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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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落合陽一、知っている人は知っているだろうが、知らない人は知らないだろう。ウィキペディアに出ているので見てください。
落合陽一 →ウィキペディア
世界はすでに新しいルールで動きはじめた。
2019年の年末、コロナがまだ世の中で騒がなかったころに落合陽一が書いた本だ。
本をめくると、P34とP35の見開きに、2020年~2050年までの年表がある。
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催(予定)
と始まり。様々なコンピュータ技術によって変わっていくものが、変わって行くだろうと思うことが書いてある。
2027年リニア中央新幹線(東京~名古屋間)《予定》
2030年太陽光発電のコストが従来の火力発電並に《予想》
2030年新車販売に占める次世代自動車の割合5~7割を目指す《目標》
2033年団塊の世代の死去による相続ラッシュ(地価暴落?)《予想》
2050年宇宙エレベーター完成(大林組)《予想》
「SDGs」というヨーロッパ式のゲーム
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは? 17の目標ごとの説明、事実と数字、様々な事が書いてある。
国連が決めた取り組み、戦争の道具をつくっている国が参加している。様々な矛盾があるが、今の国連が様々な国に配慮しての取り組み、今を生きている。若い人も私たち年寄りも。

国連の取り組み、SDGs(エス・ディー・ジーズ)
選挙があり、誓う考え方のトップになったならば、その取り組みに参加しなくなるかもしれない。
しかし、今は協力的だ。

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先日、藤原ていさんの本を読んだ。
日本は戦争があった。そんな時、藤原ていさん夫妻は満州にいた。藤原ていさんは三人の子どもを連れ満州から日本へ祖国に帰って来た話だった。
今回
その藤原ていさんの自叙伝「旅路」を読んだ。
読み終えた。

藤原ていさんは、女学校時代、学校の先生になりたかった。ペスタロッチの本が好きだった。
修身教授録にも書かれていたペスタロッチ、森信三さんも藤原ていさんも、教育の道で同じ人の本で言葉で、その人の本に導かれている。
ところが、藤原ていさんは学校を卒業することはできなかった。家庭での父親との関係、大正後期・昭和初期の親子関係、男女関係は様々だったと思う。
求婚があり、見合いがあり、藤原寛人(新田次郎)との出会合いがあり結婚、満州へ、新婚生活があった。

戦争は終わりかけた。
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」

満州から引揚げ。朝鮮での暮らし、「流れる星は生きている」では書いていない壮絶な暮らしが書いてある。
勝ち組・負け組、負けた物は屈辱をうけた。
それは日本人だから。
しかし、あたたかい手もあった。
そんなことが書いてある。

北緯38度線を越え、アメリカ軍領内へ。日本に帰国、故郷長野県諏訪へ。
ソ連軍の捕虜となった夫との再会
藤原てい「流れる星は生きている」ベストセラーに。
そんな妻を持つ、夫の気持ちを慮っている。
藤原ていさん
夫の直木賞受賞
滅多に笑顔を見せない夫の喜びの表情が藤原ていさんが書いている。
人間として大切なことは・・・・・
物を大切にする心、つつましい心、物以上に人間として、最も大切なものがあるのだと、教えてやりたい。
子育ても信念があった。
夫の死
それは心筋梗塞により突然な別れだった。半狂乱になって夫の死体に泣き伏せた。
満州からの日本に帰るもの、夫の「子供たちを日本に連れて行ってくれ」その言葉を力に故郷の諏訪に辿り着いた。
夫の死後、藤原ていさんは、ためらっていた原稿も講演活動も身体のかぎり引き受けて、少しでも後に続く人たちの心に残したいと思い続けた。
藤原ていさんは1918年(大正7年)11月6日 - 2016年(平成28年)11月15日まで生きた人だ。
本の最後に
なんともありがたいことである。
と書いてあった。

わたしの母親は、昭和元年生れ。
水窪に生まれ、斜面集落「横吹」に嫁いできた。
そこで長男・長女を生み、夫を亡くした。次の夫から私が生まれた。
今回藤原ていさんの本を読んだ。自分の母親の若い日を考えてみた。
母親に感謝します。

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先日、
そんなことをブロブを書いた。
今、
藤原てい「旅路」を読でる途中だ。藤原ていの自伝書。中国孤児の悲劇はなぜ起こったか。敗戦の苦しみを綴った、戦後の超ベストセラー「流れる星は生きている」の著者が、30年ぶりに、女学校時代の思い出や戦争の痛手、夫婦愛、親子の情、夫の急死など、細やかな心の遍歴を語る、書下ろし女の半世紀。


藤原ていは私の母親より8歳年上である。
わたしの幼きころ
よく聞いた、母親の言葉
おまえは良いときに生まれた」と、私たち戦争を知らない人は、分からない。大正生まれの女の生活は、しかし、この本を読んで、読み始めて、藤原ての青春時代と私の母親の青春時代が、重なって見える。

藤原てい夫婦は満州に渡った時は、日本人街で働く中国人は日本語が上手で親切で、道を尋ねても、現場まで連れて行ってくれる五族協和の精神を体得している、とか。
日本人も満州人も、朝鮮人も、白系ソ連人も、蒙古人も、いわゆる五族が、みんな仲良く平和な市民であるように思われた。
と、
書いてあります。
それが
第二章新婚生活P69 
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」


第三章 放浪生活
この章から、藤原ていの満州からの引き上げ、が書いてあるのだろう。
昨日・今日・明日
過去・現在・未来
過去があるから現在がある
10年後のことは分からない。が、過去を忘れないで未来を考える、こと。

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著者、藤原ていとは、
長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
読売新聞「人生案内」の回答者を1997年3月まで約13年間務めた。
80歳を過ぎた頃から認知症を発症し、表舞台から退いた。2016年11月15日、老衰のため死去。98歳没。
ウィキペディアから。


戦争のあと、満州からの引き上げる体験を書いた本だ。
三人の子供を連れて、
昨日の夜、12時ごろ読み終わった。
壮絶な北緯31度線を超えるところ、印象的だった。
朝鮮の人は、日本人をかくまうことはできない、が、温かい手を差し伸べる人がいた、こと。
人形を作ろうと、ソ連兵から布をもらうシーン
子供がジフテリアにかかり、朝鮮人医師にロンジンの時計を1000円で買ってもらった。こと。
★虐待死★
★けがされた人形★
★三百円儲けた話し★
★かっぱおやじの禿頭★
★死んでいた老婆★
★三十一度線を突破する。★
★アメリカ軍に救助される。★
★気の狂ったまねをする法学士★
★コンビーフの缶詰★
★貨車の中の公衆道徳★
★上陸の日★
★博多から諏訪へ★
★ああ両親の手に抱かれて★

藤原ていさんは遺書のつもりで書いた、と言っている。
私の心には、何処の国の人にも、悪い人もいれば良い人もいると映った。
国家の品格を書いた藤原正彦さんは藤原ていさんの次男だ。
国家の品格の中に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」とにつなげる。
そんなことが書いてあった。
流れる星は生きている。を読んで、藤原正彦さんの、この言葉を意味が少し分かったような気がする。

 
私の母親も、80歳で特別養護老人ホームに入所、認知症が進み私の名を呼ぶこともなかった。
92歳でこの世を去った。
この12年間を考えた。
母親の偉大さを、この本で知った。

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去年、コロナで様々なイベントが事が出来なくなる。そう思い、こんな時だからとドローンを買った。
が、他のやることができ、そのドローンは今部屋の片隅にある。
そんな時に目についた本だった。
「文字の読めないパイロット」高梨智樹
彼は障碍者、職字障害という学習障害の一種の人だと言う。漢字や読めないし書けない。両親は身体が弱く学校を休みがちだから他の子どもより遅れているのだと思っていた。
小学校の頃から悩んでいたが、様々な出会いがあり、自分の障害を知り。
表拍子にある
「できないことはやらなくていい 
      できることを伸ばせばいい」
の、言葉通りに、好きなドローンの会社を設立する話までを書いた本だった。

本に書いてあった。ドローンが官邸に不時着してから法律が厳しくなり都市部ではドローンを飛ばすところが無くなったと。
ドローンの飛行チェック アプリを覗いても都会はマッカッカだ。
田舎→ドローン
いいアイデアがあるカモ。

今は様々な便利なものがある。不便を感じても、そんな頼るものがある世界なのだ。
いのいろな本を読み、様々な人の生き方を知る。
「文字の読めないパイロット」
文字は読めないけど、聞いた話は忘れないそうだ。
世の中には、そんな人もいるなだナ~。。。

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著者 柏耕一さん74歳、現役交通誘導員の書いた日記形式の本だ。
目次には前書きを始め、
第一章
交通誘導員の多難な日常
第二章
交通誘導員の喜びと悲しみ、時々怒り
第三章
どうしても好きになれない人
第四章
できる警備員、できない警備員
長いあとがき

と続いている。
全て某月某日○×▼・・・と。

目次からも、面白そうで楽しそうな内容だと思った。

前書きに「最底辺の職業」の実態
と、ある。
誰も交通誘導員、最底辺の職業だと思ってはいないのに自分で自分の職業を卑下している、と思った。
自分では、そう感じた。
そう感じて本分を読み始めた。

様々なところから来るクレーム、それを言葉で交わす。
74歳と言えば団塊の世代、世の中の酸いも甘いも心得ている存在だ、と思う。
クソジジイ!!と言われても、我慢もするが言うことは言う。プライドもある。

 

「最底辺の職業」
読み終えて感じる。人は底辺・頂点・中くらいだ。とか決める。
その中で人は幸せを感じたり怒ったり苦しんだりする。
全て、その人が感じることだ。

 

「交通誘導員ヨレヨレ日記」を読んだダニ。
炎天下、真夜中、寒さの中、山間部で街中でも。工事現場その他でよく見かける。
交通誘導員。
私の知り合いでも、水窪の高齢の交通誘導員の方がいる。
頑張って今も働いているのかナ~。
かし兄。

俺も頑張らないと、と思った。今回読んだ
「交通誘導員ヨレヨレ日記」だった。。。

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「ある朝、ザムザが夢から目を覚ますと、寝床の中で自分が一匹の 巨大な 虫に変わっている事に気づいた。」


人生、何があるかわからない。
突然の事故、今の当たり前のことが奪われてしまう事が、無いとも言えない。
主人公ザムザは朝目覚め虫に変身していた。
そして父親に林檎を投げられ、その傷が元で死んだ。

山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
山川草木とは、自然における代表的存在として山、川、草木を挙げた言い方。
悉皆成仏とは、万物すべてが仏になること。

 

「虫」それは厄介者なのか?
生ものに群がる虫、夜,明かりに集る虫
どんなものも生きているのに。

山川草木悉皆成仏、どんなものもやがて勤めを終えて成仏する。仏になる。
昔、富士鐵工所で働いて、ミスで製品にならない物が出たとき、その材料を
「お釈迦」と言った。
日本は言葉で仏教の教えをつなげてきた国だ。



全てが変わってしまった。
人生とは、それが終わると言う事です。
ユダヤ人 フランツ・カフカ、それぞれの人がいる。
それぞれの考えがある。

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2005年(平成17年)4月25日のJR福知山線脱線事故、被害者の苦悩、そんな思いをケアする話、
ケア→世話や配慮、気配り、など。
気くばりのススメ
元NHK職員鈴木健二さんの本、この本は読んだことはないが他の多くの鈴木健二さんの本は読んだことがある。
今世界に大切なのはケア・気くばり、そんなことではないだろうか。

何故、こんな本を買ったのか?
2005年(平成17年)といえば佐久間町が浜松市に吸収合併、そんな年だった。
JR福知山線脱線事故の背景にJR西の組織体質、日勤教育と運行ダイヤ管理などがメデアで騒がれた。
スピードアップによる時間短縮や運行ダイヤの充実で私鉄に打ち勝とうとするJR西日本の姿勢があると。
また、赤字路線の維持に、そんなスピードが生まれたのではないかと。

私の暮す佐久間町には飯田線が通っている。
まさに赤字路線。そんな路線の維持のために都会では少しの遅れを挽回しようとスピードを出した。

この本では、JR福知山線脱線事故の被害者15名の手記が記載されている。
混沌という状態から脱失するには、自分の悲しみを文章に表すことだ、とも。
p184から引用
自分の悲しみや辛さを誰にを話さないで悶々と苦しんでいるだけでは、心の中はカオス(混沌)状態のままで、一歩も前に進めない。と。
渾沌→天地がまだ開けず不分明である状態。物事の区別がはっきりしないこと。また、そのさま。もやもやしている状態。

多くの辛い荷物を背負っている人がいる。
あの人も、この人も、自分も。

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漫画版は渋沢栄一が高齢になり、夜中に孫たちとゲームをやっているところから話が始まる。
ゲームが終わり自室に帰ると死んだはずの山縣有朋がいた、亡霊となって渋沢栄一の前に現れたのだ。
二人の会話から、物語は始まる。
この二人、どちらも日本国の為に貢献した人物である。しかし、国民の評価の違いがある。
83歳で亡くなった山縣有朋の国民葬は国民の参列者がいなく、メデアに民がいない国葬だったと揶揄されたという。
渋沢栄一は高齢になった今も、家族に恵まれ多くの民衆にも慕われている。
亡霊になって現れた山縣有朋はいう「何故なのだ!」と。
渋沢栄一は
「それはおそらく、私には寄る辺があったからでしょう」と。
寄る辺(頼りとする所)
渋沢栄一には論語がある。と。
漫画版「論語と算盤」が始まった。
山縣有朋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B
渋沢栄一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
ウィキペディアから。

今読み始めているのは、角川ソフィア文庫から出版されている「論語と算盤」だ。
とにかく難しい。昔の言葉だから分かりにくい。

「論語と算盤」
「道徳と金儲け」
渋沢栄一は天保11年(1840年)から昭和6年(1931年)まで生きた人だ。
道理と事実と利益とは必ずいっちすると言っている。

難しい本だけど、分からない事はスマホで検索して読み進めている。
朝読書なのだ(^O^)/

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 見る視る観る。よ~っくみる。
八ツ塚実先生の本にも書いたあったナ~。

渋沢栄一の人間観察法。

子曰わく、其の以(な)す所(ところ)を視(み)、其の由る所を観(み)其の安んずる所を察(み)れば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。
その人が何をしているのか、その人が何によっておこなっているのか、そしてその人がどこに安らぎを持っているのか。そういう事を観察すれば、人の値打ちはわかるものだ。

 

世の中には様々な人がいる。
渋沢栄一「論語と算盤」
自分も、この世の中を生きている一人だ。
大きな時代の流れの中で、今の時を生きている。

今日は休暇をもらい、カインズに買い物、帰りに食ったラーメンが美味しかった。
152号線の早期の道の整備を願わずにはいられない。
遠山郷の人と話したら、浜松市の山間部は諦めムードだと。
このままでは、早めに諦めたほうが良かったという世の中になる。
政治家の皆さん、それでいいのですか?

有権者は観てますョ。

視・観・察
見る視る観る。よ~っくみる。

2024年に渋沢栄一が描かれた新しい1万円札に切り替わる。
世の中も、良い方向に向かうだろう。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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