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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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この本を読もうと思ったのは
森永卓郎さんが去年の11月に癌告知されていた事を知ったからだ。医師からは
「来年の春のサクラを見ることはできないだろう」
と、言われたと書いてあった。
森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年〈昭和32年〉7月12日 - )は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント、獨協大学経済学部教授。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。
ウィキペディアから引用

ザイム真理教、財務省が唱える財務均衡主義を多くの国家議員が洗脳され、増税の道を突き進んでいる。
そんな話しである。
江戸時代、四公六民だった年貢米が五公五民になり百姓一揆が起きたと書いてあった。
今は江戸時代ではない。自由な日本だ。しかし、偉大な先人によって今の平和な日本を作り上げてくれたのだ。
江戸時代、四公六民だった年貢米が五公五民になり百姓一揆
この話は百田尚樹影法師の物語の初めにあった。少年二人が、その処刑を目の当たりにいし、帰り二人は刎頸の契りを結ぶのだ。
森永卓郎さんは生きることに特別の執着はない。と言ってた。
しかし、医師に言われた
「来年の春のサクラを見ることはできないだろう」
そんな言葉を裏切り、森永卓郎さんは「桜を見たやったぜい」とインタビューで答えている。
森永卓郎さんはインタビューで、今書ている本を書き終えないと死ねない。と。
その本は
「書いてはいけない」
キンドルのサンプルを読んだ。
気になる。

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この本の中にトルストイの「とびこみ」があった。
トルストイと言えば「戦争と平和」がある。
19世紀初頭、ナポレオンのロシア侵入という歴史的大事件に際して発揮されたロシア人の民族性を、貴族社会と民衆のありさまを余すところなく描きつくすことを通して謳いあげた一大叙事詩。1805年アウステルリッツの会戦でフランス軍に打ち破られ、もどってきた平和な暮しのなかにも、きたるべき危機の予感がただようロシア社交界の雰囲気を描きだすところから物語の幕があがる。そのような話らしい。
時代は巡り巡って、2024年になったが、今なお人々の争いは続いている。
この本の最後には芥川龍之介の「杜子春」がある。
鉄冠子によって、多くの金を手に入れることができた杜子春は、人間の醜いところを見て、お金より大切なものを感じ始める。そして次に鉄冠子の弟子になろうとします。
仙人になるためには多くの苦難を強いらせます。
最後、、杜子春鉄冠子のおきてを破ります。そして仙人の夢も破れます。
しかし杜子春は最後、こう言います。
「なにになっても、人間らしい、正直なくらしをするつもりです。」

芥川龍之介では「蜘蛛の糸」があります。
蜘蛛の糸が切れ、カンダタは地獄へと落ちていく。
子供のころ、その物語を読んで何を感じたか。
先生が子供たちに質問する。
そうやって子供たちは成長し大人になっていく。
今、その大人たちは、子供に何を教えるのだろう。
卑しい政治家が、何を語るのだろう。
今は森永卓郎の「ザイム真理教」を読んでいる。

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この本の作家の中で、私の思がある作家は
椋鳩十である。
本の中には「大造じさんとガン」「あじさい」がある。
この本にはなかったが、私は「マヤの一生」この本が心に残ってる。
やはり戦争は、よくない。人間ばかりか動物までも殺してしまう。
椋鳩十は長野県南信州「喬木村」の出身だ。
そして、その人は遠山郷へよく通っていたそうだ。
遠山の、ある旅館は椋鳩十の晩年の写真がある。遠山に残した
「遠山郷は星の美しい里、河の美しい里、人の心の美し里である」
そんな詩を残してある。その人の本には水窪の青崩峠の事も書てあった。山を愛した作家である。
その人は、喬木村を出て東京で勉強し、最後は鹿児島県に、そして喬木村に里帰りして同窓会に参加したときしらくもと出会う。
しらくもは、学生の時には目立たない存在だったが、ある時、ある本を読んで感動して人生が変わったそうだ。そして書いた言葉が
そして「感動」し「笑」「夢」を見ることができるのは「人間」だけである。
そう言ってる。
人は、互いに影響しあって生きている。
仏間に先祖の遺影がある。親から言われた言葉、私は見たこともない先祖、受け継がれている。
これは洗脳かもしれない。洗脳のとけない自分は、ここで暮らすしかない(^^)/

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三井ショッピングパークららぽーと磐田の本屋で出合った本「もう一度読みたい教科書の泣ける名作」を読んだ。
目次には
「ごんぎつね」新美南吉「注文の多い料理店」宮沢賢治「泰三じいさんとガン」椋鳩十「かわそうなぞう」土屋由枝雄「やまなし」宮沢賢治「モチモチの木」斎藤隆介「手袋を買いに」新美南吉「百羽のツル」花岡大学「野ばら」小川美明「ちいちゃんのかげおくり」あまんきみこ「アジサイ」椋鳩十「きみならどうする」フランク・R・ストックタン 吉田甲子太訳「とびこみ」トルストイ 宮川やすえ訳「空に浮かぶ騎士」アンブローズ・ビアス 吉田甲子太郎訳「形」菊池寛「杜子春」芥川龍之介
と収録されているとう。
まずは。
「ごんぎつね」新美南吉
ごんぎつねのラストは、「ごん、おまえだったのか」・・・。火縄銃の青い煙が、まだ筒ぐちから細くでたました。
銃を落とした兵十、ガクッと首を落とすごんの最後、情景が頭に巡るようだった。
私が新美南吉を知ったのは、学校の道徳ではなかった。
終身教授禄の読書会が終わり。森信三先生の生誕の地が愛知県半田市にあると聞いたから。
名古屋ハーフマラソンに行った前日、武豊線で半田市に向かった。
そこは新見南吉記念館にあるということで、半田駅から走って向かった。
途中街を歩く人に場所を尋ねると
「南吉か~。」と言ってていねいに教えてくれた。
その時の動画↓↓↓
この本には、新見南吉が二十歳のころの作品「手袋を買いに」もあります。
狐の親子の話しです。
動物と人間の、仲良くやっていこうという話です。
私は去年、罠の免許を取得したけど、、、。もうやめようと思います。

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この本は、佐久間のある所から頂いた本だ。
差後に寄贈○○○○とある。
この本は、ある人から進められた。鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」その続編である。
そう、私は「気くばりのすすめ」は読んではいな。
しかし、この本は手に入ったので読んでみた。
自分というのは、この世の中で最も大切なものです。
自分がいなければ、何も存在しません。
でも他人がいなければ自分のこともよくわからなのも事実です。
それなら、他人も自分だと思えばいいのです。
他人だけでなく、動物も自然も自分だと思えば、よりいっそう心が豊かになります。
私がいう気くばりとは、人間としてこうすべきであるという他人に対する道徳律ではなくて、人間が生きていくための常識であると強調する理由はここにあります。
原文ママ
本文の最初のほうに、気くばりのすすめで書いたことへの、お叱りの手紙のことが書てあった。視覚障碍者への気くばりの事についての専門家から批判めいたアドバイスだった。
考え方の違いは、誰でもある。
しかし、鈴木健二さんは丁寧に説明して文章を綴っていた。
こんな素晴らし著者にも、批判めいたことを語る人がいるのだと、感じた一説だった。
「好意の1対2対7の法則」というのがある。
約一割の人は友好的でな人、約二割の人は友好的は人、残りの七割の人は批判もしないし反発もない。
鈴木健二さんにも一割の反発があるのか???
現在95歳の鈴木健二さん、ユーチューブで検査してみた。
五年前の動画が出てきました。流石元アナウンサー90歳でも素晴らしくしっかりしてる。きくばりアナウンサー。
説得力、、、参考にしなければ。。。
本の最後に、大学を卒業する最後自分で書いた文章が記載したあった。そして、そこに書いた言葉を今も貫ていると書いて筆をおている。
貫く。世の中を見ていると、自分の口からはいた言葉を過去の事と忘れてしまった人が数多く
いる。
貫く

いつまで走れるかわからないが、やらるだけ頑張りたい。
貫きたい。。。

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宮崎伸治
1063年広島県生まれ。青山学院大学卒業後、英シェフィール大学大学院言語学研究科修了。大学職員、英会話講師を経て、出版翻訳家に、著訳書は60冊、英語・翻訳関係の23種類を含む、133種類の資格保持。今から8年前、出版業界から足を洗う。
原文ママ

出版翻訳家の苦悩と悲惨な事実を書いてありました。
お金の問題だけでなく、精神的に大打撃を受け、出版翻訳家に見切りをつけた話です。
哀しい話だけど、せっかく身に着けた翻訳のスキル、まだ世に生かしてほしいと、私は思います。
ユーチューブを見ました。ひろゆきの言っていることも納得、

また、宮崎伸治さんのキャラクターが面白い。
真面目、その真面目さが顔に出ている。
頑張ってほしい。

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南野苑生(みなみのそのお)
1948年生まれ。大学卒業後、広告代理店に勤務。バブル崩壊後、周囲の反対を押し切り、広告プランニング会社を設立するものの、13年で経営に行き詰まる。紆余曲折を経て、59歳のとき、妻とともに住み込みのマンション管理員に。以来3つのマンションに勤務。毎年、管理員室で寸暇を惜しんで書き綴ったのが本作品である。
原文ママ
団塊の世代の人のお話しである。
この本によると、バブルがはじけて、その後の行動で今がある。と、なる。
もしかしたら、ホームレス。になることもあったかもしれないと。
そんな苦労があったから・・・。
管理員の仕事、住民の苦情の対応、中には考えられない苦情もある。
また、上司にあたる人の密約、苦情の流れは、流れ流れて最下流の、末端の元へ流れつく。
その対応、大岡裁き、それができないときは離職する、を繰り返す。
59歳からの新しい仕事であるマンション管理員、その真実を綴った記録、哀しいことや面白こと、どんな仕事でも、遣り甲斐はある。
達成感は、自分が作り出すもの。
昨日は、佐久間から浜松駅を目指して走った。
10年くらい前になだろうか、団塊の世代の人と、一緒に、このコースを走ったことがある。
そのとき、もう一人の団塊の世代の人が、浜松駅南口の広場で、私たちを迎えてくれた。
ブルーシートの上には、缶ビールやツマミがあった。
団塊の世代
昭和20年代、戦後のベビーブームで世に誕生した人と達。
世代間ギャップ
若い人たちから見れば、64歳でも74歳でも、同じ年寄りに映るかもしれない。
しかし、昭和20年代といえばテレビもないし冷蔵庫もない。私たち昭和30年代とは違う。
しかし、今回読んだ、この話、人生の先輩の生き方、本で出合う団塊の世代、走る世界で出合う団塊の世代の人たち。
私の人生の羅針盤である。
アリガトウ。

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著者 川島徹
1950年、鹿児島県生まれ。大学卒業後、外資系企業に就職。40代半ばで退職し、貯金と退職金で生活しながら、文章修業をする。50歳のとき、鹿児島に帰郷7、巨大企業○電力の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。勤続10年目にして突然のクビ宣言を受ける。その後、介護職などを経て、現在は無職、70歳を迎えて、本書の刊行により長年の夢を実現させる。

原文まま

検針員がえぐりだす労働と人生のリアル
若い時には夢があり。老後は寂しい人生、と思うのが多くの見方だと思う。
しかし、この本には自分の「夢」を追い続ける70歳作家のリアルな人生を書き表している。最高の著作品だと思う。
人生には様々な事がある。著者は「夢」を叶えるために外資系企業を退職した。そして修業の時期を、故郷に帰りメーター検針員の仕事をこなし10年。「夢」を実現した。寂しい話しや、笑える話し、悲しい出来事、人生には様々な事がある。
生きて行くためには、お金が必要だ。お金を稼ぐためには、働かないといけない。メーター検針員の実情を分かった良書でした。
私より10歳年上の著者、私には10歳年上の女性のランナーがいる。
何方の人も、私の人生の大先輩、私のこれからの人生の羅針盤にしたいと思っている。
ありがとうございました。

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柏耕一
1941年生れ。出版社勤務後、編集プロダクション設立。出版編集・ライター業に従事していたが、ワケあって数年前から某警備会社に勤務。73歳を迎える現在も交通誘導員として日々現場に立ちながら、本書のベストセラー化により、警備員卒業の日を夢見ている。
原文まま

若き日に勤めていた会社の年配の人が交通誘導員をやっていた。水窪の道をランニングしていると、たまに出会い。話をした。元気の良い人だった。が、トンネルで誘導の仕事の時、倒れて、、、。そんな話を聞いたことがある。80歳近かったとか。
今の日本、死ぬまで働け。そんなことを言われているような気がする。
さて、この本の内容だが、交通誘導員の大変な仕事の内容が書いてある。仕事もそうだが交通誘導員の人間関係の複雑さのことも、高齢者だから出来る仕事、それは人生経験が豊富だから。
先日、豊川を朝6時に出発し走り始めた。新城のバイパスを走っているとき、8時55分、9時から始まる仕事に向けて待機していた。ルールでは9時から仕事を始めなければならない。交通誘導員でない現場の人が、私を笑顔で誘導してくれた。(現場監督なのか?)
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。
「住宅営業マンペコペコ日記」を読んだ。
「メガバンク銀行員ぐだぐだ日記」を読んだ。
「ケアマネジャーはらはら日記」を読んだ。
「ディズニーキャストざわざわ日記」を読んだ。
「コールセンターもしもし日記」を読んだ。
「派遣添乗員ヘトヘト日記」を読んだ。
今回
「交通誘導員ヨレヨレ日記」を読んだ。
今回8冊目である。
最後に著者
柏耕一さんで検索してみた。出るわ出るわ
「交通誘導員ヨレヨレ日記」を始め「交通誘導員ヨレヨレ日記」マンガ
「あなたの脳を活性化する四字熟語クイズ」
「交通誘導員まだまだ引退できません」
「武器としての言葉の力」
「なぜそこに感動が生れたのか」
「14歳からのソコソコ武士道」
「折れない心をつくるいい言葉」
と多数の本を出版している人だ(^O^)/

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著者
梅村達
1953年生れ。大学卒業後、映画の製作現場を皮切りに、塾講師、ライター業などを経て、50歳のとき、派遣添乗員に。以来、いくつかの派遣会社を移りながら、現在も日々、国内外の旅行に付き添う現役添乗員である。本書がヒットしたら、「月1~2回、趣味みたいに添乗員の仕事をしていきたい」というのがささやかな夢。
原文まま

派遣添乗員の、お話し。派遣っといえば、そう私も考えて見れば「派遣」だ。
今回読み終えて、著者のこの、派遣の考え方に、ものすごく感銘を覚えた。
イロイロ、理不尽なことがあるが、グット我慢して耐えて耐えて業務をこなす。素晴らしい事だと思う。
「当年66歳、本日も”日雇い派遣”で旅に出ます」
”日雇い派遣”
ほとんど憂鬱、ときどき喜び
そう。楽しい事ばかりでなない。ほとんどが大変なことなのだ。その大変なことの中に、少ない喜びを感じるのだ。
本書の中で、一部、私なりに納得した事
無料ツアー
私の家内が、この無料ツアーに当選したことがある。本書であるように私が誘われ料金を出した。
また、本書であるように宝石店にも途中来店した。そこでは真珠を大量に触らせ満面の笑顔で購買意欲をそそらせる作戦で旅行客を誘ってきた。私は辛うじて無視して通過したが、買う人もいたように思う。
その本でも書いてあるように、一人の年配の女性が、
「これは旅行会社の作戦」と、平然と言っていた。
食事の時は、バイキングでカニやらウナギやらを食べていた。これでタダとは旅行会社、、、恐るべし。
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。
「住宅営業マンペコペコ日記」を読んだ。
「メガバンク銀行員ぐだぐだ日記」を読んだ。
「ケアマネジャーはらはら日記」を読んだ。
「ディズニーキャストざわざわ日記」を読んだ。
「コールセンターもしもし日記」を読んだ。
今回
「派遣添乗員ヘトヘト日記」を読んだ。
様々な仕事がある。様々な人がいる。様々な人生がある。
あとがきに、筆者は「火付きの悪いライター」だと書いてある。そしてサミエル・ウルマン「青春」のようにと燃えるような秋~冬の季節を生きてみようと書いてある。
サミエル・ウルマン「青春」とは、青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。と始まる。希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。との言葉もある。
何処に暮らそうとも、いくつになろうとも、希望をもって夢に向かって歩みを進めたいものだ。
しんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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