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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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平成31年2月20日
城西小学校還暦同窓会の通知を出した。
ラインで同級生での話し合いをした。
今、昔とはだいぶ違う社会に生きている。
遠くに暮らしていても、同じ話題で盛り上がることができる時代だ。

浜松市の山間部の小さな小学校、そこで半世紀前に幼少期を過ごした記憶
そんなことをラインで話し盛り上がった。

佐久間中学校の同窓会は佐久間町が浜松市に合併して、次の年から始まった。
これから佐久間町は確実に衰退していく、それならば5年に一度くらいは佐久間町で昔の仲間が集まって楽しい酒を飲みかわそうとの想いがあった。
その想いで始まった第一回目は浦川の清流荘でやった。45歳のときだった。
「五年後も、この場所で会おう。」そう語った。
しかし、50歳のとき「こんな佐久間なんかより浜松市の街場でやりたい」そんな意見が地元の同級生から出て、50歳のときの浦川で清流荘での同窓会のときにアンケートを書いてもらいみんなの意見を聞いてみた。
結果は多くの人が浦川での同窓会より多方面での同窓会を望んでいた。
55歳のときはコンコルドでの同窓会となった。

2017年、城西小学校、我が母校が閉校した。
141年間続いた城西小学校が無くなった。
その年、城西小学校の同窓会を行った。
城西小学校同窓会
場所は水窪、中村館
城西小学校の同窓会は水窪で、こらからもズーット続けていけたら、と思っている。

わたしの想い伝わっただろうか(*^^)v

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日々の生活をしていると、いろいろなことがある。
良いこともあれば、悲しいこともある。
楽しいこともあれば、悔しいこともある。
凹むこともある。
 
昨日、LINEで繋がっている友人と電話で話した。
たわいもない昔話を15分くらい話した。
楽しかった。良かった。癒された。
 
人は他の人とコミュニケーションしたがる動物。
昨日は清美ちゃんとの電話で癒された。
いろいろなことがあるけど、明日からまた頑張ろうと思った。
ありがとう。清美ちゃん。
 
清美ちゃんとは佐久間中学校時代の同級生、
昔っから知っているので好きなことを言い合うことができる、わたしの大切な男友達です。

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還暦とは
干支が一回りして生まれた年の干支にかえる、その時のこと。
もとの暦に帰るということで還暦と呼ばれている。

ネズミ年の私は生れた年のネズミに還る。

来年の2月20日。

 
今年の夏に城西小学校還暦同窓会を行う。
もう60歳になった人、還暦を迎えた人、まだ還暦ではない人がいる。
人間は死ぬまで生きることを強いられた生物だ。
同窓会も、後どのくらい参加することができるのだろうか?

佐久間町が浜松市に合併したとき、佐久間町はこれからますます衰退していくと思い佐久間中学校の同窓会の話が始まった。
5年に一度くらいは佐久間で楽しくにぎやかく同窓会、そんな思いがあった。
そんな思いも45歳・50歳の二回だけで終わった。

 
それから数年たって城西小学校が閉校することが決まり城西小学校の同窓会を開いた。
城西で暮らす子どもを持つ親が城西を去った話を聞く。

 
今年の夏は
城西小学校還暦同窓会だ。

城西小学校の同窓会は、地元でやりたい。

 
最後に今読んでいる本
そのまんま東
60歳をピークにもっていく法
から。
「執念ある者は可能性から発想する」
「執念なき者は困難から発想する」
1パーセントの可能性があるのなら、そこから執念を持って可能性を追求していく。
今回の還暦同窓会、遠くは小牧市から来てくれるという人がいる。
そんな同級生を大歓迎したい。

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最近物忘れがひどく。。。。。いっぺんに二つのことをやろうとすると一つ忘れる(涙)


こんな人に同窓会の呼びかけ人なんて出来るだろうか(笑)


でも頑張ろうと思う。


そう言えば、面白い話を聞いた。


沖縄県では、地元の幹事が同窓会を計画すると横断幕を地域に掲げるそうだ。


何年生まれの同窓生、全員集合!!!
そんな横断幕を見た家族が地元を離れた子供に連絡をして多くの同窓生が地元に帰って来て、集まり同窓会が始まるそうだ。


う~んいいアイデアだ。


ネットで検索してみたら、こんなのもあった。

 

沖縄県の人たち楽しいナ~。。。。。


今年の7月にやる、われらが城西小学校還暦同窓会


60年も生きていれば様々な人がいるだろう。


そこが楽しいのダ。


生きてるだけで丸儲け(^O^)/

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還暦とは?
60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえることから、 元の暦に戻るという意味、暦の上で還暦、元の場所・状態に戻る。
簡単に言えば長寿のお祝い。だ。

2017年3月
我が母校城西小学校は141年の歴史を閉じた。
廃校になった。
そんなとき同窓会を開いた。
城西小学校同窓会2017

あれから二年。
還暦同窓会をやろう。
そんな話をした。

自分は早生まれ、まだ58歳だ。
まだ還暦には早かろう。そう思っているが、そんな話を進めた。
還暦同窓会。

どうせ、酒を呑みたいだけだろう~。
誰かが背後で囁いている。
 

いや違う。
郷土を愛しているから地域に活気を戻したいから計画を進めているのだ。
還暦同窓会。


やっぱ酒呑みたいだけかも(笑)

場所:水窪の中村館

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昨日、くまのプ―さんとラインで繋がった。


昔話に花が咲いた。


くまのプ―さん とは城西小学校の同級生のことだ。


平成29年(2017年)に城西小学校が閉校になった。


1904年(明治27年)から続いた城西小学校は平成28年度で閉校した。


そんなときに私たち同級生は同窓会を開いた。
城西小学校同窓会2017


その時参加した同級生から連絡が来て、その時参加できなかった くまのプーさん を紹介してもらい昨日ラインで繋がった、というわけだ。


くまのプーさんは切開(きいなま)の人だ。


切る開くと書いてキイナマ。なかなか読むことはできないだろう。


人には故郷がある。


昨日は、くまのぷ―さん と、そんな話をした。


次の城小同窓会が楽しみだ。

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今朝、仕事中に着信があった。
050・××××・○○○○

不審な電話番号。

何者。

仕事が終わって、恐る恐る電話をしてみた。

やけに明るい声で
「イトウヤスオだよ~」
と言ってきた。

苗字が聞き取りにくかった。
イトウヤスオに知り合いがいない。

ムラタヤスオだったら知っている。

「ヤスカ~」
こちらの方から言ってみた。

なんか違うらしい。

この前、城西郵便局から送った
同窓会のDVDの話をしている。


そんな話を電話でしていると。
ひらめいた。
イトウヤスオって、小学校6年生のときの担任の先生だった(≧▽≦)

急に声色を変えて、頭を下げ、頭をカキかき話し出した。

「先生、お元気ですか・・・・・。」

それにしても、電話のむこうからの先生の声は若々しかった。

晩酌の途中で、会話も滑らかだった。

3年後、また水窪で同窓会を行うので、是非、来たくださいと言って電話を切った。

後で
050とネットでググッタらIP電話だと知った。
IP電話とは
IP電話とは インターネット網を使用した電話サービスです。
光電話との違いがよくいわれますが、光電話は光ファイバー網を利用して電話します。
それに対して IP電話は インターネット網を利用して 通話しています。
光電話は NTTや電力会社などのインフラを持った回線事業者が提供していますが、IP電話は 主にプロバイダが提供しているサービスだといえます。

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同窓会参加者、私を除いて15名。
今回参加できなかった恩師。
そんな人に、今回の同窓会のDVDにしたのを送ろうと思っている。


今回の同窓会のときに、誰かが
「次は、三年後、東京オリンピックのときに、私たちが還暦のときに・・・集まろう!」
そんなことを言ったような気がする。

今回、私たち昭和46年度の卒業生にハガキを出したところ
メールや電話・ハガキなどで、参加できない旨を連絡してきた人が数人いる。
そんな人には
その、DVDを、住所を連番で書いて、順番で回してもらうようにした。


高校の同窓会、中学校の同窓会、小学校の同窓会
いろいろ参加してきたけど、ヤハリ、小学校の同窓会は格別だ。

私は城西地区は出た者だけど、この城西小学校同窓会は続けていこうと思っている。
三年後は、今回より、もっと賑やかな楽しい同窓会にしたいと思っている。

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城西小学校の閉校が決まり、城西小学校の同窓会をやりたいナ~。
そう、思っていた去年の春。
佐久間中学校の同級生の母親が亡くなり、通夜で○井君と出会い同窓会の話をした。
その夏、相月のお寺で施餓鬼があり○井君も話をして、
城西小学校同窓会2017
は、始まった。
幹事長 三○敏郎
福幹事 ○井 誠
事務局 新○ 勉

昭和46年度卒業
城西小学校同窓会
1904年(明治27年)から続いた城西小学校は平成28年度で閉校します。
112年の間、佐久間町城西地区の小学校教育を担ってくれた学校に感謝するとともに、過疎で衰退する地元の事を考える場にと、今回こてを機に同窓会を計画しました
日時 2017年3月18日(土)
会場 水窪「中村館」
会費 7000円
幹事長 三○敏郎
福幹事 ○井 誠
事務局 新○ 勉

当時、私たちのクラスは二組。
先生には往復ハガキでの連絡。
生徒には普通ハガキでの連絡とした。
大部分の人が佐久間町に住んでいない人だ、少しでも故郷を思い返してもらえるように
西渡(にしど)郵便局から西渡郵便局の風景印を押してもらって送ることにした。

真っ先に連絡が来たのは、北○先生
往復ハガキだったけど電話での連絡だった。
最近腰痛が酷くて参加できないとの連絡だった。
ハキハキとした声にはハリがありまだまだ若さがみなぎっているようだった。

2017年城西小学校同窓会
参加者は16名
タイムスケジュール
13時00分(城西小学校内見学)

13時30分(講堂に集合)

14時00分(見学終了)

15時00分(同窓会開始)

18時00分(同窓会終了)

今回は、城西小学校の閉校式があるので、それにからめての同窓会の計画だった。
城西小学校に連絡して、学校内を見学できないでしょうか?と聞いてみた。
最後だから、もしかしたら閉校の後、その小学校は解体されるかもしれない。
校長先生の配慮で、それが叶った。

私たちが小学校6年生のときの教室で集合写真を撮った。

城西小学校3階の教室の窓からは
城西の街並みとエス型鉄橋が見える。

校長先生に、城西小学校の閉校までの経緯の説明をしてくれないかとお願いした。
閉校後、城西小学校の生徒は佐久間小学校に行くのか水窪小学校に行くのがよりよい方法なのか。
何回も何回も会合を重ね、PTAの皆さんの話し合いがあったこと、先生は中立の立場で見ていたこと。

これも時代の流れの1ページ。

最後、校庭に集まり。
記念写真。

城西小学校の、この鉄筋コンクリートの校舎は、私たちが小学校2年のときに完成した校舎だ。
いい記念の1枚になるだろう。

それぞれの人の車に便乗して同窓会会場である水窪の「中村館」に向かった。
飲んで飲んで酔っぱらって同窓会が終わってからだと集合写真が写せなるかもしれないと、飲む前の集合写真。

後ろにある城西小学校の横断幕。
城西の太○さんに書いてもらった。
ありがとう。141年。
長い長い城西小学校の歴史は閉じた。

城西小学校の歴史は閉じたけど
また、これを機会に同窓会は続けていこうと思っている。
ヤハリ同窓会は地元で。

関連ブログ
小学校の同窓会をやろう!!
同窓会。。。
城西小学校の同窓会(その三)
城西小学校同窓会まで、あと少し
城西小学校同窓会の打合せ。






 

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先の土曜日は「城西小学校同窓会」の打合せだった。
参加する人から連絡が来て、おおよその参加名簿を作り、打ち合わせに来るマコト・トシロウ・キヨミちゃん・俺の分の参加名簿を持って打合せ会場である浜松市の駅前にある居酒屋を目指した。

途中よった道の駅「花桃の里」ではお祭りの準備なのかオジサン・オバサンが忙しそうに動き回っていた。

浜松駅に着いたのは13時半、予定より早くの到着。
まだまだ時間があるので、海を見に行くとする。
中田島砂丘だ、浜松市の、この砂丘には高さ13mの防潮堤を建設する計画がある。
同じ浜松市民として、気になっていた。

中田島砂丘に入ると、このような看板が。

防潮堤工事区域、かなり砂丘よりに建設するみたいだ、こんなんだと中田島砂丘が無くなってしまう。
そんな風に感じだ。

途中、警備の人がいたので、聞いてみた。
「防潮堤、かなり大きな建設予定だけど、どうなるんですか~」
警備の人だから、迷惑かも知れなかったけど聞いてみた。
その人は親切に、「中田島砂丘の景観と自然に配慮した建設になっていますよ」と。
またこのような看板も。

こんなことに配慮しています。
・砂で覆うことで、極力、砂丘の景観を崩さない。
・砂地を利用する動植物にも配慮している。
完成予定は2020年だそうだ。

浜松市は防潮堤があるから大丈夫。

6年前の今日。東北で地震があり多くの人の命が奪われた。
仕事中だった私は不気味な揺れを感じて事務所に行ってみた。
すると、テレビで津波の映像が映し出されていた。

浜松市は防潮堤があるから大丈夫。

10年前に広域合併をした政令指定都市浜松市。
その山の奥、佐久間町から走って来て、浜松市が建設予定の防潮堤を観に来た。

6年前の今日。東北で地震があり多くの人の命が奪われた。
仕事中だった私は不気味な揺れを感じて事務所に行ってみた。
すると、テレビで津波の映像が映し出されていた。
あれから6年。

海に向かって手を合わせ。
海に背を向け、同窓会の打合せの会場がある浜松駅まで、今度はバスに乗って移動した。

二次会は佐久間の辰美屋の人が開いているという お店に寄った。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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