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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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 こみ上げる噴怒の孤独
「長生きするのて、たいへんなのね・・・・・」
私の娘はこの頃、しみじみ、つくづくという感じでいう。私の日々のありよう、次々に起る故障を見ていうのである。
娘は昭和35年の三月生まれだが、今年何歳になるのか、五十歳を幾つか越えていることぐらいはわかっているが正確な年齢はわからない。数えるのも面倒だ。自分の年でさえ九十一なのか二なのかわからないのだから、人の年なんてわかりっこない。年なんてもはやたいした問題ではない、とおもうようになってきている。
原文まま

「90歳。何がめでたい」を読んだ。
著者は佐藤愛子さん、大正12年11月3日生まれ
御年93歳

私の母親は大正15年生まれの91歳
母親から自分に問われているような感じで読んだ。

そんな時、よっぴーさんから着信
「なんだっけかや~、今図書館に来てるが、90歳?」
自分
「佐藤愛子 90歳。何がめでたいダニ~」

この本は図書館でチョウ人気で100人待ちだそうだ。

水曜日の夕方、アマゾンで注文して、木曜日の夕方には佐久間の自宅に送られてきた。この本。
土曜日の朝には読み終わって、こうしてブログを書いている。
読み終わって、裏表紙に
共感の手紙、ハガキはなんと一万通超!
なぜこんなに売れてるか?ってーーー
買った人に訊いてくださいよ!
と、書いてある。
その横に佐藤愛子さんの笑顔の写真が載っている。

佐藤愛子さんが
「買って読んでくださいョ~」
と笑っていっているような気がした( ゚Д゚)

byしんしん

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台風22号接近により外は雨模様。
図書館で借りてきた「ルーズヴェルト・ゲーム」池井戸潤著書を読むことにした。
ルーズヴェルト・ゲームとは?
「点を取られたら取り返し、8対7で決着する試合」を意味し、野球を愛した第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが1937年1月に、ニューヨーク・タイムズの記者に宛てた野球記者協会から招待されたディナーを欠席することを詫びた手紙の末尾に記された「一番おもしろいゲームスコアは、8対7だ」という言葉に由来する。
ウィペディアから。

2014年TBSテレビ日曜劇場で放送され、あまりにも有名らしいが自分はテレビは観ていなかった。
青島製作所の社会人野球部の話と、その製作所のライバル会社からの吸収合併の話から始まる。

会社経営も野球の試合も、波乱万象の方が面白いのか?
また、人生も。

ルーズベルト・ゲームをネットで検索すると。
TBSテレビで放送された話が載っていた。
豊橋でロケをやり、市民もエキストラ募集で参加していたみたいだ。
野球場は豊橋の豊橋市民球場をつかっていたみたいだ。

丁度、今晩のTBSテレビ「東芝日曜劇場」
陸王
これも豊橋でロケをしたときく、知り合いもエキストラで参加した人がいる。
先週観なかったので、今日から観ようと思う。
陸王
も、池井戸潤の書いた小説だ。
楽しみだ。

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ミリオンセラー「知的生活の方法」から40年
86歳にして到達した「人生の幸福」にとっての大切なこと
知的で幸福な生活へのレポート
渡辺昇一先生の本
実践「快老生活」を読んだ。

渡辺昇一
英語学者、保守派の評論家 
上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位は ミュンスター大学博士。
山形県鶴岡市出身。
1930年(昭和5年)10月15日 - 2017年(平成29年)4月 17日午後1時55分
心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。86歳だった。

渡辺昇一先生は人間学を学ぶ月刊誌「致知」を定期購買していた時に
その先生が連載していた『歴史の教訓』を読むようになって知っていた人だ、
また、『ビートたけしのTVタックル』でたまに出演して歯に衣着せない的を得た言葉で日本の将来の話をする先生に共感を受けたのだった。

先生の持論は、原子力発電は続けなけばいけない、今はまだ自然エネルギーだけでは大都会を抱える日本の電気の恩恵で生活している人々を維持することはできない。

国防軍を持て、日本が普通の国として、諸外国を相手に話を出来るようにしなければいけない。

など、過激な話が多い。

それは、致知の『歴史の教訓』では自分が調べた歴史の事実から、その事を教訓として書かれてあった。

そんな先生の本
実践・快老生活
知的で幸福な生活へのレポート
目次
第一章 「歳をとる」とはどういうことか
第二章 凡人にとって本当の幸福とは「家族」である
第三章 「お金」の賢い殖やし方、使い方
第四章 健康のために大切なこと
第五章 不滅の「修養」を身につけるために
第六章 次なる世界を覗くー宗教・オカルトについて
第七章 「幸せな日々」のためにやるべきこと
 
様々な賞、勲章の持ち主の先生が最終的にこの本で第七章の最後の伝えたいこと。
「人生の本当の幸せは平凡なところに宿る」P248
第一章の最後に、私はもう一度若くなりたいとは思わない、と書いた。そしてその理由は・・・・・・。
そして最後に
やはり人生の本当の幸せは、ごく平凡なところに宿るのでななかろうか。これが私の最終結論である。
と、結んである。
 
平凡
若い時に結婚して子供が生まれ、壮年とよばれる年齢になり仕事に追われ、気が付いたら目の前に還暦という、今まで考えもしなかった二回目の成人式が待っていることに気が付いた。
 
映画「最高の人生の見つけ方」
でも、私に同じ感慨をもらった。
ほくえんの風ブログ
最高の人生・・・か~。

また、読書のことも触れていた。
好きな本を読み、頭に浮かんだ考えを書いていく生活は、これまでも変わるまい。とりわけ読書は、自分よりずっと偉い人たちの考え方に触れることであり、その人たちと対話することでもあるから、ずっと続けて行きたいと思っている。
原文まま

この本を読んで、森信三先生の本「修身教授録」第10講 尚友(しょうゆう)の意味が少し分るような気がした。

ショウユウことか~。
おあとがよろしいようで(≧▽≦)

 


 

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「いのちの器」日野原重明
を読んだ。

日野原重明
山口県出身の医師、1911年(明治44)10月4日に生まれ2017年(平成29)7月18日午前6時33分呼吸不全で死去。105歳だった。

いのちの器《新装版》
医と老いと死をめぐって
人間の身体は、病み、老い、やがては土に帰っていく「土の器」。
しかしその器に健やかな心を盛ることができるなら、それは朽ちることのない「宝」となるー医師と患者が、共に人間としての誇りを持って心を通わせあう医療を提唱・実践してきた著者、長年にわたる患者との対話、人間の生と死をみつめてきた時間を通しての深い思索を、わかりやすい言葉でやさしく語りかけた珠玉の随想集。


十数年前、私が大病をしてから退院した時に出会った本「生きかた上手」
日野原先生の生き方に触れ、病気を苦に悩んでいた時の私を導いてくれた大切な本だった。
今回、先生の死を知り、本屋でこの本が目に留まり買って見て読んでみた。
 

プロローグ-まえがきにかえて-
では、自分の重明という名前の由来から書いてある。
治生まれの明、は父親が二度目の留学をねたとして、日野原さんの重明の言う名前になったのだという。

目次は
いのちの四季
正月はよい習慣を身につける絶好の機会と、年の初めから新春から春になり夏が来て秋、冬と、その季節ごとの医師としての教訓、思いが書かれていた。
医と老いをめぐって
では、医師と病人との先生が肌で触れあった信頼関係などの話。
医は語り合いの中で癒される。
病人を孤独にさせてはいけない。
自分の物でない痛みや不安を汲み取る感性。
死んでいった友の遺した言葉の重さ。
生と死の狭間で精いっぱい生きる。
謎々。
先生の感性に触れる一冊だった。

エピローグ-あとがきにかえて-
のなかで、私たちの身体は、ステンレスでもプラスチックでもなく、朽ちる土の器である。その中に何を盛るかが、私たちの一生の課題である。
と書かれている。
 

いくら世の中が変わろうとも、化学が発達し医療が高度化しようとも、人は年をとり、やがて老いて死を迎える。

今生きている自分は何をしどう生きていけばいいのか、目標は定まっている。

そのためには何をどうすればいいのか。

良いご縁を大切にして街道を実現することだ。

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ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
を、読んだ。

「愛」だけでは語りつくせない真実、あなたがほんとうに潰したかったのは何だったのですか。

百田尚樹さんの『殉愛』を読んだのが2015年2月
飯田線に揺られ中部天竜の駅から名古屋を目指していた電車の中で読み終えた。
二年前の自分がどんな気持ちで、この本『殉愛』を読んだのか読み終えたのか。

名古屋駅に下りた自分は、名古屋駅構内の銀の時計前で、初めて参加した「名古屋いいとこマラニック」に参加するメンバーを待っていたのだった。

この本
ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
では
序章 ~第一章・第二章・第四章・第五章・第六章・第七章・第八章・終章・あとがき。
となっている。
膨大な取材を基に書き上げた本だ。

大阪を愛した男、やしきたかじんの生涯を膨大な取材で知り得た事を書いた本。
毒舌でテレビでの解説は観ている者を納得させ楽しませてくれた、やしきたかじん
あとがき
で著者が、ふれた言葉が気になるのでブログに残しておこうと思う。

P268
自ら億ションに住み、国内外にいくつもの不動産を所有したが、母親が住む実家は昔ながらの長屋のままだった。それらは第三者がとやかくいうことでないかもしれないが、こと大阪の未来については一家族の話ではない。
たかじんが旗振りとなり10年に「大阪人を明るくするまちにしたい」という趣旨で「OSAKAあかるクラブ」を設立したことは第七章で触れた。財政赤字と不況に苦しむ大阪をなんとかしたいという、たかじんの熱い思いは充分にわかる。しかしその彼が、生まれ育った西成のことをなぜ一言も言わなかったのか、私には納得がいかなかった。ふるさとを想うなら、出身地を明らかにするのが自然であろう。
ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
原文まま

やしきたかじん
大阪を愛した男、大阪に多くの寄付をした。

>ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
そんな人は
やしきたかじん
だけではない。
そんな人はこの世に五万といる。

自分もそのひとり。
横吹(よこぶき)を後にしてココに出てきた。


「ゆめいらんかね」読書(*^^)v
やしきたかじんは我々一般人からすれば夢のような生き方をした人物。

また、この本を読んだ自分は、普通の生活を送れることに感謝していると益々思うようになる。
たとえ過疎地で不便な生活の中でも。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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