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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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サブタイトル
ぼくはこんなことを考えながら話してきた。

1973、昭和48年にNHKに入社した池上彰さんがジャーナリストとしてキャスターとして仕事をしてきて自分なりに、テレビの向こうで観ている人に、如何すれば伝わるだろうか?、そう思ってきたことが綴ってあった本だった。

★ひとつの文章はひとつの意味・内容を書く。
★短い文章を積み重ねる。
★文章を目で追うのと声に出すのは違う。
★伝える相手に想像力が欠けるとコミュニケーションは失敗する。
★大事なことは、相手への思いやり。

読むニュースから、語りかけるニュース
と自分の体験を話している。
わかりやすく説明するための五箇条
・むずかしい言葉をわかりやすくかみ砕く。
・身近なたとえに置き換える。
・抽象的な概念を図式化する。
・分けることは、分かること。
・ばらばらの知識をつなぎ合わせる。
池上彰さんが「週間こどもニュース」で考えていたことだ。

瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件
そんな事件の話があった。
「亡命」とは?どうして亡くす命と書いて亡命というのか?
この本では
「命」とは戸籍のことなのです。と書いてある。
自分の暮らしている国を出る、自国の戸籍を亡くすこと、だと。

キャスターは意見を言えるのか。
池上彰さんは「言うべきではない」と答えています。
キャスターは事実を伝える、分かりにくいことを分かりやすくかみ砕き語りかける。
そんなとき「私は、こう思う」と意見は言うべきではないと言っているのだろう。
「週間こどもニュース」で子供達にわかりやすく伝えるために氏が考えたことだ。
 瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件
この事件で、子供達はどの様に感じただろう?

「亡命」
日本人には亡命する人はいない。
この国は自由だから、何処の国にも行くことが出来るのです。
亡命する必要が無い国に暮しているのです。
「命」→「戸籍」
戸籍とは、戸と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。


 

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我が家は曹洞宗、なんとなくわかってはいたが、仏教、この本を読んでわかってきた。
先日『歎異抄』(たんにしょう)を読んだ。
そんな話を東林寺の僧侶として「浄土真宗、親鸞の教え」と話してくれた。
私は????だった。


仏教のこと、まだ分からないことが多い。そんな疑問に答えてくれる本だった。
比叡山にある延暦寺が総本山の 「天台宗」最澄
書の達人、空海が開いた    「真言宗」空海
念仏を唱えれば救われると説いた「浄土宗」法然
親鸞が開いた        「浄土真宗」親鸞
ナムアビダブツ
「禅問答」を行う       「臨済宗」栄西
ひたすら座禅することを説く  「曹洞宗」道元
「法華経」を大事にする    「日蓮宗」日蓮
ナンミョウホウレンゲキョ
等々。


仏教はもともとインドでブッタから広まった。
中国から、その有り難い御経をもちに行った三蔵法師の話は有名だ。
中国から日本に仏教はやってきた。
日本独自の仏教が広まった。

最後、この本で池上さんが仏教の発祥の地、インド、ダムサラへ行き中国チベット自治区から亡命してきた僧侶と対談する。
仏教を本来のまま受けついだチベットの人たち。
チベットでは高僧の後継者は「生まれ変わり」の人が選ばれる。日本のように世襲制ではないのだ。輪廻転生の考え方が続いている。

最後、
「仏教を知ることは己を知ること。そして、日本を知ることです」
池上さんの話が続く。
そういう私も以前、クリスマスの直前に来日したヨルダン人の研究者に「多くの日本人はクリスチャンでもないのに、なぜクリスマスを祝うのか?」「神も信じていないのに、日本人のモラルはどうやって保たれているのか?」と問われ、日本人の宗教観や仏教についてうまく答えられなかった。
とありました。

日本に暮らしていると、自分の地域だけで暮らしていると。
日々やっていることが、アタリマエと感じる。
しかし、他の国、他の地域から見ると、それはアタリマエでなない事もある。
幼き頃、朝起きて顔を洗って仏様にお茶を祀る。
朝忙しいとき、めんどくさいと思ったこともある。がアタリマエにやっていた。
親が先祖を敬い、子も親を慕う。
東林寺から頂いたマッチ箱に書いてあった。
『手を合わす 親の姿に子が学ぶ』

この本に出会い、仏教について学んだ。
明日、東林寺に行ってみよう。
お墓参り。

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鈴木健二氏、昭和4年生れ。
NHKアナウンサー時代、クイズ面白ゼミナールなどで顔を拝見していた。
そんな人の本に出合った。
最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。
現代91歳、東京大空襲の経験者、人が無残に死んでいく現実を自分の目で見て感じたことを綴っている。
様々な経験をし、「ありがとう」の言葉に感謝し今の時まで生きてきたと書いてある。

ヤクザの世界に入った若者から来た手紙のこと。
ドイツで出会った三歳くらいの少女が、大人になって感謝の言葉を言われたこと。
熊本、青森での過疎地域の活性化に奮闘したこと。
18歳の頃、弘前で戦争孤児の寮で出会った洗濯をしていた女の子の目の輝きから、自分は如何して生きていこうかの問いに50歳代で決めボランティア活動に生きてきた話だった。


「ありがとう」は魔法の言葉。
そう、本当にそう思う。

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池上彰とホセ・ムヒカが語り合った本。
「ほんとうの豊かさって何ですか?」
日本人のメッセージ
なぜ幸せなのか?恐れでななく「希望」をもっているからだ。
池上彰著
角川文庫

 

南米ウルグアイ、ホセ・ムヒカ大統領、この人が一大有名になったことは2012年6月20日の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」会場で行なった演説からだ。
詳しくはYouTube↓↓↓
世界でいちばん貧しいムヒカ大統領によるリオ会議(Rio+20)スピーチ

このスピーチを聞いて、なるほどと思った人は多いと思う。が、時間が過ぎるにつれて忘れ去っていく。
このリオ会議の前の年、2011年3月11日東日本大震災があった。
人はものごとを考え、覚えては忘れていく。
しかし、ネットの時代、ネットに様々な事が残っている。
忘れてはならないこと、次の時代を考えること。

なぜ、政治への参加が必要か?
「格差をなくすのは政治の役目」
「人の幸せは政治がつくるもの」
政治家にはその責任がある。しかし、その政治家を選ぶのは私たちです。
なぜ政治への参加が必要か、一緒に考えましょう。
あなたが、世界の人々が幸福を感じられる社会に。
池上彰とホセ・ムヒカが語り合っている。

 

私たち走る仲間もみんなの「幸せ」を語り合っている。

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中高一貫校に入学した、渡良瀬まみずは発光病という病になり中学校一年の五月から学校に来なくなった。
今、高校一年、渡良瀬まみずの励ますために寄せ書きを送ろうと対案が出た。
そんなことから物語は始まっていく。

難病で、余命宣告されている渡良瀬まみず、寄せ書きを持ってきてくれた岡田卓也に死ぬまでに自分がやって見たかった事をやってもらう。バンジージャンプ・メイド喫茶のアルバイト・遊園地に行く、等々。
親の離婚で苗字の変わったまみずは、お互いを名前で呼び合うのだった。

17年間を生きた渡良瀬まみずは天に上って光り輝いた。
遺った岡田拓也、香山正隆 が何を思ったか。
そんな青春物語だった。

岡田卓也と香山正隆の関係も面白い。
そんな内容。
「時が輝くとき」そんな本を読んだことがある。
青春、それは人生のある時を、言うのでは無いのだナ~。

「君は月夜に光り輝く」を・・・読み終わった。
次はDVDを借りて映画を観ようと思っている。

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読書、如何してするのですか?
夜、頁をめくる。朝、目を通す。大切な時間少しずつ使う。
森信三先生が言っている。
 人が生きていくために身体に栄養をとるように、心にも栄養を取らなければならない、それは読書だ。
本を読まないのは、心に栄養が行き届かない状態だ、心が栄養失調なのだ。
と。

「君は月夜に光り輝く」
発光病、不治の病で余命宣告された学生の恋愛物語、かな。

とにかく、こんな本が私の下に来た。
2020年9月9日水曜日の夜、頁をめくり始めた。

「昭和からの遺言」鈴木健二を読んだ。 
91歳鈴木健二さんが話している。
「感動なしに人生はありえないと」

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鈴木 健二(1929年1月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ[1]、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。
兄は映画監督の鈴木清順。
ウィキペディアから

昭和4年産まれの鈴木健二さん、今年91歳になるという、そんな人の戦争経験者の鈴木健二さんの本
「昭和からの遺言」を読んだ。
東京大空襲の時には壮絶な、人間が焼けて死んでいく、そんな状態だったという。
目の前で火だるまの人が息絶えて死んでいく状態を目の当たりにした経験を自分に生かし60歳からは自分だけのために生きる事を辞めた人だ。
人の為に生きる。
本の中では、
十代で自分を発見し、二十代で自分に夢中になり三十台で妻や夫を愛し、四十代で家族を育て、五十代歳を人生の頂点とするのが最良。七十五歳までは働くが、六十歳からの人生は誰かのために生きる、と書いてありました。
そして、有言実行、そのように生きた人です。

SNSでは、LINEなんかでは、軽い情報であふれている。
重い情報は非難され、関わりたくないとサヨナラする。

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落合陽一1987年(昭和62)年生れ。メディアアーティスト、今年33歳になる学者の本だ。
この本を読もうとしたのは、武田鉄矢の 「三枚おろし」を聞いたからだ。
本当は「日本最興戦略」を買いたかったけど、何故か「日本進化論」を読んだ。

落合陽一の平成の終わりに書いた本、次の時代はどう生きるべきか、と。
平成の時代は・大震災・不景気・少子高齢化・リーマンショック・社会保障費の増大など様々な事があった。
これからはイノベーションを活かすとか。聞きなれないカタカナ言葉が多かったけど、斬新奇抜な若者の本、読んでよかった。

歴史を学び、今を考え、未来に希望をもたせる著作だ。

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8月8日
友さんから一冊の本を渡された。
「天皇論」小林よしのり
その友さんはその前「昭和天皇論」という本も読んで見ないかと渡されたことがある。
「昭和天皇論」を読んだ。 
このようなブログを書いた。

小林よしのり氏は私が子供の頃「おぼちゃまくん」という漫画で知っている人だ、田園調布学園のギャグマンガだ。
そんな人が書いた「天皇論」どんな内容だろうか?
序章
わしが「君が代」を歌うようになったわけ
著者はプロレスファンだった、しかし試合前の国歌斉唱には起立しなかったし斉唱もしなかった、そんなところから話が始まっている。
古くから知れたこの歌は他の人の長寿を祈る歌だった。
君が代の原歌は古代「古今和歌集」に出てくる。そして今に続く。

君が代は 千代ちよに八千代やちよに さざれ石の 巌いわおとなりて 苔こけのむすまで

そして日本の天皇の話が始まっていく。

日本と言う国は、縄文時代は主に狩り生活を営んでいた。
弥生時代になり、稲作が始まり定住するようになり、様々な集まりが出来、争い起こるようになる。
その当時、日本には文字が無かったため、お隣の中国の歴史書「魏志倭人伝」で知ることになる。
この時代には、まだ日本と言う名前は無い。
弥生時代後半日本を一つにまとめた。そして古事記と日本書紀を作った。
だぶん、そうだろう。

9月
友さんから、次はどんな本を渡されるだろうか?
だぶん「戦争論」かな?
日本の神話「古事記」かな?
イザナギ、イザナミの国生みの話になるのだろうか?

「天皇論」小林よしのり
まだ途中、佐久間猛暑だけど頑張って続きを読もうと思う。
しんしん

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「他力」とは阿弥陀如来の本願力のこと。
仏さまの願いとはすべての人を本当の幸せにしたいという願い。
お寺や神社に行き願いをお祈りするとき自分のことや家族のことばかりではなく多くの人の幸せを願うこと。
先日読んだ「歎異抄(たんにしょう)に書いてあった。
『歎異抄』(たんにしょう)を読んだ。

昔、佐久間中学校の卒業生が集まるLINEのグループでの話し合いの時に
「ありがとう。言われるように言うように」
と投稿したときがある。
同級生の和尚さんが
「浄土宗、南無阿弥陀仏の他力本願ですね。新間君は、違うと思いますか」
ときた。

他力本願(たりきほんがん)
①.仏教用語。阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること 。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。
②.人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。
ウィキペディアから
本来の意味は①なのに、最近では人まかせ、そんな感じで使われている四字熟語だ。
 

また、このような説明もあった。
他力本願(たりきほんがん)
① (他力すなわち本願の意) 仏語。自己の修行の功徳によって悟りを得るのでなく、もっぱら阿彌陀仏の本願によって救済されることをいう。
日本国語大辞典の解説

今日は相月のお寺「東林寺」にお邪魔した。近藤所蔵によって、比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶。酒井雄哉(さかいゆうさい)師の本を読んできた。
一日一生
一日の修行で草鞋が一足ダメになる。一日草鞋が頑張ってくれた。
そんな草鞋に感謝でっきる生き方、酒井雄哉(さかいゆうさい)師の本で学んだ。
比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶。酒井雄哉(さかいゆうさい)師、そんな人でも威張ることのない人柄に
「他力本願」本願力
を感じた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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