアップされている。なかでも、東京都は女性の出生率が低く、また地方都市の人口減少に伴い若年層の流入も減ることから、急激な高齢化による衰退が指摘されている。
このように「増田レポート」は、具体的な市町村名も発表したため、該当する自治体には大きな衝撃となった。一方、出産適齢期の女性人口の推移による分析で短絡すぎること、11年の東日本大震災をきっかけに進んでいる「ふるさと回帰」「田園回帰」の流れが加味されていないことなどから、推計・解釈自体に問題があるという批判も多い。なお、「消滅可能性都市」は、14年のユーキャン新語・流行語大賞の候補にもなった。
知恵蔵から。
NHKの討論番組があった。世の団塊の世代と団塊ジュニア世代の討論番組だと記憶している。団塊の世代が60歳になって会社で定年を迎えはじめている。世代間によって考え方は違う。団塊ジュニアの人たちは派遣やワーキングプアなど様々な問題がる。
それぞれの世代で激論がバトル、そこを止めて司会者が、ある映像を映し出した。ある夫婦がある会社を定年して豪華客船での船旅に出かけるシーンだった。綺麗なドレスを着てゴージャスな食事、それはそれは優雅なシーンだった。
先ほどの司会者が「この映像を見て、また」団塊ジュニアの人たちから様々な意見があった。そこで団塊世代のある女性が発した言葉が印象的だった。
「われわれは戦後苦労をして、ココまで働いてきた、自分の金で行くのが、なにが悪い!」だった。
みんな唖然としていた。テレビを観ていた自分も唖然とした。
その人の胸の名札には教員と書いてあった。
 わたしの職場に水道工事で来た中学校時代の同級生が言った言葉が忘れられない。
 佐久間中学校の駐車場にある中学校の校長先生の車、ベンツを見て。
「公務員が外車など乗って、公務員は国産車を乗るべきだ、日本の金で生きているのだゾ~」と、目を三角にして私に怒鳴り散らした。
また、佐久間町の時代、佐久間町の役場職員同士の人が結婚した場合、二人とも役場職員ではいられないというルールがあったそうだ。
その規則を守り、役場の人同士が結婚した場合、どちらか一方が職場を去った、そうだ。
その佐久間町が浜松市になり、その職員は「今は浜松市だから、浜松市の何処に暮らそうともかまわない」と言っているそうだ。
その職員は、その昔、わたしの子供が小さなころ、私の家にサンタクロースの格好で子供にプレゼントを持って来てくれたことがある。
佐久間町の役場職員、地域振興課の職員だったのだろうか、若い職員が頑張っているなと感じた。そのときは。今は浜松市の職員として頑張れ、と応援したい。どこに暮らそうともかまわないけど佐久間町で行政職を初めてこたは忘れないでほしいと思った。
言論の自由、日本国憲法は,「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」と規定している。
日本は自由な国だ、坂の道の雲のオープニングにあるように、明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために、必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にもなることができるのだ。
「坂の上の雲」とは。維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、その明治という時代を生きた「楽天家達」の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
そのような時代があり、戦争があり戦後の復興があり、今の時代が築き上げられている。その部分を、今の自分達は生きている。令和の時代を歩み始めているのだ。

つづく。

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佐久間町の走る仲間、元佐久間小学校の校長先生、そんな人の著書の本「山紫水明」を読んでみた。
内容紹介
校長として勤務した2校の小学校で、教職員向けに配布した「校長室だより」87編には、著者の学校経営に対する熱い思いがちりばめられている。これには、教育に関わる話題のほかに、著者が日々の生活の中で体験したことや感じたこともユーモラスに書かれ、教育関係者だけでなく、教師を目指している若い方々など、一般の読者にも大変面白く興味深い内容になっている。
豊かな緑と清流が流れる中で
この先生の本はAmazonで買って読んだことがある。今回は先生が佐久間図書館に寄贈したと聞いて、その図書館にて借りて読んでみたのだった。
最初、前買った本の内容とカブっているところが多く読むのが嫌になったけど、返す期間が後少しとなり、本日必死で読みだした。
 

宝塚 ブスの25ヶ条
そんなことが書いてあった。
1.笑顔がない
2.お礼を言わない
3.おいしいといわない
4.目が輝いていない
5.精気がない
6.いつも口がへの字をしている
7.自信がない
8.希望や信念がない
9.自分がブスであることを知らない
10.声が小さく、いじけている
11.自分が正しいと信じこんでいる
12.愚痴をこぼす
13.他人をうらむ
14.責任転嫁がうまい
15.いつも周囲が悪いと思っている
16.他人に嫉妬する
17.他人につくさない
18.他人を信じない
19.謙虚さがなく傲慢である
20.人のアドバイスや忠告を受け入れない
21.何でもないことにキズつく
22.悲観的に物事を考える
23.問題意識をもてない
24.存在自体が周囲を暗くする
25.人生においても、仕事においても、意欲がない
考えてみると、自分に思い当たることが多いような気がする。
☆.自分がブスであることを知らない。
★.自分がバカであることを知らない。
とか。

東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受けていた問題のことも。
ばい菌扱いされてつらかった!
という項目で記載されている。
いじめによる自殺によって尊い命を絶対になくしてはならないと。
この事については自分も自分なりの考えがある。
総理大臣経験者が今になって原発反対を唱えている。
それは小泉元総理
「なぜ総理のときは『原発必要だ』と言っていながら、やめたら『原発必要ない』と言い出したのか?」
https://logmi.jp/business/articles/159726
人は自分は安心安全のところにいて、正義を唱える。
そのことによって、他の誰かが傷ついていいることを考えているのか。

それは原発問題だけでなない。
沖縄問題も北朝鮮拉致被害者問題もそうだと考える。
佐久間町の走る仲間、元佐久間小学校の校長先生、そんな人の著書の本「山紫水明」を読んでみた。
佐久間町は浜松に合併して、様々な弊害が合わられ始めた。今ココに生きる者としてみんなで地域を盛り上げていこうではないか。
奈女田先生
佐久間町体育協会は佐久間駅伝の運営が厳しい状態です。
応援よろしくお願いいたします。

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ハムレットは言った『人生は選択の連続である』と。
シェイクスピアの作品、『リア王』『マクベス』『オセロー』『ハムレット』などの4作品は「4大悲劇」と呼ばれています。このセリフは小説ハムレットの中の名言です。
私たちの毎日は、ものすごく小さなことから、 大きなことまで毎日1000個以上の決断をし日々を暮らしている。 そんな毎日を繰り返し人間は人生を生きている。
森伸三先生は言った『現在は過去の結果である』と。それもまた同じような意味だ。様々な選択をし今の自分が作られている。現在の自分が、ここにいるのである。

今日は、相月の東林寺に行ってきた。
毎年、ここ東林寺では8月15日に施餓鬼(せがき)がある。
施餓鬼(せがき)とは、仏教行事のひとつ、餓鬼(がき)とは、生前の悪行によって亡者の世界に落とされた霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものだそうです。
施餓鬼とは、そのような餓鬼たちに施す、そんな行事なのです。餓鬼の供養を行う法要行事なのです。
北遠(ほくえん)の和尚様が集まって、その施餓鬼は行われた。
私の家は、今回初盆だったので、お寺の中に入って、その一部始終を見た。聴いた。
有難いお経を聞いていると、前に座っていた女の人の後ろの畳の上に、異様な生物が、薄黒くて細い触手をフニャフニャ・・・・・。何かナ~。見たことあるような?
山ヒルだ。誰かの血を吸ったのだろうか、少し大きくなっていた。
隣の人がテッシュで取ってくれて、一件落着だった。

私の家は初盆ということで、内施餓鬼という法要を施餓鬼の前に行う。
その時、多くのお布施がかかる。下世話な話だが金がかかる。
平成17年に亡くなった母親の法要は
 没年  1周忌 3回忌 7回忌 13回忌 17回忌 23回忌 27回忌 33回忌 37回忌 50回忌
平成17年 18年  19年    23年   29年     33年   39年     43年     49年    53年    66年
ココに父親の法要も重なるのである。
年を取り、収入は減っていくが、出ていく現金が多くなっていく。悲しい問題だ。

この様に思うことは、情けない考えなのか。
田舎に暮し、仕事に恵まれているときは好いが、仕事が無くなってしまった時、どうなるのか。
また、一人住まいの高齢の人も多くいる。その人たちは年金を切り詰めて支払っているのだろうか?
和尚様に請求されたお布施を、ありがたいことだと、支払っているのか?

また、私の先祖曽祖父倉蔵の時に位を上げている、横吹という斜面集落に住み経済状態も豊かではなかったと思うのに、何故。
また、祖父には子供が11人いた。その大半が戦前戦中の食料不足で栄養が行き届かない時代で栄養失調で亡くなった子が多くいたと聞く。
その子たちの供養は、亡き父親がしていたのだ。私はその苦労は知らない。
私は両親の供養のお布施で小言だ。自分で自分が情けない。

仏教には過去帳がある。
その時代に和尚様が書いた自記筆で、その記録が書き収められている。
森伸三先生の言った現在は過去の結果であるまた『未来とは今の積み重ねである』今日という日を、ありがたいと想い一日を暮らすことである。
その向こうに有難い未来があると想うことである。

「想う」の意味は「心の中でイメージすること」です。
例文
「同窓会で懐かしい友人と再会し、昔を懐かしく想う」
「久々に帰省し、変わらぬ風景に幼少期を懐かしく想った」
来年の5月は佐久間中学校75の同窓会だ。楽しい会になるように頑張るゾ~。。。

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毎回、遠山郷に行ったときには、龍渕寺・青龍寺だより をいただいてくる。
遠山郷の御寺が発行している新聞だ。
No1047号(人生とはすべて出会い)
No1058号 (朱印が結ぶ縁1)
No1049号 (戒名の疑問に答える)
No1050号 (笑いの薬を飲む31)
No1051号 (朱印が結ぶ縁2)
No1052号 (朱印が結ぶ縁3)
No1053号 (お寺の掲示板に学ぶ)
No1054号 (笑いの薬を飲む32)

No1047号(人生とはすべて出会い)には、選手を褒めて伸ばす陸上競技の指導者、小出義雄さんが死去したことから話が始まっている。
小出監督が指導した有森裕子さん鈴木博美さん高橋尚子さん、その人がその人に出会い人生が変わっていく。
人生はすべて出会いであり、わたしたちの一生はすべて誰かと出会い、誰かに巡り合って成り立っています。
今回、知り合い4人での遠山郷の旅、いい思い出になり、素敵な出会いがあった。

来年は、何処へ行こうか(≧▽≦)

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掛川の人と天竜の人二人と私四人で遠山郷に行ってきた。


遠山郷の「島畑」で、送別会をやろうとの話だった。


車でお昼に迎えに佐久間にやってきて、ホウジ峠まで行って伝承館でソバを食べた。


ホウジ峠を下って、城西・水窪、小松屋で御土産を買った。


浜松市の北部は道が狭い。浜松市最北端の町「水窪町」は人口流失が止まらない。


草木トンネルを抜け、国道152号線は酷道152号線に変わる。


兵越峠を越え信州遠山郷に入る。


峠を下り終えると、遠山郷のバイパスになる。


木沢小学校で懐かしい人たちと出会う。


森林鉄道の見学者の宴会の準備で忙しそうだった。


遠山郷土館[和田城]によって、龍禅寺に行った。


今晩の宿「島畑」に行き、お風呂に入って、夕食を食べた。


ジビエ料理は島畑の名物だ。


生ビールがお酒になって酔いがグルグル回った。


翌朝は、宿の周りを散歩した。


次の日は、下栗の里に行った。


下栗の里ビユーポイントにも行ってきた。


車で しらびそ高原に向かった。


しらびそ高原駐車場でかっぽれの踊りを見た。


しらびそ高原から矢筈トンネルの出口に下り、遠山郷のバイパスで和田に向かった。


和田の蕎麦屋「丸西屋」で食べたソバは美味しかった。


追記
私が宿泊した「島畑」に、あの田中陽希さんが前日宿泊したそうだ。


突然本人から電話がきて「田中ですが」と言われたそうだ。


突然すぎて多くは受け入れなかったそうで、撮影スタッフは断ったそうだ。


田中陽希さん
日本三百名山。
NHKではいつ放送するのだろうか?

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朝、庭の草取りでも始めようとしたらスマホに着信。

豊橋の人からだ。

梅雨の晴れ間、新緑の山間部を目指して車を走らせているそうだ。

佐久間に遊びに行くと。

それよりも、久しぶりに愛知県民の森に行きたいと提案。

愛知県民の森に待ち合わせて二人でBキャンプ場から南尾根を登った。

南尾根はからは県民の森「モリトピア愛知」の屋根が見えた。遠くに三河の町が見えた。

空にはどんよりと雨雲、西尾根に行く頃は雨粒が一つ顔に当たった。

それでも北尾根まで行き、三河地域の水源昭和33年に建設された宇連ダムのダム湖(鳳来湖)を見たいと北尾根を目指した。

宇連山の分岐に、北尾根を目指した。
鳳来湖は確認できなかった。
そんなとき雨が本降りになってきた。

次の分岐で、尾根から山を下った。

澤のせせらぎの音、木々の緑が雨でキラキラ輝いていた。

林道に出て林道を歩き、モリトピア愛知でお風呂にはいた。

雨で濡れた冷えた身体を温めた。

モリトピア愛知で愛知県民の森の地図で今日歩いたところを確認すると。

鳳来湖は見えないはずだ。

と思った。

愛知県民の森「地図」
  
 
写真は佐久間ダム

山がある。都会に水をもたらすダム湖がある。

今回、三河地方の水がめ鳳来湖は見えなかった。

 

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昨日の昼、浜松市中区田町のお好み屋さん「こなこな」でNPO法人ハーモニーの総会があったので参加してきた♪

NPO法人ハーモニーと、その理事長を知ったのは理事長の本「こう考えれば、もう少しがんばれる」を読んだからだ。

佐久間町~浜松市内まで車で2時間、約60㎞

6月に「夢街道90㎞」がある。

自分の想いを伝えたかったから総会に参加した。

いい出会いもあったのかと思う。

FBでの友達もできた。

それが終わって、車での帰り、エブリィビッグデー 有玉南店 で買い物、夕方からの上島キャンプ場での飲み会の買いだした。

6人だから一人三千円として18000円の予算、買ったのは12532円

もう少し買えるので杏林堂により買い物、2015円

12532円+2015円=14547円

あとはキャンプ場を借りるお金、丁度ガッチリでした(^O^)/

昨日の夜は、プチ同窓会、去年は女性の同級生も二人きてくれた。今年は声をかけなかった。
今年は7月に城西小学校時代の還暦同窓会も計画している。
自分で自分がやりたいことで、地元で楽しく暮らしたいと思っている。
2015年
2016年
2017年
2018年
そして今年
2019年
と続けてきた、このプチ同窓会、こらからもズーット続けていきたい。
継続は力なり。

日本で二番目に大きな浜松市、山間部は人が少なくなり悩み多き地域だ、しかし希望をもって暮らしていきたい。
そのように思って生きてきた。
合併から14年目が過ぎようとしている。
人は繋がりの中で生きている(^.^)/~~~
あの合併があったので
人は繋がりの中で生きている(^.^)/~~~
そのように感じて、今をこれからを生きて行く。

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鳳来、湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設で構成されたクア施設。
その中のブールで泳ぐために、その施設に行った。
竜頭山スーパMのときから一歩も走っていない。散歩ぐらいしかやっていない。
仕事が終わて三遠南信道を利用して行くと40分ぐらいで到着、一時間ユックリ1キロ泳いで帰ってきた。
使用料(スポーツ施設)510円

昔、むかし、
わたしが走り始めた頃。しんしん30歳だった。
初めて走ったマラソンは秋葉ダムさくらマラソン10㎞、その時に佐久間中学校時代の同級生ユキに出会い、
「俺たちも30歳、健康のこと考えないと」
と、そのユキが言っていた。
そのユキの背中を追うようにおおくのマラソン大会を出た。
そのユキが「トライアスロンをやっているので、おまえもやらないか」
と言われ。
「泳げないから無理!」
と答えた。
そんなとき、この温泉を利用した湯谷温泉のゆ―湯アリーナができたのだった。
そこで一日スイミングスクールの講習に参加し、息継ぎを覚え、そこに通って2キロ泳げるようになって、1995年のトライアスロン大会に参加した。
95トライアスロン伊良湖大会
Aタイプ(77㎞)スイム2㎞バイク55㎞ラン20㎞
記録
スイム 0:47:52
バイク1:38:22
ラン 1:48:45
総合 4:14:59
今となっては懐かしい思い出。。。

泳ぎ終わって、二階のトレーニングジムを覗いたら昔と違って新しいマシンがたくさんあった。
トレーニングをしている人も多くいた。
今日はシューズはもっていないし、家にはナイショで来たし、次はシューズを持ってきてマシンでトレーニングをしたいと思った。
丁度その日はスイミングスクールの日で家族連れでいっぱいだった。
山の中の湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設、様々な試みで多くのお客さんがきていた。

三遠南信道がつながると、もっと身近に感じるだろう。
山の中の湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設、ゆ―湯アリーナ。

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厚労省が公開した「平成29年簡易生命表」によれば、日本人の「平均寿命」が過去最高を更新して、男性は「81.09歳」、女性は「87.26歳」となったそうだ。
定年を60歳で迎えて、まだ21.09年生きることができるのか?

昔、平成の時代、ボーっと生きていた自分は、NHKの番組で、団塊の世代の人と団塊ジュニアの人との対談番組を見ていた。
その時、定年を迎える人たちが豪華客船で豪華な船旅を謳歌する様子がテレビで映し出されて、そこで団塊の世代の人と団塊ジュニアとの議論があった。
その時、定年を迎えたであろう女性教師の一言が忘れられない。
「私たちは戦後苦労して、ココまで着た、贅沢して何が悪い」
だった。

わたしの姉と兄は、その団塊の世代の人だ。
母親によく言われた。
「おまえはワガママだ」
「おまえは苦労を知らない」
「兄や姉は大変だった、苦労をした」
と。

事実、団塊の世代を生きた人たちは( 第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれの人たち)はライフラインも整っていなく学校から帰ってきたら家の手伝いから始まった。
水汲みランプの掃除だったと聞く。
多くの同級生が居て、モタモタしていたら生きて行けない、競争競争の毎日だったと聞く。

僕たちはどう生きるか?どう生きるべきか?
とりあえず、今年は城西小学校還暦同窓会がある。

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その前に
朝は「おしん」第36話を見た。
(祖母の死を見たおしんは、祖母の一生を哀れと思った。おしんはおしんなりに成長していった)
家の草刈を少しやって、9時に中部天竜駅に向かった。
駅で受付をすまし、いざ出発(^O^)/エイエイお~。
 

今回のJRさわやかウォーキング、目的はダムカード、先日の天竜川リバーサイドの最後の宴会のときに畑島さんから
「ダムカード欲しい。孫の分と二人分」
と言われたので、それを貰いに行くこと。
もう一つ。佐久間ダムに向かうトンネルの中が照明が少なく危険だと思たからだ。
https://walking.jr-central.co.jp/course/detail/1413.html

9時15分HR中部天竜駅を出発、井上靖の碑に到着、飯田から来たという人に写真を撮ってもらう。
そこからは、その飯田から来たという二人ずれの男性と話しながら歩く、その一人の人から、中部の町に「花園」という美容院があると思うが、と話はじめた。
「その人は飯田の人で、その弟子たちが佐久間で美容院をやっていると思う」と話していた。
その後、その飯田の人と、原田久吉翁の石碑の着く。
そして、石碑にある「数つ美て ほ古らぬ穐の 米俵」を読、原田久吉翁の話をした。
その石碑のことは↓
https://arukunodaisuki.hamazo.tv/e7716891.html
 
佐久間ダムに向かい高度を上げていく。危ないようなところにはボランティアの人がいて誘導してくれている。
トンネルの入口にも誘導員が居て「暗いので足元に注意してください」と。
二番目のトンネル内では足元を照らすライトがあった。次のトンネル内は発電機でのライトがあった。最後のトンネルが暗かった。
やっと着いた佐久間ダム、ダムカードは電力館、電力館入り口から入って正面に城西の人がいたけど私は受付でダムカードをもらった。振り向いて、その城西の人が何か袋を配っていたので、貰おうとしたら。
ダメだと言われた?
受付の人が、その人もウォーキング参加者の人だと言ったが、ダメだと言った?
私は、その袋を返した。そしたら、その城西の人が
「足りなくなると困るデ」と言った。
何だか分らなかったが、この場は、この方がイイと思った。
JRさわやかウォーキング、爽やかな気持ちが一瞬暗くなった。

電力館を廻って屋上から、この景色を見て気持ちを切り替えた。
電力館入口にある、佐久間パンプキンレディースのパンを購入(カレーパン三個メロンパン二個)買った。
帰りは観光協会の邑○さんに出会った。
最初のトンネル出口で城西の○岩さんが誘導していた。最後のトンネルの出口で歩いている人と誘導員の人が少し揉めていた。佐久間病院前で歯医者さん○賀さんと出逢い一緒に歩いた。中部天竜駅でゴールして受付でカードに印鑑を押してもらい、小松屋でトチモチを買った。

「おしん」
幼年期の苦労を描いただけではなく、いろいろな場面で様々な出会いがあり、築き上げた地位だった。
人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきた沢山の恩人の言葉を通して散りばめられている。
わたしも人生の出逢いで多くの良い人に出会ってきた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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