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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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この日記シリーズも三冊目である。
「同僚が次々やめていく仕事」
ブラック業界の、 ブルーな私
介護の仕事は大変だけど、薄給激務なのに夢があり希望があるように感じた。
営業マンは薄給ホワイトだと思ったけど。。。
実際は大変。ココの職場(タマゴホーム)だからかもしれないけど、、、
泣くに泣けない。笑うに笑えない。真実がある。
歩合制、頑張れば頑張っただけお金が入る。しかしその制度は同じ仕事仲間がライバルになる。
過労死、過労死を隠そうとする会社。情に絆される社員は(会社に逆らう人は)会社から消される。
仕事が無くなった人の結末、家のローンが払えなくなり、離婚→家庭崩壊→ホームレス
働くということは、生きてくということ。家族が居れば、その家族の命も家長の背中に重くのしかかる。
だから、ブラックだろうと働く。しかし、その人は最後に、その会社に退職届を出した。
夢だったマイホームを手放すことになった。
若い夫婦に夢のマイホームを売る住宅営業マンが、今は月5万5000円のアパートで暮らしているという。
今の生活で、2DKのアパートの生活で、著者は幸せを感じる。著者は言っている。身の丈に合った生活に幸せを感じると。
何千万もするマイホームに暮らせる人もいる。アパート暮らしでも幸せを感じる人もいる。
客観的にものを感じる。誰から見てもその方が幸せだろうと。しかし、主観的に感じることが大事、自分が幸せ感じれば、それでイイ。
そしてその住宅営業マンは、また営業の仕事を始めた。そして働くことに楽しみを見つけた。
私もアルバイト生活一年目が終わった。様々なことがあるけれど、この本を読んでマダマダ頑張らなければと思った。他の人からアリガトウの言葉をもらうために。
著者屋敷康蔵さん。ありがとうございました。
APU学長出口治明氏が言っている人生は人×本×旅が自分を大きくすると。
良い本を読んだ、なぁぁぁ。。。

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年の初め、職業日記シリーズ10冊セットを買った。
そして昨日に引き続き、今回は、この本を読んだ。
人の数だけ人生があり。職業の数だけ苦しみもあれば楽しみもある。
昨日は、自分が経験した職業だけど、今回は知らない世界、
東京の大手のタクシー会社で働いた,お話し。様々なお客さんの思い出話には泣かせる話しや笑わせる話し、怒れた話しが散りばめられている。
東日本大震災の時、仕事でタクシーを走らせてたそうだ、大都会東京での様子がリアルに感じたページであった。またソープ嬢を載せて世間話をして車を降りてからのサービス。同じサービス業の絆を感じた出来事だった('◇')ゞ

世の中に寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く
私の母親からも聞いたことがある。
「小欲知足」
自分のための時間や主体性を犠牲にしてまで必要以上の収入を得ることはない。
そんな意味だそうだ。
私は趣味で走っている。普通の人から見れば、一銭にもならないのに如何して???と思うかもしれない。
馬鹿なのかもしれない。
ここに越してきて36年。もう63歳になった。
コロナが収まり静岡マラソンを申し込んだ。42,195k
苦しんだ最後に得るもの。何回も感じたとだけど、何も変わらない。残ったものは老いた身体だけだ。
良かったのか悪かったのか判断をくだす必要もない。
私は、そうやって走ってきた事実だけがあるだけだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。一人の男性の生き様の物語だった。
ブログは最後は、この本の「あとがき」をまねて自分の事を書いてしまった。
スイマセン
著者内田正治

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汗と涙の日記シリーズ「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
実をいうと私も62歳で一年間、介護の仕事に就いたことがある。
いろいろと納得する言葉が実体験が、私の胸を突く。 だろうと、この本を手にした。
本の最初にある
「それでも私が続けるワケ。介護職員が立ち尽くす老いと死の現場」
そして私はページをめくった。
想像をはるかに超えた景色
著者はハローワークで紹介された介護職員養成講座で半年間通い終了証書をもらい介護職に就いたそうだ。
私は約20年前、母親が介護が必要になりそうなころ、通信のNHK学園の社会福祉学科を一年間勉強し続け介護福祉の免許に挑戦しまぐれで合格した。
その次の年の年末、母親は家の近くの特養に入所した。
ちょうど社会福祉学科で一週間実技研修に通った施設だった。
そこで11年間お世話になった母親は地元のお祭りの時に危篤の知らせを聞き亡くなった。
そんな母親を見て感じて、62歳最後のチャンスだと思い。介護の仕事に就いた。
20年前とは、想像を超えた世界を見た。実習と現場とに違いも。
私の母親は、認知症で、家族で行方不明になった母親を探し回ったことが幾度もある。
施設に入って、すごく助かったのを、ほっとしたのを覚えている。
施設に入った時には、もう息子である私の名前も知らないようだった。
父親が亡くなった時も、葬式には参列できない状態だった。
そして母が死んで、私は介護職の扉をたたいた。
そして、母親が入所した時の部屋に、今度は入所者の家族としてではなく、介護職員として部屋に入り、天竜川を望んだ。
B型鉄橋が半場の村が奇麗に見えた。
 
さて本題の、この本は、実に現場の事をよく書いている。
利用者の事、介護職員の序列関係、読んでいて納得することばかりであった。
よくぞここまで書いてくれてと、アッパレをあげたい。
是非買って読んでもらいたい本だと思った。
(私はメルカリで中古を買った)
老人の介護の現場について、様々なことを経験して、最後に著者は
あと数年で私も高齢者になる。これまで情けなく反省の多い人生だった。それでも私はいささかも後悔はしていない
と書いてあった。それは「その時々を必死に生きてきたからだ」とも書いている。
そして、介護職を続けていくと締めくくっている

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山間の集落、八百万町隼地区の消防団
ハヤブサ消防団
お話し
その地区は
その集落は、過疎対策として観光客の集客を取り込む為に様々なことを考える。
ツチノコ探しだったり。
消防団も、そのイベントに協力、そんなことから様々な事がおこってくる。
過疎高齢化だった地域は、若い人が集まり賑やかになっていく。
それはカルト集団だったりする。
地域を守る消防団のお話し。
だった(^O^)/

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重松清さんの本は「エイジ」「ビタミンF」「ひこばえ」「ナイフ」と読んだ。
今度は「くちぶえ番長」
悲しい現実、悲しくて涙がでそうになったときは、口笛を吹く。
小学校4年、その学年の始めに女子の転校生が、その子が挨拶で「番長になる」と宣言、そこから物語は始まっていく。

番長とは、ケンカが強いだけではない。イジメを許さない。
いじめる側にも理由がある。が、その子は許さなかった。

その本は、過去を振り返る形で始まっている。そして、最後、再開することは無かった。
私にもある。
LINEだけで繋がっていて、同窓会の話をして、出会うことができないまま、遠くに行った人が。
別れには、様々なことがある、人の哀しい気持ちを、自分なりに考える。
「くちぶえ番長」
読んでよかった。

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養老孟司さんの「バカの壁」そこに
 「話せばわかる」なんて大ウソ!. イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人話が通じないのは、そこにバカの壁があるから。
とある。私はそこに、財産家の水飲み百条、大卒と中卒を加えたい。
養老孟司さんの、その本は、バカな私には難解な内容だったが、今自分の立場がこうなると、たくさん「そっか~」と思うところがある。
そして、その養老孟司さんは、最後の方に、奈落の底に落ちた学生と、話してもわからないと思っても話続ける。と・・・書いてあった気がする。
分からない相手に、何を言ってもわからない。
しかし、私たち人間は、それでも話し合わなければならない。
ロシアウクライナ
他人事ではない。そのように感じる。
イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国も、若者と老人も、財産家と水飲み百条、大卒と中卒も、みんなこの地球に、地球というこの惑星の、この時代に産まれた人類なのだから。

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内多勝康さんとは、元NHKアナウンサー、そんな人は52歳でNHKを早期退職して介護の道へ進んだ。
この話は、私が定期購買しているPHP、そんな雑誌で知った。
そして、この本に出会い、Amazonで注文して、今朝読み終わった。
今年三冊目の本だ。

「医療的ケア」の必要な子どもたち
私が行っている骨髄バンクの、子供たちも・・・・。
今の恵まれた環境に感謝して、こらからも頑張ろう。
仕事も。走りも。

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2007(平成19)353億円の赤字を抱えて事実上破綻した北海道夕張市。
そこは
炭鉱の町だった。石炭の需要が少なくなり、観光でと考えて借金が増え、破綻
夕張市を出ていく者、夕張に残るものとに・・・別れた。
当時新聞でそんな夕張市の現実をと、特集していた記事を思い出す。
夕張市に残った夕張市市職員のインタビュー
「私は夕張に家を建てた、夕張で頑張るしかない」
夕張市は財政破綻後、市職員の給料もカットされた。夕張市を出た人も、簡単には仕事に就くことはできない。正に夕張市に残っても、出ていっても大変な状況だと、その夕張市の特集記事には書いてあったと記憶する。
そんな悲壮感漂う夕張市の現実を、私は新聞で感じていた。
しかし、そこに、夕張市に東京都の都の職員が派遣された。
2008(平成20)年、
鈴木直道氏が夕張市にやってきたのだ。そして市の職員として働いて
2010(平成22)年
夕張市の現状を見た氏は、夕張市長選挙出馬の決意を固め、東京都庁を退職した
2011(平成23)年
その鈴木直道氏は30歳で夕張市長に初当選、立候補時はたった7人の応援団、夕張市選挙は82.3%の投票率だった。
ちなみに2019年の浜松市長選挙は55.75%
面積763.0k㎡ の夕張市、徹底的なコンパクトシティーを目指して合理化を進める。
炭鉱で栄えた町には市営住宅が多い。そこで古くなった市営住宅を一つにまとめ暮らす人も一か所に集まるようにしてもらった。
住み慣れた場所を離れたくない人もいたが、市民との話し合いで、移転に協力してもらった。
また市民も、離れたところにポツンと一人で暮らすより、今の方が楽しいという話もある。
あれから10年以上たって、今の夕張市
夕張市の借金は2027年3月に全て返済出来る予定です。
そんな夕張市の市長だった鈴木直道氏は、現在北海道知事です。
日本一の高齢化が進む夕張市、そこの市長を勤め、現在北海道知事、
北海道はどうなって行くのだろう。夕張市は、どんな市になっていくのだろう。
そんなことより、私の暮らす浜松市、の未来が心配だ。
私の暮らす佐久間では、市営住宅は壊され更地になり。草が生い茂っている。
そんな佐久間の市営住宅に暮らしていた人が、町の市営住宅に移り住み、そんな便利な生活に
「もっと早く引っ越せば良かった」
と、そんな声も聞こえる。
私の暮らす浜松市、そこは
2005年に12市町村が合併して日本で二番目に大きくなった。
夕張市が再税破綻した年、2007年に政令指定都市になった。
私の暮している佐久間町の人も当時、夕張市の財政破綻のニュース、新聞報道は見ていただろう。
夕張市市の職員のインタビューも知っているかもしれない。
夕張市から考えることは、夕張市が日本で一番高齢化率が高い事、それは世界で一番高齢化率が高い日本も考えなければならない。夕張市の高齢化率は2015年の調べで47パーセント約二人に一人が高齢者というわけだ。
それは、日本の近い将来を夕張市で見ることになる。そう、その現実を見て日本の将来を考えるきっかけにしてほしい。
「夢街道CR]それも、都会から山間部にと走ることで、様々なことを感じてほしい。
そのように思って続けている。
尚、写真とブログ内容は一致して無いので、スイマセン(/ω\)「

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「孤独死」
誰にも看取られることなく、一人寂しく死んでいくこと。
漠然と、そんな意味を想像していた。
今回読んだ「破綻からの奇跡」にも、そんな孤独死のことが書いてあった。
一人暮らしの、ある人が、部屋のソファーで横になって亡くなっていたという話だ。
死後2日3日たっていただろうかと書いてあった。
それを発見した、その人は、それを可哀想だとは思わなかった。
逆に羨ましいと、思ったと書いたあった。そんな話。
それは何故か
その人とは、よくおしゃべりををして仲良しだった。
最近見ないなと思い、その人の家に行ったら亡くなっていた。
その死に顔を見て、穏やかな顔だった。
だから、可哀想と思わずに、逆に羨ましいと思ったのだと私は思う。
「絆貯金」
夕張は、高齢化率が全国で一番高い。高齢者の社会構造ができている。高齢者同士支えあって生きているという例での話だった。
夕張市の財政破綻のニュースを見て、様々な本を読んで、大変だな~っと思っていた。
その本には5時間目「絆貯金」とある。
その本の表紙には、夕張の高齢者の笑顔いっぱいの写真がある。
どんな地域に暮そうとも、「絆貯金」をこつこつためて楽しく生きようと思う一冊だった。
絆貯金、私は花桃の苗を育てること、アサガオの種を皆に配ること、続けようと思う。
貯めるのは御金ではなく花桃の苗・アサガオの種

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~いま夕張市民から学ぶこと~
夕張市立診療所所長として夕張市民を見てきた事実を、グラフと実体験で感じたことが書いてある本でした。
『人事を尽くして天命を待つ』
「延命治療」のことが書いてありました。先生は夕張市立診療所所長として夕張に居た4年間で胃瘻を作ったことが1件もなかったと書いてありました。市内で胃瘻を見たのは財政破綻以前に作られた方、市外で作られた方、それらを合わせて4年間で2~3人だったそうです。


「老衰」の死亡診断書の事、
先生は先生になりたての頃、先輩医師から「老衰」このとで、こう言われたっそうだ。
「老衰は病気ではない、しっかりと検査・診断をして病名を確定するのが医師の務めだ」
その後の夕張での95歳の御爺ちゃんの話が心に残った。
ヘビースモーカーだった、その人は、病院には入院しない、訪問診療で行くと酒臭い、そんなお酒好き。
採血も拒む、「俺は病院には行かないよ。医者にも世話にならない」とか。
その人は最後を家で静かに息を引き取った。
医療行為はしなかった。その人の死亡診断書を書くときに迷った。
悩んだ悩んだ末に「老衰」と書いた。
認知症のこと
「リロケーションダメージ」
住み慣れた場所から転居し、新しい環境で暮らし始めた高齢者が、住環境の変化によるストレスで心身に異常が生じることを言います。住環境が変化する機会としては、介護施設への転居、子どもとの同居、入院などが挙げられます。
「安心して徘徊できる街」「認知症にやさしい街」大牟田市の話し。

認知症の発症率は、年齢別に見ると年代が上がるほど増加傾向にあります。
2025年には、高齢者の約20%を占めるとされています。
『人事を尽くして天命を待つ』
どんな状態になろうとも、自分出来ることをやり、天寿を全うする。
その先生は、夕張市でそんな高齢者を見てきた話だった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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