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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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中部天竜駅~富山まで約25㎞のマラニック。佐久間村は1955(昭和30)年、電源開発株式会社よる佐久間ダム建設を受け入れた。そして、そこは佐久間村と浦川町・山香村・城西村の三つの村と一つの町が合併して佐久間町となった。私の生まれる五年前のことだ。
当時二万人以上の人口は、ダム工事の時には潤い。その後も様々なことで潤った。しかし、その町は昭和の時代が終わりを告げたころから陰りを見せかけた。そして平成になり当時の町長が平成の合併で浜松市との合併を決断した。
そして、その町長は東京に去ってった。
今日は、その佐久間ダムの湖岸約25㎞を走る仲間九名でユックリ走った。
コース上には真っ暗な長いトンネルが多く、走る人はチカチカライトやハンドライト・反射タスキなどで装備してきた。
砂を運ぶ大型トラック等も走り大変危ないいコースだ。トンネル内ではトラックが来ると壁に張り付き邪魔にならなように注意した。
砂取り場所を過ぎいると、車も少なく走りやすくなる。
ユックリだから話もできる。誰かが、お正月2日羽田での事故の話をした。
旅客機が着陸した直後、海上保安庁の航空機のと接触事故の話し。
日本航空516便の機長をはじめキャビンアテンダントは冷静にお客を誘導し全員無事に脱失したこと。
信じれない事故、だけど、事故は起こった。
様々な犠牲があり、今があること。
佐久間ダムでは約350万人が働き96名の殉職者がある。
今、この時代に生きている者は
巨人の肩に乗っている。
科学者ニュートンが書いた手紙の一説として広く知られる。
今の便利な生活は、今の平和な世の中は、先人達が積み重ねた結果なのである。
佐久間ダムで殉職した人がいる。そして労働基準法ができ安全対策が語られるようになった。
そんなことを思いながら。話ながら。天竜川リバーサイド約25kを走り切り。
湯の島温泉で汗を流し、食堂でユヅ味噌カツ定食を食べビールで乾杯したのだった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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