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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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水窪のNPO
山に生きる会
七月の初めハイキングの案内が来た。
盛夏の候。
皆様には、ますますご健勝のこととお慶びを申し上げます。
下記のとおり『みさくぼ百山「朝日山」「水梨山」』ハイキングの開催をします。
ご都合のつく方はご参加をよろしくお願い致します。
1 7月23日(土)午前7時 集合出発
2 内容 みさくぼ百山「朝日山」「水梨山」ハイキング
国盗り駐車場7時バス移動→ヒョウ越峠から入山→水梨山・朝日山へ
ヒョウ越登山口~「朝日山」間の片道の所要時間は概ね3.5時間~4時間
国盗り駐車場には17時頃になります。

がんばらまいか佐久間10周年記念事業
佐久間町が浜松市に合併したときから、佐久間町のNPO「がんばらまいか佐久間」に
携ってきた9年間。
多くの事を経験させてもらった。
が、もういい辞めにしよう。
そう思っているときに
知り合いから紹介されて水窪のNPOの門をたたいた。
今年で2年目
多くのやることがあり、なかなか活動に参加できないが、今回参加することができた。
 
今日のコース


参加者は
山に生きる会 会員
6名
サポーター・一般参加者
11名
集合場所である「国盗り駐車場」からヒョウ越峠まで水窪タクシーのマイクロバスで移動
ヒョウ越で軽く体操をしてから、17名のメンバーは「朝日山」「水梨山」を目指して歩き始めた。

メンバーの中にキノコに詳しい方がいて、様々な食べれるキノコの話を教えてくれた。

写真はタマゴダケ
食べることができるそうだ、卵の黄身の味がするそうだ。

また
ツルアジサイも可憐に咲いていた。

また、この山の登山道にはシキミ(シキビは俗称)が多く生息していた。
山に生きる会の人が、秋になると実が赤くなって綺麗だと言っていた。

あいにく天気は曇り空だったので景色は望めないが、多くのキノコや植物の話を聞けた。

朝日山山頂に着いたのは10時50分
ヒョウ越峠から
3時間10分くらいで登頂できた。
朝日山の三角点
 
一等三角点のマニアには特に注目されている山
黒法師岳

朝日山は何やら深い関係があるらしい。

予定では17時頃に国盗り駐車場
となっていたが、大幅に早く帰ることができ
今、こうしてブログを書くことができた。
よかった良かった。
今から風呂に入って
ビールだ(^O^)/

 

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「夏焼山・塩沢集落ウォーキング」

佐久間町の私だが、縁あって水窪町のNPOの活動に参加するようになった。
水窪「山に生きる会」は一昨年の冬、佐久間町野田に暮らす人が
「私も入って活動している」
そんな言葉から私もその年の春、水窪「山に生きる会」に入会、しかしその年は忘年会だけの参加、去年は新年会と忘年会だけの参加だった。
今年は初めてのイベント活動の参加になった。
「夏焼山塩沢集落ウォーキング」
事務局の人に電話して、集合場所(集合場所:JR飯田線 水窪駅)には行けないことを伝え、飯田線で平岡駅から大嵐駅に向かった。
朝の大嵐駅は静かで沢のせせらぎの音、野草のさえずりの声しか聞こえない。
今日はどの様なイベントになるだろうかと、水窪からの飯田線上り列車を待つ。

電車で来たメンバーは予想以上に多かった。
知っている会員の方に、ご挨拶。
資料を手渡され、
「1班2班3班ごとに責任者を決めてあるので3班の責任者です」
と、資料を手渡された。

「夏焼山・塩沢集落」ハイキング スケジュール

1、3月21日(月)午前7時50分 JR飯田線 水窪駅集合

大嵐駅でも集合して今回の会費を徴収。
三信鉄道建設に尽力した河村カ子ト氏の説明が守○先生からあった。
(川村カ子ト氏とは)↓
http://www.kmatsum.info/Sinsyu/Iidasen/kkaneto.html

一団は夏焼隧道を歩き、夏焼の村を目指した。

真っ暗な夏焼隧道を抜け、夏焼の村に向かう。

夏焼の集落では元夏焼集落で暮らしていた川根さんから夏焼での昔の暮らしの思い出を説明してもらた。

説明が終わり、この村の頂上、夏焼山の山頂(651m)を目指す。

登頂が終わり。
来た道を引き返し、大嵐駅に
大嵐駅で昼食、集合写真

大嵐駅13時14分の飯田線で小和田駅に移動。

小和田駅からは、塩沢集落に向けてウォーキング。

天竜川沿いの歩道から山道に、赤いスリル満点の吊り橋、変化にとんだウォーキングだった。
塩沢集落は、水窪から林道が通じていたのだけど、今は途中の所で崩壊があり通行止めになっているそうだ、迂回路は遠く長野県を経由しての遠回りだそうだ、浜松市市内の人には想像することのできない迂回だと思う。

塩沢集落、到着。
集落の大○宅にて「塩沢茶」を頂く。
ある人が水窪のお茶は苦くておいしいっと言っていた。

ココ、塩沢集落では、無農薬の野菜を作っており、その栽培方法が独特だという。
カマキリやテントウムシを使って害虫を駆除するらしい。
カマキリを越冬させているとも言っていた。

ところ変われば様々な工夫と考え方で人は生きていくのだ。

塩沢集落にサヨナラをして、一行は小和田駅に帰っていく。
途中、リタイヤをしようかと迷った人などの声を聴いて、どうなることやらと思っていたが
全員無事に小和田駅に戻ってきて、16時01分の飯田線に乗車して帰ることができた。
 

今回、水窪の自分が知らないところを拝見することができ大変貴重な時間を体験することができた。
NPO水窪「山に生きる会」
本当にありがとうございました。

マテよ
飯田方面からの参加者も1名いたので、全員というのは誤りかな(#^.^#)
その人は、小和田駅で手を振って私たちを見送ってくれた。
ありがたいことです。感謝。。。
byしんしん

 

 

 


 

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佐久間町が浜松市に合併して
佐久間町は
NPO「がんばらまいか佐久間」
を立ち上げた。

そのNPOの最初の活動は
「ふるさとの森」だった。


宮脇博士の方式の植樹の方法を学ぶため
私は
半場のコイジのみに~に誘われて、浜松駅前に行ったのであった。

浦川の島中峠に、その「ふるさとの森」は始まった。
旧佐久間町の、元おえらさんだった方が、スーツ姿だった人が
鎌や鍬を手に持って汗をかいていた。

そんなNPO「がんばらまいか佐久間」の活動に合併当時から9年間お付き合いしていた。
しかし、もうやめた。この活動はつまんない、と思うようになった、から


2014/12/07
に私が書いたブログ
山に生きる会in水窪町 

水窪「山に生きる会」の人と付き合い始めて、はや二年が経つ。

昨日の新年会の時には
私の熱い気持ちを話したつもりだ。


そのときプロジェクターで流した動画
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとか残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである。」

この話を知って
佐藤良二さんの事を知って
この本を読んだ。
 
そして、この言葉を知った。
この地球上に、天の川のような美しい花の星座を つくりたい。 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」.

そして去年の春、本物の荘川桜を見に行った。

2016年は始まったばかり。

今年もマラニックの計画がたくさんだ(^O^)/

byしんしん

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昨日は、あれから、水窪に行って。
水窪町のNPO「山に生きる会」の忘年会に行ってきた。

マンガでわかるNPO法人「山に生きる会」

佐久間町には「NPOがんばらまいか佐久間」があり、私はその活動に合併当時から活動委員として自分なりに がんばらまいか と頑張ってきたつもりだ。
が、、、最近疑問に思っていることが。
佐久間観光協会との話を知ってからだ。
観光協会は予算がなく大変だと聞く。がんばらまいか佐久間は今更どうして観光協会だけをNPOが助けなければならないのか、という。
NPOに託した元の佐久間町のお金はNPOの理事の事務局のもの?
違うと思う。
また、観光協会もお金がないからと言って、安易にお金があるNPOに縋るのも・・・・・なんだかな~っと、
思う。

昨日の「山に生きる会」の忘年会
会員は地域の人から、地域外の会員もいる。
高齢者と言われる人ばかりだ。
それでも、山が好きだからと地域の為に水窪のためにと熱い自分の気持ちを話してくれた。
まるで、遠山郷に初めて行ったときに木沢小学校で木沢の人たちと出会った時と似ている。

がんばらまいか佐久間」と水窪の「山に生きる会
くらべることは良くないと思う。
それぞれに好い所もあれば大変なところもあるだろうから。
一つだけ言えるところはマンガでもわかるように「山に生きる会」は、やろうとしているところがハッキリしている少数精鋭のNPOだということだ。

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佐久間町が合併した時に設立した「がんばらまいか佐久間」
今年は10周年ということで、記念事業を行うそうだ。

私は「文化・スポーツ社会教育活動委員会」に入っている。
そこの委員長が、この手紙を持ってきたのだ。

先日書いたブログ
やめまいか・・・佐久間
で、私の気持ちを綴ったのだが、、、、。

ご高齢の委員長の顔を見ると、断りずらかった。
11月9日
「フェスタ佐久間」の時と同じ日に開催だそうだ。
あれもこれも、やることが・・・・・多い。
同じ地域で暮らす、先輩のお願いに快く引き受けたい気持ちもあるのだが、私には思うことがある。
「がんばらまいか佐久間」はこのままではダメだと。

だから、心を鬼にして言った。
その委員長に

何かを頼むときには、人の話を聞いているような感じなのに、いざその頼みを受けると話を聞く様子すらなくなる」と。

今のNPOの役員は、佐久間の10年先20年先のことを思って活動しているとは思えない」と。

若い人の話も少しは聞いてくださいョ」と。

ココにまた「がんばらまいか佐久間」のNPO憲章を書きたいと思います。

NPO憲章 
  私たちのふるさと「さくま」は、美しく豊かな自然と古い歴史文化
  に恵まれ、互いに支えあうやさしさとまちづくりへのあふれる情熱
  により、これまで発展してきました。
  私達のNPO法人がんばらまいか佐久間は、この貴重な財産と先人の
 教えを受け継ぎ、更にNPO活動を通じて新しい時代への飛躍を
 目指し、すべての住民の願いをこめてこの憲章を定めます。

          私たちNPO法人がんばらまいか佐久間は

   1.住民自治を基本にみずからの手で住みよい「さくま」をつくります。

   2.なかよくお互い助け合い健康長寿の「さくま」をつくります。

   3.創意と工夫で希望と活力に満ちた明るい「さくま」をつくります。

   4.ともに学びともにきたえた文化の香り高い「さくま」をつくります。

   5.恵まれた豊かな自然を次代へおくる美しい「さくま」をつくります

   6.いきいきと活動する女性がかがやく「さくま」をつくります。

   7.次代をになう子供たちを育てふれあう「さくま」をつくります。

10年前、佐久間町の代表となるメンバーが集まり決めたのだろう、この憲章。
今こそ原点に帰って、地域おこしを頑張っていく時だと思う
それは誰あろう、地元の人、ここ佐久間で暮らし続てて行く人が頑張らなければならない。
私はそう思う。

byしんしん

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NPOの会合でNPOの活動の事を話しているときに。
ある、理事の人が、
「シンマ君もブログを書いていて・・・・」
そのようなことを言った。
他の理事が
「そんなものパソコンで批判的なことを言っているだけでしょ!」
と言った人もいた。
NPOがんばらまいか佐久間には12名の理事がいる。
様々な人がいる。分かってくれる人、批判的な人、活動には顔も出さなく・・・名前だけ理事な人。

2013年10月11日に私の書いたブログ。
「緑のふるさと協力隊」

二年前、佐久間町には高橋君という「ふるさと協力隊」が来た
高橋君とは、一緒に竜頭山に登ったりし、話したりした。
高橋君は北海道生まれ、東京で働いていて自分の働く意味、都会の雑踏の中での暮らしに疑問を感じていたという。
そんな時に「NPO地球緑化センター」の募集に出会い、応募して佐久間町に来たそうだ。
高橋君は頭もよく、性格もよく、佐久間町のいろいな人の話を聞き町に馴染もうとしていた。


2013年の秋、事務の人が交通事故に遭い、今まで話しずらかったことを聞いてみた。
「佐久間町にも若い人を雇うことを考えてほしい」
そんな時に、他の多くの人から
「こんなところに若い人が来るわけがないジャンカイネ~」
と言われ悲しくなった。

その夜、高橋君を派遣した地球緑化センターのホームページを見てメールを送った。
そして次の夕方、地球緑化センターの理事長と言われる人から電話があった。
「佐久間町は浜松市だから、、、難しいところがある、、、と」
「来年から浜松市は浜松市独自の地域おこしをやる」とも言っていた。

そしてその年の終わりに佐久間に地域おこし協力隊が来ると新聞に記載されました。
「地域おこし協力隊」2014年2月28日


「備忘録なう。 」2013年11月14日
自分が今、ブログを書いている意味、他の理事が言ったあの言葉。
「そんなものパソコンで批判的なことを言っているだけでしょ!」
私の場合、自分の過去を振り返るときにこのツールはいいと思っている。
あの時、自分はこんなことを感じていたんだな~、とか。
そう備忘録として。

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佐久間町が浜松市に合併したのは2005年(平成17年)7月1日、
もうじき9年になろうとしている。

当時の今頃は、佐久間町での議会・役場内では大変忙しかったであろうかと想像できる。

そんな時に、できたのが「NPOがんばらまいか佐久間」だ。

私の地区にも説明に来た。

佐久間町が、浜松市に合併するということは、、、今まで以上に過疎高齢化が進むことだ、佐久間町時代に残しておいた佐久間のお金を、このままにしておくと浜松市の物になるので、NPOを設立し、このお金で佐久間のやれなくなった行事やその他のことをやって行こう、という説明だった。
 

地域の牛乳屋のおじさんの誘いで、NPOが浦川にやろうとしている「ふるさとの森づくり」に参加するようになった。

佐久間町時代の議員の人たちが、ふるさとの森にする場所の草刈りに汗を流していた。

お昼は、佐久間ふれあい運動公園 のベンチに座って食べたのを覚えている。

ななめ向かいにNPOの大平理事長がいた。

一言二言、話をした。
それが、私の大平理事長との最初で最後の出会いだった。

合併して4年たった2009年(平成21年)の夏、「交流居住モデル事業検討委員」のさくま田舎 暮らし体験交流事業 を行うとの話が合った。
その時のブログ ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%81%BE%E7%94%B0%E8%88%8E%20%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E4%BD%93%E9%A8%93%E4%BA%A4%E6%B5%81%E4%BA%8B%E6%A5%AD

私が暮らす地域の木下さんが先頭になり、この事業は始まった。
私や山崎さんもお手伝い、木下さんの家で夜飲んだ缶ビールが忘れられない。
さくま田舎 暮らし体験交流事業のブログ ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%81%BE%E7%94%B0%E8%88%8E%20%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E4%BD%93%E9%A8%93%E4%BA%A4%E6%B5%81%E4%BA%8B%E6%A5%AD%20-%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%94%E3%81%A8%E4%BD%93%E9%A8%93%EF%BC%89

2011年4月19日に私は↓のようなブログを書いている。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/npo%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%81%A8%E3%81%AF


NPOは、うまいそばをたのしむなら、最初からやってみなけりゃわからない。
そんな募集で始めた「そばづくりパートナー制度」をやるようになったのだ。
私は、これにも携わり草刈りや芋ほりなどに参加したことがある。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%82%BD%E3%83%90%E3%81%AE%E5%88%88%E3%82%8A%E5%8F%96%E3%82%8A

2011年には、浜松市が100周年ということで、NPOでも浜松市制100周年記念事業をやることになった。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82%E5%88%B6100%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BA%8B%E6%A5%AD
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82%E5%88%B6%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BA%8B%E6%A5%AD_514

こんな活動を、お手伝いしながら、、、自分なりに疑問に思ったことも多かった。

地域の人が、NPOの活動に理解していない言動が多い・・こと。
私の務めとして、NPOの活動を地域に人に知らせる事、と思って話しても、
佐久間町時代に残したお金は、NPOの理事の物ではない、ましては事務局長の」との話が聞こえてきた。

2012年10月25日に「みんな仲良く」とブログを書いている。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BB%B2%E8%89%AF%E3%81%8F

この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように
荘川桜を植えた佐藤良二さんの最後の言葉だ。

2012年10月4日に「荘川桜物語」とのブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E8%8D%98%E5%B7%9D%E6%A1%9C%E7%89%A9%E8%AA%9E

2013年11月14日「備忘録なう」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E5%82%99%E5%BF%98%E9%8C%B2%E3%81%AA%E3%81%86%E3%80%82

2013年11月13日「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B

色々な思いでが甦る、私なりに「NPOがんばらまいか佐久間」に携わっていた。
けれど、今年から、活動には参加しないと決めた。

私の中での
がんばらまいか佐久間やめまいか佐久間になってしまった。

ジャンジャン (ノд・。) グスン

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2013年10月22日に書いた私のブログ「ほくえんの風」
「NPOがんばらまいか佐久間」を考える

前回、NPOがんばらまいか佐久間の広報委員会の場でホームページの話をした。
その時には、「そんなことをして炎上したら困る」「ホームページは私が一人でやるから新間さんはやらなくていいです」
と言われた。

今回は、私も考えた。
前もって、広報委員会に参加する人に話をして理解してもらえる人を作ったのだ。


いわゆる、根回し(^^)

今回は、「NPOがんばらまいか佐久間のfacebookのページを作っても良いでしょうか?」
と質問した。

色々な反対意見があった。

理事の承認がなければダメだとか。

それでも、何とか、広報委員会では理事の承認が取れればいいと話はまとまった。

明日、理事長に電話をし、確認を取ろうと思っている。

一歩前進した。

何故、こんなことをするのか?
それは
↓この動画

この名言集の動画が私の活力(^^)

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名古屋シティマラソンの受付を終え、ホテルのチェックインまで時間がある。

青空フリーパスを買った私は、
大曽根駅~中央線~金山駅~東海道線~大府駅~武豊線~半田駅まで行った。

童話「ごんげつね」の作者新美南吉の記念館に行こうと思ったからだ。
 新美南吉記念館

半田駅から新美南吉記念館まで3.4㎞。
歩いていくことにする。



途中、道を尋ねた人からは
「南吉か~」「南吉記念館、遠いよ!!」
などと言われる。
新美南吉が、いかに半田市市民に親しみを与えられているかが伺わせる。

一時間近く歩いただろうか、ようやく新美南吉記念館に到着した。

今回、歩いた時、撮影した写真の動画↓

童話「ごんぎつね」↓

矢勝川の彼岸花↓


半田市は、童話「ごんぎつね」で地域おこし。

新美南吉を訪ねてのウォーキングがある。

温泉「ごんぎつねの湯」がある。

温泉・・・佐久間にも・・・欲しかったな~。

無いものを悔やむより、今あるものでがんばろう(^^)

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2009年に総務省によって制度化された。
地域おこし協力隊は、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、上記のような意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とする制度である。
ウィキペデアから。

一年前に、私の住んでいる佐久間町に高橋君はやって来た。
この人は、東京の地球緑化センターというNPO法人から派遣されてきたという。
彼は中部(なかべ)地区に住み、町の消防団にも所属し地域の人と打ち解けての活動だった。

高橋君が活動期間を終え、自分のかねてからの夢だった「農業をやりたい」を叶えるために東北に向かった。

高橋君と少しの間付き合って、若い人のエネルギーを感じ、合併してから佐久間町が立ち上げたNPOがんばらまいか佐久間の会合で、佐久間にも若い人を取り込むようにしてくれないかと、、、、
お願いしたことがある。
 ブログ「ほくえんの風」
NPOの理事や活動委員には年配に人が多く、佐久間に若い人が来るわけがないとの意見が多かった。

そんな時に見た中日新聞「山里いきいき応援隊」委嘱の記事が目に入ったのだった。


ガンバレ!!
坪井君
高齢化が著しい佐久間町は、君のような若いエネルギーが必要なのだ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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