百田尚樹が2016年に書いた寓話「カエルの楽園」今、4年の時を経て「カエルの楽園2020」が小説家になろうのページで土日限定で公開されると聞き早々に読んでみた。
ハッキリ言って面白い。だけど笑えない話だ。
今回の「カエルの楽園2020」は今の日本の状態をカエルに例えての愚話だ。しかし前回のと少し違う。
去年の暮れに中国でコロナウイルスの話が出て、今年になって中国のコロナウイスルが危ないと思っていたが日本の国会では野党が与党の批判ばかりしている。
今回、与党の悪いところ、トップの批判もある。忖度、ウシガエルがナパージュにハエを持ってきてくれる、こと。
この本の中で、安倍首相が「百田さんの影法師が好きだ」と書いてあった。
『影法師』は偶然本屋で出会ったと書いてあった。そんな百田さんと対談できることに不思議な偶然な御縁を感じると書いてあった。
そしてその二人は、日本を世界の中で輝く国にしようと語っている本だったと記憶している。
「カエルの楽園2020」愚話では最後、前回の「カエルの楽園」と同じ様に、ナパージュのメスのツチガエル、ローラは死んだ。
今現在、コロナで人の移動が制限されている。
最後、ソクラテスとロベルトがやせ細ったローラにいった言葉
「ローラ、もう自由に移動してもいいんだよ。それにハエも差し出さなくてもよくなった」
移動の自由を認めていた国ナパージュ、その結末。自由は大切なことだ、しかし、その自由には責任が必要だ。
1970年(昭和45年)11月25日に、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた。後に割腹自殺をした。
三島と楯の会の隊員1人が切腹自殺した。
そのとき三島由紀夫は何を訴えていたのか?
当時バルコニーにでの全文
おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(中略)
おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。
ウィキペディアから
この時、隊員のヤジで三島の声は聞き取れなかったという。
才能に恵まれ、作家として男として人生を真直ぐに生きた男、三島由紀夫。
「万物流転」
この世にあるすべてのものは、絶え間なく変化してとどまることがないということ。の意味。
人生もそうだ、いつか必ず死という日が来る。
三島由紀夫は自分の人生をも一つの小説の様に劇的な最終章で締めくくった。
「情報不変」
情報は変わらない。三島由紀夫が遺した文学は小説は語り継がれている。
「運命を拓く」「ほんとうの心の力」「怒らない恐れない悲しまない」
中村天風という人物とは
日清日露戦争当時は軍事探偵として活動するも、戦後病(結核)を得て人間の存在そのものを理解すべく世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復する。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝える使命に目覚め講演活動を開始。現在も公益財団法人天風会(中村天風財団)としてその教えは引き継がれている。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。
心身統一道を提唱。
ウィキペディアから
「ほんとうの心の力」
「船に乗ったら船頭任せ、病気になったら医者任せ」
病気だと、あれこれ迷わずに、専門家に任せておけと言う格言
今の世の中、スマホで専門知識が分り、自分で知ったかぶっている人が多い。
「物言えば唇寒し秋の風」芭蕉
人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くということ。
「丸い卵も切りようで四角、もののイイヨで角が立つ」
丸い卵も切りようで四角とは、同じ意味のことを言うにも、言い方によって受け取られ方が違ってくるというたとえ。
自分の肉体を自分の自分の肉体だと思ってはいけない。あくまで自分の魂の借り物なのです。
例えば借り物の肉体が、病になった、癌になったとする。癌を治癒することは大切なことだ、しかし魂までも病になってはいけない。
魂がハツラツとしていれば自然治癒力で病から逃げていく、そんな考え方だ。
真の平和とは
の頁で
「請う先ず隗より始めよ」
大きなことはまず身近な事から始めなさい
とある。
真の世界平和建設の重要な要素は、いうまでもなくすべての個人個人の家庭生活をまず真に平和なものとすることに努力すべきである。
原文まま
心身一如
その基礎には,東洋の宗教の修行法や東洋医学の考え方がある。たとえば,禅やヨーガや道教などの瞑想(めいそう)法や修行法は,心の働きと身体の働きが一体になった〈心身一如〉の境地を理想として追求している。また東洋医学の考え方は宗教と関係が深い。
コトバンクから
沢木耕太郎の本は「深夜特急」から好きになり読んだ。今回、この本は森町三倉での勉強会のときに知り合いから頂いた。
ベトナムの一人旅、ホーチミンからハノイまでを国道一号線をバスで旅する物語、だ。
ベトナムといえばベトナム戦争があった、アメリカ軍がベトナム軍が潜む森林に『枯葉剤』をまいた話が昔あったと記憶する。
ベトナムは、もともとはフランスの植民地だった、それが第二次世界大戦がはじまり、戦争の時代のとき日本軍も進駐した、
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦を迎え、日本軍が去った。ベトナムではホー・チ・ミンが独立宣言をおこない、「ベトナム民主共和国」が誕生、しかし、ベトナムはフランスの介入で争い事が収まりませんでした。そして1954年(昭和29年)北緯17度線を停戦ラインとしてベトナムを南北に分かれたそうです。
様々な争い、ベトナムにアメリカが介入、ベトナム戦争は壮絶さを増していった。
アメリカ軍が『枯葉剤』をまき、ベトナムではその後奇形の子供が生まれるようになる。
その戦争は、表面的には「北ベトナム」対「南ベトナム・アメリカ軍」の戦いでしたが、本質的には「共産主義」対「資本主義」の戦争だった。
5分でわかるベトナム戦争
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4522
参照
本では、旅の途中、日本人の墓と出会う。
昔読んだ本、櫻井よしこ「何があっても大丈夫」そこに、櫻井さんがベトナムで暮したことが書いてあった。
戦争で『枯葉剤』をまいた事実、その影響で、下半身がつながった結合双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」そんな報道の記憶がある。
今、武漢にある研究所から新型コロナウイルスが外部に漏れたのではないかと、トランプ大統領が中国を批判している。
いい加減、愚かな戦いは辞めてほしい。。。
この本は、森町三倉での「勉強会」で、ある知り合いから頂いた。
森信三先生の言葉に
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』
と、ある。
本との出会い、人との出会い。
天からの声が聞こえる。
「125号線を北上せヨ」
「秘境遠山郷を行く」埋もれた記憶を探しに。
ページを開いて、この言葉が書いてあった。
はじめに、遠山郷との出逢い。都会での秘境ツワー、それで秘境に出会い、都会では感じられない癒しを得る。
その人は平成22年(2010)6月から遠山郷に通いだしたと書いてある。
中央構造線の谷・遠山様・豊かな森林資源・明治イギリス人が行くーアーネスト・サトウの旅日記・明治25年の宿帳ー429人の宿泊人情報・と続く。
次に
戦中戦後の当直日誌・学校日記ー木沢小学校
興味深い内容がある。そんな日誌を遺した木沢の人々。それを発見し一冊の本に記した著者、長野県の下伊那の遠山郷の当時の様子が観得る。
なかでも
昭和19年の宿直日誌
4月24日
I先生に召集令状が来る。
4月26日
送別会
4月28日
出征を見送り。
などがある。
学校からの戦争の記憶である。
「限界集落」
限界→これ以上は無理、ギリギリのこと。
「限界集落」集落の死の直前、という意味なのか。
今、コロナで芸能人が亡くなった。
人の死に、現実感が希薄になった。
「限界集落」を提唱したのは高知大学名誉教授、大野晃先生だ。
最後、筆者が「チャレンジマラニックin遠山郷」を走ったとある。
山本 周五郎(1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年) 2月14日)日本の小説家。
この人の言葉を知った。
人生とは?
『人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。』
今日はオンデマンドで、その山本周五郎「さぶ」を観た。
幼いころ両親を失って天涯孤独の栄二、愚図でのろまなサブ、二人は支えあって表具屋の仕事に精を出す。
そんな栄二が、罪をきせられ人足置場に流される。人を信じられなくなり心を閉ざしていく栄二、お金の力で自分の心を売る役人、女を女郎屋に売り飛ばした男が、女を助けるために死んだ、人の心に何かを感じた。
「サブ駆けようぜ」
いくら頭の良い奴だって、自分の背中を見ることはできないんだ。
山本周五郎「さぶ」
人の数だけ人生があり、人の数だけ幸せがある。
いい作品を見た。
遺伝子スイッチONの奇跡
そんな本がやってきた。
「自分の奥深くまで届くような”我を忘れる深い祈り”は、眠っている潜在的な力を呼び起こすのです」
余命一ヶ月と癌の告知をされた主婦の本当の話し。
子供たちに遺書まで書いて死を覚悟した、その人は、ある本を読んで甦った、そんな話し。
その本は
生命の
暗号
村上和雄
「体重60㎞の人は、約60兆個の細胞を持っている。生れたばかりの赤ちゃんでも数十兆個の細胞を持っている」
「その細胞の一つ一つの中に遺伝子が組み込まれている」
「ヒトの細胞一個の核に含まれる遺伝子情報は三十億の科学情報が書かれている」
細胞一つ一つが遺伝子情報をオンにして身体のあらゆる臓器を作っているのだ。
「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5パーセント程度で、その他の部分はまだわかっていない」
ならばその他の95パーセントのスイッチをオンにする生活を、そんな書き出しだった。
明日は、湖西連峰トレイルラン、飯田線に乗っているとき、この本を読みながら行こうと思っている。
走る仲間から癌になった女性の実体験を書いた本の話を聞いたことがある、その人は「ありがとう」という言葉を言い続けて癌細胞が無くなったという話だった。
全ての臓器や細胞に感謝の言葉を語りかけ、余命宣告をされたその人は十か月後には癌細胞は消えていた。という実体験を書いた本だという。
その本は「ありがとう」100何回の奇跡
多くの出来事が私の周りで起こっている。多くのことを感じている。そんな夜、先日、ありがとうで検索してみたら、こんな本がヒットした。
ツキを呼び運命を開く・「ありがとう」といえたとき、夢が叶う人生が始まる!
「ありがとう」は魔法の言葉佐藤富雄
本の題名より、私に響いたのは著者の佐藤富雄さんの事、知り合いに同姓同名の人がいる、10月の浜名湖を走った時の夜、一緒に酒を飲んだ前職場での大先輩の人と同じな名前だったのだ。
そのときのブログ↓
浜名湖ウルトラ60㎞2019
「ありがとう」は魔法の言葉佐藤富雄著
不思議なことがある、先日サンタクロースの格好で浜名湖半周忘年ラン2019を走った。ウッチャンとラインで話し合ってそんな恰好で走ることを決めた。羞恥心があったが走ってみると。な、なな何と、サンタクロースが次々と自分の目の前に現れるのではないか、ビックリ!
この現象は、この本にも書いてある、自分の意識したものが見えてく現象だという。
感謝の言葉を意識すれば、感謝する自分になる。愚痴や嘆きばかりの言葉を発していれば、そんな人になってしまう。そんなことが書いてある。それも脳科学的に。
私たち人間の脳と身体は常に快の言葉を欲している。よい言葉がよい人生をつくる。
人間の脳には大きく分けて
思考脳→大脳新皮質(人間の脳)
感情脳→大脳辺緑系(哺乳類の脳)
身体脳→自律神経系(爬虫類の脳)
とある。
脳トレなどは思考脳をトレーニングすることだ。
この本では、肯定的な言葉を口から発し、自分の感情脳に働きかける、こと。自律神経にも。
ドーパミン・セロトニン・gaba・ベータエンドルフィン其々の脳内で機能する神経伝達物質をたくさん出して人生を豊かにしよう。そんな本だった。
自分の人生の価値、それは自分が感じること。
また、その人生は其々の人にその人なりの価値がある。
12月、ヒロボーさんの御縁塾(勉強会)
人生の大先輩、そんな人たちとの語らい。自分は謙虚に耳を傾けているつもりだが、集まった仲間には私を謙虚だと思う人もいれば、そうは思わない人もいる。
修身教授録を読んでも感じ方は其々だとは思う。
ヒロボーさんの御縁塾(勉強会)
今回集まった10人、女もいれば男もいる。顔も違えば考え方も違う。
自分の意思で集まった人たち、育った環境も歩んできた道も様々だとは思う。
その、
12月のヒロボーさんの御縁塾(勉強会)隣りの席の山草人さんが小説を書いたというので、お借りしてきた。そして読んでみた。
とても面白かった。
刹那とは。仏語、時間の最小単位。
人生とは過ぎてしまえは、、、、儚いものだ。
深夜特急で書いてあった。
インド、デリーからイギリス、ロンドンまでのバスでの一人旅、地中海を渡るフェリーの舳先で酒を飲み
「飛行よ飛行、汝に一杯の酒をすすめん」
小説を読み終わり。ページを閉じ。題目「時が輝くとき」を見て感じた。
時が輝くとき。
時→時間
時、それは交通事故で車いすの生活になった時枝さんのことだろうか?
速くても遅くても。走ってる人も走っていない人も。若くても年老いても。
其々の人生を輝くものに、その様に著者山草人さんは伝えたかったのではないだろうか。と思った。
東京タワーという本は、リリー・フランキーのと、他にも江国香織の書いた東京タワーもある。
リリー・フランキーの東京タワーをまた読みたいと図書館で借りてきてまた読んだ。
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
同じ本でも、読んだ時の年齢や環境で感じ方が変わる。
本を読むことは心にビタミンを与えることだという。
同じ本を読んでも感じ方は違ってくる。
東京でも佐久間でも人々は必死に生きている。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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