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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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「片岡鶴太郎、離婚したんだって」
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

 
毎月、森町三倉ムーハウスで私たち仲間での勉強会がある。
8月19日(土)
8:15(ピアゴ森町)→8:15(ムーハウス)勉強会準備・近況報告・・・・・
勉強会は、そんな感じで始まる。

年間の計画があり、月の計画があり、勉強会があり、自分の手帳に今日の計画を入れていた。
自分が暮らしている田舎「半場」
お祭りが終わり、盆が過ぎ、盆踊りが終わって、盆踊りの片付けが雨で延期になり、丁度この日に重なった。
「用事があるから」
勉強会を優先で、森町に行くこともできたが、村の盆踊りの片付けを終わってから森町には行くことにした。
 

勉強会は、午後から本番
森信三先生の本「修身教授録」
この本のを読んでその講の内容を基に話し合うの勉強会なのだ。
今回は「血・育ち・教え」
「血」 → 遺伝
「育ち」→ 家族の教育
「教え」→ 家族以外の教育

森信三先生は「血」「育ち」は根強い力を持っていると言っている。
「血」「育ち」に対しては、よほど立派な教えを説かないと、このあくというものはなかなか容易なことでは抜けないと言っている。

自分の「血」と「育ち」における卑しさが、自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現われているかということを、まず知らなければならぬと思うのです。
と言っている。

この卑しさに気づく手がかりは、気品のある(血筋も育ちも良い人)の言動から學が良い。
と言っている。

ああ、なんと、この自分の今までの言動の卑しいことか、「血」「育ち」の悪い、このあくだらけの自分よ。
そう思う。そう思っていた。そう感じ始めた。

そんな卑しい自分を直すには、「血」「育ちの」の良い人の言動を見習うこと。
私たちの周りの人で「血」「育ち」の良い人を参加者の中で上げてもらった。
関東のアノ人、関西のコノ人、近くにもいるじゃない、あの人育ちが良いのでは?
様々な人が上がった。
 

森信三先生の本「修身教授録」
戦前、天王寺師範学校で行われた森信三氏による「修身科」の講義録。
平成の時代に生きる中高年が、先生の本を基に勉強会。
侃々諤々と話が弾む。

そんな時、ある人が、この内容の
このあくというものはなかなか容易なことでは抜けない
「このあく、灰汁、このあくは、戦争が終わり今の時代、教育の世界では、個性と呼ぶようになった」
そんな話が合った。
 
個性か~。
卑しい自分に、光が差した瞬間だった。
個性か~。

卑しいランナーだった自分は
気分が良くなり本日の勉強会は終わりを迎えた。

もう、何年やってきたのだろうか、この「勉強会」
毎月一回行っている「勉強会」
予定が合わず参加で出来なかったこともあるが、なるべく参加するようにしている。
森町三倉ムーハウスで行っている「勉強会」何時もは日帰り、ここで解散だが、今回は合宿での参加者もある。

日帰り参加者は、帰っていく。
何人が宿泊するのだろう?
食事は?
夕ご飯は「神楽坂峠の茶屋」だという。

こんなとこに、御食事処があったのか。

料理もオシャレ。

アユは揚げ物

塩焼きでしか食った事なないアユ、揚げたアユもまた美味。

お酒も入って、カラオケは「ららら」
ムーハウスに帰って二次会
卑しい自分だけれど、お酒もホドホドに就寝ZZZzzz

つづく

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。
ウィキペディアから。

詳しくは
心の届く「阪急交通社」
世界遺産>スペイン ↓
http://www.hankyu-travel.com/heritage/spain/santiago_way.php

そんな巡礼の旅に、知り合いが行ってきた。
そんな巡礼の旅の様子を、知り合いがラジオ生出演で話していた。
それが↓

第一歩
  十里の旅の第一歩
  百里の旅の第一歩
  同じ一歩でも覚悟がちがう
  三笠山にのぼる第一歩
  富士山にのぼる第一歩
  同じ一歩でも覚悟がちがう
  どこまで行くつもりか
  どこまで登るつもりか
  目標が
  その日その日を支配する
後藤静香(ごとうせいこう)

人生は旅そのもの。

楽しい人生にしたいですネ。

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西鹿島駅を朝の九時
スタート。

浜松市天竜区佐久間町
そこに中部という地域がある。
中部と書いて(なかべ)と読む。


8月12日は、中部の お祭りだ。
そこの花火は「地割れ花火」といい、チョット珍しい花火だ。

地割れ花火

そんな花火を、見に行こう(^.^)/~~~
エイエイお~。

それが
「地割れ花火マラニック」
距離にして約40㎞
ルートラボ
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=245f1773ed0ac13049efc362609906d2

2017年8月12日(土)
参加者10名
途中まで2名
エイド参加2名
ご苦労様でした。ありがとうございました。


私が暮らす
北遠(ほくえん)
12年前に浜松市に吸収合併された。
 

12年前
中部の「地割れ花火を」走る仲間に紹介したくってマラニックを企画し、
走りはじめた、この道。

当初、佐久間の「上島キャンプ場」に宿をとってのマラニックだった。

それが
中部にある旅館「かぢや旅館」に宿をお願いし、数年続けた。

村の祭りは、年度の初め、役員が決まり、それからその年の行事の日程が決まる。

中部の祭りに合わせてのマラニックは難しい。

地割れ花火と関係なくマラニック、それが八月最終土日に開催する「浜松縦断
 

地割れ花火マラニック

来年の開催の日程は不明です。
今年の区長からの話では、たぶん・・・お盆近くの土日。
2018年8月11日12日になるのではないかと思われます。
だから、8月11日(土)に開催。
の予定。
です。

ブログを覗いてくれる皆さん
私が富士山頂郵便局から投函した暑中見舞いです。

イジメのない世界、差別のない世界、大人から

千里の道も一歩から

大きくなった政令指定都市「浜松市」
田舎に暮らそうとも都会に暮らそうとも良かったと言える政令指定都市を目指そう。
いま、田舎での過疎化は、新しい局面を迎えている。
昔、長男は家に残り家を守っていた。今、長男と言えども仕事が無いを理由に都会に出ていく。
人生80年時代、仕事をリタイヤひた人は田舎に帰ろう。また、そんな人を温かく迎える田舎づくりを目指そう。


千里の道も一歩から

一歩一歩

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浜松市天竜区佐久間町
そこに中部(中部)という町がある。
中部と書いて(なかべ)と読む。

本日は中部のお祭りだ。
そこの祭りで奉納される花火、そこでは地割れ花火がある。

佐久間町が浜松市に吸収合併されて、そんな花火を見に行こうとマラニックを企画した。

12年前。

今年も、そんな日がやってきた。

祭りばやしが、脳裏に甦る。

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2008年2009年2010年と富士登山競争に参加した。

そんな時から萩田氏に出会いマラニックを知り、超長距離を走る仲間に出会った。
その仲間から「富士山頂往復マラニック」の話を聴かされた。
富士市「田子の浦港」の白灯台横の海水を汲んで富士山頂(剣ヶ峰)まで持っていく。
2011年、このマラニックに挑戦してみたい、そのように思ったのが、その夏 
しかし、その夏は 病気になり断念した。

2012年、初めての挑戦。
富士山頂往復マラニックは第10回目記念大会。最初の挑戦は時間外だった。
真っ暗な田子の浦みなと公園に一人でゴールした。
2013年2014年2015年はギリギリだが何とか時間内にゴールした。
去年2016年は気力が失せ富士宮駅から電車でワープしてのゴール。

今年2017年は自分にとって6回目の「富士山頂往復マラニック」
電車でラン友と合流しゴール地点である「田子の浦みなと公園」を目指した。
参加者過去最高の269人だという、顔ぶれも随分変わった。
顔見知りに挨拶をして、海岸に行き富士山頂に持っていく砂を取に行く。
 
(昔はフイルムケースに海水を入れていたと聞いている)

競技の説明があり、萩田氏のオカリナの演奏で参加者全員での唱歌「富士山」を歌う。
雲に隠れていた富士山が少し顔を出す。

何と、素晴らしい、富士山の山頂が少しだけだけど、見えた。

私はゼッケン88番、18時05分の出発。
1番から50番までの18時出発のランナーを見送ってからスタート。
今日は涼しいと感じていたけど、走ると蒸し暑い。

第一チェックポイント
15㎞
富士宮浅間神社(19時50分)
これからの富士登山の安全を祈願する。
神社の湧水で喉を潤す。

お腹も減ってきたので、牛丼屋で腹ごしらえ、牛丼汁だく、ビールも少し。

最終コンビニで夜食のオニギリ二つ、非常用の水分も、眠気覚ましにスルメも買った。

ココからの登山道は速足で歩く。
前を行く仲間のチカチカライトを眼印にヒタスラ歩く。

第二チェックポイント
標高1000m(23時05分)

200mくらい行ったころだろうか、手に持っていたタオルが無いのにきずく。
戻って、チェックポイントの脇にあったのを確認、良かった、そう思ったときに、ヒロ子ちゃんが声をかけてくれた。
ビックラポン。
そこから西臼塚駐車場33㎞地点まではヒロ子ちゃんの爆裂トークを聴きながらのウォークとなった。

西臼塚駐車場ではボランティアによるエイド。
ランナー生存CHECK
なるものがあり、自分のゼッケンナンバーを申告した。


第三チェックポイント
料金所跡(24時50分)
ここまで来ると大分涼しくなる、去年より涼しく感じた。

先輩ランナー シゲミツさんと一緒に歩く。
様々なお話をしながら。

お腹の調子が、トイレを借りよう。
料金所横にもあるけど仮設トイレだった。
料金所を越え少し行ったところに「富士高鉢駐車場」がある、そこのトイレを借りよう。
電気は来ていないが、すごく綺麗なトイレだった。

一人での歩き、眠気も襲ってくる。
スルメを出して、噛みながら歩く。
道路わきで仮眠している人が居る、私も道路わきで少し仮眠。

第4チェックポイント
標高2000m(2時40分)

第5チェックポイント
五合目(4時01分)
カッパを着て、コンビニで買ったオニギリを食べる。

登山道に入ろうとすると、三河のウメさんが居た。

初めての「富士山頂往復マラニック」だそうだ。
まだまだ元気な様子。

新六合目の山小屋でヒロ子ちゃんがカップ麺を食べていた。
当初、ココでカップ麺を食べようと思っていたが、コンビニオニギリでお腹は満たしていたので先を急いだ。

新七合目・元祖七合目・八合目・九合目

酸素が薄くなって苦しくなる、おもっきり深呼吸、指先を動かす、グー・パー運動をする。
この事によって、血流を促す。
(勝手にそう思っている)

九合五尺、山頂は近い。

頂上浅間大社奥宮に到着。。。。

第六チェックポイント
山頂(7時56分)

富士山頂往復マラニック
御迎え隊に歓迎を受けた。
荷物を、そこに置き、剣ヶ峰に田子の浦から持ってきた砂を置いてくる。

山頂御迎え隊から、チョコ・黒砂糖アメ・スープなどを貰う、生き返った(^O^)/
ありがとうございます。帰りも頑張ります。

山頂郵便局で、暑中見舞いを投函し、下山。

今年は富士宮登山道(もと来た道で下山することにした)
それが混んでいた。
サッキ鬼の形相で登ってきた登山道。
余流で上りの登山客を見ていた。
知り合いが登って来る。
ガンバレーと応援。
第七チェックポイント
五合目(10時06分)
コンビニオニギリ一個。自動販売機でコーラ。

ユックリだが、走りを止まないで下った。

第八チェックポイント
2000m(11時00分)

ユックリだが走りを止めない。

第九チェックポイント
料金所(11時55分)
バイキンマンと仲間たちが施設エイドをしてくれていた。
水を頂いた。

西臼塚駐車場 エイド
水分補給・糖分補給。。。。

ランナー生存CHECK
にゼッケンナンバー申告。

第十チェックポイント
1000m(13時00分)

調子がいいゾ~。

しかし、ここらあたりから歩きが出てくる。気持ちが切れてくる。
ワープも考えてくる。

私設エイドが、、、。
ワッキーだ(涙)

感謝・感謝・感謝。。。。

そんな時「必ず完走します」そんなことを口走ってしまった(笑)

それからは、次のエイド(浅間大社)を湧水で熱くなった身体を冷やすのを目指して走った(歩いた)

第十一チェックポイント
浅間大社(15時00分)

ここの水は美味しい。どこの水より美味しく感じる。
ボロボロの身体に染み渡る。

残りは15㎞
浅間大社を後にしてフラフラ歩いていると、何時ものアイスサービスボランティア。
ありがとうございます。
キュウリも。
ワサビの金山寺を付けて食べた。

富士宮駅をパスした。
去年ワープしたところだ。

次は、新東名の高架橋を目指す。
それが遠くに感じる。
やっとの思いで、新東名高架橋をパス。
次は、東名の高架橋。

西富士道路の高架橋出前を右折。
ココから県道353号、後はこの道を真っ直ぐだ。

この道は帰り、東側を通らないと、田子の浦みなと公園に行けない。
知らない人が、間違えた人が、西側の歩道でコースマップを見ている。
大きな声で叫んだが、聞こえないみたいだ。

まっ
先を急いだ。

富士田子の浦みなと公園が近くなる。
知り合いから「お帰りなさい」と声がかかる。

ゴール
田子の浦みなと公園(17時36分)
無事に、何とか、今年はワープをせずに完走することができた。

富士山は雲で隠れて見えない。
雲の間から虹が出ていた。

ボランティアのみなさん、主催者萩田さん
本当に、ありがとうございました。


感謝!!


 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
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