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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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毎年おさかなさんが企画してくれるイベント
今年は30人のランナーが全国から集まった。遠くは北海道・大阪からも。
私は浜松市の山間部、飯田線の中部天竜駅から始発(5時25分)の電車で名古屋に向かった。
大都会名古屋市、山間部の私は憧れの地だ。
多くのランナーの後を着いて走った。
走り終わって、山王温泉嘉多の湯に入り。宴会
出会いがあった。女衒の人との出会いだ。それは
○田さんからの紹介だった。
私の向かいに座った○田さんは、隣りの人を
「この人のお店は座っただけで一万円」と話した。
私は
「高級クラブの経営者ですか?」と尋ねた。
その人は
「ちゃうちゃう女衒」と笑って答えた。
山本周五郎「さぶ」での女衒の六の話しを思い出した。女を食い物にし、血の涙もない女衒の六が、最後身づ知らづの女を助けるために死んだ。栄二の心は揺さぶられた。
今は令和の時代、女衒の仕事も昔とは違う。
お金のため、男を喜ばせる仕事、男は、それ満足する。女はそれで得をする。
話しは変わって、今月また名古屋に行く用事がある。
過去に水窪盆栽クラブで名古屋に行った。また、同じようなコースで名古屋に行くという。
2018年のブログ↓
前回は、盆栽の展示会に行って地下鉄で名古屋駅に帰ってきたけど、名古屋駅での昼ご飯は、パッとしなかった。
今回は、地下鉄で栄まで行って、オアシス21によってこようと思っています(^O^)/

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去年は、平岡エイドでのボランティアだった。今年は走ってここまで来た。
エイドで大変お世話になっている近藤さんに挨拶をした。
多くのランナーがいた、顔見知りの人も多くいた。
ボランティアスタッフにカレーヌードルと小粥を貰った。
約半分の距離を走ってきたことになる。まだこれからが大変だと思う。だから、ココで英気を養う。
そこにウッチャンと智さんがいた。お互い疲労困憊のようだった。
「私たちは、ココから電車に乗る」
というので、私も初めから乗るつもりだったと言った。
私と智さんは大嵐駅で下りた。二人は一気にトップ集団に追いついた(笑い)
静かな富山村の村内を歩き、お決まりのように信号機の歩行者ボタンを押した。
レストラン「栃の木」の前の公園でエイドがあった。
水分を補給して食べ物を頂いた。
こらからの21k、店は無い。自動販売機もない。ただただ佐久間ダム湖湖岸を南に下るだけだ。
トンネルの数を数え、春の新緑を目に進む。釣り人だろうか、釣り竿を持った人がいる。オートバイで走って来る人がいる。そこに近所の人が車で通り過ぎた。私の腰に激痛が走り始めた頃だ。
その車の帰り、その人が
「車に乗っていかないか」
と言われた。よほど情けない歩き方だと思ったのだろう。
私は断った。アリガトウと言って、断った。
最後のトンネル「ウナギだる隧道」このマラニックの名物トンネルだ。
そのトンネルは曲がりくねっている。だからウナギだるというのか?
そのトンネルは、昔オバケがでると言われていた。夜には子どもの声が聞こえると言っていた。佐久間ダムができた70年前、様々なことがあった。佐久間ダムの工事では犠牲者が96名だという。
今は労働基準が設けられ、安全な作業が求められている。
ウナギだる隧道を抜けると静岡県浜松市。
そこには萩田エイドがあった。
智さんも居た。
残りの三つのトンネルを抜け、旧佐久間町の火葬場下の脇道からショートカット、昔の佐久間ダムへ行く遊歩道を佐久間町中部(なかべ)商店街に下る。佐久間病院の横から中部(なかっぺ)橋を渡り半場(はんば)にいく。中部天竜駅横を通って、浜松市市営駐車場にある自分の車を横目に進み、佐久間小学校横を歩き、飯田線の鉄橋横の遊歩道を歩きコープ佐久間店に出る。
ココのコースは、天竜川リバーサイドに参加する人は、コースマップをヨーっく見てほしい。こんな感じになっている。
国道沿いのコースだと、狭いトンネルを通ることになっている。そこを、吊り橋を渡り、飯田線沿いに歩くようにしたらとの提案です。
佐久間の人は田舎だから車が移動の手段だ。だから、その狭いトンネルは通ってほしくないと思っています。
コープ佐久間店に着き、お決まりの缶ビールにおつまみ(卵焼き)ホッと一息。
ある人が「この時間なら歩いても行ける」と。そうか~と自分は考えた。でも「歩いても行ける」歩く速度は人それぞれ違う。と、その後ズーット思っていた。
智さんと一緒に歩いたけど、その智さんが離れていく。
秋葉ダムの湖岸、秋葉ダム桜マラソンの一㌔ごとの表示を数えて秋葉ダムのエイドを目指した。
眠くて、腰が痛くて、身体も傾きだした。ようやくついた秋葉ダムエイドでノリちゃんがウドンを作ってくれた。
缶ビールもあった。そこで持ってきたカッパとダウンを着て駐車場で横になた。空には満天の星が輝いていた。
ノリちゃんの車でショートカットしようかな~と私の中の悪魔の声が聞こえる。眠れなく目だけつぶっていた、スーッと記憶ななくなりすぐ起きて、リックをかついで
「ありがとうございました」とノリちゃんに挨拶をして歩きだした。初めは何とか歩ける。秋葉ダムの堰堤、そこを過ぎてからの坂道が大変だった。秋葉トンネルを抜け、横山あたりの街灯の下で横になった。一度横になると立つのだ大変、手で持っていたコップを支えにして起き上がる。そして進む、エイドを撤収したノリちゃんが来た「大丈夫ですか~」私は
「大丈夫ではないです車に乗せてください」
とヘルプした。
多くのランナーの背中のライトが輝いている。その一人ひとりにノリちゃんは声をかけている。道の駅「花桃の里」にてボランティアのエイド車がいた「車の中で2人寝ています」と言っていた。
私のワープは二俣駅前のコンビニまでお願いした。
5月5日1時30分
そこのコンビニで焼き肉弁当を、そこの駐車場で食べた。
そこに、ランナーの忘れ物でなないかと思える。手袋とジャージがあった。
どうしたものかと考え、萩田さんに電話を掛けた。自分で判断して処理してください、とのこと。
私はコンビニの人に断り、レジ袋を買って、そのジャージと手袋をリックに詰めた。
歩いて天竜川河川敷に降りるところまで行き、そこのバス乗り場で寝た。横になった。朝4時起きて河川敷を河口に向かって進んだ。
最初の橋「第2東名」そこにエイドの人がいた。次の橋「浜北大橋」そこにもエイドがあった。その人は大工の人で、水窪や佐久間の人を知っている、と言っていた。
次は「かささぎ大橋」「東名高速の橋」と続く。
「国道1号線の橋」の下にもエイドがあった。太陽の日の光を遮るものが何もない河川敷のコース、橋はその光を遮る良い場所だと思った。
次の「東海道線の橋」その橋の下で寝そべった。列車が通る音で起きて歩いた。
次の「新幹線の橋」の下で横になる。新幹線の音は凄まじい。遠く何か音がしてきたと思うと、その音がとんでもない音になる。疲れた身体を無理やり起こされて、ダンスをさせられる、そんな感じだった。
そこから「掛塚橋」までが長かった。もう日陰を求めて寝ることもできない、そこらへんでゴロンと横になる。そんなとき、だれかの話声が。
「オジサン、そんなとこに寝ると良くないよ、あの木の下がイイ」と私を起こしてくれた。
「アリガトウ」と言って起き上がった。そして進もうとした。
犬を連れた青年と、その子どもだろうか、二人が歩いて土手を登って行った。
私は職を失って路上生活を余儀なくされたホームレスの人の気持ちが少し分ったような気がする。
5月の連休の昼下がり、そこの天竜川河川敷の公園には様々な人が居た。サイクリングロードを颯爽に走っている集団、ママチャリで走っている外国人労働者たち。ある高齢のランナーが私に話しかけてきた。
「私に何かお手伝いすることは、ありませんか?」
その人も走っていて、最近袋井マラソンを走った。と言っていた。
225㎞ですか~っと。
その人は、70歳代で走るようになり、いま80歳と言っていた。
そのときエイドがあり、あんなことしてもらったら嬉しいと言って、私はエイドに行った。そこにはスイカがありパインがありメロンがあった。疲労困憊の身体にしみわたった。
そのとき、その80歳の男性のことを思い出し振り向いたが、そこには誰もいなかった。
「私に何かお手伝いすることは、ありませんか?」
2023年5月3日私は諏訪湖から走り始めた。そして5日の昼間、天竜川河川敷を河口を目指して進んでいる。
思い返すと、様々な人に助けられている。最初はアメをくれたオバちゃんから始まった。
やっと近づいた「掛塚橋」そこにもエイドがあった。そこでコーラを飲んでいく時に、12時のサイレンが鳴った。制限時間、私の天竜川リバーサイド2023は終わった。
そこからゴール地点の竜洋海浜公園まで3k
最後の遠州大橋まで河川敷の地獄は続く。
遠州大橋をくぐって、堤防の道路を歩いていると、黒い車が乗っていきませんか?と。
相当、危ない走りだったようだ。それでも最後は自分なりに締めくくりたいと、その誘いを断って進んだ。
最後の最後、竜洋海浜公園の中で道を聞き、川を上流に行くといわれ行くと、それが遠い。振り返ると川を渡る歩道の橋があるではないか。戻り駐車場からその橋に向かっていると、ある人が私を呼ぶ声が。
セっちゃんがいた。
LINEで、そんな話をしていたっけ、根性出して走る。そう思ったけどボロボロでした。
萩田マラニックで嬉しいのは最後の温泉と宴会、時間外なのでゴールのオモテナシは無かったけど、お風呂に入れるのは嬉しい。
もっと
最後の最後、嬉しいことが。
平岡駅からの飯田線で知り合った方が、お風呂で私の激痛が走った腰にテーピングをしてくれた。こと。
お蔭で腰は、そんなに痛くないです。
また、竜洋海浜公園から豊岡駅まで帰るとき、タクシーの便乗どうなるのかと心配していたら智さんにヒロ子ちゃんの車に誘われたこと。
2023年5月3日はこんな人でした。
2日間の天竜川リバーサイドで私は多くの人に出会い、そして喜び苦しみを感じました。
出口浩明さん(ライフネット生命創立者)
その人の本で「人生は喜怒哀楽の総重量である」と書いてあります。
何事も表もあれば裏もある。良いこともあるが大変なこともある。
「私に何かお手伝いすることは、ありませんか?」
80歳の男性も、ランナーだから。私に、このような声をかけたのだと思う。
天竜川リバーサイド
主催の萩田さん、ボランティアをしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
来年は、もう少しましになるよう精進します。
それでは、また(^O^)/

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 佐久間でボラ
 早稲田から迂回路の新野峠から富山村・佐久間ダム・佐久間駅で仮眠、西渡(にじど)からバスで西鹿島、天竜川河川敷を走り時間外ゴール。
 平阿岡駅から大嵐駅まで飯田線、あとはワープ無、完走。
体調不良のため、富山村からの参加
2020年2021年2022年
平岡で近藤さんたちとボラんチェア
このときはブログは書いていない。
この三年間、色々なことがあった。考えた。
そして
2023年は、参加しようと決めた。
飯田線「中部天竜駅」始発の電車に乗って岡谷駅を目指した。
岡谷駅に着いて、諏訪湖まで歩いていく、走り始めたランナーに出会う。
諏訪湖に着いて受付を澄まし着換え萩田さんにスタートラインい連れていかれ写真を撮ってもらう。
諏訪湖・釜口水門スタートは5月3日12時30分だった。
道に迷うのは最大の時間ロスになる、道を知ってそうな人を見付け、その人に着いていこうと思った。
だけど、走力が無いので、途中から着いていけなくなる。
そんなことの繰り返し。
オバちゃんの応援の人がいる、まだ長い道のりアメを食べてけ、と差し出される。
40k過ぎから知り合いの姿が見えてくる。早い人だけど様々寄り道をしてきたみたいだ。
ある人は、応援のオジちゃんに
「走る人を見るとウキウキする、家によってビール飲んでけ」
そう言われて、一杯飲んできた。
そんな人がいた。
田村のコンビニには一緒に走っていた名古屋の人とよって夕食をとっていた。
そこに、岡ちゃんと及川さんがきて、一緒になった。
岡ちゃんが缶ビールを、美味しそうに飲んでいた。
私は我慢した。
及川さんに着いて、そこから走り始めた。行けるところまで行こう。
もしかしたら、ウッチャン智さんに追いつくことができるかも知れない。
天竜峡の道の間違えやすいところ、及川さんの後ろ姿を見失わないように走った。
80k坂道、智さんがいた。
眠そうだった。
さくら街道でエイド、なんと本物のビール。エビスとスーパードライがあった。
私はスーパードライを選んだ。食べ物は甘いものばかり。ツマミにならないな~。と思っていたら。
マミちゃんが「ポテトがあるよ」と教えてくれた。その手には缶ビールがあった。
5月といえども信州の夜は寒い。缶ビールも冷えていて美味しかった。
岡ちゃんのビールを美味しそうに飲んでいる姿を思い出した。
82kを走ってからのビールは美味い。
後100k以上ある道程だけど、今を楽しもう。
酔いと疲れでフラフラ天竜峡を歩いた。
先に行く見知らる人と話しながら。
151号線に入り、前を見ると智さんが。どうも近道があるらしい。智さんを追った。やはり眠そうだった。
コンビニでウッチャンがトイレによるという。智さんは先を急いだ。
ウッチャンが出てくるのを待って月夜の夜の国道をユックリ走った。智さんに追いついた。
真美ちゃんが走ってきた。私はマミちゃんの後ろに着いた。
私はコンビニにより、真美ちゃんは先を急いだ。
次のコンビニまで1,5k割と近くにコンビニが。
それからは、まあ近くだろうと勝手に思い込んでいた。それが10kの道程だった。
90k~100k
100kのコンビニでボトル二本とパンを二個買った。
一個は食べながら歩き、もう一個はリックに入れた。
早稲田の交差点を下るとき、阿南町の高台から天竜川の朝もやが見える。牧歌的な風景が美しく感じた。
阿南高校を左に見て、私たちランナーは天竜川の畔を走る県道1号線を下った。

ココの道は、思い出深い道だ。天龍村でやっている「天竜梅花駅伝」のコースなのだ。
私は、阿南高校から平岡ダムまでのコースを走ったことがある。あんな感じで走れたならば、と昔を思い返した。
それが今は平岡駅までがムチャクチャ遠くに感じている。
そんな平岡ダムを通り過ぎ、平岡エイドを目指して一歩一歩進んだ。
平岡エイドに着いたのは7時20分だった。

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天竜川を源流から河口まで225km、を走ろうとする強者がいる。
私は、そのマラニックの
天竜川の225㎞
ちょうど中間地点にある平岡エイドのボランティアをやるようになった。
そして行ってきた。
久しぶりの再会の人がいる。100㎞以上の距離を走った来た人のサポート。
最近走ることに遠ざかり、自分の情けなさが強くなる。

最後のランナーがきて、お昼前には解散になった。
空っぽになった車のガソリンを平岡のスタンドで入れた。
そして遠山郷観光協会から借り受けた様々な道具を運びボランティアは終了した。
昼ごはん(天丼弁当)を頂いたので、木沢小学校の用務員室で食べた。
そして、そこで仮眠した。
つづく

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今回の参加者は
N氏、H氏、O氏と私、サポートにいくよし君が駆けつけて来てくれた。
有り難いことです。

ブログを読みかえしてみると、去年の年の初めは水窪の放言を書いている。
去年はコロナで田峯観音初詣ランはひかえていたんだな~。

2020年は一人で走っている。
何故
N氏と話したところN氏は病院に入院していた、と。
そうか~思い出した。
N氏の言葉が心に残っている。
「今年年賀状にはコロナのことが書いてあるのが多い。その中でも一人コロナと書かづに武漢ウイルスと書いている人がいた」との話し。
そうだよな~
スペイン風邪なんか、発見されたのが、スペインで、本当はどこから発症したかわからないのに、そんな名前になったのだから。
今回のコロナは、中国の武漢から感染が広まったのは事実、忘れてはいけないことだと思った。
こんなふうにマラニックは、私が参加する走るイベントはおしゃべりマラニック、多くのことを話しながら目的地を目指す楽しい走りだ。
田峯観音では、甘酒が楽しみだったけど、今年はコロナで中止だった。
駐車場でアマゴと五平餅を食べた。
食べ終わって、階段を下り、山を下り、長いトンネルを走った。
歩道にキラキラ輝くガラスの破片かと思うものを見た。
今読んでいる重松清作品「星のかけら」にでてくるフロントガラスの破片かと思ったら違った。

そのトンネルは稲目トンネル1,510m
二年前走ったときは薄暗く歩道もぬかるみがあったが、今回は歩道も整備され照明も明るくなって走りやすかった。トンネル内も、ところどころ修理されていた。
やまびこの丘で休憩して、新城運動公園を目指す。
新城運動公園の遊具で遊ぶ親子連れを横目に走り、車を置いた駐車場に帰ってきた。
2022年は始まったばかりだ。今年こそ良い年に。
走っているときに、走る人の走る側から見た車の話し車のドライバーの話があった。
走っているときは、車が危ないと思い。車を運転しているときは道路を走っているランナーを危ないと思う。迷惑だと感じる、こと。
お互い様
ランナーも車も、運転しているドライバーも其々が相手を思う気持ちがあるのなら、悲惨な事故は少なくなるのかもしれない。

今回、事故もなく無事に帰ってくることができた。
走りの年初めは快調だった。
今年は、今年の読書は、涙腺キラーの重松清作品「星のかけら」と「エイジ」を買っている。
「星のかけら」を読んでいる途中だ。
出口浩明さんも言っている。人生は
喜怒哀楽の総重量だと。
今年も喜び、怒り、哀れみ、楽しむ
怒り哀れむこと、人はなるべく避けたいと思っている。
が、怒り哀れむことも人間としての大切な感情なのだ。
怒り哀れむことがあるから、喜び楽しむことが光り輝くのだ。
光があれば影もある。
トンネルもあれば、その道を一歩一歩進んで行けば出口が見えてきて明るい日差しが我が身を包みこんでくれる。
2022年
年の初めに、良い仲間と語らい気持ちよい汗をかけたことに感謝します。
しんしん

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浜松駅から遠山郷まで約90㎞
夢街道90㎞
2010年の春から始まった。
10回目の去年、コロナが勢いを増し、私は余呉のウルトラの主催者に聞いた。
「もし、ココにウルトラランナーの方からコロナが来たら。私はココには住めなくなる」
と言っていた。
去年の四月、今年は止めることを決めた。

去年の終わり、年賀状に書いた。今年はやる方向でいると。
少人数で対策をとればいいのでは。と考えた。
今年の参加者は18人
マスクを着け、消毒を持ち、浜松駅に向かった。
知っている人が遠山に向かて走っている。
声をかけた。
八幡屋で買ったトチモチを渡した。
2時間前コインパーキングに車を止め、駅に向かった。
アクトが綺麗に輝いていた。

一人二人と集まって、大弾幕でスタート前の記念写真を撮った。
そんなとき
ウメタ・チアキ
そんな人が、来た。
浜松から北遠までを歌でつなげよう。そんな行動をしているそうだ。
2019年、山草人さんから話は聞いていた人だ。
ありがたい。ことです。
東京から来たそうだ。
21時
ランナーたちは遠山を目指した。

次の日の昼間、15時、最終ランナーを遠山郷で迎えて
2021年の夢街道は終わった。

今回は
ウメタ・チアキ
そんな人との出会いがあった。
私は、その人に、この歌を歌ってほしい。

テレサテンの私の家は山の向こう
佐久間町は過疎高齢化で、高齢者の足が無く買い物・医者通いに困っている状態だ。
また、地元の人が出ていく現象、地元で育って地元の高校を出て、都会で働く。
地元に仕事があっても、都会に家を建て、佐久間に仕事で通っている。
何故
それは山間部の生活に未来を感じないから。
ウメタ・チアキ
さんの歌声で北遠に元気を注入してほしい。

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H氏がはじめたウルトラマラソン、私は湖西市鷲津の工場で若き日の頃働いていたので思い出があった。
H氏は、浜名湖には凄く思いがあったのだろう。
H氏を支えようとボランティアの人たちも多く集まった。

郷土愛溢れる大会だった。

表題の
浜名湖一周ウルトラマラソンの思い出。
それは、朝5時にスタートしたウルトラマラソンの思い出ではなく、走り終わってからの宴会、宴会が終わってからの二次会での思い出なのだ。
次の日仕事があり、もう寝よう。と思ったけれど二次会会場は、H氏の部屋、私は同じ部屋だった。
部屋の隅、布団をかぶった。
二次会の人たちの声が聞こえる。

H「今回の浜名湖、如何でした?ご意見を聞きたい」

初めて見る人、関東からの人みたい。
仮にBとしてみる。

B「地図が、チョットわかりにくい、かな、、」


H「私は、このコースマップには命をかけている・・・・」

突如、怒った。

他の人たちが
 「まーまーまーぁ」

H「いやいや、今のは置いといて、それで」

心を落ち着かせ、また、B氏の話を聞こうとしたH氏

B「地図が、チョットわかりにくい、かな、、ココのとこと・・・」


H「私は、このコースマップには命をかけている・・・・」

突如、怒った。

他の人たちが
 「まーまーまーぁ」

そんなことが繰り返され、Bさんは部屋に帰って行った。


残った人たちで、残ったアルコールを飲んでいた。

私より年上の人ばかり。元気の良い人ばかりだ。走りも酒も。

私は、もう眠れない。

いつも温厚はH氏が怒った。

質問したのはH氏、それに答えてくれたB氏。

H氏は私に、
「自分にとって批判的なことを言う人から学ぶことがある」
そんなことを聞いたことがある。

酒とは酔っぱらうとは、こんなこと、いつも冷静にいても、いつもと違う自分が出る。こと。

自分もそうだ。譲れないところがある。

命はかけてこなかったけど、一生懸命自分なりにやってきた。

 

浜名湖一周ウルトラマラソン
楽しかったナ~。走るということは大変だけど、楽しいことがある。
表裏一体
どんな事でもそうだ。楽しい事には陰で支えてくれる人がいるものだ。
浜名湖一周ウルトラマラソン命をかけて開催にこぎつけてきた人がいるのだ(^O^)/

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今回はボランティア。コロナで大変な時に、何故。
それは自分の計画にあったから、何日か前自分のスマホのカレンダーに印をつけていた。
2021年5月2日の正午頃、天竜川リバーサイドを走るメンバーは天竜川の源流である諏訪湖から天竜川沿いを走ってくる。
その選手の皆さんをコースの中間地点にある平岡エイドで待っている。役。
ボランティアのメンバーは4人。
リーダーの指示で感染対策は万全、エイドでの食べ物も地元の料理も考えていたが時期が時期、カップ麺その他市販の食べ物にした。
それもリーダーが全て用意してくれてあった。有難い事である。
準備が整うと、風呂に入り軽食をとり仮眠した。主催者からは三日の1時半ごろからトップが来るだろうと連絡が来た。
ところが、仮眠中、トップの選手が来た。時計を見ると夜中の11時50分。
軽く食べ物を食べ10分の休憩で出て行った。
二番手は0時55分トップを追いかけ走っていたが途中道を間違えて送れたそうだった。身体は震えていた。
温かいレトルトの小粥を食べ仮眠室に入っていった。
三番手は2時30分、その後多くの人が平岡エイドにやってきた。
ボランティアのメンバーは私を入れて4人、中にはウルトラを走る人を見るのは初めてという人もいる。
天竜川リバーサイド距離は225㌔
その中間地点、天竜川の平岡ダムを囲むように山深い天龍村の平岡エイド、私たち4人は、そこでウルトラを走る人を癒す。役だ。
夜中の信州は冷えた、夜が明け、窓の外が明るくなり高い山なみから朝日がさし、外でチェックをするようにした。
散歩をする村人、自転車で来た人が声をかけてきた。
7時05分
ウッチャンと友さんが平岡エイドに到着
友さんは疲れている様子だった。ウッチャンは元気だった。
8時09分
二人が平岡エイドを後にした、その時点で53名の人が走り去って行った。
まだ仮眠中の人がいるが、そっとエンドの撤収に取り掛かる。
ゴミ・借りた物の片付け。
移動エイドで駆けつけた女の人にも手伝っていただいた。
参加者名簿と照らし合わせ、主催者と連絡を取り、まだ来ていない人を把握した。
時間は過ぎる、
9時52分、来た。
いつも会社の上司と部下で走っているという人だ。
今日は一人だった。何故。
途中ねん挫で離脱したという。
12時00分、来た。
携帯の電池が切れ平岡エイドで携帯に充電できることに感謝していた。
家族に連絡できることを。
残るは、あとひとり。
もう勝手に帰ったかもしれない。
もしかしたら事故!
様々な事を考えた。
12時25分
その人は平岡エイドに来た。
休憩し平岡駅13時25分の飯田線で佐久間に向かった。
平岡エイドを撤収し、遠山の人二人と別れ、私たちは二人は天竜川沿いを佐久間に向かって車で走った。
佐久間に着き、岡崎市に住むという彼を見送って自宅に帰った。
天竜川リバーサイド
平岡エイドのボランティアは終わった。
今、4日朝ブログを書き終わった。
天竜川リバーサイド
天竜川源流である諏訪湖から河口までの225㌔のマラニック、5月2日の正午から5月4日の正午にゴールまでに帰ってこいというルールだ。
まだ走っている人がいる。ゴールで待っている主催者がいるボランティア仲間もいる。

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藤枝市瀬戸谷地区倉田、市街地から車で45分人口は100人余り、そんな地域にやって来た、走る女「能津遊来」

その人は2019年藤枝市地域おこし協力隊として就任した人だった。
そんな女の人が萩田さん企画の
「浜松市」誕生十周年記念 水窪~浜松 160kmウルトラマラニック
にやって来たのだった。
ムチャクチャ明るい女の子でした。
その人を知ったのは、走っているとき、走っている仲間の話しでした。
「走る女が参加しているらしい」
「先日テレビに出ていた」
等々
雨の中、佐久間町の歴史と民話の郷会館のチェックポイントを過ぎ、龍山協働センターに向かう途中、秋葉ダムのエイドまで後少しのところ、後ろを振り返ると、友さんと二人で走って来た。
秋葉ダムエイドで、友さんがビールをすすめると
「アルコールは四年に一回、しか飲まないことと決めている」と。
なんか不思議な感じのする女の子だった。
 
中央の人は、進めなくても飲むのに(笑)

その人は、遅れて水窪の国盗りをスタートしたそうだ。
また、中部天竜駅で水窪駅まで行けなかった人たちが水窪に向かって走っている人を車に乗せて向かったそうだ。
遅れてスタートして、まだまだ元気印の人だった。
水窪に車を置いてきて、その車は如何するのかと聞いたら。
「また走って取りに行く」と。
今までで一番長い距離は?
そんなことをウッチャンが聞いた。
「250㎞」
モンゴルのゴビ砂漠のマラソンを走った。
そんな話をしてくれた。

春野町、秋葉神社、下社のエイドに着き、休憩し、ヒロ子ちゃんエイドでウドンを食べた。
今まで並走していて話していたが、正面から見ると二十代若い乙女がキラキラしていた。
雨が強くなり、その走る女は薄いカッパを羽織ってドラエモンのような格好で一人で下社エイドを後にした。
とにかく明るい人だった。
「明朗は健康の父、愛情は幸福の母」

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路。人や車の行き来するみち。「路傍」道のほとり。 ②物事のすじみち。道理。「理路」物事の道理。考えや話などの筋道。

遥。はるか/距離や時間が遠いなどの意味をもつ漢字。

昨日の水窪~浜松160㎞(100マイル)ウルトラマラニック
12市町村が合併して新「浜松市」となってから15年がたちました。
もう・・・ほとんど忘れられてしまった過去のことと思いますが
もう一度、北の水窪から浜松まで約160km、12の地域自治センターを走って結び
東西約52km、南北約73kmが一体となった大きさ(広さ)を肌で感じてみませんか。
過去4回開催しましたが、15周年記念として再度企画しました。
楽しく走り、いい汗をかきましょう。

そんな呼びかけで集まった仲間が目指した100マイル先の浜松市役所、わたしは浜北区役所で区切りをつけて終わりにした。
浜北区役所までは、地図通りに巡った浜松市であった。
路は遥かなり。

浜北区役所から浜松市役所までの19㎞
一人での道程
路は遥かなり。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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