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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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本も映画を観る前に買ったが、今だ最後まで読み終えていない(≧▽≦)

戦後70年がたった今だから問題になっていることがある。
平和や故に自分かってな人が増えて来た世の中。

70年前、戦争が終結しようとしていた時に、日本では何が起きていたのか。
連合軍からポツダム宣言を受諾するかしないかの連日の議論、最終的に
昭和天皇の判断に従った。

昭和天皇が降伏を決定した8月14日正午から、天皇自ら玉音放送で国民に終戦を知らせた8月15日正午まで、この24時間に起きた事件や人々の葛藤を描いている映画
「日本のいちばん長い日」

陸相、阿南惟幾(あなみこれちか)
は、本土決戦を主張する陸軍を代表して終戦に反対し続けたが、最後は昭和天皇の聖断に従って賛成に転じ、玉音放送の朝に自決した。

この映画の前には
永遠の0
硫黄島からの手紙
も観た。


半世紀以上も前に、この国で起きた出来事。
戦争。

「反省すべきことは反省し、評価すべきことは評価する」
いま日本は平和だ
これからは、この平和な日本の行いを世界に広げるときが来たのではないだろうか。。。

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浜松駅から大きくなった浜松市を県境にある青崩峠を越え
南信州の遠山郷まで90㎞を走った。
その遠山郷で宿泊した宿「島畑」で見つけた本だ。

「消えた峠の村」


昭和45年11月30日(1970年) 集団離村
200年あまりの歴史を残して大平村は無くなった。

しかし、今、
大平村は、歴史的に残しておきたいと
「NPO活動法人 大平宿をのこす会」ができ
大平村の古民家を維持しているそうだ。
以下、
ココのHPで、ご覧ください。
http://www.oodaira.org/

私が暮らす佐久間町の場合はどうだろうか?
この地はもう発展することはない、そのように口走って佐久間町を出ていく人が何人いるというのか。
今年の冬、原田橋が崩壊した時も、過疎化で暮らす人が少ない中山間地に多くの予算を使うのは如何なものかという意見が出ていた。
地域を守るのは、そこに暮らす人
行政が守るのではない。それは分かるが。
その行政に勤めていた人が、ココを出ていく人ばかりでは、やる気も失せてくるというもの。

12市町村が合併して新浜松市が誕生して10年たった今、取り残された感がる中山間地の佐久間町に住む私は
考えさせられる本に出合ったのであった。
それは、27年前、佐久間町に越してきて、信州に家族で遊びに行ったとき
「こんな山奥にも人が住んでいるのだな~」と思った遠山郷の宿で見つけた本だった。。。

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知り合いに紹介されて、この本に出合った。
「農山村は消滅しない」小田切徳美

この本の著者は
過疎や限界集落等、農村問題の専門家として、政府の各種審議会の委員等も務めている人だ。
そして、この人は
日本の農山村の問題を研究し、これからの農山村、日本の国のあり方を模索している人である。

「誇りの空洞化」で衰退する日本の農山村。
格差是正と個性のある発展二兎を追って、
国内戦略地域として再生を目指すべきだ

小田切 徳美(明治大学農学部教授、農学博士)

このブログでも書いてある通り、みんなが自分の住んでいる地域に「誇り」を持てなくなっている。
農山村では、子どもに関して「こんなところで苦労をさせたくない」「東京、大阪にだして高い教育を受けさせたい」といった発言が当たり前のように聞かれる。
根底にあるのは「誇りの空洞化」だと考えている。一言で言えば、住民自身が農山村に住み続ける誇りがなくなってしまった、あるいは農山村に住み続ける意義を見い出せなくなってきた、ということだ。

この本では
「増田レポート」での「地方消滅社会」が発表され、著者が疑問に思い

自分が農山村を訪ね歩いてみてきた現実を
過疎化・超高齢化の難問を突破しつつある現場を事例を紹介しつつ書いてある本である。
例えば、市域住民が個人出資で都会からの若者を呼び込んでいる村の紹介、
バイオマスエネルギーの利用や、新しい産業物加工を販売して新規会社の成功した例などを伝えている。


「地方消滅社会」
これからの中山間地は、頑張っている地域は発展するが、何もしない地域は衰退の一途をたどるのであろう。




PS
小田切徳美先生
上手いこと言いますネ~。
「誇りの空洞化」
根底にあるのは「誇りの空洞化」だと考えている。一言で言えば、住民自身が農山村に住み続ける誇りがなくなってしまった、あるいは農山村に住み続ける意義を見い出せなくなってきた、ということだ。
フムフム(。_。)φメモメモ

その昔、佐久間ダムが最盛期の時には人口2万人以上の、この街の今の現状は
学校の先生、当時の政治家の先生など、あっさりココを出ていってしまっているのですョ。
どこに誇りが、、、、あるのでしょうか?

なにから~、なにまで~、真っ暗闇さ


ま、、、嘆いてのしょうがない。
自分の道を、自分なりに、歩き続けよう(^O^)/


 

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「進歩の名のもとに古き姿は次第に失われてゆく。だが人力で救えるかぎりのものは何とか残してゆきたい」
当時の電源開発初代総裁高崎辰之助氏の残した言葉だ。
今回は御母衣ダム建設で移植作業で生き残った桜の木の話「さくら道」を読んだ

庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川であり、大正時代から黒部川や常願寺川など近隣を流れる河川と共に水力発電所の建設が進められていた。

1958年(昭和33年)4月より御母衣ダム工事ははじまった。日本初の大規模ロックフィルダム建設
ダム完成は1961年(昭和36年)冬、
御母衣ダム完成、その記念碑の除幕式で電源開発初代総裁高崎辰之助氏は
「国づくりという大きな仕事の前に父祖伝来の故郷を捨てられた方々の犠牲は今、立派に生かされています」
と、メガネの下の涙を指で押さえ、感激に唇をふるわせて挨拶をしたのだった。

その記念碑の横に、二本の老桜「荘川桜」がある。

今日、その本を読み終え、荘川桜の咲くころ
その里を訪ねてみたいと
深く思った。

私が暮らす佐久間町には
佐久間ダム(1956年昭和31年)完成がある。

隣町の水窪町にある水窪ダムは
荘川桜が咲く御母衣ダムと同じ、ロックフィルダムだ。

私の父親ほどの年齢の佐藤良二さんが始めた桜に道
その志は多くの人の感動を呼び、多くの人の協力で名古屋から金沢まで繋がった。

佐久間町や水窪町は、多くに人がココを出ていく。
愛知県も岐阜県も富山県も、山奥の町はどこもそんな状態かもしれない。

今の自分がやっていることが、やがて過去の事になり、懐かしい思い出になる。

後で振り返って
自分なりに、いい人生だった・・・と思えるようにしたいものだ。

この本を読んでいるときに、
走る仲間から
さくら道国際ネイチャーラン」を走るというメールが届いた。
世の中には様々な人がいる。

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知っている人は知っていると思う。
知らない人は知らない、、、かな。

知らない人はこの動画を観てもらいたい。

佐藤良二さんが最後に残した言葉
「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。
 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」

「さくら道」は佐藤良二さんの生涯を描いた本だ。

バブルが崩壊して、「清貧」という言葉が人々の心をとらえてるといいます。金持ちではないけれど、すがすがしく清らかな心。
つつましいけれど、心は豊かな生き方。思えば、それは、私達日本人が美徳としてきた心のありようだったはずです。
そうした大切な心を時代遅れとして私たちは異常なまでの物質的氾濫の中に見失っていたのでしょう。
五十年ほど前、日本は世界を相手に無謀な戦争に挑み、はかり知れない大きな代償を支払って敗戦を迎えました。
「国破れて山河あり」- 傷つきながらも残されていた美しい山河の自然に心を癒されながら、日本人は、廃墟の中で平和への決意を誓い、独善的ではない真に清らかな精神の高まりを胸に、戦後の歩みを進めてきました。
しかし、日本人が実際にたどった道のりは、世界の各地で再生産される戦争や貧困、飢えを踏み台にして日本人のみの繁栄を追い求める道でした。
国の中では、野山の四季を麗しく彩っていた緑が急速に失われ、掌にすくい上げて口にすることのできた清流は、どんよりとよどんだ不健康な水路と化し、野生動物たちも追いやられてきました。
・・・・・。
太平洋と日本海を桜で結ぼう
「さくら道」中村儀朋
前文から。

荘川桜の移植工事で感動した、佐藤良二さんが
荘川桜を植え続けた、そして47歳という若さでこの世を去った。
その志を、佐藤さんの友が引き継いで、残りの桜を植え太平洋と日本海を桜で結ぶ「さくら道」を完成させた。
そして、今、その道を「さくら道国際ネイチァーラン」という、マラソン大会が続いている。


2013年3月12日の私のブログ
名古屋ウィメンズマラソンの応援ランに行ってきた(荘川桜)

思いは繋がっている。
「さくら道」
これから、この本を少しづつ読んでいこう。

byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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