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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昨日の修身教授録、勉強会&読書会、主催の萩田さんの悩みの話があった。
それは保険屋さんが良く言う「2人に1人はガンになる」「3人に1人はガンで死亡する」という言葉からガン保険に入ろうか入らまいかの悩みであった。

私は、この会に出会い、悩める自分の心が落ち付いてきたと感じる一人である。
自分、このままでいいのだろうか?
とか思っていた、そんなときがある。あった。
「やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い」
そんな言葉で励まされたことがある。

誰だって悩みがある。
自分の昨日の悩みは、スマホを忘れた事。
たぶん家に、自分の部屋の寝床の枕元にスマホを充電したままになっていると思う。
もしかしたら、西渡(にしど)のミドリ屋で塩大福を買おうとするときにジャージのポケットから落としたのかもしれない。
悩んだ。

森町三倉の勉強会&読書会が終わり、家路を急いだ。
佐久間までの車の運転、最近の腰痛で難儀だ途中、龍山の やすらぎの湯によって腰を揉んで帰ろうと思って寄った。
大きな風呂に入り、ストレッチをして、マッタリして、腰の調子も少し良くなった。
脱衣所で着替え、ボーっとしてたのか、休憩室に行って、またストレッチ。
受付の人に挨拶をして、駐車場に行って車に乗って秋葉ダム堰堤を走っていると時計が無いのに気づいた!
慌てて やすらぎの湯に戻って脱衣所に行ったら、あった、大切な時計。
は~。

そこから佐久間を目指し、まだ車での移動、ようやく家に到着、部屋に行って枕元・・・あった。スマホがあった。助かった。ホッとした。
一日スマホのない不安な時だった。スマホがあるとホッとする♥
スマホを起動して予定を見ると、なんと、夜7時半半場親睦会の会合の日だった。
悩み事は誰でもある。人それぞれいろいろな悩みが。

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今回わ。。。
第7講「大志を抱け」
志を立てるということは、ローソクに火を点すようなもの、ローソクは、火を点けられて初めて光を放つものである。
同様に人間も志を立てて初めて人としての真価が現れるもの、志を立てない人間は酔生夢死の徒に過ぎない。
真の志とは、この二度とない人生をどのように生きたら、真にこの世に生まれてきた甲斐があるかということを考えて、心中につねに忘れぬということ、結局最後は、「世のため人のために」という所がなくては、真の意味での志とは言いがたいのです。
原文から
酔生夢死 (すいせいむし)
何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から。
最後の話し合いで
私:「佐久間中学校では立志式をやってるョ」
立志式とは
元服にちなんで(数え年の)一五歳を祝う行事。参加者は、将来の決意や目標などを明らかにすることで、おとなになる自覚を深める。
旧佐久間中学校では中学校3年生の時に将来の夢を書き、体育館前の真珠が丘の中に保存して二十歳の時にそこから出して見ることを続けていた。たぶん。
昔の記憶では、そんなことをやっていたような気がする。たぶん。

第8講「気品」
気品とは
どことなく感じられる上品で気高い趣。「気品のある物腰」「気品の感じられる文章」
goo辞書から
気品とは先祖代々続いて出来てくるもの、後天的な人間一代の努力や修養だけでは出来ないもの。
相月駅から見上げた横吹の斜面部落で育った私には、気品だだよう品性ある人間になることは無理だ。
いや、多様性、気品ある人も、わたし達のように武骨な人間も、またいいのだ(^O^)/
武骨洗練されていないこと。無作法なこと。また、そのさま。「―な振る舞い」

最後萩田さんからの言葉。
縁尋機妙(えんじんきみょう) 多逢聖因(たほうしょういん)
https://ameblo.jp/dokugakuman/entry-11927730731.html
生きていることは、借りをつくる事
生きて行くことは、その借りを返す事
平成のときの勉強会は終わりました。
令和の時代に、また逢いましょう。
おわり

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松下幸之助氏、とは。
松下 幸之助(1894年〈明治27年〉~ 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。
ウィキペディアから

松下幸之の考えで、「衆知による経営」がある。
衆知とは「多くの人のもっている知恵」という意味である。
氏には従業員、みんなで築き上げた松下電器という考えがある。

また晩年は、政治家育成塾を設立した。
アジア諸国の繁栄を予測し、その受け皿としての塾だった。
1979年に約70億円の私財を投じ設立。
全国から約900人が応募、3次にわたる厳正な審査の末に、20人が入塾したという。
79歳の松下幸之助氏だった。

 

衆知による経営。
皆で築いていく会社。
地方自治体も国も、はたまたこの地球も。
多くの人の知恵でいい方向に持っていかなければならない。

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第5講「一つの目標」
氏曰く
諸君が将来真に力強く生きていくには、一つの目標を考えるのが良いかと思います。
試験を受けて、より上級に進む目標でなく、ほんとうの志す物を。
人として、この世に生れ、今師範学校で教育者になる道を歩んでいる人に。
そこで先生は提案した。
40歳になったら一冊の本を書いてみるのはどうか?
今日からこの目標を心に秘めて歩んだら、自分の歩んだ道が必ずしも間違いではなかったと感じるようになりましょう。
不惑の齢に達するときに一冊の本を。と言ったのであった。

第6講「意地と凝り性」
氏曰く
ひとかどの人物になる人は、小さいころからの特性がある。
意地とか凝り性というのもその一つ、そのように思う。
その意地とか凝り性の特性を純化する。
自身が持っている醜いもの人間の欲望などを純化することが大切。
生涯をかけて生き抜こう、という決心が生まれてくるんでなければ、真の修養とは言えないのです。
否、一つの目標を目指して、生涯を生き貫くというにとどまらず、さらには願わくば、この肉体が朽ち果てた後も、その人の歩みが後に来る人々の目標になる生きかたが、真に生き甲斐があると言えないでしょうか。

氏曰く(しのたまわく)
ココでの氏は森信三先生
森信三先生は おっしゃいました。
と。

戦前に大阪の天王寺師範学校の講師として勤めた頃の森信三先生の講義録。
 修身教授録
なんの御縁か、わたしも読むようになった。
 


修身教授録を読み終わり、仲間で意見を交わす。
勉強&読書の仲間は職業や年齢は様々な人がいる。
そんな話しの中で心に残った言葉がある。

氏曰く
100年先のことを考え生きていくことが肝要である。
この場合
氏は山草人先生、と。
山草人先生は、おっしゃいました。と。

その人の歩みが後に来る人々のためになる生きかたが、真に生き甲斐があるといえないでしょうか。
自分の生き甲斐、他の人にとっても生きる糧になる。。。
頑張れと言えば、ガンバレ~っと帰って来る。
そんな生き方(*‘∀‘)

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生まれつき身体に大きなアザがある首藤雄三さんの講演が岡崎市図書館交流プラザで行われることを知ったのは去年の暮れのことであった。
首藤雄三さんを知ったのは、FBでアザのある身体を見たからだ。
コメントには母親と雄三さんの会話があった。
母親:「どうして相撲やスイミングとアザを見せることばかりやるのだ」
雄三:「このアザを見せるのは私の使命だ」
母親:「そう」
そんな会話だと思った。

何気ない親子の会話
首藤さんは
「楽しい人権講話ナビゲーター」として日本全国をまわりアザと難病と障がい者とひとり親世帯の理解を深めてもらう講演をしている。
せっかく近くに来るのだ、会うしかない。
そう思い昨日は岡崎市に向かったのである。

飯田線で中部天竜駅~豊橋駅
 

そこからは旧東海道を自分の足で走って岡崎市を目指した。
豊橋駅7時30分岡崎公園に着いたのは13時30分だった。

岡崎公園で着替えをし、講演をする岡崎市図書館交流プラザに行く。
大きな建物だ、受付で会場を聞き、そこに顔を出して受付をすまし、小腹がすいたので館内のコンビニにて食事をした。

アルコールも少し注入。

ほろ酔い身分で、会場に行き、遅れ気味の首藤さんを待つ。

現れたのは、覆面レスラー姿ではなかった(笑)

講師を近くに感じ、講演は和やかに進んだ。

首藤さんの生い立ち、考え方、etc

小学校の時代は、身体にあるアザを同級生から揶揄された経験を話してくれた。

また、人からは言われるが、自分自身はアザについて、卑屈には思っていなかった。とも。

少年時代から体格は大柄でスポーツも中学(柔道部)高校・大学と(相撲部)だったそうだ。

あるエピソードの話があった。
小学生四年の頃、初任で学級担任になった先生での話し。
先生の自宅に生徒全員が招待されて、お風呂に入った話し。
雄三少年は担任の先生と二人で入ったそうだ。
そのお風呂の中で、お互いに背中を流し最後に先生が
「雄三、ハンデキャップがあるが負けずに生きろ」
そう言われたそうだ。

私は、その先生の気持ちになって雄三少年の気持ちになって、ウルっときた(涙)

ところが、とうの本人、首藤雄三さんは違っていた。

小学校四年生、雄三少年はハンデキャップという言葉を知らなかった。

また、大人の会話でハンデキャップを知り愕然としたという。

ハンデいキャップ=実力差が大きい場合の設定

自分では、そんなこと感じていないのに、大人がそうみる。こと。

世の中、普通こうだから、そんなことがアタリマエに囁かれる。

今回、首藤さんの話を聞いて、そんな自分も自分の考えで同じように世の中のアタリマエを自分で作り出しているのではないかと考えた。

最後に首藤さんから質問は無いかと問いかけられ、聞いて見た。

私:「これだけ体格がいいので、不良になったことは無いですか?」

バカな質問かも知れないが、わたしと同じ世代の首藤さん。
自分の少年時代、そんな人が多かったので聞いて見た。

答えは、首藤さんは不良にはならなかった。そうだ。
逆に、ケンカをしている人を止めたと言っていた。

ここでも思う。

自分の時代はアタリマエだと思っていたこと。
大人なんか、と悪の道。。。

自分をしっかり持てば、たとえ環境が如何であろうと、自分の道を誠実に歩く。

そう思った。


首藤さんの事を知りたい人はユーチューブを

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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