忍者ブログ
平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
[1]  [2]  [3]  [4

昨日、還暦同窓会の往復ハガキを佐久間郵便局に出した。
佐久間町は、その昔佐久間ダムで栄えた町だ。
当時は多くの人がいた町だけど、浜松に合併してからというもの衰退の一途だ。
遠くに暮らす同級生たちに佐久間からの風を感じてほしい為、郵便局員に風景印を押しての発送をお願いした。
心よく応じてくれた佐久間郵便局の人、田舎ならではの対応だ、有り難かった。
そして、その往復はがきを見て、-往信用-・-返信用-の印刷が無いのに気づき、なにやら相談していた。
どうも、その印刷が無いと、往復ハガキとは認識しないそうだ。ヤバイと思った。「家に帰って書いてきます」と謝った。
ところが、その局員の人が「いいですョコッチで暇な時に書いておきます」と、な、なな何と、アリガタイ対応。
感謝!感謝!感謝です~。。。

佐久間町が浜松市に合併する少し前、私の暮す地区に役場の職員が着て合併の経緯を説明に来た。
本当は天竜以北での合併を臨んでいたけど、人々の恋愛を例にとり「いくらコッチが好きだと言っても相手がイヤなら恋愛は成立しません、そんなとき浜松市から強烈なラブコールが来たのです」と。
また、静岡市に合併した井川地区を例にとり「佐久間町もイヅレこうなるでしょう」とも言っていた。

暗い気持ちで佐久間病院の後ろを歩いていると、佐久間中学校時代同級生「キンパン」に出会い、中学校の同窓会をやらないか?との話になり、始まった佐久間中学校75同窓会だ。
悲しんではいられない、地元の同級生たちと様々な話し合いで第一回の同窓会を浦川の清流荘でやった。
第一回のときに作った掲示板↓↓↓
https://320.teacup.com/tsutomu/bbs

45歳50歳と清流荘でやったけど、地元の人が浜松の街中でやりたい人が多かった(涙)
55歳のときは浜松市の街中での開催となった\(^o^)/

そして60歳、還暦での同窓会は浜松のクラウンパレスでやる。
あの日があるから今がある、あんなことがあったから、こんな現在があるのだ。
いろいろなことがあったけど、楽しく酒飲んでパットやしましょう(^O^)/

拍手[7回]

PR

城西小学校の同級生が死んだ。
55歳の佐久間中学校同窓会を3年前にやった時には元気だったのに。

12市町村が合併して、こらからの佐久間町を悲観して。

佐久間中学校を1975年に卒業した人たちで同商会をやろう。

そんなことで、卒業アルバムを引っ張り出して始まった佐久間中学校75 同窓会。

5年に一回、寂しくなったけれど、5年に一回ぐらいは佐久間で楽しく同窓会。

その様に思っていたが。
45歳で始まり50歳のときには
「佐久間なんかより浜松の街中でやりたい!」
と、地元の人からの話が出た。

55歳の同窓会はホテルコンコルド。
ラウンジの窓から見える街明りが眩しかった。

佐久間での45歳50歳の同窓会には来なかった。
あいつ は浜松の同窓会に姿を見せた。
久しぶりに会うあいつは、父親とそっくりで酒が好きで飲んでばかりツマミは口にせずに飲んでばかり。

同級生がタクシーに押し込んで帰っていた。

今年の佐久間新蕎麦祭りであいつの親せきからそんな話を聴いたが、信じなかった。

しかし、どうやら本当らしい。

人生は生きるということは。
いつか来る死に向かって旅することだ。
走り続けることだ。

55歳ん同窓会。
あいつ に出会って本当によかった。

拍手[12回]

佐久間中学校時代の同級生が、オーストラリアのメルボルンに暮している。
そんな彼女から、今日お菓子が届いた(^O^)

ありがたいことです。

その同級生は
佐久間中学校時代、接点は少ない人でした。
彼女は成績上位で、背も高く、遠い存在でした。

私が横吹(斜面集落)から今暮している半場に越してきて、
隣の家が、彼女の実家でした。

何も知らない私は
近所のうわさで、その家の娘はオーストラリアで暮らしていると聞いていました。
流石、佐久間は違う、横吹と全く違う、そう思った。
町だナ~っと。


私が半場に越して次の年、その隣の家の奥さん突然、亡くなり
近所の人が集まって葬儀の話の時に

オーストラリアから急遽帰ってきた、オーストラリアに住んでいるという、その娘さんが電話で流暢な英語で話していました。
横吹では聴いたことのない言葉、佐久間中学校での英語の先生が発音するのとはゼンゼン違いました(^0_0^)

そんな女の人が、近所の人に挨拶をするため、集まった人たちの前に顔を出した時
あっ~。
同級生だとビックリした、そんな思い出があります。

彼女は成績上位で、背も高く、遠い存在でした。
そんな人でしたが
バカで成績下位の私の事を覚えていてくれ、嬉しかった(^0_0^)

彼女との思い出は
私のブログ
電子メール
メルボルン在住の同級生
で保存してある。

佐久間町が浜松市になり、これから益々佐久間町は過疎になる。
だから5年に一回くらいは佐久間町で楽しく同窓会を行おうと始まった
佐久間中学校同窓会
そんな、同窓会も55歳からは浜松市内での開催になった。
そんな淋しさから。
去年から勝手に同窓会「今宵もはじまりました(^.^)/~~~in佐久間」を浦川キャンプ場でやり始めた。

今宵もはじまりました(^.^)/~~~in佐久間(昔のワル)

その時に、このお菓子持っていこうと思っている。
いつか、浦川キャンプ場で飲もうゼ。
オーストラリア メルボルンの仁美ちゃん(*^^)v
byしんしん

拍手[8回]


今年の忘年会、5回目。。。
11月27日
山に生きる会忘年会
12月12日
竜神忘年会
12月19日
浜名湖半周忘年ラン
12月23日
舘山寺サゴーロイヤルで職場の忘年会
そして今回、
12月26日は
1975年佐久間中学校卒業生の忘年会、なのだ。

10年前、佐久間町が浜松市に合併すると決め、この佐久間町も益々過疎化が進んでいくだろうと思い。
地元同級生のメンバーで、45歳の時に浦川の清流荘で始めたのが、この集まりの最初の一歩だった。
佐久間中学校の同窓会だから、佐久間でやるのが一番でなないか。そんな思いもあったが、今はその様には別に思わない。

今回の忘年会は、今年の55歳の同窓会を企画してくれた浜松市内の同級生からのメールで知った。
「忘年会のお誘い。12月26日土曜日18時、浜松肴町「百里」いかがですか」

スマホの予定帳でも丁度空いている。

佐久間から浜松市に飲みに行く場合は、宿泊の手配から始まる。
ネットで検索して駅南のコートホテルを予約。

朝5時に佐久間を出発して、浜松駅に13時50分に着いた。
ホテルでシャワーを浴び汗を流し、缶ビルを飲んで仮眠。。。
夕方浜松肴町の「百里」に予定の30分前に座敷の席に着いた。
今回の同窓会の忘年会を企画してくれた幹事にお礼を言って他の同級生はどの様な人が来るのだろうかと心待ちにしていた。
同級生の(^O^)(^O^)(^O^)
同じ時代を生きてきた同志。。。

チャッピーから注がれた生ビールを手にカンパ―イ。
今年も様々なことがあった。
二時間飲み放題で宴が終わり近づくと幹事が二次会の手配もしているという。
ありがたいことだ。


二次会はカラオケjoyjoy
ミ―ヤン、三井も合流。。。

三次会まではとても付き合いない。
一人で「すき屋」で牛丼大盛を食べてビールを飲んでホテルに帰って就寝ZZZzzz...

2015年12月27日(日)朝5時、浜松駅南口を出発。。。


動画は、佐久間町が浜松市に合併した年に
私が大きくなった浜松市を走ってみたいと始めたマラニックです。
マラニック=マラソン&ピクニック
10年前自分が走り始めた道。
10年たった今も走っている。
10年後、65歳になった自分も、出来るなら今と同じように走り続けていたい。

拍手[4回]

オーストラリアのメルボルンに住んでいるという中学生時代の同級生が居る。。。
その人は、私が暮らしている半場の人だった。
私、30歳の時に、半場に越してきて、少したった時だった。
隣のオバサンが急に亡くなった。
隣近所が集まって、これからの葬儀の話し合いをし。
家族の方の挨拶があった。
子供は皆、佐久間町から出ていって、急遽 半場に帰ってきた。
長男の挨拶につづいて、長女があいさつ。
長女は、海外の人と結婚して、今はオーストラリアに暮らしているという。
電話で英語で話している後ろ姿が印象的だった。。。
その長女が、さっきまで英語でペラペラ話していると思ったら。
挨拶では日本語で、隣近所の人にお礼を丁寧に話、顔をあげたら・・・なんと。
中学生時代の同級生だった。

その同級生はオーストラリアで病院で働いている。
旦那さんもだ。
2009年、職場の仲間を連れて佐久間に来た時がある。
そのときのブログは↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB


Eメールで同窓会の情報も発信しているが、地球の裏側に暮らすので、ナカナカ帰っては来れないだろうな~。。。
と、思っていたら。

今日、車で彼女の家の前を走ったら、旦那さんのシバさんが・・・見えた。
目の錯覚だと思った。。。

「Long time no see」

6年ぶりの再会だ。。。

元気そうだった。
 
彼女、hitomiさんも何にも変わっていない様子(^O^)/

そうそう、お土産も頂いた。

Baker's Cottage と書いてあったぞ。
田舎のパン屋さんという意味かな~?

「麦可思」で検索してみたら↓のページが出てきた。。
http://www.thebakerscottage.com.my/mooncake.asp

中身は、こんな感じ。

 
味は、甘くて、香辛料の効いている日本のお菓子とは一味違った味だった。

私は、今、縁あって、浜松市の北の隅っこ佐久間町半場に暮らしている。
田舎に暮らしていると、なんか「井の中の蛙」でこの人生を終わってしまいそうで悲しい(/ω\)
オーストラリアか~。。。。

メルボルンか~(^O^)

人生で一回ぐらいは、行きたいナ。
海外(≧▽≦)

拍手[8回]

2014年8月23日(土)は佐久間中学校の同窓会だった。

2007年に佐久間町が浜松市に合併することになり、
様々なことが、その合併のことで進んでいった。
中高一貫・NPOがんばらまいか佐久間。。。など。

佐久間に暮す人たちも、それぞれに考えていたであろう・・・これからの生き方。

私はこの年の春、大きな病気をした。
死ぬか生きるか、そんな狭間を経験した。

浜松の聖隷病院を退院して、親に迎えに来てもらい、龍山のトンネルを抜けた時、
眩しい新緑に感動した、山に帰ってきたゾ~~っと。

家に帰り、居間に座り、そこにテレビがあること、この場所にこの本が置いてあること。。
当たり前のことに感謝すら覚えた。

その夜、いつもの自分が寝ている布団で寝て、朝を迎え、
倒れる前に、いつもの日課だったジョギングのコースを
散歩しようとした。

が、走ることはおろか、歩くことも、、、。
太腿の筋肉が落ち、ユックリしか歩けない、ふらふらだった。
その日は天竜川の堤防まで・・・。

数日がたち、働けるようになり、職場から帰ってくる途中。

中学校の同級生に出会った。
金○くんだ。

病気の事を心配してくれ、身体の調子を聞かれたときに、
「中学校同窓会をやらないか?」
そんな話が出した。そして中学校時代のアルバムを開き始めた。

佐久間町が浜松市に合併すると時、
佐久間中学校の同窓会は始まったのだ。

中部のお祭りのに同級生が集まり、30年ぶりの同窓会の開催に向けての話をした。

当時、私が思っていとことは、
合併で、この町(佐久間町)は益々過疎化が進むだろう。
5年に一回ぐらいは、この佐久間で楽しく集まろうと。

一回目と二回目は、45歳と50歳の時には浦川の清流荘で開催したのだが、、、。

地元でやるより、町に出て都会に出てやりたいという話が出てきた。

「佐久間でやっても旨いもんないし、二次会で面白いところもないし」

そんな話が聞こえてきた。

実際、二回目の時に、清流荘に泊まった。
ヤス・コウリュウ・ブーチュと私。
酒は余ったのがあったが、ツマミが無い。
ラーメンを食いに行こうかとヤスは言う。
佐久間には、そんなところは・・・・無い。

こんなことで、今回の「第三回佐久間中学校同窓会」はホテルコンコルドになったのだ。

開催場所は佐久間ではないけど、佐久間町の中学校を卒業した人の同窓会。
佐久間町の地で中学生時代を育った人たちの同窓会、私は佐久間観光協会のゆるキャラ「さくまるくん」と共に出席した。





今回、三回目。
初めて参加してくれた人が何人かいた。
懐かしかったな~(^^)

さくまるくん 
と一緒に写真を撮った動画↓

次5年後、還暦の年だ。

まだ、参加していない人は是非、参加してほしい。

人生、色々なことがあるけど、それなりに楽しく生きて行こうではないか。


人生は一度きり。

byしんしん

拍手[2回]

今年最後の忘年会は・・・・佐久間中学校を1975年に卒業した人の忘年会だった。

当時の佐久間中学校の同級生は3クラス120名くらいの同級生がいたのだが、今はそんな同級生も佐久間に住んでいる人は数少なくなってきた。

今回の同窓会、地元に住んでいる人、地元に親がいるので帰ってきた人、9名での忘年会。

場所は、地元で寿司屋を経営いる同級生の店「江戸芝」
会費は5千円

それにしても、同級生での飲み会は楽しいものだ。

同じ時代を生きてきた仲間の話に、自分の脳裏にもその時代の思い出が甦ってくる。


来年の夏、8月23日(土)には浜松のホテルコンコルドで同窓会がある。
浜松市で準備しているみなさん、宜しくお願いします。
たくさんの同級生が集まるといいですネ。

拍手[0回]

今日は、佐久間中学校を1975年に卒業した人の忘年会だ。

本当は、今年のこの忘年会、たまたま職場に来たマキノと相談して・・・「今年は忙しいからやめよう!!」
と決まったのだが。

今日の宴会場である「江戸芝」の同級生 イチロウが。、
「今年の同窓会、リュウジが楽しみにしてる、・・・・だがや!」
とか言われ、
そのリュウジに電話して相談して、今日に決まったというわけだ。

そして、私のスマートフォンに登録してある同級生のメールアドレスに送信。
「早いもので今年も後わずか、そこで、、、。今年も、その同級生での忘年会をやらまいか、という連絡です。」

久しぶりに送信した同級生へのメール。

着信拒否やReturned mailなどもありましたが、今回、9名集まりました。

忘年会は18時から。
そろそろ江戸芝に行かなければ。

拍手[0回]

私が44歳の時、空手の練習を佐久間小学校でしていた時に

・・・・突然頭に激痛が・・・・・。

私はくも膜下出血で倒れたのだった。

病院から退院した時、佐久間町は浜松市に合併する話が進んでいて、自分の心は荒んでいた。

そんな時に、佐久間中学校の同級生に出合い、、、、自転車に乗ることも走ることも出来ない今・・・これだ!!っと思った。

佐久間中学校の同窓会をやろう・・・と。

45歳の同窓会を浦川の清流荘でやり、それから五年ごとに佐久間で同窓会をやろうと思っていたが、佐久間は合併して人が少なくなっていった。

同窓会も五十五歳は、浜松のコンコルドでやることに決まった。

そこで、せめて忘年会だけでもと、続けているのだ。

その同級生の忘年会は・・・・・28日(土)

写真は浜松

城西のチックンの店「トライアングル」にて

 

 

拍手[0回]

この忘年会は、佐久間中学校を1975年に卒業 そんな同級生の忘年会

ブログ「ほくえんの風」
佐久間中学校同窓会

佐久間町が浜松市に合併することを決め、ここは益々過疎になっていくだろう。

そんなことを合併前、町役場の職員が私の住んでいる地域に説明に来た。

過疎になっていく・・・・・・。

そんなことを言っても、私の家はここにあるのだし、、、、、。

そんな時に、始めた「佐久間中学校同窓会」
私たちの同級生が45歳になるときだった。

その同窓会を、佐久間町の浦川の清流荘でやった。

その後、50歳でやり、次の55歳の同窓会は浜松市内と決まったのだ。

佐久間では、宴会する会場も少なく、地元佐久間の人が都会での同窓会を望んだのだ。

それから私は、地元では同窓会の忘年会を地元の人が中心でやる忘年会を企画したのだ。

その同窓会の忘年会は

場所 同級生経営の寿司や「江戸芝」

日時 12月28日 pm6時から

いろいろ大変なこともあるけど・・・・。

今から楽しみなのだ(^^)

 

拍手[0回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
カウンター
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
4 5 7 8 9
10 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カウンター
忍者ブログ [PR]