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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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剣片喰(けんかたばみ)それは日本の家紋
この本の作者は我が家の家紋の一部かたばみを冊子の命名にしたそうだ。
花言葉は「輝く心」


仕事を退職し、中日新聞の投稿を続け50回100回と目標の投稿回数に到達し自分の記念に一冊にまとめた投稿集を出した人が水窪に居たと聞いた。
その人の旦那さんから佐久間町の、ある店に置いてあると聞いて、昨日、その店に行って借りてきた。
中日新聞投稿集「かたばみ」を読んだ。

水窪に生まれて水窪に嫁ぎ水窪での日々感じたことを綴っている冊子だった。
・ごちそう炊き込みご飯
・国盗りの綱引き末永く
・付き合い薄れ心いたむ事件も
・きな臭い国際情勢 不安
・これから先も 挑戦して打破
・合併で浜松市 格差深刻
合併後の地域の衰退を憂いているが、そこを打破しようと何とか頑張っている姿も書いている。
 
・先祖供養する務めを果たす
・昭和の浜松に時の流れを思う
・重なった記憶 待ち遠しい日
・叔父の言葉に思い報われる
・草木を興す西浦田楽の舞
西浦田楽を境に春の足音を村では感じるそうだ。自然と村の伝統的なお祭りに生きている人たちの暮らしが感じた。
 
・四季折々の姿 優しい通学路
・亡父みとった戦場の交わり
・片隅の入営旗 非戦訴え
戦後70年の夏に書いたであろう投稿文、世界で類のない平和憲法の元、私たちは平和な暮らしを維持、安心して生活している。
それも戦争という時代に生きた多くの人たちの尊い命の流れから今のいう時代に生きている、こと。
 
・干し柿作りに厳しい温暖化
・水窪百山調査達成に充実感
・人口減地域 支え合う絆
・心が痛む戦時の悲しみ
・戦友への償い
温暖化・少子高齢化・戦争を知らない年代だけど叔父や諸先輩からの思い出から感じたことを伝えている。
様々な問題を、水窪と言う地域から発信している。そんな人がいることに、なんか感動した。

中日新聞投稿集「かたばみ」を読んだ。
かたばみの花言葉は「輝く心」
かたばみ

 

 

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『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。作者は、親鸞に師事した河和田の唯円とされる。書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものである。
ウィキペディアから
『歎異抄』
(音・タン 訓・ なげく・なげく・ため息をつく)
(ことなる/ことにする/ほかの/別々のなどの)
(長い文章などの一部を書き出すこと。また、そのもの。ぬきがき)

もちろん原文などは読むことはできない。
今回読んだのは、到知出版社から出した「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」

の中の「歎異抄」である。
私が読んでもわかりやすく書いてある。

いつの世も、人々は平等ではない、その中で嫉妬や恨みの感情が出てくる。
これは避けられようのないこと。とある。
しかし、私たちは無限の縁起によって、万人・万物とつながっているのに、いざ何かを求める段になると、それが見えなくなって、自分さえよければいいという行動に出てしまう。

 

私たちは家族は横吹で暮らしているころから仏教だ。
相月のお寺「東林寺」に先祖が眠っている。
南無阿弥陀仏の「南無」とは信じ切ること。阿弥陀様のすべてを信じ南無阿弥陀仏と唱える。
信じる者は救われる。

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昭和天皇論を読んだ。
昭和という日は、1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和 64年)1月7日まで続いた。
私は1960年(昭和35年)に生まれた。

「武士道」を書いた新渡戸稲造は1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)まで生きた。
念ずれば花開くの坂村真民は
1909(明治42年)年1月6日 - 2006年(平成18年)12月11日、97歳で永眠。
坂村真民の詩は小学生から財界人にまで愛され、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。

その森信三先生は
森 信三(もり のぶぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。
★人生二度なし
★真理は現実のただ中にあり
また、徳永康起遺文集にも記載されている通り、以下の文章を精力的に広めることを推奨していた。
人間の一生(読み人知らず)職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番面白い。
ウィキペディアから

私の知り合いで、今古希を過ぎ、こらからの10年を夢見ている人がいる。

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「武士道」新渡戸稲造 現代日本語訳:夏川賀央
国境のない日本で「善悪」の観念を授けた宗教以外のもの、それは「武士道」
我が国の封建制度と武士道が理解されない限り、現在日本の道徳観念は、封をした本と同様なのだ。
1900年(明治33年)英語で出版された『武士道』は、全世界の人たちに日本人の精神性を知ってもらうきっかけになった。

第1章 
武士道とは、生きるための道である
第2章
武士道の源流
第3章
「義」あるいは「正義」
第4章
勇、すなわち勇敢で我慢強い精神
第5章
仁、すなわち哀れみの感情
第6章

第7章

第8章
名誉
第9章
忠義
第10章
サムライの教育と訓練
第11章
自制(克己、セルフコントロール)
第12章
「切腹」と「仇討ち」の制度
第13章
刀、侍の魂
第14章
女性の教育と地位
第15章
武士道の影響
第16章
武士道まだ生きていけるか?
第17章
武士道の未来
解説
いま私たちに必要な日本人の「心の書」

最後、解説で
「何年もの年が流れ、武士道の習慣が葬りさられ、その名さえ忘れられる日がきても、その香りは空中を漂っています。『路辺に立ちて眺めやれば』私たちははるか遠くの見えない丘から漂ってくる、その爽やかな香りを、いつでもかぐことが出来るのです」
この香りがピンチになると、いつでも空中を漂ってくること。
それが日本という国の一番の強みではないか?・・・・・そんなふうに私は思うのです。
原文ママ

日本という国は、多くの偉人たちにより育て上げられた。
現代を生きる私たちは、こらから如何して生きて行けばいいのか。


「武士道」マンガで読破 kindle版
も読んだョ~(^O^)/

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NHKアナウンサー鈴木健二さんの著書「気くばりのすすめ」そんな本が遠い過去に流行っていた。
そんなことは知っていたが、その本は読んだことはなかった。
そんな私が
最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。

鈴木 健二(すずき けんじ、1929年1月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。
ウィキペディアから

第一章 生きるということ
第二章 母と父の気くばり
第三章 人間の未来、光の子どもたち
第四章 人間不在の非気くばり社会
第五章 最高にして至善のたしなみ
第六章 感動なしに人生はありえない
終章  人間の原点とは

第一章、その内容は、書き留めた原稿を郵便局に持ていったら日曜日だった。そんな話から始まった。
そんな人が大切にしている言葉は
「人は母と生まれ故郷を大切にして生きて行けばよいのだ」
そして昭和20年、東京下町で育った著者の思い出が書かれていた。
戦争、知り合いの学校の友だちの命が、無残に死んでしまった東京大空襲の話し。

終章
人間の原点とは
アポロ11号、月に人間が初めて到達した日のこと。
船長ニール・アームストロングさんは
「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類 にとっては大きな 第一歩だ」
と明言を残した。
本の中で、その船長は鈴木健二さんより年齢は一歳年下で8年前に82歳で亡くなったと書かれていた。
そして、そのご子息との対談で
「父はいつも私達 子どもに『 決してごう慢 になってはいけない。人間は常に謙虚でなくてはいけない』と言っていました」
と書いてありました。
親から子へ繋がっている。
鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」
今現在、21世紀。日本は令和の時代、必要な心のありようの大切な一つが、謙虚である。
最後に、世界のリーダーに、その謙虚さを持つように求めた。
そして戦争への不安が消えるのを希望した。

人は誰も必ず、この地球から放射される日が来る。
それは何時の日か分からない。

最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。
YouTube
鈴木健二「説得力」
クイズ面白ゼミナール
今回鈴木健二さんの本を読んだ。91歳になるという。昔と変わらなくポッチャリとしている。
人生の先輩の本は私の心に残った。

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私の知り合いには「憲法9条を守らなければいけない」と声高に唱える人がいる。
また
毎年正月には東京へ天皇陛下の新年一般参賀に向かっている人もいる。

今回、わたしは、そんなその人に
漫画家小林よしのりの書いた「昭和天皇論」と言う本を渡され、読んでみた。
五年前の八月、終戦から70年
日本のいちばん長い日
そんな映画があった。わたしはその映画を見た。そしてブログも書いている。
日本のいちばん長い日 映画を観た。。。

あれから5年が経ち、今回、この本を読んだ。
この国は、縄文時代、人々は争いのない国だった。
それが弥生時代になり、米を作るようになり争いが始まった。
その時代のことは分からない。中国の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』中国の歴史書での知るところとなった。

 

争い。その原因はお金だったり人間関係だったりする。
左翼系と右翼系との論争、自分の主張は正しい、それを前提に議論している。
学者の話し合いに終わりはない。平行線が絶え間なく続く。

 

天皇陛下は戦後、日本の象徴となった。
日本の神道の元である。
天皇陛下は祈っている。
「我が国と世界の幸せ」を。

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金・ビジネス・人生の哲学
当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する。志村けんが本気になって語った「ビジネスと人生」の極意
生き残るためには、「常識」で攻めろ!
志村けん五十歳代に出した本「マガジンハウス」
コメディアン志村けん、ドリフターズの付き人時代を経て絶頂期を迎えた時の本である。
最初に自分の人生を24時間一日としたならば今は何時だろうと考えて話をすすめている。
100歳の人生ならば、50歳は昼間の12時
80歳の人生ならば、40歳が昼間になる。
わたし60歳、もし80歳まで生きるならば、私の人生を一日でみると、夕方の6時、夕暮れ時だ。

だいじょうぶだぁ・変なおじさん・ひとみばあさん
お茶の間の人気者志村けん、素顔は真面目な人のようだ。

様々なギャグが、志村流に計算された笑い、大人から子供までが笑えるようにと考えていた。

非常識な行動が、実は常識的な人間のアイデアから生まれてきた。

真面目だからこそ、不真面目な志村けんを演じていた。


「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
今回、志村けんの本を二冊読んだ。
テレビでは志村けんの追悼番組を流している。
21世紀、人の死が見えなくなっている、そんな気がする。
肉体は消えてもバーチャルで生きている。

それは、芸能人でなくても、少し前まで一緒に走った仲間もFBの画面に現れ話しかけてくれる。

それは良いのか悪いのか分からない。

やがて自分も。

「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。

時代は21世紀になり、様々な事が変わってきた。
しかし、肉体は何時かは滅び、新しい人々は次の時代を生きて行く。
今、私たちはどう生きるのか?
過去に感謝し、未来に何を残すのか、考えるときだ。

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人に感染する「コロナウイルス」として新たに見つかった「新型コロナウイルス」
感染するから「新型コロナウイルス感染症」と呼ぶ。
まったく厄介な病気が流行ったもんだ。
この「新型コロナウイルス感染症」の予防について厚生労働省では、咳エチケットや手洗い、集団発生の防止として「密閉空間」「密集場所」「密接場面」を避けるなど、感染症対策に努めるようにと呼びかけている。
志村けんは、そんな「新型コロナウイルス感染症」で70歳という生涯を閉じた。
今回私は志村けんの本を買った。
そして読んだ。
志村けん「変なおじさん

今から20年くらいに書いた本だろうか、志村けん40歳代後半の時の本のようだ。
目次
★ドリフのメンバーになるまで
★「全員集合」時代
★「加トケン」
★「たいじょうぶだぁ」の新境地
★「バカ殿様」
★お笑いについて
★気になる人、お世話になった人
★変なおじさん リターンズ
★映画の現場
★自分のこと
解説 吉田拓郎

「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
ドリフターズ時代の志村けんのギャグだ。
もともとは近所の子供たちが唄っていたものを、ナカナカいい面白い発想するなと思って使いだしたそうだ。
時代を反映してブームに乗ったのだろう。その頃から、世の中全体が自分さえよけりゃいいみたいな風潮が出ていたと書いてあった。
もういいだろう。とメンバーが飽きてきたのに、放送後視聴者から子供がアレ見ないと寝付かない、子供が泣いている、と電話が来たそうだ。
そして、その次のギャグ
「♪ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね。そうよ、チンチンも長いのよ♪」
これは放送したら直ぐ、お叱りの電話がジャンジャンかかてきたそうだ。
PTAの叔母様が教育上よくないと言うのだろうか?

「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」

「♪ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね。そうよ、チンチンも長いのよ♪」

どちらも教育上は良くないかもしれない。
しかし、子供達は言ってはいけないことを唄うこと、それが面白いのだ。

また、故河合かずみさんの事が少し書いてあった。
32歳で帰らぬ人となった河合かずみさんの事が。
志村けんの交友関係は広い、男優から女優からアイドルから歌手から様々だ。
たった一人の文通友達
くりすあきら君という障碍者の人との文通をしている、そうだ。
手紙には志村けんのバカ殿さまを見て家族中が楽しんでいる様子が書かれていた。
今ではたった一人の文通相手で、志村けんのコントの感想などを話し合う、ある意味彼の評論家だそうだ。

人生には三つの坂がある。
「上り坂」「下り坂」「まさか」
新型コロナウイルス感染症、まさか志村けんが、そんな病気になったとは考えられなかった。
変な病気が流行ってきた、どこか遠い所の話だと思っていたが、三月テレビのテロップで知った志村けんの死
本の中でも、自分の子どもが欲しいと書いてあった。
子供とバカ殿のメイクで共演したいと。
万物流転・情報不変
志村けんの新しいギャグは、もう見聞きすることはできないけど、テレビで追悼番組を放送している。
本も出している。
情報不変である。
次は、志村けん「志村流」を読むことにしよう。
 
偉大な日本のコメディアン
志村けん
ご冥福をお祈り申し上げます。
そして、今まで楽しい笑いを
ありがとうございました。

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八時だよ、成員集合!!
土曜の夜八時、お茶の間の人気番組、ザ・ドリフターズ、子供の頃の楽しみだった。

ザ・ドリフターズといえば、いかりや長介がリーダーでメンバーは荒井注・高木ブー・仲本工事・加藤茶が定番のメンバーだったが、何時しか新井注に変わって志村けん がメンバーに加わっていた
その志村けんは、東村山音頭で人気が上昇して行った。

時代は流れ、志村けんは令和2年3月17日に倦怠感を訴え、自宅で静養。同月19日に発熱と呼吸困難の症状が出始め、翌20日に訪問診察をしたところ重度の肺炎と診断され、入院、その肺炎とは後新型コロナウイルス感染症だった、その志村けんは入院先で死去した。享年70歳だった。

志村けんの追悼番組がテレビで放送されている。
まるで、亡くなってしまったことが嘘のようだ。
先日志村けんの本をアマゾンで注文した。
・変なおじさん「完全版」
・志村流ー当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対成功する
・志村流ー金・ビジネス・人生の成功者

八時だよ、成員集合!!
この番組からだろうか、アイドルもコントに参加するようになった。
あのテレサテンも出ていた。
特に高木ブーテレサ・テンと親交が深く、テレサ・テン高木の家族ともつきあいがあったそうだ。

そんなテレサテンの本も注文した。
テレサテンが見た夢

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バスのなかで
この地球は一万年後どうなるかわからない
いや明日どうなるかわからない
そのような思いで、こみあうバスに乗っていると
一人の少女が綺麗な花を
自分より大事そうに高々とさしあげて乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つまっ白い花であった
坂村真民詩集「宇宙のまなざし」のなかの詩である。

坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)[1]。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
ウィキペディアから

7月5日日曜日
西鹿島駅から18時25分発の北遠バスに乗った。
料金800円、相月駅までの約一時間のバスの乗車
北遠バスの運転手さんは水窪に暮らす人、今年の佐久間駅伝で山香チームの慰労会で知り合った人だった。
たとえ地域がどうなろうと
ぎりぎりの時まで
助け合って暮らしていけたら
と、思う。

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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