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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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この本は、佐久間のある所から頂いた本だ。
差後に寄贈○○○○とある。
この本は、ある人から進められた。鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」その続編である。
そう、私は「気くばりのすすめ」は読んではいな。
しかし、この本は手に入ったので読んでみた。
自分というのは、この世の中で最も大切なものです。
自分がいなければ、何も存在しません。
でも他人がいなければ自分のこともよくわからなのも事実です。
それなら、他人も自分だと思えばいいのです。
他人だけでなく、動物も自然も自分だと思えば、よりいっそう心が豊かになります。
私がいう気くばりとは、人間としてこうすべきであるという他人に対する道徳律ではなくて、人間が生きていくための常識であると強調する理由はここにあります。
原文ママ
本文の最初のほうに、気くばりのすすめで書いたことへの、お叱りの手紙のことが書てあった。視覚障碍者への気くばりの事についての専門家から批判めいたアドバイスだった。
考え方の違いは、誰でもある。
しかし、鈴木健二さんは丁寧に説明して文章を綴っていた。
こんな素晴らし著者にも、批判めいたことを語る人がいるのだと、感じた一説だった。
「好意の1対2対7の法則」というのがある。
約一割の人は友好的でな人、約二割の人は友好的は人、残りの七割の人は批判もしないし反発もない。
鈴木健二さんにも一割の反発があるのか???
現在95歳の鈴木健二さん、ユーチューブで検査してみた。
五年前の動画が出てきました。流石元アナウンサー90歳でも素晴らしくしっかりしてる。きくばりアナウンサー。
説得力、、、参考にしなければ。。。
本の最後に、大学を卒業する最後自分で書いた文章が記載したあった。そして、そこに書いた言葉を今も貫ていると書いて筆をおている。
貫く。世の中を見ていると、自分の口からはいた言葉を過去の事と忘れてしまった人が数多く
いる。
貫く

いつまで走れるかわからないが、やらるだけ頑張りたい。
貫きたい。。。

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本当は前日に静岡市に入りマラソンフェスタに顔を出し、と思ったけど。
まさかの地元自治の会議が前日の9日夜に、泣く泣く、それに参加して、朝早くからの参加となった。
愛野駅を5時55分の電車で行けば間に合う。私は家を3時30分に車で出発した。
愛野駅から約一時間、電車に揺られ、静岡駅に、ランナーの流れに乗って集合場所へ。
ボラの人に、お願いし、写真撮影
ココの大会、規則で仮想禁止・タスキも禁止とか。走るときは外して走りました(笑)
私はゼッケンF〇〇〇〇最終のほうからのスタートだ。ユックリ走るには丁度いい。目標は完走
スタートラインを越えてランナーの流れはスムーズに流れだす。
ゆっくりゆっくり歩みを進める。
折り返しの流れ、走ってくる智さん発見!!、早い。。。
追いつけるかも、とペースを上げるが。折り返し地点ははるか向こう。
すぐに諦める。
富士川の橋を渡ると奇麗な雪化粧をした富士山が、その姿が私の折れそうな心を支えてくれる。
しばらく走り喉の渇きを感じスポーツドリンクをエイド毎に口にするように心がける。
塩分濃度減少で熱中症という苦い経験は二度としたくはない。
ハーフを超え、徐々に足に違和感が、だましだまし進む。
30km地点か。見覚えがあるパンダが。
写真を撮って、パワーを注入
残り7,195㎞は、何時歩こうかと思ってた。
沿道の「足の痛い人」の声には、思わず手を挙げた。
ここを走っている人は、みな痛いのだ。。。と思った。
やっと訪れた、ゴールの瞬間、ガッツポーズで、と思っていたが。
計測マットを超え、隅のほうで、今まで走って来た方向に頭を下げた。


アリガトウ。静岡マラソン。
アリガトウ。今までの自分

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宮崎伸治
1063年広島県生まれ。青山学院大学卒業後、英シェフィール大学大学院言語学研究科修了。大学職員、英会話講師を経て、出版翻訳家に、著訳書は60冊、英語・翻訳関係の23種類を含む、133種類の資格保持。今から8年前、出版業界から足を洗う。
原文ママ

出版翻訳家の苦悩と悲惨な事実を書いてありました。
お金の問題だけでなく、精神的に大打撃を受け、出版翻訳家に見切りをつけた話です。
哀しい話だけど、せっかく身に着けた翻訳のスキル、まだ世に生かしてほしいと、私は思います。
ユーチューブを見ました。ひろゆきの言っていることも納得、

また、宮崎伸治さんのキャラクターが面白い。
真面目、その真面目さが顔に出ている。
頑張ってほしい。

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南野苑生(みなみのそのお)
1948年生まれ。大学卒業後、広告代理店に勤務。バブル崩壊後、周囲の反対を押し切り、広告プランニング会社を設立するものの、13年で経営に行き詰まる。紆余曲折を経て、59歳のとき、妻とともに住み込みのマンション管理員に。以来3つのマンションに勤務。毎年、管理員室で寸暇を惜しんで書き綴ったのが本作品である。
原文ママ
団塊の世代の人のお話しである。
この本によると、バブルがはじけて、その後の行動で今がある。と、なる。
もしかしたら、ホームレス。になることもあったかもしれないと。
そんな苦労があったから・・・。
管理員の仕事、住民の苦情の対応、中には考えられない苦情もある。
また、上司にあたる人の密約、苦情の流れは、流れ流れて最下流の、末端の元へ流れつく。
その対応、大岡裁き、それができないときは離職する、を繰り返す。
59歳からの新しい仕事であるマンション管理員、その真実を綴った記録、哀しいことや面白こと、どんな仕事でも、遣り甲斐はある。
達成感は、自分が作り出すもの。
昨日は、佐久間から浜松駅を目指して走った。
10年くらい前になだろうか、団塊の世代の人と、一緒に、このコースを走ったことがある。
そのとき、もう一人の団塊の世代の人が、浜松駅南口の広場で、私たちを迎えてくれた。
ブルーシートの上には、缶ビールやツマミがあった。
団塊の世代
昭和20年代、戦後のベビーブームで世に誕生した人と達。
世代間ギャップ
若い人たちから見れば、64歳でも74歳でも、同じ年寄りに映るかもしれない。
しかし、昭和20年代といえばテレビもないし冷蔵庫もない。私たち昭和30年代とは違う。
しかし、今回読んだ、この話、人生の先輩の生き方、本で出合う団塊の世代、走る世界で出合う団塊の世代の人たち。
私の人生の羅針盤である。
アリガトウ。

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毎年、一月の最終日曜日は「佐久間駅伝」だった。
そんな感じで、一年の月日は過ぎていった。
スタートがあればゴールがある。「おぎゃ~」と生まれてくれば、いつか必ず天に召される時が来る。
天竜の田口接骨医院、昨日の北遠駅伝のケアーのために訪れて、前から気になっていた座骨神経痛の治療を受けて出てきてスマホをのぞいたら着信
知り合いからだ、いつのように掛けなおして話した。相手の周りは騒がしそうだった。
「〇〇が亡くなった。突然死だ」
何が何だかわからなかった。グルグルぐるぐる。その人の言葉が私の頭の中でリピートしていた。
「え」「何」「なんで」
今年も当たり前のように、同じ道を二人で進もうと思っていたのに。
「人は産まれ、やがて死んでいく。それが人生だ」
映画最高の人生の見つけ方でのモーガン・フリーマンのセリフです。
「人は産まれ、やがて死んでいく」その間に何をやったのか。
その人は地元のために一生を尽くした人だと思った。私たちは大変お世話になった。

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今年で72回目になる北遠駅伝大会、参加チーム20の中で
我が「さくまRC」は19位だった。
一区  0:19:17
二区  0:26:14
三区  0:21:38
四区  0:19:26
五区  0:22:31
六区  0:11:00
総合タイム 2:00:06
スタート
00:19:17
00:45:31
01:07:09
01:26:35
01:49:06
20:00:06
と、タスキは無事にゴールまで繋ぐことが出来た。
私の暮らすところは佐久間町である。佐久間駅伝は、五十回で終わりになった。
昭和の合併で「浦川町」「佐久間村」「山香村」「城西村」からできた「佐久間町」は50年前、四町村をタスキで繋ぐ駅伝を始めた。私が中学校三年生の頃のことだ。
それが
平成の合併で、人が減り、ボランティア確保が難しくなり、佐久間体育協会の苦渋の選択で終わりを迎えた。
私が63歳の夏のことだ。
人生も、駅伝も、スタートがあればゴールもある。
幼稚園で白血病になり小学校一年で世を去った人がいる。
知らない人はいる。その命があって、今のドナー登録の人を押し上げていることを。
今年で72回目になる北遠駅伝大会、私は骨髄バンクランナーズのTシャツを着て走ることにした。
それは、名古屋シティーマラソンで出会ったサバイバーランナーの出逢いから続いている。
多くの人に知ってもらいたい、骨髄バンクのこと。
初めて北遠駅伝に参加したときのこと、今とはコースは大部違った。
バイパスにあった役所前をスタートして西浦までの坂道だらけの一区だった。
私は何時も二区を走った。二区中継所でトップランナーはガッツポーズでタスキ渡しをしていた。
ところが二位三位とみな満身創痍で二区中継所にやってきた。一区での、あの激坂は多くのドラマが展開しただろうと想像する。
二区は西浦から池島(当時の三遠南信草木トンネル)まで、ここも激坂ばかりだった。曲がりくねった登坂を永遠と登って行った。やっと池島に中継地点が見えた。タスキ渡しだ。すると「三遠南信道をもう少し上ってコーンを廻ってきてください」と、審判の無常の声が耳に焼き付いた。車で走れば何も感じない坂が壁に見えた。
それに比べて三区は転がり落ちるような下り坂だった。
フジユニバンス水窪事業所で働いて、そこのチームで参加していた時は、永遠の二区走者だった。
当時の四区は、西浦から水窪平沢文具店、二区を走り終わった私は車にて応援に廻っていた。車を置いて大原から町中に行くと、応援はものすごい声援と熱気とに包まれていた。それは、多くの小中学生の声援だった。走る恩師を応援する子供たちの声援がこだましていた。
あれから30年
子どもたちは減り、声援は少なくなったけど、山間部ならではの温かさは今尚続いている。
最後の役員の挨拶で、もう少し参加メンバーを増やしたいとの言葉があった。
北遠駅伝は多い時で60チームとか言っていた。
多くのランナーよ。老いも若きも、北遠に集おう。
2025年は
2月23日(
だという。

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著者 川島徹
1950年、鹿児島県生まれ。大学卒業後、外資系企業に就職。40代半ばで退職し、貯金と退職金で生活しながら、文章修業をする。50歳のとき、鹿児島に帰郷7、巨大企業○電力の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。勤続10年目にして突然のクビ宣言を受ける。その後、介護職などを経て、現在は無職、70歳を迎えて、本書の刊行により長年の夢を実現させる。

原文まま

検針員がえぐりだす労働と人生のリアル
若い時には夢があり。老後は寂しい人生、と思うのが多くの見方だと思う。
しかし、この本には自分の「夢」を追い続ける70歳作家のリアルな人生を書き表している。最高の著作品だと思う。
人生には様々な事がある。著者は「夢」を叶えるために外資系企業を退職した。そして修業の時期を、故郷に帰りメーター検針員の仕事をこなし10年。「夢」を実現した。寂しい話しや、笑える話し、悲しい出来事、人生には様々な事がある。
生きて行くためには、お金が必要だ。お金を稼ぐためには、働かないといけない。メーター検針員の実情を分かった良書でした。
私より10歳年上の著者、私には10歳年上の女性のランナーがいる。
何方の人も、私の人生の大先輩、私のこれからの人生の羅針盤にしたいと思っている。
ありがとうございました。

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柏耕一
1941年生れ。出版社勤務後、編集プロダクション設立。出版編集・ライター業に従事していたが、ワケあって数年前から某警備会社に勤務。73歳を迎える現在も交通誘導員として日々現場に立ちながら、本書のベストセラー化により、警備員卒業の日を夢見ている。
原文まま

若き日に勤めていた会社の年配の人が交通誘導員をやっていた。水窪の道をランニングしていると、たまに出会い。話をした。元気の良い人だった。が、トンネルで誘導の仕事の時、倒れて、、、。そんな話を聞いたことがある。80歳近かったとか。
今の日本、死ぬまで働け。そんなことを言われているような気がする。
さて、この本の内容だが、交通誘導員の大変な仕事の内容が書いてある。仕事もそうだが交通誘導員の人間関係の複雑さのことも、高齢者だから出来る仕事、それは人生経験が豊富だから。
先日、豊川を朝6時に出発し走り始めた。新城のバイパスを走っているとき、8時55分、9時から始まる仕事に向けて待機していた。ルールでは9時から仕事を始めなければならない。交通誘導員でない現場の人が、私を笑顔で誘導してくれた。(現場監督なのか?)
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。
「住宅営業マンペコペコ日記」を読んだ。
「メガバンク銀行員ぐだぐだ日記」を読んだ。
「ケアマネジャーはらはら日記」を読んだ。
「ディズニーキャストざわざわ日記」を読んだ。
「コールセンターもしもし日記」を読んだ。
「派遣添乗員ヘトヘト日記」を読んだ。
今回
「交通誘導員ヨレヨレ日記」を読んだ。
今回8冊目である。
最後に著者
柏耕一さんで検索してみた。出るわ出るわ
「交通誘導員ヨレヨレ日記」を始め「交通誘導員ヨレヨレ日記」マンガ
「あなたの脳を活性化する四字熟語クイズ」
「交通誘導員まだまだ引退できません」
「武器としての言葉の力」
「なぜそこに感動が生れたのか」
「14歳からのソコソコ武士道」
「折れない心をつくるいい言葉」
と多数の本を出版している人だ(^O^)/

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毎年おさかなさんが企画してくれるイベント
今年は30人のランナーが全国から集まった。遠くは北海道・大阪からも。
私は浜松市の山間部、飯田線の中部天竜駅から始発(5時25分)の電車で名古屋に向かった。
大都会名古屋市、山間部の私は憧れの地だ。
多くのランナーの後を着いて走った。
走り終わって、山王温泉嘉多の湯に入り。宴会
出会いがあった。女衒の人との出会いだ。それは
○田さんからの紹介だった。
私の向かいに座った○田さんは、隣りの人を
「この人のお店は座っただけで一万円」と話した。
私は
「高級クラブの経営者ですか?」と尋ねた。
その人は
「ちゃうちゃう女衒」と笑って答えた。
山本周五郎「さぶ」での女衒の六の話しを思い出した。女を食い物にし、血の涙もない女衒の六が、最後身づ知らづの女を助けるために死んだ。栄二の心は揺さぶられた。
今は令和の時代、女衒の仕事も昔とは違う。
お金のため、男を喜ばせる仕事、男は、それ満足する。女はそれで得をする。
話しは変わって、今月また名古屋に行く用事がある。
過去に水窪盆栽クラブで名古屋に行った。また、同じようなコースで名古屋に行くという。
2018年のブログ↓
前回は、盆栽の展示会に行って地下鉄で名古屋駅に帰ってきたけど、名古屋駅での昼ご飯は、パッとしなかった。
今回は、地下鉄で栄まで行って、オアシス21によってこようと思っています(^O^)/

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著者
梅村達
1953年生れ。大学卒業後、映画の製作現場を皮切りに、塾講師、ライター業などを経て、50歳のとき、派遣添乗員に。以来、いくつかの派遣会社を移りながら、現在も日々、国内外の旅行に付き添う現役添乗員である。本書がヒットしたら、「月1~2回、趣味みたいに添乗員の仕事をしていきたい」というのがささやかな夢。
原文まま

派遣添乗員の、お話し。派遣っといえば、そう私も考えて見れば「派遣」だ。
今回読み終えて、著者のこの、派遣の考え方に、ものすごく感銘を覚えた。
イロイロ、理不尽なことがあるが、グット我慢して耐えて耐えて業務をこなす。素晴らしい事だと思う。
「当年66歳、本日も”日雇い派遣”で旅に出ます」
”日雇い派遣”
ほとんど憂鬱、ときどき喜び
そう。楽しい事ばかりでなない。ほとんどが大変なことなのだ。その大変なことの中に、少ない喜びを感じるのだ。
本書の中で、一部、私なりに納得した事
無料ツアー
私の家内が、この無料ツアーに当選したことがある。本書であるように私が誘われ料金を出した。
また、本書であるように宝石店にも途中来店した。そこでは真珠を大量に触らせ満面の笑顔で購買意欲をそそらせる作戦で旅行客を誘ってきた。私は辛うじて無視して通過したが、買う人もいたように思う。
その本でも書いてあるように、一人の年配の女性が、
「これは旅行会社の作戦」と、平然と言っていた。
食事の時は、バイキングでカニやらウナギやらを食べていた。これでタダとは旅行会社、、、恐るべし。
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。
「住宅営業マンペコペコ日記」を読んだ。
「メガバンク銀行員ぐだぐだ日記」を読んだ。
「ケアマネジャーはらはら日記」を読んだ。
「ディズニーキャストざわざわ日記」を読んだ。
「コールセンターもしもし日記」を読んだ。
今回
「派遣添乗員ヘトヘト日記」を読んだ。
様々な仕事がある。様々な人がいる。様々な人生がある。
あとがきに、筆者は「火付きの悪いライター」だと書いてある。そしてサミエル・ウルマン「青春」のようにと燃えるような秋~冬の季節を生きてみようと書いてある。
サミエル・ウルマン「青春」とは、青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。と始まる。希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。との言葉もある。
何処に暮らそうとも、いくつになろうとも、希望をもって夢に向かって歩みを進めたいものだ。
しんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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