この本は二年前、職場の人に勧められて読んだ本だ。
感動した。
百田尚樹の「影法師」を読んだ。
今回、いい本だから自分の手元にも置いておきたいと思いブックオフで購入した。
そしてまた読んだ。
江戸の時代、米が全てだった。
侍の階級は石高で決まった。
一石は米1,000合
一食成人が食う米の量が一合、一日で3合、一年間で
3合×365日=1,095合
一石とは成人1人が1年間に食べる米の量なのだ。
下級武士の子、勘一が竹馬の友 彦四郎と刎頸の契りを結んだのは百姓一揆の為、百姓の親子が処刑される現場を見に行った帰りの出来事だった。
当時、百姓一揆をおこすということは厳しい年貢米に絶えることが出来なかったから。主犯格の百姓は妻、親、子供も同罪として処刑されたのである。
その様な光景を見に行った帰り、勘一と彦四郎は刎頸の契りを結んだ。そのとき勘一が政(まつりごと)の話をした。大放潟を新田に出来ないかと言った。
勘一は五歳の小さな吉田(きった)の死に際を見て、万作(まんさく)が泣きながら息子の名前を叫んだのを聞いて、茅島藩がなすべきはそれだと言った。
そして勘一は彦四郎に、その夢を託したいと思っていると。言った。
しかし、二人の生き方は違った。
彦四郎は影法師の様に生きた、そんな物語だった。
日本は、そんな時代を経て今の平和な世の中に続いている。
私たちが生きている、この時も何時の日か歴史になる。
私の暮らした横吹の段々畑も、先祖の積み上げた一つ一つの努力の結晶なのだ。
この本は、本を読んでくれた人に最後、訪ねている。
君たちは、どう生きるのか。
と。
そして自分は、どう生きるのかと考えた。
その前に、自分はどう生きたのかと振り返ったのが「ほくえんの風」なのだ。
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎の小説。
この本は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において書かれた本である。
1930年(昭和5年)
この本は昭和恐慌のときに書かれた本だ。
好景気から急速に不景気になってきたとき、この本は書かれた。
1930年代には昭和恐慌、不景気、「 モノが売れなくなる 」 ことで、失業者が増えた、 倒産する企業も多くなる。
その不景気の中で、日本国内では軍部がさかんに 『 大陸進出( 侵略 )を行えば、不景気から脱出できる 』 と説い た。
それは
・大陸進出には軍事力が必要になるので、軍事産業が活発になり、失業者を救うことになる。
・大陸進出によって植民地を獲得できる。
・植民地で日本で売れないものを売りつける( = 新たな市場となる )ことができたり、植民地から 原料や食料を安く手に入れることができたり、植民地の人々を安い賃金で働かせたり ―― などメリットは大きい。 と。
そんな時代を経て、1941年(昭和16年)12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。
そして、1945年(昭和20年)8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)が流れ戦争は終わった。
終戦後、日本人は日本を復興させた。
君たちは、どう生きるか。
そんな本が出てから、日本はどうなったのか、歴史は物語っている。
今こそ、コペル君が書いたノートを思い出す時だ。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけらばいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。
原文まま
コペル君は親友を裏切った。
そう感じて悩んだ。
卑怯者・卑怯者・卑怯者~。。。。
悩んで悩んで悩んだ。
卑怯者・卑怯者・卑怯者~。。。。
しかし、
誠実に対応して、友だちと仲直りした。
裕福な人、親の手伝いをしなければ学校に通えない人、様々な友だち親友の絆が深まった。
最後、コペル君がノートに書いた。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけらばいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。
原文まま
そして最後作者は、この本を読んでくれた人に訪ねている。
君たちは、どう生きるのか。と。
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎の小説。
この本は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において書かれた本である。
「雪の日の出来事」
裏切り、コペル君は友達を裏切った。
コペル少年は、そのことで悩んだ。
ーしかし
僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。
そして、コペル君、君のいう「人間分子の法則」の運動が、他の物質の分子の運動と異なるところも、また、この点にあるのだよ。
原文まま
君たちは、どう生きるか。
コペル君の御父さんは、早くに亡くなった。
コペル君お御父さんは、義弟に自分の一人息子を立派な大人にしてほしいと願って他界した。
そして、この物語は進んでいる。
親が子に繋いでいくこと、それは命だけではない。
「ナポレオンと四人の少年」
コペル君が友達数人と友達の家に行き、そこの姉さんに勇敢な「ナポレオン」の話を聞く。
そして家に帰り、オジサンにその話をした。
そして
オジサンのノートで、そのナポレオンの話を詳しく語っている。
ナポレオンの生涯、貧しい少年時代があり、ナポレオンの活躍したときがあり、捕らえられ島流しにされてこと。
英雄と言われる人たちは、非凡な人たちだ、普通の人たち以上の能力を持ち、普通の人以上に努力した人たちだ、と。
君たちは、どう生きるか。
戦前、比較的裕福な少年「コペル君」に、立派な大人になって欲しいと、オジサンのノートで語りかけている。
その後、日本は戦争があり、敗戦を迎えて考え方が変わってきた。
でも真実は一つだ。
おじさんのノート
「人間であるからには」
-貧乏ということについてー
昭和初期に育った少年コペル君は成長した。そんな時、家の手伝いをして学校に通えない友達のことを知った。
そのことをオジサンに手紙で話し、そのオジサンがノートに書いた。
学校でのイジメは、ほとんどがみんなとは違うことで仲間外れにされやがてイジメへと発展する。
その当時は貧乏だからと仲間外れにされた、友達の家に行ったコペル君だった。
おじうさんのノートには、貧乏な子もコペル君もお互い素直な性格だから良い関係が持てたのだと書いてあた。
また、貧乏な少年の家に働いている人がいる、こと。そうその人より、もっと貧乏な人がいる。
今の現代の時代に生きている日本人が、そんなことを感じているだろうか?
日本人が働くことを嫌がる外の仕事、いわゆる3Kと言う仕事(「きつい」「汚い」「危険」の頭文字を取ったもの)を東南アジアの人たちが働くようになった。
最後に、オジサンがコペル君に質問を出している。
決して、人には聞いてはいけないと。
その答えは、大人になっても分からないかもしれない、と。
君たちは、どう生きるか。
昭和の初期に書いた物語だ。
今の大人に読んでほしい物語だ。
「貧しき友」
コペル君の同級生に、みんなと違う同級生が居ることを知った。
自分は普通に学校に行けるのに、その同級生は家庭の仕事を手伝わなければいけないので、学校を休んでいる。ことを知った。
3「貧しき友」
この章は、おじさんのノートの手前で眠くなったので、そこで本を閉じた。
世界を俯瞰してみると。
日本は恵まれた国だ。
走る仲間が、灼熱のサハラ砂漠を6ステージで約230Kmを走破する、そんなのを走ったと言っていた。
サハラ砂漠の真ん中で、現地の住民に歌や踊りの歓迎を受けたと話していた。
年頃なら20歳前後の女性が裸同然で、子供をおぶっていたという。
その人は、そこ光景を語ってから、私に言った。
「あっちの人でなくて良かった」と。
君たちは、どう生きるか。
半世紀以上前の、本だ。
当時の時代を生きる子供たちに「どう生きるか」を語りかけた本だ。
君たちは、どう生きるか。
この本が、半世紀以上読み継がれている。
今現在、コロナウイルスで世界が揺れている。
感染症の脅威は、発展途上国で心配されてのことだが、先進国での蔓延が問題になっている。
コペル君が貧しき友がいるっ事を知って、コペル君が感じた世の中の不条理、そんなことをオジサンはノートにどんなことを書いただろう。
君たちは、どう生きるか。
この題名のことは自分に語っている言葉だと思って読み進んでいる。
森町三倉「勉強会」も自分はどう生きて行けばいいのかとの難題の答えを求めて通っていた。
この本は「生きるために本当に大切なことはなんなのか」そんなことを考えていく哲学の本です。
昭和の初期、比較的裕福な少年コペル君と、そのオジサンとの話で物語は進んで行く。
コペル君はデパートの屋上から下を見て、人の営みを観察する。
そしてコペル君は、一人ひとりが協力して社会を築いていくのを感じた。
その感じたことをオジサンと話し、そのオジサンはノートに綴った。おじさんノートだ。
物の見方について
潤一君。
今日、君が自動車の中で「人間て、ほんとうに分子みたいなものだね」と言ったとき、君は、自分では気がつかなかったが、ずいぶん本気だった。君の顔は本当に美しく見えた。しかし、僕が感動したのは、そればかりではない。ああいう事柄について、君が本気になって考えるようになったのか、と思ったら、僕はたいへん心を動かされたのだ。・・・・・。
原文から抜粋
子どものうちは誰でも、自分中心で考える。広い世界を知らないから、それは当然だと思う。
それが大人になると様々な事が分り、自分中心ではいられなくなる。
オジサンはコペル君が、広い世の中で自分中心と考えなくなり「自分は一分子だ」そのように思った事に感動した。
この物語は、昭和の初期に書かれた話だ。
この物語が書かれて、現在半世紀以上の月日が流れている。
アメリカではトランプ大統領が「アメリカ第一主義」と言って当選した。
東京では「東京ファースト」と小池都知事は言った。
また、静岡県知事はリニヤのトンネル工事で静岡県の水問題を叫んでいる。
アメリカの大統領はアメリカのこと。
東京都知事は東京都のこと。
静岡県知事は静岡県のこと。
それを考えるのはアタリマエ。しかし、それでいいのでしょうか。
君たちは、どう生きるか。そこに出てくるオジサン、その人は大学を出てからまだまもない人です。
20歳代前半でしょうか。
日本人には、このような人がいた。
君たちは、どう生きるか。
オジサンは、コペル君だけに問いかけているのでなない。
今を生きるみんなに問いかけているのだ。
佐藤富雄さんの本は「ありがとう」は魔法の言葉と言う本を読んだことがある。今回佐藤富雄さんの本は二冊目。
この人が一貫して言っているのは「言葉が思考をつくり、思考が人生をつくる」だ。
自分の出した言葉で、自分の自律神経に思い込ませること。
「自分はバカだから」そう言い続けるとバカな人になる。
「自分は頭が良い」そう言い続けると頭が良い人になる。
人生は考え方ひとつ。
今はこのような状態だ。この環境で自分なりの「快」を見つけて行動していこう。
「言葉が思考をつくり、思考が人生をつくる」
ネガテブな言葉を言わない様にしよう。
夫のちんぽが入らない衝撃の実話
そんな本に出合った。人とは悩みとは様々だまさに千差万別、そう思った。
そんな作者こだまは、北海道の最果ての地から地方都市の大学に入学、そこで知り合った彼との話だった。
こだまは最果ての地の一刻も早く脱失したかった。そして都会の暮らしに便利な暮らしに憧れていた。
浜松市に合併して浜松市の最果ての地になった佐久間町も、そんなこだまのような考えの人が多い。
便利な生活は蜜の味、コッチの水は甘いぞっと囁きが聞こえる。
こだまは、自分の故郷をおしまいの地として、今回の「ここは、おしまいの地」を、これまで経験してきた著者の半生を描いている作品だ。
中高年になったこだま、パソコンがあればおしまいの地でも仕事ができる。
最後、そんな話があった。
浜松市の最果ての地「佐久間町」ここにも帰って来る人がいると信じて、暮らして行こうと思っている。
「ここは、おしまいの地」こだま
次の作品は、こだまがおしまいの地で暮らしている内容ではないかと思う。
今、コロナウイルスが蔓延して東京での暮らしが大変みたいだ。
一局集中、この問題をコロナウイルスは問うているのでなないか、東京都知事が言った「東京ファースト」
東京だけが日本ではない。と、私は言いたい。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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