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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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本日ズームで授業です。
今回のテーマは、
「10年後、コロナを知らない小学生に、この経験をどう説明する?」
五年前走る師匠萩田氏の、森町三倉「勉強会」にまぜていただき、コロナが始まり卒業(退学)した。
今日のズーム勉強会は、そんな勉強会をネットで探し求めて見つけた。
その学校の生徒である高校二年生の人が企画する「おはなし朝礼(第五回)」参加するのだ。
ワクチンが普及してきて、緊急事態宣言も解除され、GoToトラベルまで始まるとか始まらないとか。。。
2020年から1年半以上続くコロナとのお付き合い。たくさんの変化を強いられてきたと思います。
僕自身は、昨年3月からの休校によって、中学生活最後の1ヶ月が無くなり、6月からは、マスク・黙食・ソーシャルディスタンスが"当たり前"の高校生活が始まりました。
学校行事もできない。
部活もまともにできない。
友達と喋りながら弁当を食べることもできない。
残ったのは、定期テストと日々の授業だけでした。
ところが、休校分の勉強の遅れを取り戻すためにスタディサプリを使い始めたのが全ての始まりでした。
学校の授業を受けることができなくても、スマホ一つで全科目の内容がいつでもどこからでも学べる。
しかも超わかりやすい。
あれ、学校ってなんで行くんだろう。
そんなことを考えるようになり、日本の学校や公教育に関心を持つようになりました。
また、スタディサプリで藤原先生のよのなか科に出会っていなかったら、今の自分はなかったと思います。
皆さんも、コロナで大変なこともあったけれど、コロナのおかげで気づけたこともたくさんあるのではないでしょうか。
私たちはコロナによって何を失ったのか。
コロナは私たちに何をもたらしたのか。
10年後、コロナを知らない小学生に「コロナってどんなだったの?」と訊かれたとき、この経験をどのように伝えるか、このタイミングで一度、振り返って考えてみませんか?
どなたでも、飲み物片手にお気軽にご参加ください。

こんなヤッフーメールがやってきた。
高校二年生ですョ。17歳ですョ。
素晴らしい。こんな考えの方がいるのだ。
私は、この地で頑張ると決めた。
だが、多くの人が、親戚の人までもが、この地を去っていき、過疎は進むばかりだ。
今朝、KHKの朝ドラ「おかえりモネ」の総集編があった。
ネットを使い、過疎化でもできることがある。
結局、真の知識を得ようと望むものは、誰でも艱難の山を一人で登らなければならず、頂上への王道がない以上、私は曲がりくねりながら登らねばならぬことに気付いたのです。
ヘレン・ケラー 

戸口山、最初は三人での登山だった。
今、一人で、その戸口山の登山道を考えている
希望・健康・叡智
戸口山の「希望」のピーク。
それはまさしく王道はなかった。

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第36講 一日の意味
第37講  ぺスタロッチ―

 

一日の意味
一日は一生と思い、今日やるべきことはやって締めくくるのである。眠りにつくのである。
人生の最後も、やるだけのことをやって死を迎えれば、それでいいのだと。
そんなことが書いてある。
人それぞれ同じ内容の書物を読んでも感じ方は様々だ。
自分も考えた。
自分の一日の最後、汗をかいて作業をして家に帰ってビール飲んで次に酎ハイかハイボール。知らないうちにZZZzzz

 ぺスタロッチ―
スイスの教育家。ルソーの影響を受け、孤児教育や児童教育に一生を捧げた。人間の諸能力の調和的発展を教育の目的とする理念や実践は、近代西欧の教育界に大きな影響を与えた。
デジタル大辞泉の解説から

一日一生
今日は暑い中、外での作業、自分なりに頑張った。
いつものように夕ご飯前にビール、早く寝たのでこんな時間にブログ、自分の一日の時間を使った。
明日は、水窪のNPO山に生きる会で登山道の整備のボランティア活動。
一日一生
人は生まれ、やがて死んでいく、それが人生だ。
一日は人生の縮図だという。
第36講 一日の意味。
人それぞれ同じ内容の書物を読んでも感じ方は様々だ。
大切なことは、どう感じただけでなく、そんな考えを知ったこと。

今日は残りの人生の最初の一日
今日の仕事は草取りだった。
明日は登山道の整備(^O^)/

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2015年8月
森町三倉での勉強会は始まった。
月に一回、森先生の講義文を二講読み、みんなで話し合った。
そんなことを5年間続けて来た。
「修身教授録」森信三、読書会
そんな教授録も後二回
第36講 一日の意味
第37講  ぺスタロッチ―
第38講 置き土産
第39講 わかれの言葉
で終わろうとしている。

2015年から続いた森町三倉での読書会だが、2020年の春にコロナ対策のため政府から不要不急の外出を控えるように要請があった。
わたしは4月から、森町三倉に行くことはやめた。
一人自宅で、戦前の森信三先生の講義録を読み考えた。
そして
森町三倉「勉強会」のLINEグループで自分の意見を述べた。

「人生二度ないし」
                    これ人生における
                             最大の心理なり。

「万物流転」
この世にあるあらゆるものは、絶え間なく変化してやまないということ。

始まりがあれば終わりがある。
           スタートがあればゴールがある。

2020年7月
毎月の決まりとして修身教授録を読んだ。
第34講 ねばり
第35講 批判的態度と言うもの
坂村真民は、本を自費出版していた時に苦悩していた時があった。
そんなとき森信三先生の元を訪ねた。そして自分の行くべき道を歩き出した。
坂村真民の詩は、多くの人に愛され、その人たちによって詩の碑が日本だけではなく世界中に建立され広がっている。
その一つが、遠山郷の龍淵寺にあるという。
坂村真民の歌に「念ずれば花開く」がある。
何事も一生懸命に祈るように努力をすれば、自ずから道は開ける、夢や目標がかなう、と。

「修身教授録」森信三
この分厚い本も、読み続けていて最後に近づいている。
コロナというウイルスも、いつか必ず対策が進み明るい未来がやってくる。
念ずれば、きっと花は開くのである

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「ニュートンの林檎と粉ミルク」
コペル君がビルの屋上で人間は一分子みたいだ、と感じた。そしてオジサンに手紙を送った。
コペル君の手紙の内容に、オジサンはひどく感心した。
そしてオジサンはコペル君に返事を書いた。

コペル君が赤ちゃんのとき粉ミルクを飲んだ話、その話から話題は広がりを見せた。
コペル君が着ている服、それも誰か作っている人がいる。今朝の食事もそうだ。その食べ物に出たオカズ、お米、も誰かの働きがあって自分の口に入るのだ。
誰かの働きで、今の自分があるのに、今そのことを大人が感じていない人がいる、そんな現実をオジサンは優しく語っている。

地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。人間同士の争いが、いまだに絶えないんだ。
原文まま

そのおじさんのノートの最後に、お母さんの事が書いてある。
君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね。君のためにつくしているということが、そのままお母さんの喜びだ。君にしても、仲のいい友だちに何かしてあげれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。
人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにはありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だ。
原文まま

森町三倉「勉強会」
年末の宿泊を伴った集まりに、女性で一人だけ参加している人がいた。
神樂坂で夕食を食べ、ムーハウスに戻り二次会の準備に男どもが精を出していた。12月森町三倉の夜は冷たい。
暖炉の薪はパチパチと音を立てて燃え上がっていた。
風呂上がりの、その女性が酒の宴に入ってきた。男どもの会話がたった一人の女性で、やさしい会話になる。女の人は偉大だ。
 

私は翌日、佐久間での防災訓練のため早めに就寝した。そのため最後まで酒の付き合いは出来なかった。その後どうなったかは分からない。
朝の6時半には森町三倉を出発したかったのだ。

翌日、下さんと、その女の人が起きていて、下さんがご飯を食べていた。私にも食事が用意されていた。
そのとき飲んだ、温かい味噌汁の味が、忘れられない。

おじさんのノートに書いてあった。
人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにはありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だ。
私には、その女性が美しく見えた。
森町三倉「勉強会」
そこで経験した人間関係、私に素晴らしい思い出を私に与えてくれた。

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第28講 平常心是道
第29講 人生は妙味津々

「ちょと申しておきますが、これからしだいに冬になりますが、諸君はなるべく「寒い」という言葉を使わないように・・・・・」
先生曰く、寒いときに「寒い寒い」とブルブルふるっていたところで寒くなくなるのでないと言おうとしているのっではないだろうか?
暑いだ~。寒いだのと感覚は自分の心が感じていること、と言っているのではないか?
そんな自分は、マラソンを走っているときに、最後足や腰が悲鳴を上げて辛くなった時に
「疲れた、あそこが痛い、辞めたい」とネガテブな言葉が出る。
そこで、次からは、そんなことを考えずにしなければと思った。辛くなった時にはゴール後に待っている美味しいビールを思い出すとか、ココまで走ってこれて有難い事だとかポジティブな言葉を出そうと思った。
あるい人が言った。
「自分のはいた言葉は、自分が聞いている」
その言葉を聞いて、自分はその様になっていく、と。
自分は自分が作っていくのだと。
ネガテブな言葉からはネガテブの人に、ポジティブな言葉からはポジティブな人になるのだと。

人生とは実に面白い、それは自分のために生きているのではなく、人のために生きるようになり面白くなるのだ!!と。
実際人間の偉さというものは、ある意味では働くことを多くして、しかもその受けとるところが少ない所から生まれてくるとも言えましょう。ですから諸君らも、まず人の一倍半の働きをして、報酬は二割減をもって満足するという辺りに、心の腰をすえてかかるんですネ。
森信三先生の言葉

今回の勉強会、の内容。。。
最近私のスマホに、FB投稿で
苦しみから抜け出す方法はたった一つ。他の人を喜ばせることだ「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。アドラー。人を喜ばすには思いやりが必要です
このような投稿を見つけた。

自分が欲しいと思っている情報は、向こうの方からやってくる。
それはそれを求めているから。
天竜川の源流、諏訪湖から太平洋に注ぎこむ竜洋の海浜公園を目指して走る。その道程に天竜川の川の流れがある。
最終目標は、太平洋。
諏訪湖から太平洋までの道程には様々な事がある。
ひとの一生にも様々な事がある。
その様々な出来事を面白いと感じて生きる、こと。
人生は妙味津々
妙味→ なんとも言えない味わい。非常にすぐれた趣。醍醐味 。
津々→あふれ出て尽きないさま。

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第一部修身教授
第一講・第二講・第三講・第四講 ~~ 第四十講
第二部修身教授
第一講・第二講・第三講・第四講 ~~ 第三十九講



先日第二部「修身教授録」
第二十六講
二種の苦労人
第二十七講
世の中は正直
を読んだ。

後半が見えてきた。
マラソンで言えば、35㎞あたりか。
残り
第二十八講
平常心是道
第二十九講
人生興味津々
と続いていく。


「修身教授録」
今という日を生きている人が、先の世を生きた人の本を、読んで感想を語り合う。
読書会


百聞は一見にしかず

百見は一考にしかず

百考は一行にしかず

百行は一果にしかず


「修身教授録」
読んだだけではなく、この森信三先生の生き方を学ばなければならない。

その本の存在を聞いて、実際に読書会に参加して、自分なりに考え、今の自分の生き方を考える。


「修身教授録」
最後まで読み終わったら、なにが変わるのだろうか?

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第26講
二種の苦労人
 第27講
世の中の正直

 

一月の勉強会のブログが残っていない?
何故、考える。
そうだ、ブログを借りているWebサービスがパンクしたのだった。
それで、ブログに残すことができていないのだった。
ほくえんの風」は忍者ツールズから借りている(タダで)ホームページは有料だ。
何故、いろいろ訳がある、それを知らない人もいる。それでイイのかも知れない。

森信三先生話「二種の苦労人」がいると言っている。
苦労したからによって、思いやりが育つ人がいる。
また、おもいやりが育たない人もいると、そんな感じだろうと私は読んだ。
「世の中の正直」一部抜粋
p449
私は世の中が不公平であるというのは、その人の見方が社会の表面だけを見て判断したり、あるいは短い期間だけ見て、判断したりするせいだと思うのです。
つまり、自分の我欲を基準として判断するからであって、もし裏を見、表を見て、ずっと永い年月を通して、その人の歩みを見、また、自分の欲を離れてみたならば、案外この世の中は公平であって、結局はその人の真価通りのものかと思うのです。
原文まま

森信三先生は世の中は公平だという。凡人の私はそうかナ~と思う。
私より長く生きた人は、やはりそうだと思う。そんな人が多かった・・・。
集まった人の中で一月にインドに旅行した人がいるので聞いてみた。
インドは未だカースト制度があり、乞食が大勢いたという。沢木耕太郎の「深夜特急3」インド・ネパールで、少しはインドを知っていると感じた、が。

そんなとき、インドに行った人のレポートが私の所に廻ってきた。
ある女性のレポートが貧富の差が無い平等な世の中を願っていた。
池ちゃんの講演のとき山口香苗先生の話もあり
男と女の違い
男→現実・結果
女→理想・過程
女→ミラーニューロン→自分=他人
男→メタライジング→ 自分≒他人
ミラーニューロン→経験値が育てる
メタライジング →冷静な判断の元
そんな、事を話していた。

男性の人たちは、貧富の差は
「しょうがない」と言い。
女性の人たちは
「かわいそう」と思う。

日本は戦争を起こした国だ。
理由はあるにせよ、宣戦布告した。
それはメタライジング優位の男性社会だからという話もある。

戦争を経験した母親に
「おまえは苦労知らずだ」
と言われたことがある。

苦労知らずの私が、戦前、森信三先生が遺した講義の記録「修身教授録」を読む、読書会に参加するようになった。
ある人が、人生とは?すなわち時間である、と話した。
それは
今、ここ、この時を大切にすることである、と。

年代の違う、様々な人と触れ合う事、大切です。

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第22講
下座行
第23講
卒業後の指導

勉強会とが関係ないが、富士山往復マラニックを走ったことがある。
2011(平成23) 年第09回、申し込みをしたが体調不良のため DNS
2012(平成24) 年第10回、到着時間18時50分総合時間24時間50分 時間外完走
2013(平成25) 年第11回、到着時間17時51分総合時間23時間51分 完走
2014(平成26) 年第12回、到着時間17時34分総合時間23時間34分 完走
2015(平成27) 年第13回、到着時間18時05分総合時間23時間45分 完走
2016(平成28) 年第14回、到着時間18時00分総合時間**時間**分 ワープ
2017(平成29) 年第15回、到着時間17時36分総合時間23時間31分 完走
2018(平成30) 年第16回、 母親の葬儀のためDNS
2019(令和元年)年第17回、 母親の初盆のためDNS
なんといっても初めてのことは脳裏に焼き付いている。たとえ時間外でも。いや時間外だからこそ、一人でゴールしたからこそ感動したのかもしれない。
富士山頂往復マラニック 第10回記念大会
私の大切な記録。しかしこの記録を見て人は様々な感じ方をすると思う。
たいしたもんだ。たいしたことないジャン。何とも思わない。
人は人、自分は自分。そうわ思っても人は他人の意見が気になる生き物。

毎回、予習のタメ修身教授録を読んでから森町三倉のムーハウスに行くのだが、今回第22講『下座行』ただ読んだだけで意味など深く考えなかった。
下座行、その意味は第22講で
ここで「下座行」というのは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
しかもそれが「行」と言われる以上、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
と書いてある。
が、しかし、人よりずいぶん下の方に身を置いている自分は何処にいようか考える。
謙虚、そんなことだろうか?
自分は謙虚だと思っても、ある人はエラソウだと思う人もいる。のが世の中だと思う。
 

『下座行』人の家に行きトイレ掃除をする修行のような事を経験した人がいる。
いい言葉を聞いた、今まで知らなかった言葉『下座行』知っているだけでなく行動に移したい。
判断するのは他の人だ。

卒業後の指導
先生というのは大変な職業だ。自分の教えた生徒に責任を持つことを強いられる。こと。
いや、どんな職業でも、たとえ製造業の人でも、作った製品が悪かったならばクレームが付き責任を問われる。
それでも、しかし、先生は生きた人間が相手なのである。卒業した後までの指導は大変かと思う。

来年、5月の末に佐久間中学校の還暦同窓会を予定している。
生徒の立場で見る先生の姿。先生の立場で私たちを見る姿とは、また違う視界があると思う。
人に良く思われるのでなく、一生懸命に頑張る頑張っている姿を見せたい。
ゼロ富士だけではなく、その他の行動も。今回の勉強会での『下座行』を心得て恩師に敬意を持って接しるようにしないと。
今まで私は雑だった。反省しているしだいです。


 

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第20講
老木の美
第21講
故人に尽くす一つの途

名古屋駅から自分一人で自分の脚だけで走り、名古屋城を一周し岐阜を目指したことがある。岐阜駅に着いたら真夜中で酔っ払いのOLが男性社員と肩を組んで歩いていた。
人の趣向は様々だ、私は御母衣ダム、荘川桜を目指して走った。

第一歩
後藤静香(ごとう・せいこう)

  十里の旅の第一歩

  百里の旅の第一歩

同じ第一歩でも 覚悟がちがう

  三笠山にのぼる第一歩

  富士山にのぼる第一歩

同じ第一歩でも 覚悟がちがう

  どこまで行くつもりか

  どこまでのぼるつもりか

目標が その日その日を 支配する
 
森町三倉勉強会&読書会
修身教授を読み終わったら、森信三先生の故郷「半田」に旅行。
その目標に向けて、頑張ろう(笑)

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私: 「日本は素晴らしい国だ、私は海外は行ったことは無いが沢木耕太郎「深夜特急」を読んでそのように思った」と尋ねたら、ある人が。

H: 「そうだよ、日本はどこに行ってもコンビニはあるし」

勉強会「良寛戒語」

 
しんしん皿洗い。

修身教授録、今回は「忍耐」「自修の人」
先生、忍耐には分ければふたつあると言う。一つが「堪忍」もう一つが「隠忍」
堪忍袋の緒が切れる そんなコトワザがある。もうこれ以上我慢できなくて怒りが爆発する。こと。
そんなコトワザが頭をよぎったのか、今回は皿洗いをした(笑)

自修の人、自修とは自分で身を修めること。人から教えを受けないで、自分で学問を身につけること。
真に自己をつくるものは、自分以外には無い。自分を鍛え、自分というものを、一個の人格までに築き上げていくのは、自分しかいない、ということだ。と。
本ではエレベーターに乗らずに階段を駆けあがって目的地に着いたことを例えにしている、一種の愉快さが沸くと。
富士山頂往復マラニックに田子の浦から自分の脚で山頂に辿り着き、またもと来た道を田子の浦港を目指す。何と馬鹿げたマラニックなのか。それでもそれを完走することに何らかの意味を考えている自分、自分を鍛え、自分というものを、一個の人格までに築き上げていくのは、自分だと挑戦している。もう一人の自分と語り合いながら目的地を目指している。

 

先の会話、Hさんは元警察官だそうだ。やっと定年を迎え現役の事件の思い出を語ってくれた。
国民の生命,身体および財産を保護するため,実力行使を含む一定の法執行権限をもち,犯罪の予防,鎮圧および捜査,被疑者の逮捕,交通の取締りその他公共の安全と秩序の維持にあたることを職務とするのが警察官である。身分は地方公務員。
そんな警察官も、日本の良さを便利で良い国と解釈しているようだ。
「そうだよ、日本は治安は良いし」
私としては、その様に答えてほしかった(笑)

 

便利ではなくても、人々が仲睦まじく希望をもって暮していける田舎、その様な佐久間町になっていくようにと思っている。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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