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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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旅を愛する多くの人々にバイブルとして今も読み継がれている沢木耕太郎「深夜特急1」香港・マカオ、を読んだ。
この本は、1970年代のユーラシア大陸横断の旅の本だ。
インドからユーラシア大陸をバスでイギリスを目指す旅、その旅は
「深夜特急1」「深夜特急2」「深夜特急3」「深夜特急4」「深夜特急5」「深夜特急6」続く。
インドを目指そうとする著者は、その旅の前に香港とマカオに出かける、その香港で見て感じたことは。
香港は今、学生デモがある。半世紀前の香港の事が著者の感じたことが開いてある。本だった。

著者が香港のレストランで知り合った学生(張君)、張君のアパートに行くと、その家に働くメイドの人が張君と何やら中国語で話したら著者への態度が明らかに不機嫌になったと言いう。後で張君に「メイドの人と何を話したの」と尋ねたら。「日本人だと・・・」と、張君は申し訳なさそうに話した。と書いてあった。
年老いたメイドの人は日本人に良い印象が無いのだろう。
張君のアパートを見渡すと香港の一般の人の家族が想像される。そうだ。
その家族は1947年、上海から香港に移り住み、父、母と姉、兄、妹、そして張君の6人家族。今姉はアメリカに住み、兄はロンドンに留学中で現在は4人で暮らしているという。張君はアメリカでの留学経験があり。妹もカナダに留学すると言う。
香港の人たちが、来るべき香港のこれからを見据えて財産と子供たちの教育を考えていうのだということを垣間見たそうだ。

また、香港から中国を眺めることのできる国境展望台への坂道を歩いている時に出会った男女5人組との話も印書的だ。
男性二人が日本人で、女性三人が香港人、男性は香港の電気会社に派遣された人で、女性はその会社で働いている女工さんだそうだ。
その日本人の一人が中国語は上手で、どうやって覚えたのですか?と尋ねたら、必死に話を聞いたと答えた。
香港の人、中国の人、日本の人で日・中・英の言葉を交えての会話がはずんだそうだ。

頑君、男女5人組、著者で国境展望台に行き、仲良くなって日本料理屋に行く。中国の若い女の人は最初「日本の料理が食べたい」と言ったのだけど、生の者を食べる文化のない、その若い女の人は気持ち悪がり食べることができなかったそうだ。
その後、7人でディスコに行って、踊った。
そこの、ディスコでアップテンポの曲から、スロウテンポの曲になり、男女がくっ付くように踊っている。
女の子の一人が、著者に向かって、あのダンスは好きかと聞いてきた。
「嫌いだ、暑苦しいから」と答えると。
その女の人が、言った質問が面白い。
日本人が好きなダンスだと、香港で噂されている。
「だって、あれのことジャパニーズ・スタイル呼んでいるんだもん、私たち」
とう言って可愛い声でいつまでも笑い続けた。と。

それから、マカオに向かってギャンブルにハマって、何とかトントンまでにして、宿に帰って、鉄火の女に「ハンサム」と言われ、ホテルを出るとき宿のひとに「ハンサム」意味を尋ねたら「助平」だと聞かされ。
タイに向かった。そのタイの宿で疲れ果てベッドに早く横になりたいと思っていたとき。
娼婦を紹介する人が、何回も何回もやってくる。日本人は金持っていて助平なイメージが着いているようだ。

 1970年代から日本人は東南アジアに行って助平なイメージをまいてきた。
助平は日本人だけではないけど、男だったらみんな助平だけど。
東南アジアから見た日本人の印象を、感じた深夜特急1だった。

旅は人生そのもの。 
 

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第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

五箇条の御誓文】「復古」と「維新」の二つの実現を目指した明治維新

岩倉使節団】富国強兵と殖産興業―欧米視察で見えてきた近代日本の進む道

征韓論】維新の功労者・大西郷の説得力と悲劇的な最期

と、第五章は進んで行く。
そして

日露戦争】五百年に一度の大事件だった日露戦争での日本の勝利

日英同盟】「栄光にある孤独」を貫いていたイギリスが日本と同盟を結んだ理由

大正デモクラシー】自由な時代の空気を一変させた関東大震災と社会主義

第一次世界大戦】世界五大国にのし上がった日本に対するアメリカの警戒心

ベルサイユ条約】日本の人種差別撤廃の提案を一脚したアメリカの本心

【軍艦時代】

【世界大恐慌】

【社会主義】

【5・15事件】

【2・26事件】

【軍部大臣現役武官制】

【満州事変】

【支那事変】

【近衛内閣】

【南京事件】

【ハル・ノート】

【歴史のイフ】

日本史は続いていく。
そして

第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】

最後のあとがきで。
渡辺先生は
この本を読んでいただければ、わたしという人間が日本史をどのように捉えているかがよくわかっていただけると思います。
どこの国でもそれぞれに、国民は自分の国を誇りに思っていることでしょう。同時に、どこの国でもあらを探そうと思えばいっぱい出てくるものだと思います。しかし、そういうあら探しは専門家や特別興味がある人がやれないいことです。一般の人にとっては、自分の目に虹として映るような国を持てるということが何よりも幸いなことなのです。 「こういう国にうまれたんだなぁ」と喜べることが一番大事です。
原文まま


渡辺昇一先生の「少年日本史」は先生が今まで一貫して抱いている感想だと綴っている。
「昨日」より「今日」「今日」より「明日」
未来を生きる少年に伝えたいことを書いてある日本史だった。

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第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】
【教育勅語】
明治天皇の指示によって定められた「教育勅語」の普遍性
日本人の伝統的価値観を簡潔にまとめた「教育勅語」それは「親を大切にせよ」「友人や配偶者と仲良くせよ」「身を慎んで学業に励め」「人格を修養せよ」そして「国の繁栄に貢献せよ」といった、誰もが感覚的に納得できる徳目が並びました。

教育に関する勅語の全文通釈
 朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。 
  ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

佐久間の民俗、そんな本が発刊された、そんな本の最初の文章の中に「国の指導者の中から教育勅語の復活を求める声が上が平然と唱えられるとに、現代の危うさを感じざるを得ません」との言葉がある。
その全文を書いた人は遠州常民文化談話会代表 名倉慎一郎さんだ。その人は掛川西校の基校長先生だったという。
その先生は、わたしの職場まで着て、その佐久間の民俗を持って来てくださった。有難いことです。


教育勅語、この事に関しては様々な考え方がある。

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第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】
[日本の根本精神]
神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇
『古事記』も『日本書記』も日本の歴史時代の始まりに神武天皇を置いてあります。神武天皇は大和に都を建てて橿原宮で即位されたことになっています。
神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、世界の隅々までを一つの家とするのはまたよいことではないか。と言って国家の基本方針を表明した。この「八紘を掩ひて宇と為む」という言葉が後に「八紘一宇」という言葉でまとめられた。
神武天皇が日本にやってきた頃には、いろいろな原住民が住んでいたに違いがありません。日本は世界の東の隅にある島ですから、大陸から逃げてきた部族もいたでしょう。神武天皇はそうした異なる民族や部族を討伐して滅ぼすようなことはしないで、みんなが一つの屋根の下に集まって一緒に政治をすればいいだろうとおっしゃっていたのです。そのために、皇室の神をみんなで尊敬し、・・・・・・。
(後は買って読んでください)
そんな考えが、日本には、日本人の根本の精神には宿っているのだと書いてあります。
八紘一宇の精神に基づいてユダヤ人を救った戦時中の日本人
昭和十年に日本がドイツと手を結んでいた時代、ナチス政権のドイツはユダヤ人の迫害があった。
そんな時代、ドイツは日本に協力を要請したけど、その日本では総理大臣・外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣が集まって五相会議を開いて検討した結果、その会議の席で板垣征四郎陸軍大臣が「特定の民俗を迫害するということは明治天皇の『八紘一宇』の誠心に反する」と言って反対し、これが他の出席者の賛同を得て、日本はユダヤ人の迫害に加担しないことを決めたのです。
この決定は当時の文明国では例外的なものでした。
人種の差別がアタリマエの時代の話しだったのです。
そんな時代に日本は国の政策として人種差別をしないとはっきり宣言した。と書いてあった。

ユダヤ人たちにビザを支給して助けた外交官の杉原千畝や、満州国へのユダヤ人難民の受け入れに力を尽くした軍人の樋口季一郎のような人たちもいる。
これは、神話の時代にあった2600年前の出来事が昭和の時代に生きていたという例です。日本が神話の時代から地続きであることの一つの証拠になると言っていいでしょう。

渡辺昇一の「少年日本史」

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】
第一章から二章を読んで心に響いた内容だった。まだまだ、これから話は続く。

神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇」この考え方が「悪」にも「善」にもなった。考え方の違いで。
人はソレゾレ考え方が違う。話せばわかる。そんなことも無いのかもしれない。その人の考え方を変えることは出来ない。
自分はこうだ、そう思えるように様々な考え方を様々な本でわかるようにする、こと。

渡辺昇一の「少年日本史」を読んだ。
渡辺昇一先生の考え方が少し分った。

渡辺昇一
1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。
2017年4月17日、心不全により死去、享年86
ウィキペディアから

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「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。

序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】

第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた戦後の復興【現代】

この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。

様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。

藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。
百田尚樹「日本国紀」を読んだ。

 


 

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「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているのだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。

序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】

第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】

この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。

様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。

藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。 百田尚樹「日本国紀」を読んだ。

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2005年(平成17年)11月に出版された本『国家の品格』書名の「品格」は、2006年(平成18年)の新語・流行語大賞を受賞した。

その後「品格ブーム」で坂東眞理子著『女性の品格』(PHP新書)は300万部以上を売り上げ、ドラマ『ハケンの品格』は平均視聴率20.1%を記録した。他に『会社の-』『日本人の-』『自分の-』『親の-』『男の-』『遊びの-』など次々と発売された。

この本は、藤原が講演で述べた内容を基礎にした本である。そのため、文体は口語調で、「妻を筆頭に殴りたい女性はたくさんいます」、「(什の掟は)最後の七つ目以外は納得できます」といったユーモアが効いたものになっている。西洋、特にアメリカの「論理万能主義」を批判し「だめなものはだめ」と主張。グローバリズムなどを真っ向から否定し、自国の伝統や美意識などを重んじることを説いた。

世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ日本の“国家の品格”を取り戻すことを書いた。本文中には前著のタイトルでもある「祖国とは国語」と言う言葉が複数箇所で用いられている。

什の掟
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです
ウィキペディアから。

2005年(平成17年)11月に出版された本『国家の品格』
2005年(平成17年)7月佐久間町は浜松市に合併した。
合併する前、佐久間町の役場の職員は住民に浜松市への合併の経緯を説明に来た。
静岡市に合併した井川地区の公共施設を整備してくれなくなった状態の写真を住民に見せ説明した。
そして
「佐久間町も何れこうなるでしょう」
といって合併の説明は終わった。
 

その静岡市で、リニアのトンネルが静岡県の北の隅っこを通り、大井川の水量が減ると大問題だと大騒ぎをしている。
井川地区は静岡市に合併し、どうなったのだろう?
浜松市は、浜松市に合併した佐久間町は、年々人口が減り学校の生徒が減り、小中学校の統廃合が問題になっている。

四つの愛
情緒には四つの愛が基本だと。
「家族愛」
「郷土愛」
「祖国愛」
この三つの愛が、しっかり固まった後で、最後に
「人類愛」
だと言っている。

家族とは
「まちむらリレーション市民交流会議」
2018年二月に行った
・熊本大学名誉教授 徳野貞雄
・静岡文化芸術大学 船戸修一
・浜松市市民協働・地域政策課 北嶋秀明
この時の徳野教授の家族の話し。
家族とは、行政が言う家族は一緒に暮して居るだけど、本当の家族はとの話だった、と今振り返っている。
単身赴任で一緒には暮して居ない夫は、それは家族ではないのですか?
嫁に行った娘は家族ではないのですか?
等々。
もっと言うと、可愛いペット、死んでいった親も、家族だと言っていた。
そんな家族を愛すること「家族愛」それを第一に持つこと。

来年は2020年は、東京オリンピックの年だ。
四つの愛

「家族愛」
「郷土愛」
「祖国愛」
「人類愛」
あふれる東京オリンピックを望んでいる。

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第四章
 万物流転、情報不変
万物流転→ この世にあるあらゆるものは、絶え間なく変化してやまないということ。
不変 →  変わらないこと。また、そのさま。
情報不変 養老先生は人は常に変わっている。情報は変わらない、情報不変なのだと。
それが、現代の人々はあべこべに感じているのだと。
説いている。

森信三先生が戦前の師範学校での生徒を前にして講義した記録「修身教授録」
先生のその記録は、半世紀以上たった今も人々の心に光を点している。
一冊の本、そこに込められている情報は不変。生涯、変わらない。

「知る」と「死ぬ」
養老先生は、学生たちに、勉強するという行為の意味を、こう伝えている。
「知るということは根本的にはガンの告知だ」と。
「君たちだってガンになるときがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話しているという。

様々な本を読み、知らない世界の誰かの心を知った、知らないでも良かったのかもしれないと思った事も少なくもあった。
が、違うのだ。
知るということは、養老先生が「バカの壁」の最後で書いてある
人生は崖登りだと思っているといっている。
必死に崖を登り、少しでも高い所に行けば低い所よりも違う世界が見えるだろうと。

「わかる」という言葉の語源は、「分ける」ことです。
昔、頭の病気は分らなかった。頭が痛いと死んでいった人は、脳卒中だった。
今は脳卒中は大きく脳出血・脳梗塞・くも膜下出血に分類されている。
まだまだ分ってきて分けられるだろう。

養老先生は医学博士、解剖学者。
人間の脳の働きで、欲望のことも書いてあった。
人々は何故争うのか?
「バカの壁」があり、他を思いやる気持ちの前に立ちふさがるからだと。

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2003年(平成15年)新潮社より発売され400万部を超えるペストセラーとなり、その年の流行語になった本「バカの壁」を読んだ。
今から10年以上も前の本、流行語で聞いたこがあるが「バカの壁」今回初めて読んでみた。

見えない「壁」がわかると世の中が見えてくる。
「話せばわかる」なんて大ウソ! イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人。互いに話が通じないのは、そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちを囲む様々な「壁」。それを知ることで世界の見方が分かってくる。
養老猛司
1937(昭和12)年、鎌倉生れ。医学博士、解剖学者。
大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。

前書きから一部抜粋
あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは当然のことです。しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。だからいろいろ悩むわけです。そのときに「バカの壁」は・・・・・・・・・・・・。
もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
でも多くの人は、反対に考えているようですね。ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。

目次
第一章
「バカの壁」とは何か
第二章
脳の中の係数
第三章
「個性を伸ばせ」という詐欺
第四章
万物流転、情報不変
第五章
無意識・身体・共同体
第六章
バカの脳
第七章
教育の怪しさ
第八章
一元論を超えて

この本は、解剖学者である養老猛司さんが北里大学薬学部の学生に講義していた時から話は始まっている。
ある夫婦の妊娠から出産までのドキュメンタリー番組を見せたときの男子学生と女子学生で、はっきりと異なる反応が出たという。
女子学生が「大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました」という感想が多い一方、男子学生では皆一様に「こんなことは既に保健の授業で知っていることばかりだ」という答えばかりだった。
同じことを見せても、人によって違いが出る。先生は本で、その違いが如何してかということから話を始めている。
その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、といっている。要するに、男というものは「出産」ということに実感を持っていない。ビデオを見て積極的に発見をしようとしなかった、と。
わたしたちが日頃、「知っている」ということの実態は、実はこんなもの。こんな程度のことなんだ、と。

「常識」というのは「物を知っている」つまり知識がある。ということでなく「当たり前」のことを指す。
「自分たちは知っている」と思ってしまうのが、そもそも間違いなのだ。

「バカの壁」養老猛司。医学博士、解剖学者の人が書いた本
難しい本だけど、昔から自分なりに悩んでいたことの答えが少し見つかった気がする。
自分には関係ない事と、ある人はその問題に関わろうとしない。
話せばわかるは大嘘。人は話しても分らない存在。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
養老先生は、人生は崖登りだと思っているといっている。
家康より、もっと過酷なものだと先生は考えている、と。
手を放したら真っ逆さまに谷底に落ちていく、ようなもの、と。
この「真っ逆さま」に転落していく状態の代表例が、カルト宗教に身をゆだねて行くということ。先生の見てきた学生にもオウム真理教をはじめ、転落していく何人かの学生を見てきたという。
こういう学生を何とかするには個人的に付き合うしかない、と。
逆折伏するしかないと。話して話して色々な形で喋っていると。
少なくとも先生にとって、そんな学生と話し続けることに「人生の意味」の一つを見出している、と。

話しても、どんなことをしても、自分の気持ちなど分らない。
しかし、自分が行うことに自分なりに自分も「人生の意味」を感じて生きることが自分の人生だと思う。
走ることで、自分の後ろ側にいる自分と会話するのが、なんだか楽しくも思うのであった。

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を読んだ。

いろいろなことがあり自殺しようと心に決めて富士の樹海に行こうとしたが、やり残したことをふと頭に浮かび、最後にウナギを食べようとした彼は新幹線を浜松駅に降りた。

浜松でタクシーに乗り、鳴沢まで行こうとしたが、タクシーの運転手は、そんに自殺したいのならピッタリの場所「佐久間ダムがありますョ」と、タクシーは浜松の市街から北に走って行く。

そこで、彼とタクシーの運転手の会話から物語は進んで行く。

月と地球の関係

親子関係

夫婦関係

人間関係

この世に人間という生物として誕生して、最後どのように迎えるのか。

自分で自分の最後を決めることもできる。

自殺

月まで3キロ

船明ダムに満月の夜に行きたくなった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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