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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ブログ・・・そんなことしてなんになるだいや。

そのように言われ、何も言えなかった・・・が。

今は、NPOの会合での出来事を備忘録として残したい。。。。と言おうと思う。

2012年夏だったけかな~。
交流居住モデル事業検討委員会の話し合いのときに、城西の○氏さんが言い出した。

○氏:「このNPOも高齢化してきて、これからどのようになっていくのか? 事務局の河○さんもいつまでもここにいてくれるか分からない」

そこで、いろいろな人の話が出た後、

河○:「家内との話し合いで、70歳まではといっている」

そんな話が出た。本人から。
そこで

私 :「河○さんは何歳ですか?」

河○:「67歳です。まだ3年あります」

そんな話を聞いて、浦川の追○さんが

追○:「すぐ後継者を探さなければ・・・三年なんてすぐだ!!」

そんな話が出た。
私は、三年か~、三年我慢すれば良いのか・・と密かに思っていた。

そんな話から一年後、佐久間の水車のところで交通事故が起きた。
NPOの事務の人だとうわさに聞いて、知り合いの○場さんに電話した。
乗っていた軽の箱バンはクチャクチャで車を見ると乗っていた人はダメではないかというほどの事故だったらしい。

そんな時、2013年秋
交流居住モデル事業検討委員会があった。

そこでも○氏さんが話し出した。

○氏:「事務局の河○さんの容態はどうですか?城西のほうでは噂がすごいが」

そこで、いろいろな噂話が出て、その話を割って、理事長の○田さんが話した。

和○:「車はクチャクチャですが、本人は至っ元気です」と話した。
そして
和○:「車を見ると大怪我みたいだが、奇跡的に助かった」とも言っていた。
また
和○:「これは佐久間にもっと居れということで、まだまだ佐久間います」と最後に言っていた。

私は、思った。
理事長は河○さんにず~っと佐久間にいてほしいのだと。

2013年10月22日
交流居住モデル事業検討委員会(この日書いたブログ
この会合のとき、私は言った。

私:「夏にNHKのテレビで放送された「金とく SKE48の未来教室~過疎高齢化を考えます」を見たが、東栄町は若者ががんばっている、佐久間は高齢者ががんばっている、そんな番組だった。高齢者だけではこの地域はダメになる、東栄町や水窪みたいに佐久間も若い人を呼ぶようにしてほしい」と。

しかし、この答えは、ブログで書いたように、「こんなところ若い人が来るわけがないじゃんかいね~」「だったらあんたが連れて来い」そんな事を言われた。

次の日、私は中部のある理事の人の家を訪れ、個人的に昨日の会合の話をした。

今は、フェスタ佐久間の前で忙しいので、それが終わってからだと言われた。

11月12日(火)
また、その家を訪れたら、、、、。

NPOの理事長が、観光協会の人と、地元の市議会議員の人とで、今後のNPOのことを話し合っていると言われたそうだ。

そうか~。
重い尻がようやくあがったか~。
こんなとき、こんな自分がとやかく動いてはよくない、しばらく黙っていたほうがいい・・・と、
その家を後にした。

佐久間は、観光協会やNPOなど、いろいろな団体が多すぎる。
今こそ、NPOと観光協会は一緒なって、ひとつの佐久間町になってほしいものだ。

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精神科医エリック・バーン博士の言葉です。

8年前、30年ぶりに行った佐久間中学校の同窓会。

久しぶりに出会った同級生は、誰が誰だか・・・最初分からない状態だった。

それが、酒を飲み、話をしているうちに、、、、当時のことを思い出し。

根本的には何も変わっていない、そんな風に思った。

そので、この言葉

他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる

自分の未来があと何年続くか分からないけれど、

変えていく、変えていくように努力する。


佐久間町も変わっていくだろう。

いや、変わらない佐久間町がいいのかもしれない。

がんばれ!!

NPOの理事の人たち。

私たち、いっぱんの佐久間町民は、佐久間町が浜松市に合併したときに、佐久間町の未来をNPOに託したのだ!!!!!。

 

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Q:がんばらまいか佐久間はどのような活動をしているのですか?
A:九つの活動委員会が旧佐久間町時代に行われていたイベントなどの手伝いなどをしています。
 二つの運営委員会がこれから佐久間町が大変になるであろう、住民の足・食を支えることを行っています。
 NPOタクシー・NPOの店いどばた などがそれです。

Q:がんばらまいか佐久間はどのような組織になっているのですか?
A:理事長一人・副理事長二人・理事17人・監事二名です。
 その下に、活動委員会メンバーがいます。
 九つの活動委員会と二つの運営委員会があります。
 (2011年から交流居住モデル事業検討委員会が新た加わりました)

Q:がんばらまいか佐久間の活動委員ですが、毎年会費を納めても何をどうやるのか分かりません。
A:私の場合、NPO発足当時のふるさとの森づくり事業に同じ地域の人に誘われたのが始まりです。
  あの時あの人に誘われなかったら、私もこのNPOの活動には参加していないかもしれません。
  会費を納めてボランティアを行う、なかなか納得できないかもしれませんが、ぜひとも参加してください。
  交流居住モデル事業検討委員会でのソバ畑の草刈などが人がたらなくて大変です。
   分からないではなく、まずはその場所にいってみてはどうでしょうか?

Q:がんばらまいか佐久間のホームページを見ているのですが、更新が遅い。
  お問い合わせはこちらからと、メールソフトが立ち上がるようになっていますが、
  私のパソコンではソフトが立ち上がりしません。 
   メールのように一方通行ではなく、掲示板やfacebookのように双方向で意見交換できるようにしたらどうでしょうか?
A:ホームページの方ですが、ここでは事務局の○村さんが一人で作成や更新を行っています。(たぶん)
  私もホームページを持っているので、その大変は理解できます。
  個人のホームページではないので、それなりの業者に頼めばいいと思っています。
  そのようなことを理事の人に私が意見すると、理事の人は事務局に任せてあるからと口をつぐみます。
  掲示板やfacebooの件
  私も常々そう思っていました。
   以前私が2013/2/14のブログ「Facebook・ブログ・がんばらまいか」で書きました。
   これが現状です。事務局が忙しくなるではなく、事務局の河○さんが忙しくなるのです。
  理事の人に言えば、事務局に任せてある。
  河○さんにいえば、仕事が忙しくなる。
  理事に人たちは河○さんすべて任せて、河○さんは自分のやりたい事(地域おこし)をやれる。 
  そのためには掲示板やfacebooなどで、他の(理事以外)の人の意見なんかをいちいち聞いていたら仕事が忙しくなるからできない。
  そんな感じではないかと思っています。 
  
Q:事務局の河○さんは東京の人と聞きます、何故佐久間のNPOの事務局をやっていすのですか?
A:このことも、2013/10/22のブログで書いた「「NPOがんばらまいか佐久間」を考える 」のときに聞いてみました。
  理事の話によるとNPOを立ち上げた当初、面接を行い3名くらい応募者があった中で、彼が適任と判断したそうだ。
 
Q:佐久間町に住んでいると、地域の付き合い、お祭り、秋でのイベント、等々で忙しいです。
  その上、NPOで会費を払ってボランティアなんてやってられんぞ~。 
A:ごもっともです。
  私もfacebookなどをやるようになり、観光協会の邑○さんの活動を見て大変さが分かりました。
   しかし、NPOは佐久間町が浜松市に合併し、先人たちが残していった唯一の団体です。
  ここに、NPO設立当時作ったと思われるNPO憲章を書きます。
  

         NPO憲章

  私たちのふるさと「さくま」は、美しく豊かな自然と古い歴史文化
   に恵まれ、互いに支えあうやさしさとまちづくりへのあふれる情熱
   により、これまで発展してきました。
   私達のNPO法人がんばらまいか佐久間は、この貴重な財産と先人の
  教えを受け継ぎ、更にNPO活動を通じて新しい時代への飛躍を
  目指し、すべての住民の願いをこめてこの憲章を定めます

      私たちNPO法人がんばらまいか佐久間は


   1.住民自治を基本にみずからの手で住みよい「さくま」をつくります。

   2.なかよくお互い助け合い健康長寿の「さくま」をつくります。

   3.創意と工夫で希望と活力に満ちた明るい「さくま」をつくります。

   4.ともに学びともにきたえた文化の香り高い「さくま」をつくります。

   5.恵まれた豊かな自然を次代へおくる美しい「さくま」をつくります。

   6.いきいきと活動する女性がかがやく「さくま」をつくります。

   7.次代をになう子供たちを育てふれあう「さくま」をつくります。

そねぞれ忙しい中、やれることをやっていきましょう。


今日は、ここまで(^^)

この内容は、私、しんしんが勝手に質問を作り、勝手にホームページを見たりしながら回答しました。
自分が疑問に思っていたこと、普段の会話で知りえた事で書いています。
不適切な内容だと思いましたら連絡ください。
適切に処理します。
また、NPOがんばらまいか佐久間について疑問だと思うことがありましたらコメントしてくだっさい。
次の会合で理事に質問してみたいと思います(^^?

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二年前、佐久間に来た○橋君は、地球緑化センターから派遣された「緑のふるさと協力隊」の隊員だった。

そんな○橋君が佐久間に来たときから、私は思っていた。

・・・・こんな若者に佐久間に定住してほしい・・・・・と。


そして、前のNPOの会合で、そんな思いをぶつけた。

が、「NPOがんばらまいか佐久間」の役員の考えは頑なで、「若い人がこんな所へ来るわけがないジャンかいね~
と一人の人が言った言葉に、何も反論する人は居なかった。

しかし、他の会員の中には、きっと、
佐久間は今いる、高齢者だけの活動ではダメ
と、思っている人は・・・・きっと居る。

そんな微かな望みを持って、その日の夜中に「地球緑化センター」にメールを送信した。

私は静岡県浜松市天竜区佐久間町にある「NPOがんばらまいか佐久間」で活動委員をしている者です。ここのNPOは事務局の人が居ない状況です。隊員の若い人が佐久間に来る事は可能でしょうか
と。

二日後の夕方、その電話は来た。

地球緑化センターの、○○です。」

回答は
緑化センターの仕事としては


この様になっているので・・・・。

都会の若者の中には、自分の働く事の意味、その他の矛盾から農山村で新しい環境での生活に糧を求めている人が多くいる。
農山村では過疎の問題がある。

その両方の問題の橋渡しをするところが地球緑化センターなのだそうだ。

佐久間町のような、大きな浜松市に合併した町村は、対応が難しいのも大きな問題だそうだ。

合併していない所では、緑のふるさと協力隊は二年三年と同じ町村に派遣され、その後その村に住むようになったという例も多くあるそうだ。

その人の話によると、若者が過疎地域にいて、その地域になじむには一長一短ではいこないこと、長い月日をかけその人の信用を作るのが大変だといっていた。

NPOがんばらまいか佐久間は12名の理事がいる。

大切な事はすべて理事会で承認され決定されていく。

理事の人に一人ひとり説明し、近い将来には佐久間にも近隣の町のように若い人の雇用の場としての、NPO法人になっているといいな~と思っている。

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あの会合から帰ってきて、このことがば走馬灯のように、私の頭の中をグルグル回る。

例えば、走ること、
「そんなもんやって何になるだいや」
そんなふうにしか見えないのかな~。

そんな時facebookで、ことような動画にであった。


そんなことをやっても何もならないかもしれない。
でも
何かろ得ようとしてやっているわけではない。

走ることは、お金、物、そんなものではない、もっと素晴らしいことが得られるのだ。

わからないだろうな~。

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今年の7月29日(金)にNHKで放送した「金とく SKE48の未来教室 ~過疎高齢化を考えます!~」の番組を録画したDVDが手に入ったので見てみた。
そして考えた・・・・佐久間のNPOの事・過疎高齢化のこと・・・・私なりに。

このテレビで言いたいことは。

★ 佐久間町は過疎高齢化になり、高齢者が高齢者を支えて町づくりをしている

★ 東栄町は過疎高齢化になったけど、都会の若い人を呼び込み町の活性化を目指している。

★ SKE48というアイドルを、そんな過疎地域に行ってもらい、過疎高齢化の現状を都会に住む若者にも知ってもらいたい・・・考えてもらいたい。

そんな番組なのではないだろうか。

こんな番組を見て佐久間に住む ある人が
「佐久間は若い人が誰もいないみたいじゃないか~(怒)」

そんな声が聞こえてきたので、私もこの番組を一度見てみたかったのだ。

なるほど~・・・確かに(笑)

だけど、この番組では「NPOがんばらまいか佐久間」の活動のことを言いたかったのだろうと思う。

高齢者が高齢者を支える・・・といっても限界がありますよ・・・と。

もっと隣町のように都会の若者を積極的に使いなさい。。。。と。

佐久間町の近くの地域、例えば水窪、そこには富士川君という若者が頑張っている。
富士川くんのブログ「水窪暮らし

例えば、平成の合併で飯田市になった「遠山郷
そこには観光協会に神奈川から来た「しんちゃん」がいる。

その地域は、facebookやTwitterで地域のいいとこを発信している。

その人他たちは、元は緑のふるさと協力隊と聞くが・・・ホントのことどうしてその地域に来たのかは分からない。

さて、佐久間を見てみよう。
私は「NPOがんばらまいか佐久間」が発足した時に、地元のコイジのみー兄に、NPOで行う「ふるさとの森づくり」の活動に誘われ、それ以来いろいろな役を任され活動に参加してきた。

活動に参加して、佐久間の偉い人、NPOの理事の人、そんな人を知るようになってきた。

そして会合で、他の近くの地域のように、佐久間も若い人を連れてきて欲しいと言い続けてきた。
が、聞き入れてもらいなかった。

今日の夜、がんばらまいかの会合がある。
「地域移住モデル検討委員会」だ。

今日も、言おうと思う。
「がんばらまいか佐久間は、今まで年寄りが年寄りを支える、そんな感じ活動してきたが、これからは積極的に若者を取り込んでいったらいいのではないでしょうか」

と。

 く( ̄△ ̄)ノガンバ・・・ル・・・ゾ。

以前の記事
 過疎高齢化を考える。
 過疎高齢化を考える。(その2 )
 過疎高齢化を考える。   (その3)

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オニスターすごいスピードでポイントを上げています。
 
どうして、オニスターはこんなにも追い上げがすごいのか?????

金指さんのfacebookでの宣伝の成果。
金城愛さん地域おこし協力隊"燈栄隊"でのfacebookの威力?

さくまる といえば、佐久間の観光協会"邑瀬さん"が、頑張っているのだが・・・・。

佐久間町は、平成の合併で浜松市の一部になった。
その浜松市のゆるキャラ"出世大名家康くん"は現在ダントツの首位。

今まで、"出世大名家康くん"にポチしていた人の一部で良いから・・・・・さくまる にポチしてくれるようにならないものだろうか。

せめて・・・・佐久間に関係している人は。

今日も さくまる にポチしよっと ( ゚∀゚)σポチ。

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「ゆるキャラグランプリ―」に私の住んでいる佐久間町観光協会の"さくまる"が出ている。

佐久間町は愛知県と県境を挟んで東栄町がある。
そこで出ているが"オニスター"。
東栄町を宣伝する動画にオニスターがでていた。



"さくまる"で検索し・・・ヒットした動画
さくまる君のお誕生日会 (練習) 再生回数150回(何故か本番より多かった)

佐久間町も東栄町も過疎化で大変苦労している地域だ。
さくまるもオニスターもそんな地域を元気にしようと誕生したキャラクターだ。

山間部のゆるキャラ・・・今、追いつ追われつの激戦をしている。

10月5日(土)現在。

どちらも が・ん・ば・れ

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この「過疎高齢化を考える」で7月21日にブログを書いたとき、facebookで二つの意見が気になったので、今回はそのことについて書いてみた。

まずは佐久間で同じ地域の人の意見。

今のNPOは役人が退職後に仕事と役職欲しさに作った法人ですよ、地域の事など少しも考えて無い 町民自身で自分の意見を言えるNPOを作らないと、べんちゃんの熱意も空回りだよ。

今のNPOには私は活動委員として参加しているが会合や草刈りなどのボランティアに出て、上記の言うようなことが・・・・なるほどと感じたことが多々ある。
「若い衆にやってもらわないと」そんな言葉が、都合の良いように使われているなっと感じていることもある。
しかし、こっちも、理事の人に知り合ってよかったこともある。
旅館を使わせてもらうことだ、テレビでも言っていた通り、理事の一人の経営する旅館は、今はもう知らない誰かが宿泊をお願いしても泊めることはないそうだ。
そこを何とかと、お願いして8月31日宿泊できるようになった。

NPOの理事なのに、地域おこしを"がんばらまいか"と頑張っている団体の長なのに、よそから佐久間に遊びに来た人の宿泊を断わる旅館。
佐久間町とは・・・・・・・・そんなとこ。

本当は、遠山郷の様に観光協会が、このような地域おこしをやり、商工会(旅館経営者)などが自分本来の仕事を頑張ればいいのだが・・・・・佐久間は今、そうではない。

「NPOがんばらないか佐久間」で活動委員として8年間やってきて、思うことは、、、知り合いができたこと。
これだけかな~。
だけど、こりが一番いいことなのかも(^^)

次は、愛知県の某NPOの理事の人からの意見もあった。

今自分は2つのNPO法人を主宰し3つ目をつくること検討しています。
それ以外に所属しているNPOは7個くらいかな。あります。いくつ所属していても主体的に活動できないモノは単なるボランティアや情報提供交換の場だと思っています。
NPO毎に地域や目的が違うのでこうなりました。「そこで自分が何をし、どうしたいのか」が問題であって他人任せでは何も変わらないのではないでしょうか。
生意気ですいません。

「他人任せでは何も変わらないのではないでしょうか。」か~。
確かに、そうなのかもしれない。
しかし、おかしいと思うことを言っているだけです。
理事として上でやっている人もいるし、ボランティアとして下で汗を流している人もいる。
人それぞれ得意分野があり、それぞれの人が その分野を生かして行けばいいのではないでしょうか?


さて、今年の半場のお祭りも、今日で最後だ(^^)

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7月12日(日)のブログ「金とく SKE48の未来教室~過疎高齢化を考えます!~」のYouTubを見て、私なりに思うこと。

まず、自分のこと。
佐久間町は3村1町で合併した町です。
私はその中の 城西地区の外れ山の中腹に存在する村「横吹(よこぶき)」に昭和35年に生まれた。
佐久間ダムができ、世の中は電気の時代になり、私が小学校低学年の時にテレビ・冷蔵庫・洗濯機が家に届き、山の上でも便利な生活ができるようになってきた。

電気製品の次に、世の中にでた便利なものは車、我が家に自家用車が来たのだ。
私、中学校一年生の時だったかな~?
しかし、村に道路が来ていないので、その自家用車は村がある山の麓に停めている状態だった。
そんな横吹に、村の道路を作ろうという話が出た、父親がその話し合いに行ってきたのか夜遅く帰ってきたのを覚えている。


私は静岡県湖西市の工場で働くため、「横吹」を出た。
横吹での生活とは180度、違う生活に目を白黒させた。
八百屋で柿は売られているのを見て、不思議に思った"柿なんて庭になっているものをもいで食うものだ"とずっと思っていたから。


そんな湖西市で青春時代を過ごしているときに、横吹に住む父親から電話がかかってきた。
「横吹には道路はできない、横吹を出ようと思う」と。
世の中は、車の時代になり佐久間町の町から外れた村でも道路ができるようになっていたのに、横吹では話し合いを何度も行ったのだけれど何人かの協力してくれない人がおり道路の建設は断念したらしい。

そして私たちは佐久間町の中部天竜駅近くに家を建てることにした。
本当は、電話での話の時に、どうせ横吹を出るのなら、湖西の方に来ないか?と言ったのだが、父親は。
「少ないが先祖の残してくれたものも、ここ佐久間にあるので」と佐久間から出ていくことを考えてはくれなかった。


29歳で佐久間に帰ってきて、私が45歳の時に佐久間町が浜松市に合併した。
合併して佐久間町は「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、初めての活動が"ふるさとの森"作りだった。
佐久間町の元の議員さんが農作業姿で山の草刈りに汗を流した姿を見て、少しうれしく思えたのを覚えている。


合併して8年がたち、先日のNHKの番組「金とく」を見て、
番組の初めに出た数字「454」全国で今後10年以内に消滅する可能性がある集落の数。

この数字の中に、私の故郷「横吹」が入っているのか?
「横吹」には今 ぎよんど・わぜ・おおど・じんもう、と もう一つ新しく入ってきた家があるだけだ。
10年後には・・・・・今後どうなくから分からないが、今自分にできることは、、、、、、、ただ、ただ、、、、現実を見ていること。

もしも、故郷が消滅しようとも、私たちの心の中には昔の横吹の賑やかだった頃の思い出が脳裏に残っている、楽しい思い出として(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆アリガトー!

 

 


 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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