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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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今回わ。。。
第7講「大志を抱け」
志を立てるということは、ローソクに火を点すようなもの、ローソクは、火を点けられて初めて光を放つものである。
同様に人間も志を立てて初めて人としての真価が現れるもの、志を立てない人間は酔生夢死の徒に過ぎない。
真の志とは、この二度とない人生をどのように生きたら、真にこの世に生まれてきた甲斐があるかということを考えて、心中につねに忘れぬということ、結局最後は、「世のため人のために」という所がなくては、真の意味での志とは言いがたいのです。
原文から
酔生夢死 (すいせいむし)
何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から。
最後の話し合いで
私:「佐久間中学校では立志式をやってるョ」
立志式とは
元服にちなんで(数え年の)一五歳を祝う行事。参加者は、将来の決意や目標などを明らかにすることで、おとなになる自覚を深める。
旧佐久間中学校では中学校3年生の時に将来の夢を書き、体育館前の真珠が丘の中に保存して二十歳の時にそこから出して見ることを続けていた。たぶん。
昔の記憶では、そんなことをやっていたような気がする。たぶん。

第8講「気品」
気品とは
どことなく感じられる上品で気高い趣。「気品のある物腰」「気品の感じられる文章」
goo辞書から
気品とは先祖代々続いて出来てくるもの、後天的な人間一代の努力や修養だけでは出来ないもの。
相月駅から見上げた横吹の斜面部落で育った私には、気品だだよう品性ある人間になることは無理だ。
いや、多様性、気品ある人も、わたし達のように武骨な人間も、またいいのだ(^O^)/
武骨洗練されていないこと。無作法なこと。また、そのさま。「―な振る舞い」

最後萩田さんからの言葉。
縁尋機妙(えんじんきみょう) 多逢聖因(たほうしょういん)
https://ameblo.jp/dokugakuman/entry-11927730731.html
生きていることは、借りをつくる事
生きて行くことは、その借りを返す事
平成のときの勉強会は終わりました。
令和の時代に、また逢いましょう。
おわり

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松下幸之助氏、とは。
松下 幸之助(1894年〈明治27年〉~ 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。
ウィキペディアから

松下幸之の考えで、「衆知による経営」がある。
衆知とは「多くの人のもっている知恵」という意味である。
氏には従業員、みんなで築き上げた松下電器という考えがある。

また晩年は、政治家育成塾を設立した。
アジア諸国の繁栄を予測し、その受け皿としての塾だった。
1979年に約70億円の私財を投じ設立。
全国から約900人が応募、3次にわたる厳正な審査の末に、20人が入塾したという。
79歳の松下幸之助氏だった。

 

衆知による経営。
皆で築いていく会社。
地方自治体も国も、はたまたこの地球も。
多くの人の知恵でいい方向に持っていかなければならない。

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第5講「一つの目標」
氏曰く
諸君が将来真に力強く生きていくには、一つの目標を考えるのが良いかと思います。
試験を受けて、より上級に進む目標でなく、ほんとうの志す物を。
人として、この世に生れ、今師範学校で教育者になる道を歩んでいる人に。
そこで先生は提案した。
40歳になったら一冊の本を書いてみるのはどうか?
今日からこの目標を心に秘めて歩んだら、自分の歩んだ道が必ずしも間違いではなかったと感じるようになりましょう。
不惑の齢に達するときに一冊の本を。と言ったのであった。

第6講「意地と凝り性」
氏曰く
ひとかどの人物になる人は、小さいころからの特性がある。
意地とか凝り性というのもその一つ、そのように思う。
その意地とか凝り性の特性を純化する。
自身が持っている醜いもの人間の欲望などを純化することが大切。
生涯をかけて生き抜こう、という決心が生まれてくるんでなければ、真の修養とは言えないのです。
否、一つの目標を目指して、生涯を生き貫くというにとどまらず、さらには願わくば、この肉体が朽ち果てた後も、その人の歩みが後に来る人々の目標になる生きかたが、真に生き甲斐があると言えないでしょうか。

氏曰く(しのたまわく)
ココでの氏は森信三先生
森信三先生は おっしゃいました。
と。

戦前に大阪の天王寺師範学校の講師として勤めた頃の森信三先生の講義録。
 修身教授録
なんの御縁か、わたしも読むようになった。
 


修身教授録を読み終わり、仲間で意見を交わす。
勉強&読書の仲間は職業や年齢は様々な人がいる。
そんな話しの中で心に残った言葉がある。

氏曰く
100年先のことを考え生きていくことが肝要である。
この場合
氏は山草人先生、と。
山草人先生は、おっしゃいました。と。

その人の歩みが後に来る人々のためになる生きかたが、真に生き甲斐があるといえないでしょうか。
自分の生き甲斐、他の人にとっても生きる糧になる。。。
頑張れと言えば、ガンバレ~っと帰って来る。
そんな生き方(*‘∀‘)

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生まれつき身体に大きなアザがある首藤雄三さんの講演が岡崎市図書館交流プラザで行われることを知ったのは去年の暮れのことであった。
首藤雄三さんを知ったのは、FBでアザのある身体を見たからだ。
コメントには母親と雄三さんの会話があった。
母親:「どうして相撲やスイミングとアザを見せることばかりやるのだ」
雄三:「このアザを見せるのは私の使命だ」
母親:「そう」
そんな会話だと思った。

何気ない親子の会話
首藤さんは
「楽しい人権講話ナビゲーター」として日本全国をまわりアザと難病と障がい者とひとり親世帯の理解を深めてもらう講演をしている。
せっかく近くに来るのだ、会うしかない。
そう思い昨日は岡崎市に向かったのである。

飯田線で中部天竜駅~豊橋駅
 

そこからは旧東海道を自分の足で走って岡崎市を目指した。
豊橋駅7時30分岡崎公園に着いたのは13時30分だった。

岡崎公園で着替えをし、講演をする岡崎市図書館交流プラザに行く。
大きな建物だ、受付で会場を聞き、そこに顔を出して受付をすまし、小腹がすいたので館内のコンビニにて食事をした。

アルコールも少し注入。

ほろ酔い身分で、会場に行き、遅れ気味の首藤さんを待つ。

現れたのは、覆面レスラー姿ではなかった(笑)

講師を近くに感じ、講演は和やかに進んだ。

首藤さんの生い立ち、考え方、etc

小学校の時代は、身体にあるアザを同級生から揶揄された経験を話してくれた。

また、人からは言われるが、自分自身はアザについて、卑屈には思っていなかった。とも。

少年時代から体格は大柄でスポーツも中学(柔道部)高校・大学と(相撲部)だったそうだ。

あるエピソードの話があった。
小学生四年の頃、初任で学級担任になった先生での話し。
先生の自宅に生徒全員が招待されて、お風呂に入った話し。
雄三少年は担任の先生と二人で入ったそうだ。
そのお風呂の中で、お互いに背中を流し最後に先生が
「雄三、ハンデキャップがあるが負けずに生きろ」
そう言われたそうだ。

私は、その先生の気持ちになって雄三少年の気持ちになって、ウルっときた(涙)

ところが、とうの本人、首藤雄三さんは違っていた。

小学校四年生、雄三少年はハンデキャップという言葉を知らなかった。

また、大人の会話でハンデキャップを知り愕然としたという。

ハンデいキャップ=実力差が大きい場合の設定

自分では、そんなこと感じていないのに、大人がそうみる。こと。

世の中、普通こうだから、そんなことがアタリマエに囁かれる。

今回、首藤さんの話を聞いて、そんな自分も自分の考えで同じように世の中のアタリマエを自分で作り出しているのではないかと考えた。

最後に首藤さんから質問は無いかと問いかけられ、聞いて見た。

私:「これだけ体格がいいので、不良になったことは無いですか?」

バカな質問かも知れないが、わたしと同じ世代の首藤さん。
自分の少年時代、そんな人が多かったので聞いて見た。

答えは、首藤さんは不良にはならなかった。そうだ。
逆に、ケンカをしている人を止めたと言っていた。

ここでも思う。

自分の時代はアタリマエだと思っていたこと。
大人なんか、と悪の道。。。

自分をしっかり持てば、たとえ環境が如何であろうと、自分の道を誠実に歩く。

そう思った。


首藤さんの事を知りたい人はユーチューブを

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森町三倉で森信三先生の本を相手に勉強会・読書会
先生の本も第二部になり佳境に入ってきた。

 

この人生は二度とないのです。
森信三先生の言葉

度々申すことながら!!
この人生は二度とないのです。
いったん決心したことは必ずやり抜く人間になることです。
例外をつくったらダメですぞ。
今日はまあ疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったとか考えてたらもうダメなんだ。
できないというのは本当にする気がないからです。
一生の志をたてるとが根本です。
つまり自分の生涯を貫く志を打ち立てるということです。
すべて物事というものは理想すなわち最終目標をあらかじめはっきりとつかんでいないことにはとうてい本当のことはできない。
一生を真に充実して生きる道は結局今日という一日を真に充実して生きる外ないでしょう。
一日は一生の縮図なり。
腰骨を立てるということなんだ。
性根の入った人間になる極秘伝は、朝起きてから夜寝るまで常に、腰骨を曲げんということだ。
結局最後は、
『世のため人のため』
という所がなくては真の意味で志とは言いがたい。
人間は徹底しなければ駄目です。
もし撤退することができなければ、普通の人間です。

内面的に強くなることです。
他の一切のことはすべてそれからのことです。
自己の与えられた条件をギリギリまで生かすことが人生の生き方の最大の最深の秘訣である。
人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の、職務に専念すれば、おのずからそこに、一小天地が開けてくるのです。
人間には進歩か退歩かの、いずれかがあって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している、証拠だ。
人間は一生のうち、逢うべき人には、必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず。
一瞬遅すぎない時に。
人間の偉さは、才能の多少よりも
己に授かった天分を生涯かけて出し尽くすか否かあるといってよい。
人間の値打ちというものは、その人が大切な事柄に対して、どれほどの決心し、努力することができる、かどうかによって決まる。
https://www.youtube.com/watch?v=IN28Y5K7SKU

命のアサガオ永遠に
静岡県骨髄バンクに関わるようになり、タスキを付けてマラソン大会を走るようになり、出会った本、命のアサガオ永遠に
丹後光佑クンはわずか7歳でこの世を去った。小学校に三ヶ月通って、そのとき撒いたアサガオの種を母親が見つけ育てた。
様々な本との出会い。
今回の修身教授録の読書会で、骨髄バンクで知り合ったその本の思い出が甦った。

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月に一回、森町三倉で読書会・勉強会。
ヒロボーさんが”人生を学ぶ”勉強会として知り合いを集っている。


人間としての考え方、心理を伝えたい、一緒に勉強したいと、森信三先生の「人生二度なし」を引用して、すばらしい今を、人生を生きるために楽しく学ぼうと伝えている。


集まった人の一人が、教員を退職した人がいて、その人が日本語の先生としてタイに暮すようになった。


そのタイに、日本からヒロボーさんの仲間が遊びに行った。


素晴らしい人生を生きるために学ぶ。


走ること、学ぶこと、生きること。


また
人生を楽しむこと。


月に一回、森町三倉での勉強会で出会った仲間から、自分も学んだ。

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いつやるの? 今でしょ。

予備校講師でありタレントでもある。
林修先生53歳の言葉。

わたしは遅すぎたのかナ~。

いや遅すぎることはない。

と思いつつ、今回の森町三倉の勉強会に参加した。

第二部 教授教授録
第1講 挨拶
第2講 立志

読書が終わり。
ヒロボーさんの25年間・300枚毎月送ったハガキに話が出た。
ハガキ道
人生が変わる! 思いがかなう! 奇跡が起きる!
坂田道信さんの言葉だ。

本を読み講演を聴いて、う~んいい話だ。素晴らしい。
その様に思う人は多くいるが、実際に続けることは難しい。

勉強会が終わり。
水窪での新年会があるので先を急いだ。

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勉強会&読書会
の第一部が昨日、終了した。
2015年6月から始まった、この勉強会&読書会
佐久間町から森町三倉まで車で約1時間半よく通った。
最後の講を読んだ人は私の隣のSさんだった。

わたしも前日には予習のタメ、第一部最後の「別れの言葉」には目を通した。
最後のこの講義を一年を通して書写した生徒最後の文字
先生のご講義を筆記させていただけたありがたいご縁に深く感謝しつつ。

戦前師範学校の生徒と教師の深いつながり垣間見た感じだ。

また、自分も。
勉強会&読書会を求めて森町三倉に車を走らせ通った3年半、ようやく終わった。と感じた。
森信三
修身教授録
【現代人に甦る人間学の要諦】
分厚い本の第一部が終わった。
森信三先生の想いを没後半世紀以上たった今、一人のランナーが本を読み感じた瞬間だった。

90㎞のマラニック
夢街道90㎞を完走した時に身体に流れる汗とともに自分自身に感じた爽やかな感動とも似た感じだ。

一つのことを途中で投げ出さずにやり遂げる。

そんな感動を教えれくれたのはマラソンである走ること。


悲しいことも苦しいこともある。惨めに思うこともある。
それ故に今の感動がある。楽しいと思うことができる。
12月になり。
山間部では師走のあわただしさあり。
駅伝の季節がやってくる。
タスキに願を繋げる走りも。また楽し。

過去のブログ
ムーハウスno4
第7回”修身教授録”を学ぶ。 
三倉「ムウーハウス」勉強会
二宮尊徳の教え
修身教授録 第10講「尚友」
その他まだあるがココまで。。。。

 

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もう何回通たのだろうか、森町三倉のムーハウス。


佐久間を朝7時に出発した。


車を走らせると、いつもの瀬尻の迂回路は無い、国道152号線を進むことができる。


信号機が無い、誘導員が居ない。
そんなことを騒いでいたが、「譲り合いありがとう」の気持ちがあれば何事もなく通り過ぎることができた。


9時少し前にムーハウスに到着したてクサリを外し、予習とおもっていたら直ぐに何人か参加者が集まってきた。


今回の修身教授録、第38講 小学校教師の理想、第39講 教育の窮極


森信三先生が
これから小学校の教員になろうと志している師範学校の生徒に向け、言った言葉が書いてある。


「物事というのは理想すなわち最終目標を、あらかじめはっきりとつかんでいないことには、とうてい本当のことはできないものであります」


このほんで森信三先生は、生徒に向かって話している。


いざ、今回の参加者一人ひとりに理想、最終目標を問うてみた。


自分は如何だろう?


理想最終目標


理想 → 山間部で暮らしていても誇りを持って暮せること。


最終目標 → ココに暮らしてよかったと思って最後を迎えること。


多くの人が、過疎の村で暮していることを憂いている。
そんな現実がある。


宝くじで七億円当たったならば、こんなとこ出ていきたい!そんな話が聞こえる。


理想と現実とは違う。


自分にもし、七億円が多くの金が手に入ったならば、最終目標である思いは叶うことができるだろうか?


それは、わからない。


今やれることを、やらなければいけないことをやるだけ。

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人間学を学ぶ雑誌「到知」
 創立40周年記念号
P34「日々発見!日々感動!日々新た!」
志ネットワーク「青年塾」代表
上甲晃さんの お話だ。

経営の神様といわれた松下幸之助が未来の政治家の育成にと創った松下政経塾の理事・塾頭・常任理事・副塾長歴任した人だ。
上甲さんが松下幸之助から直接話を聞いていたのは松下幸之助70歳代、上甲さんは20歳代だったそうである。
松下幸之助の話は、まるで「禅問答みたいやなぁ」と思っていたそうである。
しかし、自分が70歳代になってみて、少しずつ分るようになってきた、と。
70歳の人が考えたことは70歳にならないと分らない。
80歳の人が言うことは80歳にならないと分らない。
年をとるのは伊達じゃないと思う。
と、上甲さんが言っている。

上甲さんはディリーメッセージを27年間毎日書き続けて間もなく一万号を迎える。
「よき習慣はよき人生をひらく」
どんなに小さなことでもよい習慣を身につければ人生はよくなる。
と、綴っている。
話しは変わって
私の知り合いでもブログを毎日書き続けている人がいる。
山草人のモノローグ
毎日毎日書き続けている。
走ることブログを書くことの私の大先輩だ。
到知の上甲さんの記事を見て、よし自分もと、毎日書き続けるゾ!!!っと思ったが。

 今回、12時を回ってしまった。
記録は7日間で終わった(/_;)

あなたの志は何ですか?
話しは脱線してしまった。
上甲さんは志ネットワーク「青年塾」代表
松下幸之助の教えを上甲さんが今の青年に伝えている。
ディリーメッセージで
 「日々発見!日々感動!日々新た!」の気持ちで伝えている。

松下幸之助は
「我が国を導く真のリーダーを育成しなければならない」
と、84歳の時に松下政経塾を設立した。
上甲さんは
志ネットワーク「青年塾」で青年たちに伝えている。

私の志は
過疎・中山間地といわれるところでも楽しく希望を持って暮らすこと。
そんな仲間に出会うこと。

良き習慣
走ることブログを書くこと。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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