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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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12月1日(金)夜
水窪
NPO法人山に生きる会の会議、終わってから29年の忘年会があった。
私は6時半までの仕事なったので、忘年会の始まる途中、会の初めの来賓あいさつの途中からの参加になった。

「水窪町森林組合長」
の挨拶。
森林環境税の話。
YAHOO!ニュース
知っている?森林環境税の使い道
田中淳夫の話が載っていたので読んでみた。
地方自治体が独自に課税するもので、ようするに森林を中心とする環境保全に使うための目的税、浜松市は政令指定都市なので浜松市で徴収するようになっているのだろう。たぶん。
挨拶の後、忘年会の酒の席で、その森林組合長と元NPO会長の話を聴いたいた。
元NPO会長
「今ある山の駅を拠点に、これから10年後20年後を見越して、水窪に残していきたい環境」
「自分は生きて、その光景を見ることができないかもしれないけど、それでも」
森林組合会長
「実際の今の水窪の人口は2000人強、10年20年後には1000人以下になる可能性がある」

佐久間のNPOがんばらまいか佐久間では、このような本物には会うことができなかった。
ほんとうに自分の暮している地域のことを思う、本物の人との会話。

12月2日(土)
森町三倉
修身教授録を読む読書会・勉強会
9時15分

↓ 近況報告

10時30分

↓ 軽くジョグ

12時00分 昼食

13時00分


↓ 修身教授録 第22講~第24講

15時00終了

17時00分 神楽坂峠の茶屋にて忘年会。

午前中の近況報告で、11月に自分が登った明神山のこと、走ったハーフマラソン二つのレースこと、そして昨日の水窪のNPO法人山に生きる会の忘年会での話のことを話した。

修身教授録では第22講「鍛錬道(Ⅰ)」第23講「鍛錬道(Ⅱ)」第24講「性欲の問題」の読書。森信三先生は生徒にこの授業で何を伝えたかったのか?

第22講「鍛錬道(Ⅰ)」第23講「鍛錬道(Ⅱ)」
戦争前の森信三先生の生徒に向けた教え、そのもっと昔にはもっと厳しい教えがあった。
その教えに生徒もついてきた。

第24講「性欲の問題」
性欲はわれわれ人間にとって、最も貴重なものであって、だんじておろそかに考えてはならぬ。
昭和12年から13年にかけて行った「修身」の講義録、40歳前半の森信三先生が大阪天王寺師範学校(現・大阪教育大学)で生徒に向けた性の教育。

参加者の中から、「性欲の問題」の読書の後の話し合いで、今の日本の少子高齢化の問題についての意見があった。
今の若い人の考え方、自分の子供たちのこと。日本の未来のこと。

そのとき、昔買った致知の本を読み返して、出会った言葉。
「巻頭の言葉」ウシオ電機会長 牛尾治郎
新しい時代の価値基準を見極めよ
戦後の日本では、個人は全体のためにあるという教育が施され、それが善とされていました。それは”善か、悪か”が社会の価値基準になっていた時代といえます。
これがアメリカの占領政策を経て個人の権利が重視される時代に入ると、”損か、得か”が価値基準の主流になりました。”善か、悪か”に比べて、”損か、得か”という卑しい印象もありますが、敗戦の窮状から脱してく上では的確な基準でした。
中略
衣食住が満たされ、生活が豊かになってくると、各人が好きな暮らしをしたいという欲求が高まり、社会の価値基準は、”好きか、嫌いか”シフトしてきました。機能性よりも、見た目や個人の好みを重視した商品が求められるようになり、ブランド品が持てはやされるようになりました。
しかし、それがいき過ぎると、大衆の心理を悪用した儀物が出回ったり、いかがわしい人間がにわかに大頭してくるようなこともあります。国民はしだいに”本物か、偽物か”を判断の基準とするようになったのです。
中略
いかなる未来を選択するか
現在のような、”本物か、偽物か”の時代に注意すべきことは、本物は善で、儀物は悪という極端に走ってしまうことです。
いま、憲法改正の議論が高まりつつあります。日本の憲法をよりよいものとするために議論を尽くすことに私も異存はありませんが、そこに日本ばかりを善とするエゴイズムに陥ってはなりません。
日本を分母にして善悪を考えるのではなく、アジア、そして世界全体の幸福を見据えた、ヒューマニスティックな憲法を求めて議論が発展していくことを、私は切に願っています。
中略
いかなる価値基準に従って歩んでいくか。
それによって日本の未来は大きく異なってきます
人間学を学ぶ本「致知」から一部抜粋

”善か、悪か”
”損か、得か”
”好きか、嫌いか”
”本物か、偽物か”

今回の森町三倉での勉強会&読書会
来年の私のマラニック「夢街道90㎞」の参加者を一人でも走ってもらえるようにと思い参加した。夢街道の宣伝をした。



楽しいから参加する。それはそれでモチロン良いかの知れない。
”損か、得か”も。
しかし、私の「夢街道90㎞」
授業「地域」過疎高齢化についての学びのマラニック。今年のテーマは「絆」
日本で二番目に大きくなった市「浜松市」を突き抜け長野県南信州「遠山郷」までの90㎞のマラニック。浜松市を突きぬけるマラニック。

市の中で一番広い市は高山市、しかし高山市と浜松市は違う浜松市は政令指定都市、
浜松市は都市部から山間部までの格差がありすぎる政令都市だ。
浜松市になったこどで、若者の山間部からの流失は怒涛のように始まった。

そんな政令都市浜松市を都市部から山間部へのマラニックは意味あることだと思う。

この道が、多くの人が行きかうようになり、山間部にも活気がみなぎる所になるようにと願うマラニックです。
今年の動画↓

来年の動画が、もっと素晴らしくなるように。

参考ブロブ
山草人のモノローグ

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毎月一回、森町三倉で行っている
勉強会・読書会
何時もは森信三先生の本「修身教授録」を読んでの授業だったが、9月から少し変わった。
それは、ある人が
「チョット難しすぎる、昭和初期の森信三先生の言葉、難しすぎる」
わたしも同じように思っていた一人。
しかし、難しいなりに、わかろうとするのが良いのではないかとも思っていた。

生き方のセオリー
人間学を学ぶ本「到知」の編集長藤尾秀昭著
第一章
言葉とともに生きる
第二章
運命を好転させるもの
第三章
忘れ得ぬ人との出逢い
第四章
学びが人間を創る

この本を読んで始まった今回の勉強会・読書会
チョットした 心の工夫が 人生を好転させる

わたしが読んだのは
第一章の松下幸之助さんの言葉
100人募集して30人集まった時、30人しか集まらなかったのではなく、30人も集まってくれたと考えること。
全て肯定的に考えること、おかげさま、人のせいにはしない。
成功したら他の人の協力を感謝し。
失敗したら自分の不甲斐なさを反省する。

また、本の中で
『森信三訓言集』に心を洗う
が、あった。
本によると、私たちが買って読んでいる本「修身教授録」は
森信三氏による修身(=道徳)の講義録。
昭和10年代初め大阪府天王寺師範の専修科の教室にて授業内容・風景を当時三人の生徒が書いた内容だ。

夜には水窪で、わたしが昔働いていた職場の人たちとの飲み会がある。
今回は10名の参加者。三回目になる、この集まり。

お蔭さま。
楽しい飲み会になるといいナ~。。。

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二次会は最後までは付き合わなかった。
早めに就寝、寝床で修身のお話を思い出しながらの睡眠。爆睡。
 
隣で爆睡中の爆音に気が付き目が覚めた。
何時だろうか?
辺りは真っ暗、走る用意をし、布団で目をつぶるも寝付くことはできない。

夜明け前、森町三倉ムーハウスの玄関を開け、運動靴を持って外にあるソファーに座る。
外は真っ暗。AM4:00
チョットした屈伸運動を終え走りはじめた。
ハンドライトをたよりに上り坂の道路を、昨日寄った「神楽坂」方面に向けて走りはじめる。
山や木の陰で狭くなった空が時より見える。その狭い空に星が輝く。
斜面にある郷にでて、狭い空が少し広がり、私が唯一知っている星座「オリオン座」が見えた。
その横に、ひときは輝く星(後から聞いたら金星ではないかと言われる)その上に切れるような三日月が、、、、ぽっかり浮いている。
汗をかき息が弾み、峠に着いたのが5時近く、あたりは白み始めていた。
ココの峠を、北に下ると川根に至る。
峠のフェチとしては、せっかく極めた峠、下ってみたい、そして下ったところにある郷に行ってみたい、そんな衝動に駆り立たれる。
が、
少し下ったが、帰ってきた。
峠に帰り、その道を今まで走ってきた道を帰ることもできるが、もう一本の南に尾根沿いを向かう道を行くことにした。
この道は、数年前、山草人さんの後を着き走ったことがある道だ、昔の記憶を辿って走ることにした。

杉林の中のジョギング、夏の季節の終わりを告げえるヒグラシの合唱が聞こえる。
昨日、勉強会での「血・育ち・教え」その中の「血・育ち」変えることのできない昔からの自分。
横吹で生まれて横吹で育った、横吹(よこぶき)斜面集落。
山で一人で走っていると感じる。一人で気ままに走る自由さ楽しさ解放感。
血統も育ちも良くないけれど、戦後それを個性と呼ぶようになった。
個性、灰汁、だらけの自分だけど「それでいいのだ

  随分走ったが、そろそろ目的地に着いてもいいのではなっか、そう思ったころ、こんな看板が。

「美しい自然は、みんなの財産です。自然を破壊するような行為はしないで下さい」
自然保護

そこが三差路、真っ直ぐ行くと上り坂。左に折れると下り坂。
そろそろ山を下るときだと考え、左の道を選び下りの道を進んでみた。ところが右手を沢が流れる、この道。見覚えが無い、もう少し進むと何か思い出すだろうか?
ヤハリ違っている、もと来た道を帰る上る、さっきの三差路、今まで来た道を戻ろうか、それとも真っ直ぐすつづいている上り坂を行こうか、悩んだ末、真っ直ぐの上り坂を進んだ。
その上り坂を登り切ると、今まで杉林の中だったのが、広葉樹に囲まれてのコースになった。何となく昔の記憶が蘇る。
数キロ進むと下り坂、昔の記憶に重なり合いこの道ではないかと確証してきた。
不安だった気分も安堵に代わる。道は下り坂。下り坂、、、最高(^O^)/

人生下り坂最高!
こころ旅。火野正平気分(^O^)/
 

苦しみがあり。不安な事があったり。偶然の出会いがあったり。道に迷ったり。
毎日が旅、
am5:50 森町三倉ムーハウス、無事に帰って来ることができた。

朝食の味噌汁に感謝した。

am9:00
萩田氏「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会

別にキリストの信者でもないが、巡礼の旅に行ってきた。
萩田氏、69歳の原動力は何だろう。

莫大な資料、旅を有意義なものにする行く前の準備、普通の人では考えられない下準備。
自分の財産は、人との繋がりだという萩田氏、自分も参考にしたいところが多くある。

今回の巡礼の旅、ヨーロッパ「スペイン」の歩き旅。

私、昔書いたブログ
#旅は人生そのもの。
ノンフィクションライター沢木耕太郎の本
深夜特急新潮社
 第三便 飛光よ、飛光よ
たまたま出会った本で感動し書いたブロブ
インドからバスを経由してヨーロッパまでの旅の話。
萩田氏に最後質問した。
「スペインを32日間787㎞歩いて最後サンティアゴに着き、大西洋を見た感想は如何でしたか?」

未だ海外にすら行ったことが無い自分。聴きたいことは山ほどあった。

コース設定をシッカリして、仲間を連れての旅。
当初、萩田氏が「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」に行くことは聞いていた。
そのときは、誰かほかの人が、私の知らない萩田氏の仲間が、計画を立て、その仲間に連れられて行くのだと、勝手に思い込んでいた。

その資料をまとめ、今回の
「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会に至った。
その苦労たるものは尋常ではないだろう。
萩田氏のよく言う言葉
「時間が無い、お金がない、それはやりたくない」
萩田氏だからいえる言葉だろう。

報告会が終わり、片付けを済まし、次は希望者でアクティ森横のソバ処「ほっとり」で昼食をとることになる。

その後、希望者で「大田川ダム」へ。

このダムは、発電用のダムではない。
治水の他、河川維持用水や上水道用水確保の目的を持っている。

話によると、さっき蕎麦を頂いた近くの「アクティ森」で、ダムカレーが食べれるという。
何時か食べてみたいナ「ダムカレー
竜川のダムカレーより工夫がされているみたい。
https://twitter.com/tsunagarubike/status/834240284657528832

一周2.5㎞の遊歩道を散歩、途中少し走る。

二日間大変お世話になった諸先輩にお礼のあいさつをして佐久間への家路を急いだ。
途中、家に夕ご飯にとピアゴ森町で寿司を買う。

周智郡森町は平成の合併で単独での道を選んだ。
袋井からの強烈の合併の話をけって単独での道を選んだ。
森町三倉は、森町の山間部の里だ、昨日は、その三倉にある「神楽坂峠の茶屋」にて夕食を食べた。

森町三倉ムーハウス
は、元佐久間町の人所有の別荘だ。
城西地区と聞く、私の兄と姉と同じ年頃だとい聴く。

佐久間町は佐久間ダムができたとき城西村・山香村・浦川町・佐久間村が合併して出来た町だ。
そして平成の合併で浜松市に編入合併を選んだ。

佐久間に帰る道程、天竜あたりに家があればどんなに楽だろう。
その様に思う時がある。


今回、森町三倉に勉強会に行く。
そんなことをwifeに告げたら。
 先に書いた

「片岡鶴太郎、離婚したんだって」こんな言葉が気になった。
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

ガビーン(≧▽≦)

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「片岡鶴太郎、離婚したんだって」
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

 
毎月、森町三倉ムーハウスで私たち仲間での勉強会がある。
8月19日(土)
8:15(ピアゴ森町)→8:15(ムーハウス)勉強会準備・近況報告・・・・・
勉強会は、そんな感じで始まる。

年間の計画があり、月の計画があり、勉強会があり、自分の手帳に今日の計画を入れていた。
自分が暮らしている田舎「半場」
お祭りが終わり、盆が過ぎ、盆踊りが終わって、盆踊りの片付けが雨で延期になり、丁度この日に重なった。
「用事があるから」
勉強会を優先で、森町に行くこともできたが、村の盆踊りの片付けを終わってから森町には行くことにした。
 

勉強会は、午後から本番
森信三先生の本「修身教授録」
この本のを読んでその講の内容を基に話し合うの勉強会なのだ。
今回は「血・育ち・教え」
「血」 → 遺伝
「育ち」→ 家族の教育
「教え」→ 家族以外の教育

森信三先生は「血」「育ち」は根強い力を持っていると言っている。
「血」「育ち」に対しては、よほど立派な教えを説かないと、このあくというものはなかなか容易なことでは抜けないと言っている。

自分の「血」と「育ち」における卑しさが、自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現われているかということを、まず知らなければならぬと思うのです。
と言っている。

この卑しさに気づく手がかりは、気品のある(血筋も育ちも良い人)の言動から學が良い。
と言っている。

ああ、なんと、この自分の今までの言動の卑しいことか、「血」「育ち」の悪い、このあくだらけの自分よ。
そう思う。そう思っていた。そう感じ始めた。

そんな卑しい自分を直すには、「血」「育ちの」の良い人の言動を見習うこと。
私たちの周りの人で「血」「育ち」の良い人を参加者の中で上げてもらった。
関東のアノ人、関西のコノ人、近くにもいるじゃない、あの人育ちが良いのでは?
様々な人が上がった。
 

森信三先生の本「修身教授録」
戦前、天王寺師範学校で行われた森信三氏による「修身科」の講義録。
平成の時代に生きる中高年が、先生の本を基に勉強会。
侃々諤々と話が弾む。

そんな時、ある人が、この内容の
このあくというものはなかなか容易なことでは抜けない
「このあく、灰汁、このあくは、戦争が終わり今の時代、教育の世界では、個性と呼ぶようになった」
そんな話が合った。
 
個性か~。
卑しい自分に、光が差した瞬間だった。
個性か~。

卑しいランナーだった自分は
気分が良くなり本日の勉強会は終わりを迎えた。

もう、何年やってきたのだろうか、この「勉強会」
毎月一回行っている「勉強会」
予定が合わず参加で出来なかったこともあるが、なるべく参加するようにしている。
森町三倉ムーハウスで行っている「勉強会」何時もは日帰り、ここで解散だが、今回は合宿での参加者もある。

日帰り参加者は、帰っていく。
何人が宿泊するのだろう?
食事は?
夕ご飯は「神楽坂峠の茶屋」だという。

こんなとこに、御食事処があったのか。

料理もオシャレ。

アユは揚げ物

塩焼きでしか食った事なないアユ、揚げたアユもまた美味。

お酒も入って、カラオケは「ららら」
ムーハウスに帰って二次会
卑しい自分だけれど、お酒もホドホドに就寝ZZZzzz

つづく

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今日は
毎月一回の修身教授録の読書会。

佐久間の街から
森町の三倉まで車で毎月通っている。

が、今日は佐久間で用事があったので、その読書会には参加できなかった。
その用事とは
特別雇用老人ホーム
さくまの里
の草刈り(庭木の手入れ)
 
今回は
修身教授録の読書会、
第19講「松陰先生の片鱗」

自分で一人で読んでみた。

吉田松陰(1830年~1859年)
江戸時代末期の志士、長州藩士、思想家、教育者、兵学者。明治維新の精神的指導者

書では、森信三先生が山陰地方を回って萩に行き、遺跡を訪れ、多くの人に松陰先生の話を聴いたことが書かれていた。
松陰先生はたいへん優しい方だったと書いてあった。

吉田松陰
1830~59。長州藩出身。54年、下田沖の米・ペリー艦隊(黒船)に密航を企てて失敗し投獄された。出獄後は萩で松下村塾(しょうかそんじゅく)を開き、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋ら維新の人材を多く育てた。日米修好通商条約に絡んで幕府を批判して再び投獄され、安政の大獄で死罪となった。
享年30歳(満29歳)

歴史があり今日の日本の繁栄がある。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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