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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。

夢街道90㎞
コース途中にある私の母校「城西小学校」の先にある地域が芋堀
芋堀団地参照↓
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/jutaku/tenryuukushousai/09.html

 

去年の夏
ある人に芋堀エイドの話をした。
:「遠山郷の観光協会の人が協力してくれている。芋堀の人も」
そんな話から、ある人にエイドのお願いをした。
快諾してくれ話はトントン拍子で進んだ。

その年の冬
私が暮らす半場の桜の木を切った。
その切った桜の木にナメコの菌を打った木を多くの人に配った。
その一つを、芋堀の、その人にも持っていった。

先日
芋堀に暮らす姉から電話で、その人が病院に入院していることを知った。
電話口で
「ツトムが言っていたエイドもできんくなった。と心配していたョ」
と。

昨日、仕事が終わってから浜松の病院にお見舞いに行く。
パジャマ姿だが元気そうな様子だった。
芋堀エイドは他の人に頼むことにした。
習字の先生のその人に、なにか書いてもらうことにした。

芋堀エイドには、この文字を書いてもらおう。

水窪&森町三倉

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佐久間ダム往復10㎞
仕事が終わり、今日は佐久間ダムまで走ることにした。
せっかくダムまで走るのだ、佐久間ダム電力館によってダムカードをもらおう。
そう思って走り出した。

佐久間ダム
静岡県浜松市天竜区佐久間町と愛知県北設楽郡豊根村にまたがる一級河川・天竜川本流中流部に建設されたダムである。
工事が着工したのが1953年 完成したのが1956年、わずか三年で完成した。
日本の高度成長時代、電気の時代の幕開けの大事業だった。
仕事も多くあり、多くの人であふれていた佐久間の時代だった。
あれから62年、当時観光客でいっぱいだった佐久間ダムも、昨夜ふった雪がうっすらと残った山々に囲まれひっそりとしていた。

わずか三年で完成した佐久間ダム
その工事で犠牲になった人が居る、慰霊碑には96名の名前が、尊い命が犠牲になった。
自分たちの今の平和な豊かな生活は、このような犠牲の上に成り立っていることを知らなければならない。

佐久間ダム電力館に行くと三名の職員の方がいた。
知った人ばかりだ。
働くところがあり、ココに暮らしていける。
それだけで幸福を感じる。
ダムカードをもらい家路を急いだ。

ダムカードは「夢街道」の初参加者にコースマップを送るときにオマケとしてつけようかと思っている。

ダムカードは一回の入館で佐久間ダムと秋葉ダムのダムカード二枚もらえる。
何回ダムランできるだろうか?

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「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」

わたしと同年代の人は、誰しも口にしたことがある小柳ルミ子の瀬戸の花嫁です。
瀬戸の花嫁の替え歌です。

昨日は、職場の新年会でした(^O^)/
佐久間から車に揺られ浜北まで行き、そこの某食堂での会でした(^O^)/

宴もたけなわ、そんな時、仲間は会場の窓から皆既月食を見ましたが、
わたしは浜北の賑やかな町通りに、華やかなネオンに目を奪われました。

籠に乗る人担ぐ人、そのまた草履作る人
いろいろな立場の人が居る。
暮らすところも様々だ。

「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」
昔、多くの人が、瀬戸の花嫁のように不安を抱えながらお嫁入りをしていた時代がありました。
 
佐久間から浜北まで車で約一時間。
お酒を飲まない人に運転してもらい、お酒を飲む私は、本当に本当に感謝です。

多くのランナーに
様々な地域の人に、
夢街道、参加してもらいたい、大きくなった浜松市を体験してもらいたい。

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昨日は45回目の佐久間駅伝でした。
佐久間ダムの好景気の時、当時佐久間村だったココは近隣の浦川町・城西村・山香村とが合併して出来たのが佐久間町です。
佐久間町の主立った人が、大きくなった佐久間町をタスキでつなげようと45年前に始まった佐久間駅伝を無事に開催することができ体育協会一同ホッとしている次第です。
 
夢街道・夢の道、私の夢は何ですか?
わたしの夢は、過疎の地域に暮らしても希望を持って暮らすこと暮らせること、です。
ですが、私の暮らす佐久間町は平成の合併で浜松市になり希望を持って暮らすことができない、できなくなるのではないかのとの不安があります。
しかし、先のことを憂いているより今を楽しもう!と始めたのが夢街道でありほくえん旅ランです。

今年の参加者、そのランナーをコぺルランナーと呼ばせてもらいます。
何故、その理由は今はナイショです。
佐久間町が浜松市の大きな合併を受け入れた暑い夏の日、リックを背負ったランナーの走る姿を見かけた。次の日、新聞で新浜松市の旧市町村の役場を全て巡って最後に浜松市の市役所を目指す160㎞のウルトラランナーだと知った。
フルマラソンまでは走ったことがあるわたしは
160㎞・・・。
考えられない距離だった。
常識では考えられないことアンビリバボー
 
常識ッテなに。
普通人間は、自分を中心に物事を考える。
走ることが趣味といえる人は、たとえば自分、月に300㎞走りたいと朝に夕に時間を見つけて走り込む。
10年前、フルマラソンをヤットコサ走った自分は、月に100㎞も走ったことは無かった。
そのときは160㎞を走る人を常識外れと考えた。
いま、月間走行距離を300㎞走りたいと思っている自分は、朝に夕に走る自分をアタリマエと思っている。そのように思えるようにFBの走る仲間で刺激を受けて走り込んでいる。
だけど、多くの人から見れば常識外れかもしれない。
コぺルランナー

ランナーはマラソン大会に出ている。
いま、多くのフルマラソンは1万円だ。
横浜マラソンなどは2万円。
日本中の都市でマラソン大会が開催されている。
旅行を兼ねてマラソン大会を楽しんでいる。
そんな都市マラソンで、よく言われるのが経済効果○○○万円
そのため各都市ではランナーを呼び込むため頭を悩ませている。
走るのが好き、各都市が地域の経済効果のために考える。
それはそれでいいのかとも思う。
日本は先進国で豊かな国だ、名古屋ハーフを走った時など外国の女性ランナーが多かった。
しかし、少し考えてほしい。
豊かな国だけど、そんな国に暮していても、走ることを趣味だなどと言ってられない人のいることを。
大きくなった浜松市で駅前は高層ビルが建って栄えているように見えていても、広域合併を推進したために衰退していく地方の村々があることを。

先日の勉強会で
ある人が。
「広域合併を進めた人を町長に選挙で選んだ町民たちが悪い」
FBである先生が
「過疎化の問題はショウガナイこと」
との意見があった。
 
町民が悪い?ショウガナイこと?
2007年、353億円の赤字を抱えて事実上破綻した北海道夕張市。
そんな夕張に暮らす年寄りの人たちに何の罪があるのだろう。
経済発展の頂点に立つ多くの恩恵のなかで豊かな暮らしをする人々は都合の悪いことをショウガナイの一言でかたずけようとする。

コぺルランナーとは
最近注目の「君たちはどう生きるか」の本の中のコぺル君から頂いた。
中学生のコぺル君、そのニックネームはコぺル君のオジサンが名付けた。
地球 中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者、コぺル二スクから名付けた。
その時代に地球 中心説(天動説)が当たり前と思ったいた時に、太陽中心説(地動説)を唱えた天文学者コぺル二スクからだ。
コぺル君に、世の中のアタリマエをそうではないと覆す勇気のある大人へと育ってほしいと願って。

わたしもコぺルランナーには、そのように思ってほしい。
過疎だから、道路整備が滞るのはアタリマエと思わない人に。
多くの人が暮す所はより便利になり、過疎化が進む地方は遅れていく、それをアタリマエと思わないような。
フルマラソンが世の中の人の考えでは長距離(人が走る距離)そんなの走るのも異常だと非常識と考える人もいます。
そんな普通ではないこと、ましては90㎞も走る人。
世の中の普通ではない人。
世の中のアタリマエをアタリマエと思わない人だからこそコぺルランナーと呼びたいと思います。
 
地球に暮らす全ての人が、お互いにリスペクトを持って暮らしていく、そんな世の中が来なければいけない。
優位にある者が下位にあるものを見下して上から目線でしてやっている、そんな考えはおかしいことだと思う。
優位にある者こそが、一段下の世界に下り同じ目線で考える。
 
夢街道90㎞参加者してくれる皆さん。
真夜中に浜松駅南口を走り出し、真っ暗な国道152号線を走り、夜明けは龍山の秋葉ダム湖沿いの道です。
六月の蒸し暑い季節ですが、山間部で迎える朝は小鳥のさえずりの中で心地よい気分を味会えると思います。
西渡(にしど)まで到着すれば、よいよ塩の道です。
楽しい走りとなるよう。
お身体に気を付け走り込み、頑張ってください。
しんしん

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日本列島は寒波に包まれ寒い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。
ただいま参加者4名。
岐阜・愛知・東京の方がいます。
 
私の紹介
10年前の平成の大合併。
国が合併特例法というアメをちらつかせ合併を進めた時代、私が暮らす佐久間は浜松市に合併した。
その浜松市は12市町村が合併し大きな日本で二番目に大きな市になった。
そんな時、その12市町村を、浜松市に合併を決めた12市町村の基の役所を巡り走るマラニックを走る人を見ました。
次の日、静岡新聞で、そのマラニックの記事が載っていた。
新浜松誕生記念160㎞のマラニックだそうだ。
ヒェ~~~。
走ると言っても160㎞
世の中には、そんな人が居るのか~。
そんな思いでした。
その日、そのマラニックを企画した人にTEL
天竜ウルトラマラニックに参加することになった。
そこでフルマラソン以上を走る人に出会い、自分もと思い、その夏、浜松駅南口から自分の自宅のある佐久間町まで60㎞を走った。

チャレンジマラニックin遠山郷
 平成の大合併で、遠山郷は飯田市になった。
その遠山郷でマラニックが始まった。
東京の自分と同世代の人が企画運営しての大会の始まりだった。

佐久間町は寒いです。
そんなところだけど、今日も朝ランしました。
スマホからの曲は竹原ピストル「よー、そこの若いの」AI「みんなが英雄」
90㎞を走るためには月間200㎞以上は走りたい、皆さん寒さにも負けずに頑張りましょう。
草々

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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