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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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この登山マラソンは
私が走りはじめた頃、27年前、当時は夏の大会は無かったころの話。
雑誌「ランナーズ」記載されていて知っていた。

走った後、宴会がある。ビール一本付きと書いてあった。
如何しようかと悩んだが、やはり参加料が高いと躊躇した大会だった。

当時、走っていたならば、治郎さんに出会ったことがあっただろうに、今思うと残念でならない。

明日行く「石巻山登山マラソン」は、今「有志による…石巻山登山マラソン」となって新しくなった。
ここの大会は、もともとは石原次郎さんが始めた大会だそうだ。
その次郎さんが、病気で亡くなり、そこを萩田さんが
「こんな素晴らしい大会を辞めてしまうのはもったいない」
と、今も続けているのだ。
そして今年は、その萩田さんがスペイン巡礼の旅で留守のタメ、ノブさんが呼びかけ人代理で開催するようになった。

また、石巻山の自分の思い出がある。
37年前。
私がフジユニバンスに勤めていた頃の話。
まだ20歳代の話。
フジユニバンスはその昔「富士鐵工株式会社」だった。
第二工場はトランスミッションの歯車から組み立てまでおこないトランスミッションユニットを作っていた。
その中の熱処理に配属になって、そこでの忘年会に、ここ「石巻山」の旅館を利用したことがある。
当時、その職場では、忘年会にステッキを呼んでいた。
今ではコンパニオンと呼ぶらしい。
その時来たステッキは齢の頃も、そんなに若くはない女性だった。
しかし、そでも、若かった自分にはドキドキするものがあった。


二時間チョットでその若くはないステッキが宴会場の舞台前で挨拶をして、会場を去って行った。
余った食べ物と酒を飲み、後は寝るだけだと思ったら。

な、なななんと。
男だけの寝る部屋で、八ミリビデオの上映会が始まったではないか。

部屋の明かりを消し、ふすまをスクリーン代わりにし、ジージーっと始まった。
あられもない姿の女性が獣を相手にチョメチョメ,外人の一物が異常にデカかったのを覚えている。

そんな思いで多き石巻山へ明日は走りに行く。

明日はジージ―も無い。
今から30年前、今のようにスマホもパソコンもない。
若い人は先輩に、悪いことも良いことも教えてもらった。

今は、わからないことがあったら、スマホやパソコンで検索すれば様々な答えが返ってくる時代に暮らしている。
昔、男どもは卑猥なシーンを真っ暗闇の部屋で息をのんで見入った。

明日、自分は、若き日の思い出深い石巻山に行く。
ジージ―を見た旅館は何処だっただろうか、走った後、石巻山の山頂にも行こうと思う。
57歳になった今、ジージ―よりも走る楽しさを知って、走り終わってからの宴会の楽しさも知った。

また、夢を追いかける事の楽しみも知ったのである。
byしんしん

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ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
を、読んだ。

「愛」だけでは語りつくせない真実、あなたがほんとうに潰したかったのは何だったのですか。

百田尚樹さんの『殉愛』を読んだのが2015年2月
飯田線に揺られ中部天竜の駅から名古屋を目指していた電車の中で読み終えた。
二年前の自分がどんな気持ちで、この本『殉愛』を読んだのか読み終えたのか。

名古屋駅に下りた自分は、名古屋駅構内の銀の時計前で、初めて参加した「名古屋いいとこマラニック」に参加するメンバーを待っていたのだった。

この本
ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
では
序章 ~第一章・第二章・第四章・第五章・第六章・第七章・第八章・終章・あとがき。
となっている。
膨大な取材を基に書き上げた本だ。

大阪を愛した男、やしきたかじんの生涯を膨大な取材で知り得た事を書いた本。
毒舌でテレビでの解説は観ている者を納得させ楽しませてくれた、やしきたかじん
あとがき
で著者が、ふれた言葉が気になるのでブログに残しておこうと思う。

P268
自ら億ションに住み、国内外にいくつもの不動産を所有したが、母親が住む実家は昔ながらの長屋のままだった。それらは第三者がとやかくいうことでないかもしれないが、こと大阪の未来については一家族の話ではない。
たかじんが旗振りとなり10年に「大阪人を明るくするまちにしたい」という趣旨で「OSAKAあかるクラブ」を設立したことは第七章で触れた。財政赤字と不況に苦しむ大阪をなんとかしたいという、たかじんの熱い思いは充分にわかる。しかしその彼が、生まれ育った西成のことをなぜ一言も言わなかったのか、私には納得がいかなかった。ふるさとを想うなら、出身地を明らかにするのが自然であろう。
ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
原文まま

やしきたかじん
大阪を愛した男、大阪に多くの寄付をした。

>ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
そんな人は
やしきたかじん
だけではない。
そんな人はこの世に五万といる。

自分もそのひとり。
横吹(よこぶき)を後にしてココに出てきた。


「ゆめいらんかね」読書(*^^)v
やしきたかじんは我々一般人からすれば夢のような生き方をした人物。

また、この本を読んだ自分は、普通の生活を送れることに感謝していると益々思うようになる。
たとえ過疎地で不便な生活の中でも。

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非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。

先日、職場に、来た、電気工事の人は、小さなころ西渡(にしど)に暮らしていたそうだ。
当時の親が、西渡に見切りをつけ浜北に引っ越したそうだ。
「よかったゾ~親が早くに決断してくれて」
「ハッキリ言って、ココは限界集落」
「ここに住んでいる人には悪いが」
「ま、出るんなら早い方がいいゾ-」

年に一回、その工事の人と、出会い、心おきなく様々な事を話す。
趣味はスキー、日本全国のスキー場にいってみたいと言っていた。
北海道のスキー場は全ていった。今までいったスキー場で一番すごいと思ったのは蔵王。
その人は山登りも好きで南アルプスに登った話もしてくれた。
しかし、疲れることは、あまり好きではない、山頂が近づいても体力的に登れないと思ったならば引き返す。
話の中では、登るのを諦め引き返した話が多かった。

‫今、佐久間では
NPOがんばらないか佐久間では
佐久間の人と描く夢
と、広報誌に、佐久間町でアワビの養殖を発案された市の職員の人の後援会の写真がデカデカト記載されていた。
 
写真は田中陽樹講演会の、佐久間から走って聴きにいった(*^^)v

その講演をした人は知っているだろうか?
佐久間を西渡を出て行った人の、こんな言葉を。

佐久間には少なくなったと言っても佐久間ダム関係の仕事がある。
特別養護老人ホーム「さくまの里」もある。

しかし、そこで働いている人の中にも佐久間を出ていく人が居ることを。

地元の雇用を作り、地元を活性化する。
働くところを多くすればいいという考え方、それはそれでイイ、しかし、根本的に変えなければいけないことは。
心の問題だと思う。

「トチを切るバカ、植えるバカ」

非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。
水窪町の上村から嫁に来た私の母親からも聞いた言葉。

昔、栃の実は非常食として貴重だった。

バカみたいに走っている自分、それはそれでいいのだ。

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水窪町
山深い、その町は、その昔、宿場町として栄えた町だ。
1994年、三遠南信自動車道の一部として草木トンネルが開通し、これから山の時代がやって来ると期待した時もあった。
平成の合併があり、当時の浜松市長が「クラスター型」の新浜松市を目指すと言ったのも束の間、次の選挙で新市長なと時には
「コンパクトシティ」田舎は田舎なりの・・・・・。

西渡(にしど)から水窪までの国道152号線は、相月バイパスはできたものの、他の所は拡幅する兆しがない。
人のうわさでは「原田橋の大きな工事で予算がそっちの持ってかれた」そんな声を聴く。

そんな旧水窪町の木は栃の木
そこに暮らして来た人々は、昔から栃の木を大切にしていた。
 
水窪の名木

今、水窪には栃の実を使ったお菓子を売っている店が二軒ある。
小松屋と八幡屋
小松屋のトチモチは甘く。八幡屋のトチモチは栃本来の苦みがする。

水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。

今、現在、技術の発展は目覚ましい。
近い将来、車が自動で走るようになると言われている。
中央車線や側道の車線に反応してそこを越えない様に真っ直ぐに走るようにするという。
西渡から水窪までの国道はマダマダ二車線もおぼつかない所々落石も発生しようかと思われるところもある。
浜松市では有事の時のドローンでの災害物資を搬送を考えている。
 

この様な環境下では、いっそのこと町に出ようか、そんな風な考えがあっても不思議ではない。

水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
そんな水窪の山の中に栃の木の老木が方々に残っている。

今自分のやっていることは馬鹿げたことかもしれない。
しかし、世の中、賢い人もモチロン大事だが、こんなバカも少しは役に立っているのではと、最近思うようになった。
 
多くの人に、水窪、知ってもらいたい。。。

小松屋
https://5028seika.com/
八幡屋
https://yawatayaseikaho.jimdo.com/menu/tochimochi/

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日本ではお酒などを飲みに行ったときワリカンにするという文化がある。
「お勘定いくら」「ぽん割にして一人いくらづつネ」
飲むのが、集まるのが好きな人が音頭を取って、気の合った仲間を集めて飲み会を開催する。

そんな時に、こんな声も聞こえたりする。
「ウーロン茶しか飲んでいないのにワリカン?」
ワリカン、平等のようで平等ではないワリカン。

みんなが同じにすることは難しい。
同じようにすることはできるかもしれない。

先日、私が行ったマラニックも、このワリカンを基本としている。


ボランティアとして駆けつけてくれる人、そんな人にどんな感謝を表せればいいのだろうか?


みんなが同じように楽しむのがベスト。
儲けたとか損したとか関係ない、マラニックの世界。
ボランティアに来てもらい思いやりを頂いたならば、その思いやりの心を次の人に投げ返す。

ワリカン、平等のようで平等ではないワリカン。

次のマラニックは中田島砂丘に建設中の防潮堤を見学しながらの砂丘マラニック。
終わってからの(酒)は遠鉄ビアバイキング。

マラニックとは?

ひとつの企画が終わって、自分なりに納得すればそれでイイ。

ワリカンを基本として、来年の夢街道90㎞
         どの様にしようかと今から思案している(^O^)/


 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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