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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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東京タワーという本は、リリー・フランキーのと、他にも江国香織の書いた東京タワーもある。
リリー・フランキーの東京タワーをまた読みたいと図書館で借りてきてまた読んだ。
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
同じ本でも、読んだ時の年齢や環境で感じ方が変わる。

本を読むことは心にビタミンを与えることだという。
同じ本を読んでも感じ方は違ってくる。
東京でも佐久間でも人々は必死に生きている。

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酒井雄哉とは?
天台宗の僧侶。比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。
酒井雄哉阿闍梨
阿闍梨とは?
仏教において,精神的な指導をする僧侶をさし,特殊な場合は戒を授ける師をさす。日本では僧職の一つに用いられる。
この行をやることで、行者から阿闍梨になる。
酒井雄哉大阿闍梨とは下の動画を見てもらえば良くわかる。

この本は昨日、私の先祖が御祭してある寺、相月の東林寺で借りてきた。
過去に、このお寺で塩沼亮潤の本を貰たことがある。
そしてブログも書いた。
人生生涯小僧のこころ(塩沼亮潤)
この人は、大峰山千日回峰行者だ。

酒井雄哉
1926年(大正15年)9月5日 - 2013年(平成25年)9月23日
最後、大病を患て静養中にインタビューしたものをまとめた本です。
生きるとは、何か?
「命の長さよりもどう生きたかが大事」
「命は預かりもの」
「この世に何しに来たの?」

酒井雄哉大阿闍梨、有り難い御言葉のいっぱい詰まった本でした。
謹んで酒井師のご冥福を祈ります。合唱。

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第16章
ローマの休日 東ヨーロッパⅠ
第17章
果ての岬 東ヨーロッパⅡ
第18章
飛光よ、飛光よ 終焉

沢木耕太郎 深夜特急もよいよ6になった。
26歳の日本の若者が、仕事を全て辞め旅に出た話、インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く話し。
インドに行く前の香港での話、まだ中国に返還されていない時の話しには、今の香港のデモと重なり考えさせられた。
また当時の香港の若者の様子も、なんか伝わってきた。
インドに行き、未だにカースト制度の残る世界を知る。またカースト制度にも属さないアウトカーストと呼ばれるこどもを支援する学校に行った話し、日本の若者も参加していたとの話し、最後のプレゼントの話し、そこからデリーに行き旅が始まっていく。
今回、6冊目、ヨーロッパに入って近代文明の世界、イギリスでは日本の磯崎夫婦から紹介された人との話し、日本人の女性の扱いが下手だとの話し、その点イギリス人は上手だと、笑った。
イタリアからフランス、スペイン・ポルトガル、リスボンで危なそうな人に安い食事何処を紹介してもらい「肉か魚か」と問われ魚を注文し、他愛もない会話をし「ビールを呑まないか」と誘われた、ビールはスペインならセルベッサだが、ポルトガルではセルべージャとなるらしい、店の人にセルべージャの小瓶を持ってきてもらい、そこのラベルにザグレスとあった。
イベリア半島の南西の岬、ザグレス。その同じ名前のビール。
日の登る国、日本からユーラシア大陸最西端のポルトガル、そのイベリア半島の南西の岬ザグレスを旅の終わりにしたのだった。
飛光よ 飛光よ、爾(なんじ)に一杯の酒を勧めん。
飛光とは、日月の光、それは同時に流れる時間のことである。
日曜日、朝日に照らされた浜名湖を走り出した。
そして夕刻、夕日を追いかけてゴールを目指した。

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「深夜特急5」トルコ・ギリシャ・地中海

目次
第13章 使者として。トルコ
アンカラで「使者」としての役目を果たした。

第14章 客人志願  ギリシャ
何かが違っている。トルコからギリシャ、アジアからヨーロッパ、イスラムからキリスト教、茶の国からコーヒーの国へ来た。
 
第15章 絹と酒   地中海からの手紙
世界中の宝物を打ち砕いて敷きつめたような地中海、、、。

アジアからの絹の道(シルクロード)最後に来たのがトルコ。ここでアララト山の麓をバスで通過する。
私の知り合いも、このアララト山(標高5,137m)に登ったことのある人がいる、この山はノアの箱舟伝説の山だという。
ノアの箱舟がたどり着いた最終地点がトルコのアララト山だと、箱舟とは旧約聖書に記されている話の1つ。神が起こした大洪水で人間をはじめすべての生き物が死に絶えてしまうが、ノアとその一族、地上のあらゆる動物種の1対のつがいだけはノアが造ったこの箱舟に乗って助かる。その山がアララト山だと。

トルコで本当のトルコ風呂に入り。(昔の日本のトルコ風呂は違った。トルコの人がきてその名前を変えさせた)雑談。。。

トルコの人は親日の人が多いときく、この本を読んでもその様に思う。

筆者がトルコのトランプソンに着き、ある店での老人との会話があった。

老人
「どっから来た」
日本からです。
「そうか、日本か、それはよかった」
ええ、まあ・・・。
「トルコと日本は仲間だ」
はあ・・・。
「トーゴは偉かった」
東郷元帥ですね。
「あのロシヤをやっつけた」
そう聞いてます。
「日本はインドの隣にあるのか」
いえ、もっと遠くにあります。
「日本には共産党があるか」
あります。
「あれが誰だかわかるか」
髭の老人はそう言うと、遊戯場の正面の壁に掲げられている肖像写真を指差した。
ケルマ・アタチュルクですね。
「そうだ、よく知ってたな」
そのくらい学校で習いましたよ。
「そうか、学校でケルマ・パシャを習ったか。やっぱりトルコと日本は仲間だ」
原文まま。
チャイハネでであった少年との会話も親日が感じられる。
「ジャポン、フレンド」と言ったり「アメリカ、ロシア、ノーグット」と言ったりする。そうだ。
別れ際、君に何かプレゼントしたいと言ったとき「マネー」と言われ失望し、それが勘違いだとわかる。
「ノー、ノー」
「・・・・・?」
「ジャポン、ジャポン」
「・・・・・?」
何が言いたいのか、理解できなかった。
「ジャポン、マネー?」
私がそう言って自分の胸を指差すと、若者は大きく頷いた。どうやら日本のコインが欲しいらしいのだ。私は日本のコインを手に広げた。
「どれでも好きなものを」
彼は、それを見ると5円のコインを一つ選んだ。
いくつでもと言ったが一つだけにした。
「どうして?」
と尋ねると
「メモリー」
記念だから
「ワン」
ひとつで?
「ノー・ツー」
ふたつはいらない?
「イエス、イエス」
原文まま。
イスタンブール、ブルーモスクの話し。変なの日本語を話す人の話し「ハナモチデスカ」、その人が紹介してくれた人が後から自分を助けてくれる。

旅を人生に例える文章がある。旅は人生そのものだと。
深夜特急5を読んで、トルコ・ギリシャと旅した話を読んで、自分も旅をしているような気分になる。
船に乗って水を切り裂いて進むフェリーの舳先にたって、過行く旅の思い出に浸る。それを人生になどって。
香港-マカオ-バンコク(タイ)-マレーシア-シンガポール-カルカッタ(インド)- ブッダガヤ(インド)- ベナレス(インド)-カーブル(アフガニスタン)-テヘラン(イラン)- アンカラ(トルコ)- イスタンブール(トルコ)-ギリシャ・・・・
旅が始まって、最初頃の思い出が鮮明に甦る。それは旅のゴールが見えてきて、幼年期 少年期 青年期 壮年期 中年期 高齢期 老齢期と続く人生と同じように自分の旅も高齢期・老齢期と進んで行くのだと。
旅の目的であるイギリスが近くになってくる。

深夜特急1
深夜特急2
深夜特急3
深夜特急4
深夜特急5
深夜特急6

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デリーからロンドンまでバスで行く。


東京で、そういう事を友達の前で言った。


今している仕事を辞め、デリー行のチケットを買ったが、香港んに寄ったりマレーシア半島を往復したり、様々な寄り道をした。


そして「深夜特急4」で本来の目的であるデリーからロンドンまでバスで行くのデリーからの話しである。


目次
第10章
峠を越える  シルクロードⅠ
インド・デリーのバス乗り場で多くのインド人に混じって野宿しながら、これまで通ってきた国から、これから通るであろう国々に思いをはせた。
最初の目標である旅が始まった。

第11章
柘榴と葡萄  シルクロードⅡ
カブールに着いた。そこの宿で客引きをした。
そこの宿のカルマとの話、彼は年下だけど宿のマネジャー、英語が得意だった。

第12章
ペルシャの風 シルクロードⅢ
テレランで日本人の知り合いに出会いご馳走してもらった。
テヘランからシーラーズに行き、そこの安宿でロンドンの青年に出会った。
イスファハンのバザールで時計を買った。値切った。
2,000リアルが、最終的に950リアルにして買った。
本当は1,000リアルが目標だった。次の日50リアル分の菓子を持って、その商人の店に行った。
「王のモスク」で老人たちの神への祈りコーランの朗読を聞いた。

深夜特急1
深夜特急2
深夜特急3
深夜特急4
深夜特急5
深夜特急6

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「深夜特急1」を読み「深夜特急2」を読み、昨日「深夜特急3」を読み終わった。

 

「深夜特急1」日本から香港に行き、様々な出会いがあった。

 

宿の鉄火の女に「ハンサム」と言われ、その意味が「助平」だと知った。


「深夜特急2」マレーシア半島を南下し、ペナンで娼婦とヒモの関係を見た。

 

子持ちの娼婦に迫られて、東南アジアの生きて行く術を垣間見た。

 

タイ・バンコック、日本人一人の旅人に娼婦をしつこく紹介しにくる。

 

日本語を話せる娼婦が一番高い、そんな現実を知る。

 

そして「深夜特急3」インド・ネパール

第7章 
神の子らの家 インドⅠ
ガンジーが「神の子」と呼んだ最下層の人々の子供たち。

第8章
雨が私を眠らせる カトマンズからの手紙
旅の途中の若者が死ぬ、ハシシを吸い夢うつつの中を仿。

第9章
死の匂い インドⅡ

インド航空でカルカッタに着き、そこで出会った日本人三人で売春宿に行く、太った男性が連れてきた女は・・・・・。
買うのは辞め、三人で酒場でビールを飲んだ。ワリカンデ勘定を払う。一人10ルピー三人で30ルピー医大生が言った「ビール四本分か・・・」

1ルピーが当時約35円、40ルピーで、そういうことをできた時代だった。40ルピー日本円で1400円

「深夜特急」の時代から、インド事情もだいぶ変わっただろう、しかし、こんな時代があり今の時代になっている。

日本は先進国で素晴らしい国だ、しかし忘れ物をしてきたような気がする。

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「深夜特急2」マレーシア・シンガポール
第四章
メナムから
オートバイはマフラーを付けていない。タクシーは爆音とと共に走りだす。バスは絶え間なく警笛を鳴らす。バンコックは東京よりも香港よりも騒音が多い街だそうだ。
第五章
娼婦たちと野郎ども
マレー半島を南下、途中香港の馬春田たちが絶賛していたペナンの娼婦の館に、、、、。
第六章
海の向こうに
シンガポールに着いて、”香港の幻想”を求めて旅していたことに気がついた。

香港からインド航空の便でタイ・バンコックへ。飛行機から下りタイのお金に両替するのを忘れ、バス代もない困った著者は、学生風のタイ人に身振り手振りで1バーツと100円硬貨を交換してもらった。(一バーツは約十五円)
バスに乗ると、その学生が自分のバス代も払ってくれた。その学生にご飯をおごってもらった。貧乏な旅行者は親切にされた。
その後タクシーに乗り、今夜の宿「ゴールデン・プラザ」に。
フロントで宿代の交渉、最後に「ところで、女いらないか」と聞かれる。それは部屋に入っても「イイ女いるよ」「50ドルぽっきりよ」 「金は無い疲れたから寝る」そう言って追い返した。

しばらくして、また。

ボーイ:「40ドルのもいるよ。日本語話せる」

著 者:「日本語聞きにバンコックまで来たんじゃない!」

ボーイ:「30ドルね。英語なら話せる」

ボーイ:「20ドル。タイ語だけ」

ボーイ:「じゃあ,10ドルのはどうネ」

私はそのボーイのしつこさに辟易し、次に腹が立ち、やがてみじめな気分になってきた。彼のおしつけがましさの底には、私が日本人であり、日本人がひとりで来たときには女を欲するものであり、それを世話するのは当然という、単純かつ強固な三段論法が存在しているに違いなかったからだ。私が日本人でなかったなら、かくも執拗にしなかったはずだ。 (最後の方原文まま)

その話は、そこからの続きがある。そのボーイとの口喧嘩が続くのだ。また、その人もホテルのボーイだけの収入では食って行けず、日本人の客を見ると女を紹介して収入を得るのだと、また紹介された娼婦もその仕事で生きているのだと、やるせない気持ちになった。
生暖かいコーラを飲みながら、さきほどのボーイとのやりとりを反芻していた。

またペナンの娼婦や、そのヒモたちのとの共同生活の話も面白おかしく読んだ。

また、香港を出て、タイ・マレーシアを旅して、香港でうけた衝撃的な気持ちになれない自分の気持ちを、旅と人の人生を例えて話す下りには感動した。

「深夜特急3」も早く読みたい。


旅は人生そのもの。

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旅を愛する多くの人々にバイブルとして今も読み継がれている沢木耕太郎「深夜特急1」香港・マカオ、を読んだ。
この本は、1970年代のユーラシア大陸横断の旅の本だ。
インドからユーラシア大陸をバスでイギリスを目指す旅、その旅は
「深夜特急1」「深夜特急2」「深夜特急3」「深夜特急4」「深夜特急5」「深夜特急6」続く。
インドを目指そうとする著者は、その旅の前に香港とマカオに出かける、その香港で見て感じたことは。
香港は今、学生デモがある。半世紀前の香港の事が著者の感じたことが開いてある。本だった。

著者が香港のレストランで知り合った学生(張君)、張君のアパートに行くと、その家に働くメイドの人が張君と何やら中国語で話したら著者への態度が明らかに不機嫌になったと言いう。後で張君に「メイドの人と何を話したの」と尋ねたら。「日本人だと・・・」と、張君は申し訳なさそうに話した。と書いてあった。
年老いたメイドの人は日本人に良い印象が無いのだろう。
張君のアパートを見渡すと香港の一般の人の家族が想像される。そうだ。
その家族は1947年、上海から香港に移り住み、父、母と姉、兄、妹、そして張君の6人家族。今姉はアメリカに住み、兄はロンドンに留学中で現在は4人で暮らしているという。張君はアメリカでの留学経験があり。妹もカナダに留学すると言う。
香港の人たちが、来るべき香港のこれからを見据えて財産と子供たちの教育を考えていうのだということを垣間見たそうだ。

また、香港から中国を眺めることのできる国境展望台への坂道を歩いている時に出会った男女5人組との話も印書的だ。
男性二人が日本人で、女性三人が香港人、男性は香港の電気会社に派遣された人で、女性はその会社で働いている女工さんだそうだ。
その日本人の一人が中国語は上手で、どうやって覚えたのですか?と尋ねたら、必死に話を聞いたと答えた。
香港の人、中国の人、日本の人で日・中・英の言葉を交えての会話がはずんだそうだ。

頑君、男女5人組、著者で国境展望台に行き、仲良くなって日本料理屋に行く。中国の若い女の人は最初「日本の料理が食べたい」と言ったのだけど、生の者を食べる文化のない、その若い女の人は気持ち悪がり食べることができなかったそうだ。
その後、7人でディスコに行って、踊った。
そこの、ディスコでアップテンポの曲から、スロウテンポの曲になり、男女がくっ付くように踊っている。
女の子の一人が、著者に向かって、あのダンスは好きかと聞いてきた。
「嫌いだ、暑苦しいから」と答えると。
その女の人が、言った質問が面白い。
日本人が好きなダンスだと、香港で噂されている。
「だって、あれのことジャパニーズ・スタイル呼んでいるんだもん、私たち」
とう言って可愛い声でいつまでも笑い続けた。と。

それから、マカオに向かってギャンブルにハマって、何とかトントンまでにして、宿に帰って、鉄火の女に「ハンサム」と言われ、ホテルを出るとき宿のひとに「ハンサム」意味を尋ねたら「助平」だと聞かされ。
タイに向かった。そのタイの宿で疲れ果てベッドに早く横になりたいと思っていたとき。
娼婦を紹介する人が、何回も何回もやってくる。日本人は金持っていて助平なイメージが着いているようだ。

 1970年代から日本人は東南アジアに行って助平なイメージをまいてきた。
助平は日本人だけではないけど、男だったらみんな助平だけど。
東南アジアから見た日本人の印象を、感じた深夜特急1だった。

旅は人生そのもの。 
 

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第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

五箇条の御誓文】「復古」と「維新」の二つの実現を目指した明治維新

岩倉使節団】富国強兵と殖産興業―欧米視察で見えてきた近代日本の進む道

征韓論】維新の功労者・大西郷の説得力と悲劇的な最期

と、第五章は進んで行く。
そして

日露戦争】五百年に一度の大事件だった日露戦争での日本の勝利

日英同盟】「栄光にある孤独」を貫いていたイギリスが日本と同盟を結んだ理由

大正デモクラシー】自由な時代の空気を一変させた関東大震災と社会主義

第一次世界大戦】世界五大国にのし上がった日本に対するアメリカの警戒心

ベルサイユ条約】日本の人種差別撤廃の提案を一脚したアメリカの本心

【軍艦時代】

【世界大恐慌】

【社会主義】

【5・15事件】

【2・26事件】

【軍部大臣現役武官制】

【満州事変】

【支那事変】

【近衛内閣】

【南京事件】

【ハル・ノート】

【歴史のイフ】

日本史は続いていく。
そして

第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】

最後のあとがきで。
渡辺先生は
この本を読んでいただければ、わたしという人間が日本史をどのように捉えているかがよくわかっていただけると思います。
どこの国でもそれぞれに、国民は自分の国を誇りに思っていることでしょう。同時に、どこの国でもあらを探そうと思えばいっぱい出てくるものだと思います。しかし、そういうあら探しは専門家や特別興味がある人がやれないいことです。一般の人にとっては、自分の目に虹として映るような国を持てるということが何よりも幸いなことなのです。 「こういう国にうまれたんだなぁ」と喜べることが一番大事です。
原文まま


渡辺昇一先生の「少年日本史」は先生が今まで一貫して抱いている感想だと綴っている。
「昨日」より「今日」「今日」より「明日」
未来を生きる少年に伝えたいことを書いてある日本史だった。

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第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】
【教育勅語】
明治天皇の指示によって定められた「教育勅語」の普遍性
日本人の伝統的価値観を簡潔にまとめた「教育勅語」それは「親を大切にせよ」「友人や配偶者と仲良くせよ」「身を慎んで学業に励め」「人格を修養せよ」そして「国の繁栄に貢献せよ」といった、誰もが感覚的に納得できる徳目が並びました。

教育に関する勅語の全文通釈
 朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。 
  ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

佐久間の民俗、そんな本が発刊された、そんな本の最初の文章の中に「国の指導者の中から教育勅語の復活を求める声が上が平然と唱えられるとに、現代の危うさを感じざるを得ません」との言葉がある。
その全文を書いた人は遠州常民文化談話会代表 名倉慎一郎さんだ。その人は掛川西校の基校長先生だったという。
その先生は、わたしの職場まで着て、その佐久間の民俗を持って来てくださった。有難いことです。


教育勅語、この事に関しては様々な考え方がある。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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