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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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去年のブログ「水窪祭り2016」

一昨年は遠山郷で行われている「チェレンジマラニックin遠山郷」と同じ日だったので遠山郷に行く途中に仮装を観に寄ってきた。
遠山郷に行く前に。。。
 

今年「水窪祭り2017」は、な・なな何と、仮装に申し込んでしまった。

二年間、水窪祭りを観に行って、水窪の人たちの仮装の意気込み完成度は感じていた。

この様な、すご~い仮装はむりだが、自分なりに伝えたいこともあった。

自分は毎年春、12市町村が合併して大きくなった政令都市浜松市を浜松駅南口から、ココ水窪町(ほくえん)と通て県境である青崩峠を越え南信州「遠山郷」まで走っている。
2011年の6月春、協力してもらうランナーを集って初めて超えた青崩峠。
参加者20名
http://run2.ina-ka.com/yumekaidou/sionomiti.htm
ネットにそんな仲間を残してある。


2014年のときには中日新聞の記者が浜松駅に現れて矢継ぎ早に質問された。
「何のために、このようなことをやっているのですか?」
「地域おこしの為ですか?」
当時、そんな言葉の返答に困った。
しかし、今では言える。
自分が楽しいから。と。
 

今回、申し込んだ水窪祭りの仮装も同じ、楽しもうと思ったからだ。

浜松市の北の果ての街「水窪町

この景色が、政令都市浜松市の、このままのやり方では維持していくのは難しいと思う。

多くの人に考えてもらいたい問題だ。
中山間地が抱える問題、過疎高齢化のこと。

byしんしん

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残暑厳しい8月の末、土曜日の朝、浜松駅南口から天竜区佐久間町にある「上島キャンプ場」までの60㎞を走ろうというメンバーが集まってきた。

12市町村が合併して新浜松市ができ、私が暮らす北遠(ほくえん)は浜松市の一部になり、当時の合併で「旧12市町村が其々キラキラと輝くクラスター型の浜松市を目指す」そんな言葉に少しの希望を持って
自分 一人で走った、この道。

12市町村が合併して出来た新浜松市を12回目に走る仲間。
ある人は、三重県からやってきた。
先日、静岡新聞で長野県売木村村長の公演記事が載っていた。
「人が訪れる、訪れたくなる村をつくるには、内外のひととのつながりが大切」

今回、佐久間まで走ってきた走る仲間。
また、佐久間に暮らし佐久間で教職を退職し地元で地域のために暮らしている人が、私の「冷えたスイカを買って上島キャンプ場に持って来たほしい」そんな言葉に快諾して協力してくれた人。
佐久間の別荘を持ち、佐久間での田舎暮らしを楽しんでいる仲間もいる。
そんな人が、上島キャンプ場での料理を担当してくれた。

12年前、あの合併があったから
人とのつながりを、今以上に大切に暮してきた結果が、今回の「浜松縦断マラニック」になった。

「浜松縦断マラニック」60㎞
始め萩田氏に相談したとき「飯田線で佐久間に行き、佐久間に泊まってから佐久間から浜松に下ったらどうかナ」と言われたが、私は当時佐久間から浜松市街に引っ越す人が多いので、かたくなに「このマラニックは市街から山間部に登って来るのに意義がある」と言ったのを覚えている。

ダムが無い時代、アユが天竜川を遡上してきて、佐久間でも天然の大きく育ったアユが釣れたという。
そんな若鮎のように、山里の佐久間に上ってくる人を願っての「浜松縦断マラニック」だった。
 

最初、上って来るだけだったのが、何時しか往復になった。
浜松市のシンボル「アクトタワー」を背にした往路だったのが、今度は「アクトタワー」を目指しての走り。

天竜川沿いの道は川の流れに沿って、旧天竜市に出て、浜北区からの浜北バイパスは灼熱地獄、真っ直ぐなジリジリと照らす太陽を遮る木陰は何もない。
そんな路を「アクトタワー」目指して走る。
今回、自分は、そんな地獄から逃げ、西鹿島駅から電車でのワープをした。
そして浜松駅に到着した。

人とのつながりをつながりを大切にして、今までやってきた私のマラニック。
あの12市町村の合併があったからからこそ、ここまでやれたのかもしれない。

「浜松縦断マラニック」
縦断縦の方向に断ち切ること。

12市町村が合併して出来た浜松市
日本でも二番目に大きくなった政令指定都市浜松市。
そこを縦断するとはスタートは中田島砂丘だとの意見も聞く。

私にとっての「浜松縦断マラニック」この縦断の意味は。
12市町村の合併をきに様々な人間ドラマがあったことを、中でも浜松市の北部は合併を機に多くの若者の流失を余儀なくされた。
巨大な行政区にして、中山間地にある多くの橋は錆びだらけ。

「しんしん」が、桃太郎侍にふんして一刀両断浜松市を切った(切ってしまいたい)そんな思いの「浜松縦断」であったのであった(^O^)/
 
第12回「浜松縦断」記録

 

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二次会は最後までは付き合わなかった。
早めに就寝、寝床で修身のお話を思い出しながらの睡眠。爆睡。
 
隣で爆睡中の爆音に気が付き目が覚めた。
何時だろうか?
辺りは真っ暗、走る用意をし、布団で目をつぶるも寝付くことはできない。

夜明け前、森町三倉ムーハウスの玄関を開け、運動靴を持って外にあるソファーに座る。
外は真っ暗。AM4:00
チョットした屈伸運動を終え走りはじめた。
ハンドライトをたよりに上り坂の道路を、昨日寄った「神楽坂」方面に向けて走りはじめる。
山や木の陰で狭くなった空が時より見える。その狭い空に星が輝く。
斜面にある郷にでて、狭い空が少し広がり、私が唯一知っている星座「オリオン座」が見えた。
その横に、ひときは輝く星(後から聞いたら金星ではないかと言われる)その上に切れるような三日月が、、、、ぽっかり浮いている。
汗をかき息が弾み、峠に着いたのが5時近く、あたりは白み始めていた。
ココの峠を、北に下ると川根に至る。
峠のフェチとしては、せっかく極めた峠、下ってみたい、そして下ったところにある郷に行ってみたい、そんな衝動に駆り立たれる。
が、
少し下ったが、帰ってきた。
峠に帰り、その道を今まで走ってきた道を帰ることもできるが、もう一本の南に尾根沿いを向かう道を行くことにした。
この道は、数年前、山草人さんの後を着き走ったことがある道だ、昔の記憶を辿って走ることにした。

杉林の中のジョギング、夏の季節の終わりを告げえるヒグラシの合唱が聞こえる。
昨日、勉強会での「血・育ち・教え」その中の「血・育ち」変えることのできない昔からの自分。
横吹で生まれて横吹で育った、横吹(よこぶき)斜面集落。
山で一人で走っていると感じる。一人で気ままに走る自由さ楽しさ解放感。
血統も育ちも良くないけれど、戦後それを個性と呼ぶようになった。
個性、灰汁、だらけの自分だけど「それでいいのだ

  随分走ったが、そろそろ目的地に着いてもいいのではなっか、そう思ったころ、こんな看板が。

「美しい自然は、みんなの財産です。自然を破壊するような行為はしないで下さい」
自然保護

そこが三差路、真っ直ぐ行くと上り坂。左に折れると下り坂。
そろそろ山を下るときだと考え、左の道を選び下りの道を進んでみた。ところが右手を沢が流れる、この道。見覚えが無い、もう少し進むと何か思い出すだろうか?
ヤハリ違っている、もと来た道を帰る上る、さっきの三差路、今まで来た道を戻ろうか、それとも真っ直ぐすつづいている上り坂を行こうか、悩んだ末、真っ直ぐの上り坂を進んだ。
その上り坂を登り切ると、今まで杉林の中だったのが、広葉樹に囲まれてのコースになった。何となく昔の記憶が蘇る。
数キロ進むと下り坂、昔の記憶に重なり合いこの道ではないかと確証してきた。
不安だった気分も安堵に代わる。道は下り坂。下り坂、、、最高(^O^)/

人生下り坂最高!
こころ旅。火野正平気分(^O^)/
 

苦しみがあり。不安な事があったり。偶然の出会いがあったり。道に迷ったり。
毎日が旅、
am5:50 森町三倉ムーハウス、無事に帰って来ることができた。

朝食の味噌汁に感謝した。

am9:00
萩田氏「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会

別にキリストの信者でもないが、巡礼の旅に行ってきた。
萩田氏、69歳の原動力は何だろう。

莫大な資料、旅を有意義なものにする行く前の準備、普通の人では考えられない下準備。
自分の財産は、人との繋がりだという萩田氏、自分も参考にしたいところが多くある。

今回の巡礼の旅、ヨーロッパ「スペイン」の歩き旅。

私、昔書いたブログ
#旅は人生そのもの。
ノンフィクションライター沢木耕太郎の本
深夜特急新潮社
 第三便 飛光よ、飛光よ
たまたま出会った本で感動し書いたブロブ
インドからバスを経由してヨーロッパまでの旅の話。
萩田氏に最後質問した。
「スペインを32日間787㎞歩いて最後サンティアゴに着き、大西洋を見た感想は如何でしたか?」

未だ海外にすら行ったことが無い自分。聴きたいことは山ほどあった。

コース設定をシッカリして、仲間を連れての旅。
当初、萩田氏が「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」に行くことは聞いていた。
そのときは、誰かほかの人が、私の知らない萩田氏の仲間が、計画を立て、その仲間に連れられて行くのだと、勝手に思い込んでいた。

その資料をまとめ、今回の
「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会に至った。
その苦労たるものは尋常ではないだろう。
萩田氏のよく言う言葉
「時間が無い、お金がない、それはやりたくない」
萩田氏だからいえる言葉だろう。

報告会が終わり、片付けを済まし、次は希望者でアクティ森横のソバ処「ほっとり」で昼食をとることになる。

その後、希望者で「大田川ダム」へ。

このダムは、発電用のダムではない。
治水の他、河川維持用水や上水道用水確保の目的を持っている。

話によると、さっき蕎麦を頂いた近くの「アクティ森」で、ダムカレーが食べれるという。
何時か食べてみたいナ「ダムカレー
竜川のダムカレーより工夫がされているみたい。
https://twitter.com/tsunagarubike/status/834240284657528832

一周2.5㎞の遊歩道を散歩、途中少し走る。

二日間大変お世話になった諸先輩にお礼のあいさつをして佐久間への家路を急いだ。
途中、家に夕ご飯にとピアゴ森町で寿司を買う。

周智郡森町は平成の合併で単独での道を選んだ。
袋井からの強烈の合併の話をけって単独での道を選んだ。
森町三倉は、森町の山間部の里だ、昨日は、その三倉にある「神楽坂峠の茶屋」にて夕食を食べた。

森町三倉ムーハウス
は、元佐久間町の人所有の別荘だ。
城西地区と聞く、私の兄と姉と同じ年頃だとい聴く。

佐久間町は佐久間ダムができたとき城西村・山香村・浦川町・佐久間村が合併して出来た町だ。
そして平成の合併で浜松市に編入合併を選んだ。

佐久間に帰る道程、天竜あたりに家があればどんなに楽だろう。
その様に思う時がある。


今回、森町三倉に勉強会に行く。
そんなことをwifeに告げたら。
 先に書いた

「片岡鶴太郎、離婚したんだって」こんな言葉が気になった。
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

ガビーン(≧▽≦)

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「片岡鶴太郎、離婚したんだって」
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

 
毎月、森町三倉ムーハウスで私たち仲間での勉強会がある。
8月19日(土)
8:15(ピアゴ森町)→8:15(ムーハウス)勉強会準備・近況報告・・・・・
勉強会は、そんな感じで始まる。

年間の計画があり、月の計画があり、勉強会があり、自分の手帳に今日の計画を入れていた。
自分が暮らしている田舎「半場」
お祭りが終わり、盆が過ぎ、盆踊りが終わって、盆踊りの片付けが雨で延期になり、丁度この日に重なった。
「用事があるから」
勉強会を優先で、森町に行くこともできたが、村の盆踊りの片付けを終わってから森町には行くことにした。
 

勉強会は、午後から本番
森信三先生の本「修身教授録」
この本のを読んでその講の内容を基に話し合うの勉強会なのだ。
今回は「血・育ち・教え」
「血」 → 遺伝
「育ち」→ 家族の教育
「教え」→ 家族以外の教育

森信三先生は「血」「育ち」は根強い力を持っていると言っている。
「血」「育ち」に対しては、よほど立派な教えを説かないと、このあくというものはなかなか容易なことでは抜けないと言っている。

自分の「血」と「育ち」における卑しさが、自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現われているかということを、まず知らなければならぬと思うのです。
と言っている。

この卑しさに気づく手がかりは、気品のある(血筋も育ちも良い人)の言動から學が良い。
と言っている。

ああ、なんと、この自分の今までの言動の卑しいことか、「血」「育ち」の悪い、このあくだらけの自分よ。
そう思う。そう思っていた。そう感じ始めた。

そんな卑しい自分を直すには、「血」「育ちの」の良い人の言動を見習うこと。
私たちの周りの人で「血」「育ち」の良い人を参加者の中で上げてもらった。
関東のアノ人、関西のコノ人、近くにもいるじゃない、あの人育ちが良いのでは?
様々な人が上がった。
 

森信三先生の本「修身教授録」
戦前、天王寺師範学校で行われた森信三氏による「修身科」の講義録。
平成の時代に生きる中高年が、先生の本を基に勉強会。
侃々諤々と話が弾む。

そんな時、ある人が、この内容の
このあくというものはなかなか容易なことでは抜けない
「このあく、灰汁、このあくは、戦争が終わり今の時代、教育の世界では、個性と呼ぶようになった」
そんな話が合った。
 
個性か~。
卑しい自分に、光が差した瞬間だった。
個性か~。

卑しいランナーだった自分は
気分が良くなり本日の勉強会は終わりを迎えた。

もう、何年やってきたのだろうか、この「勉強会」
毎月一回行っている「勉強会」
予定が合わず参加で出来なかったこともあるが、なるべく参加するようにしている。
森町三倉ムーハウスで行っている「勉強会」何時もは日帰り、ここで解散だが、今回は合宿での参加者もある。

日帰り参加者は、帰っていく。
何人が宿泊するのだろう?
食事は?
夕ご飯は「神楽坂峠の茶屋」だという。

こんなとこに、御食事処があったのか。

料理もオシャレ。

アユは揚げ物

塩焼きでしか食った事なないアユ、揚げたアユもまた美味。

お酒も入って、カラオケは「ららら」
ムーハウスに帰って二次会
卑しい自分だけれど、お酒もホドホドに就寝ZZZzzz

つづく

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。
ウィキペディアから。

詳しくは
心の届く「阪急交通社」
世界遺産>スペイン ↓
http://www.hankyu-travel.com/heritage/spain/santiago_way.php

そんな巡礼の旅に、知り合いが行ってきた。
そんな巡礼の旅の様子を、知り合いがラジオ生出演で話していた。
それが↓

第一歩
  十里の旅の第一歩
  百里の旅の第一歩
  同じ一歩でも覚悟がちがう
  三笠山にのぼる第一歩
  富士山にのぼる第一歩
  同じ一歩でも覚悟がちがう
  どこまで行くつもりか
  どこまで登るつもりか
  目標が
  その日その日を支配する
後藤静香(ごとうせいこう)

人生は旅そのもの。

楽しい人生にしたいですネ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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