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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昨夜は地元のNPO「がんばらまいか佐久間」の会合に行ってきた。

第4回交流居住モデル事業委員会の話し合いなのだ。

今年は、天候にも恵まれ、沢山のそばの収穫に恵まれそうだ。

ところが・・・・・話によると・・・・NPOでソバの耕作地を広げ、今は沢山のソバがに実っているのだが・・・そのゾバを刈るボランティアの人を集める問題が発生しているのだ。

NPOは民間非営利団体、基本はボランティアなのだ。

難しい問題だ(^^;
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佐久間には色々な集まり団体がある。
がんばらまいか佐久間・商工会・観光協会・野田やまびこ会・など他にも私の知らない所もあるだろう。

こんな団体・集まりの人が みんな手を取り合って仲良く、地域の事を考え行動していく・・・そんな日が来ることを私は希望している。

まずは自分から、行動して行こう。

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動画サイトで「さくら道」を見つけた。
http://www.pideo.net/video/pandora/3082424657374b8d/

途中で終わるので、後は有料でお楽しみください(^^)

佐藤良二さんが名古屋から金沢まで植えた、桜の道(250km)は今「さくら道」と言われている。
そのさくら道を走る「さくら道国際ネイチャーラン」が毎年、桜が咲くころに行われている。

物語は、佐藤良二さんの孫が、おじいちゃんの植えた桜の道を「さくら道国際ネイチャーラン」に参加して走り始めるところから始まっている。

中国との関係が危ぶまれる昨今、今こそ佐藤良二さんの思いを皆で繋げよう。

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私の好きなYouTubeの動画「荘川桜物語」がある


荘川桜(しょうかわざくら)は、岐阜県高山市荘川町(旧荘川村)中野の国道156号沿い、御母衣ダム湖岸樹齢450年と推定される2本のエドヒガンの古木。
ごく淡いピンク色の花弁とごつごつした幹が特徴。
樹高約20m、幹囲目通り約6m。岐阜県指定天然記念物。
御母衣ダム建設によってダム湖底に沈む運命にあった桜を1960年12月、ダムを建設した電源開発株式会社(Jパワー)の初代総裁高碕達之助の発案で、同社により移植され、保守されている。
移植後、桜のあった旧荘川村に因んで「荘川桜」と名づけられた。
ウィキペディアより。

この荘川桜の物語から感銘を受けた国鉄バスの車掌佐藤良二さんは、名古屋から金沢を結ぶ国道を桜の街道にしたいと、12年間をかけて2,000本もの桜を植えた頃、佐藤さんは志半ばにして47歳という若さでこの世を去りました。

この話は、「さくら道」として小学校の道徳で紹介されたり、映画化されています。

この感動的な荘川桜物語、実生(みしょう)の「荘川桜二世」がたくさん誕生し全国各地で、荘川桜の「子」や「孫」が育てられているそうです。

その中の一本が、浜松市の天竜区龍山町戸倉の「やすらぎの湯」の駐車場に植えてあるのです。

JR東海バス名古屋支店地内にある「1号桜」の碑がある。そこに書いてある詩を今日のブログの最後にします。

この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように

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先日、広報委員での会合で、各広報委員が 各委員会での記事をまとめて21日(金)までに持って来るように決まった。
表紙は「地域おこし活動委員会」の「そばの鑑賞会」の記事にしよう。見開き2ページ3ページは敬老会の記事にして写真を沢山のページにしようとの意見がでた。

佐久間は高齢者が多いので、敬老会の写真を浦川地区・佐久間地区・山香地区・城西地区となるべくたくさんの人が映っているような写真を載せようとの意見がでた。

メールで○尾さんが27日(木)事務局で第21号がんばらまいか佐久間の広報誌を作り始めると言うので、私も行ってみた。

私は、○尾さんの作業を見ていただけだが(^^)

10月2日(火)午後7時から広報第21号編集会議開催。
各委員会から6名の広報委員が来た。1名は用事があると連絡が来たのだが、2名は連絡がなかったそうだ。

○尾さんが作った広報誌を6名12個の目でよ~っく見て誤字・脱字、直した方が良い所を探す。
ここの言い回しは・・・・・ここの字はもっと強調した方が良いのでは、等々・・・・。

敬老会の記事の話し合いの時に、○見さんから。

○見:「敬老会で88歳の人に写真を送るのだが、どうにかならないものかな・・・」

敬老会の事を何も知らない私は何が何だかわからなかった。
聞いてみると、佐久間の敬老会は、毎年恒例で88歳の敬老者に大きな写真をプレゼントするそうだ。
○見さんの意見は、毎年おんなじことをやるより、NPOがんばらまいか佐久間でやるようになったので、いろいろ考えて行った方が良いのではとの考えだと思う。

前にも私このブログで書いたのだが、活動委員は何もできない。
理事の人が、我々の活動委員の人の声に耳を傾けてくれないと、私たちはただ委員会で話していることしかできない。

ここで私は思う。
理事会の承認を受けて今の NPOがんばらまいか佐久間は色々なことが決まるのだけれど、こうやって頑張っている活動委員の会員の意見も耳を傾けてくれるようになればと思う。

話が少し脱線した。
今日は、第21号がんばらまいか佐久間の広報の話し。
ところが会合は、敬老会の88歳の写真の話、紅白まんじゅうの話、江戸芝の寿司の話などに及んだ。
最後は、自分が88歳の時には写真はいらない…(とか。

最終的に、○見さんや○野さんたちみんな、委員長の○尾さんに一任、残りの編集作業を他の活動委員が「すいませんが後はお願いします。」
っと終わった。

○尾さん一人では大変かと思い、私「編集作業の時にはメールして」と伝えたが。

10月3日(水)の今日、○尾さんからメール。
「仕事の都合がつき早めに編集作業を行いました。明日事務局に確認してもらいます」

今回、私は最終的にどんな広報になったのかわ分からない。
回覧板で回ってくるまでの楽しみに待っていることにしよう(^^)

 

 

 

 

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2010年から「がんばらまいか佐久間」ではそばのオーナー制度を始めた。
ぞばのオーナ制度とは↓
http://www.npo-sakuma.net/subpageH.html
浦川の上市場地区に900坪の耕作地を借り受け、地域おこし活動委員会・女性活動委員会と連携し始まった。
このそばのオーナー制度を行うために新たな委員会「交流住居モデル事業検討委員会」がこの時に出来たのだ。
私は誰に誘われたのか、当時からこの事業に参加している。

この「交流住居モデル事業検討委員会」は、どうしてできたのだろう。
ある人が、こんな事業がどうだろう???っと提案し、がんばらまいか佐久間の理事会に掛け理事の人に承認してもらい事業が誕生したのだろう。

私は、ただの活動委員、理事たちが承認した活動を手伝うだけだ。

佐久間町が浜松市に合併して7年・・・NPOがんばらまいか佐久間が出来て7年、これからもこの地域に暮らし続けて行こうと思っている私は、微力ではあるがこの活動を手伝っていこうと思っている。

佐久間だけではなく、浜松市に合併し過疎が益々進んだ山間部の暮らしのために。

PS
「NPOがんばらまいか佐久間」活動委員の私は、この活動をボランティア活動として行っています。
ボランティアとは↓
http://www1.tst.ne.jp/wakaba/guide/bora/bora1.htm
最近のこの活動の動きを見ると、参加してくれる人がいないから・・・手当を・・云々・・と言う話が出ていることに疑問を感じます。

byしんしん(^^v

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私の住む佐久間では、浜松市に合併したときNPO法人「がんばらまいか佐久間」を立ち上げた。
そのがんばらまいか佐久間は7つの委員会で構成されている。
「総務委員会」「保健・福祉活動委員会」「地域おこし活動委員会」「文化・スポーツ社会教育活動委員会」「環境づくり委員会」「女性活動委員会」「世代間交流活動委員会」

私は○野侃○さんが委員長の「地域おこし活動委員会」に所属するようになり、民話の里会館で行われる各コンサートの時に駐車場係などのお手伝いをするようになってきた。

そんな私に○野侃○さんが来て、地域おこし活動委員会の中の広報委員になってほしいと言われ、やれることはやって行こうと承諾した。

がんばらまいか佐久間の各委員会の広報委員は、年に4回発行するがんばらまいか佐久間の広報誌を作成するため事務局に集まり発行する広報の内容を決めるのだ。

先日、その広報委員会の会合があり、話し合い、各委員会の人が活動内容をだし、委員長である、○尾さんがまとめてパソコンで広報誌の原版を作っている最中だ。

先日の土曜日に行った「そばの花 鑑賞会」の写真を入れて完成するそうだ。

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昨日は"NPOがんばらまいか佐久間"の会合があった。

「平成24年度 第一回交流居住モデル事業検討委員会」の集まりだ。

この事業は、毎年都市部から佐久間に来ていただき、畑を貸してゾバを作ったりする事業だ。

今回は、ゾバが終った畑にジャガイモを植えたので、そのジャガイモの収穫祭の話し合い。

①集合時間(活動委員は8時30分集合)
②パートナーは10時集合で案内を出す。
③交流会の内容(トン汁・にころ)
④草刈り等環境整備日取り(5日8時30分)

そして、今回の会合ではもう一つの議題、「新 ふるさとの森づくり」の話が合った。

「ふるさとの森づくり」は佐久間から浦川に行く国道沿いの島中峠で佐久間が浜松市に合併し、NPOがんばらまいか佐久間が誕生し行った事業だ。

旧佐久間町時代の議員さんが、何時もはスーツ姿なのに この時は地下足袋に作業服姿で鍬や窯を手に集まっていたのを覚えている。

説明では「ふるさとの森づくり」は専門家が本当の自然林を再現するための森づくり。今回の「新 ふるさとの森づくり」は前回の森づくりとは違うとの説明がありました。

なので、島中峠の森の様になることはないそうです(^^)

「新 ふるさとの森づくり」これから専門家に伺いながら進めるそうです。どんな木を植えるようになるかわかりませんが この活動が浦川の市有林(旧田高育英林)から始まり、佐久間町全体に広がり、ほくえん地域全体に広がり、都市農山村交流(グリーン・ツーリズム)が進むといいな~。

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ふるさと創生一億円。

全国の市町村に対し1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて地方交付税として一律1億円を支給するふるさと創生事業を実施した。(その年、1988年(昭和63年)、竹下内閣のもと消費税3%も始まった)

自ら考え自ら行う地域づくり事業、通称ふるさと創生事業とは、1988年から1989年にかけての日本で、各市区町村に対し地域振興に使える資金1億円を交付した政策である。

私が住んでいる佐久間でも 当時は、そんなお金が舞い込んで、なんに使おうかと色々な話し合いがあったのではないかと思う。

ちょうど、私が佐久間にUターンして帰ってきた頃の話だ。

あれから色々なことがめまぐるしく変わった。、佐久間は浜松市になり。政権は民主党になってしまった。

佐久間町が浜松市になると決めたときに、当時の佐久間町の議員さんたちが「NPOがんばらまいか佐久間」を作った。

私は当時からその活動に参加させてもらっている。

先日、「NPOがんばらまいか佐久間」の会合があった時に、理事長から「浜松市から山間部での活動しているNPO団体に一億円の助成の話がある」との話があった。

70歳前後の理事の人が「お金が沢山ありすぎるのも困るものだ」と言っていた。

昔、ふるさと創生一億円の話し合いの時も こんなことを話していたのだろうか?

今、まさに消費税の増税の議論が始まっている。後の世に、今までの付けを回しては絶対いけない。

お金をかけずに、地域おこしは出来ないものだろうか?

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がんばらまいか佐久間の呼びかけで始まった、そば作りパートナー。

私は そのパートナーの一人、○墨さんに今年 年賀状を送った。

その年賀状のでの、4月に尾籠集落のお祭りに行くと書いてあったことが、とても気になっていたらしく、昨日 寒中見舞いが私のもとに送られてきた。

この葉書には その他 青崩れ峠や兵越峠のことも興味があり是非 行ってみたいと書いてあった。

ところが、その○墨さん 年齢的にも高齢になり「80歳過ぎた私では・・・・・体力的になかなか・・・・・」っと。

なんとか○墨さんの夢を実現できないものだろうか?

○墨さんの住所をネットで検索したら、駿府マラソンのコースの近くだった。

早速 電話して応援してもらう約束をした。

3月4日の駿府マラソン。

○墨さんに会うのが楽しみだ。

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うまいそばをたのしむなら、最初からやってみなけりゃわからない。

そんな募集で始めた「そばづくりパートナー制度」

NPOがんばらないか佐久間では今年も、種まき・ソバの花の観賞家会・刈取り・脱穀・をパートナーとNPO会員達でやってきた。

今日は、そばの味をたのしむ会。今年作ったソバで出来たそば粉を使いソバ打ち、パートナーの人たちもエプロン姿でやっていた。
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来年 再来年と、この事業が続き・・・ソバ打ちの好きな人が集まる、ソバ里になってくれた楽しいだろうな(^^)

You Tubeにソバ打ち名人の動画があったのでアップ。


今日の先生もすごいけど・・・こっちはもっとすごい\(><)/ギョッ

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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