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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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音楽プロデューサーつんく作詞・作曲のLOVEマシーン
明るく前向きな歌だ。
「安倍総理と日本を変える」の中で総理とつんくの対談がある。
日本の未来は世界がうらやむ
つんく と安倍総理が握手をしている写真があり。日本の教育やエンターテインメントの将来を語り合った。
そんなふうに書いてあった。

今日は森町三倉での萩田さんの勉強会の日だ。
私と同世代や一回り年上 団塊の世代の人の勉強会だ。
「安倍総理と日本を変える」で書いてあるように、今の総理には批判的の意見が多いように感じる人たちの集まりだ。
(今の総理の支持率は若い人が多く年配者が低い)

今日の講義は第37講「死生の問題」
命尽きるまで人は何を残せるか。ただダラダラ生きていくのではなく天下国家のために何を残していけるのか?
また、一段下げて地域のために何かを残さなければと問いかけている。
参加者は皆、それぞれの地域でなにガシラの地域貢献をしている人ばかりだ。
挨拶運動・ゴミ拾い・ボランティア活動etc
戦前、日本がまさに戦争を始めようかという時代に、大阪の師範学校での森信三先生の講義には魂がこもっていた。
修身教授を読んでいるだけでも、その気迫が伝わるようだ。
 
今回、「安倍総理と日本を変える」を読み終わって、森町三倉に勉強会に行ってきた。
勉強会の最後に、第37講「死生の問題」を読んだ感想を言い合った。
男性K
「10年20年先のことより100年もの先を考え生きるべきだ!」
そのひとは100年たてば170歳。
しかし、それは老い先短いからと自分の生きていることだけを考えるのでなく、子ども孫世代のことを考えて今を生きる。
深い深い考えがある。
女性S
「明日こともわからない。とりあえづ日々感謝、たまに子どもに思い出してもらえたら・・・」

ニッポンの未来はWowWowWowWow
世界がうらやむYeah Yeah Yeah Yeah
安倍総理は団塊の世代にの支持率は低い。
解るような気がする。特に男性には(*^^)v

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第35講「為政への関心」
為(なす。ため。)政(まつりごと)
為政(イセイ)→ 政治を行うこと
森信三先生が師範学校で、これから先生になろうとしている生徒にたいし「将来教育者になろうとしている者に対し、このような書物をお奨めすることについては、あるいはこれをいぶかしる人がいるかもしれませんが」と書いてあった。
「しかし私から言わせれば、むしろそれ故にこそ、かえってこの書の一読をお奨めしたいと」と言っている。
昭和の初期の時代、生徒にそれとなく出ている発言ではないだろうか?

・自分が火鉢のそばを離れるときには、炭火に灰をかぶせておくくらいの心の嗜(たしなみ)があってほしいものです。
・人間苦しい目に出遭ったら、自分をそういう目に遭わせた人を恨むよりも、自分のこれまでの歩みの誤っていたことに気がつかなければなりません。かくして初めて自分の道も開けるのです。また人間の内面的な強さや、しなやかさも、かくして初めて鍛えられるのです。

第36講「誠」
真の誠とは
「もうこのくらいならよかろう」と軽んずるのではなく。
真の誠とは
その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざることを歎くものではなくてはならぬからです。
誠は綱渡りの如く、常に進まなければならない、途中でとどまることはできない。
向こうにたどりついて「やれやれ」とホットするのは、これを現実社会に例えるなら死ぬこと。
人生綱渡りのように真剣に誠を貫いて生きよ!
と言っているのか?

最後の生徒の感想にて
今日は朝からずいぶん寒い日たと思っていたが、終始緊張して時のたつのも忘れて講義を聴いた。
この一文んで
森信三先生の気迫の授業が私にも伝わった。

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森町三倉
修身教授録
大人の
読書会&勉強会

第33講 ペスタロッチ―断片
いつもは、白墨入れの小箱以外には、何一つ持たない先生が、今日は珍しくも書物数冊と、「渾沌」(雑誌)とを持って入ってこられた。そして右のような題を書かれた。
渾沌とは
中国の神話に登場する怪物。目があるが見えず、耳のあるが聞こえない。
森信三先生の気迫がこもった授業の始まりである。
 

第34講 国民教育の眼目
かくして今日教育の無力性は、これを他の方面から申せば結局「志」という根本の欠けているということでしょう
原文まま
昭和初期、戦前のとき、森信三先生はこう思っていた。

「志」
 
ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標、使命。

心の持ち方。信念。志操。「志を高く保つ」

わたしの「志」、使命
先日、出した暑中見舞いに書いてある。
命の炎を燃やし走り出さねば。
人は生まれやがて死んでいく、この時代を
生きている自分が何を残せるか?
一人でも多くの人に『遠山郷・北遠』の
素晴らしさを経験していただき
その価値を伝えていくことが
私の使命だと思っています。

今月の勉強会&読書会
「志」の事について考えた。

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運命の出逢い。
このようなときに、出逢いは使う。

今回の勉強会・読書会
第28講 一人一研究
そんな講を読んで自分なり考えた。

自分が取り組むべき事。
過疎高齢化・衰退地域の問題。

運命の出逢いがあり、自分なりにその出逢いを大切にする。
しかし、相手がその気が無かったら破断だ。
でも、自分なりにシツコク接近する。

しつこすぎると
今の時代、様々な問題をはらむことが多い。


それでも、よき出逢いを大切にして、これからの人生を楽しもうと思っている。


夏は
広島の平和公園に原爆投下の時間に行こうと思っている。
帰りは、福山市のヤッチャん先生の資料館に寄ろうと思っている。

それよりも
4月29日(日)
静岡市に「静岡県骨髄バンクを推進する会」の総会に出席しなければ。
藤枝駅から駿府公園まで走ろう。
そんなことを考えている。
↓去年の動画


良き出逢いを求めて走る(^O^)/

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すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現れない。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものです。

第24講 質問
第25講 仕事の処理
第26講 成形の功徳
読書が終わり。自分の身の回りの乱雑さを脳裏に浮かべガックリした。
5Sがなっていない。
萩田氏に5Sの意味について質問された。
「5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾」
 

読書の最後にある人が。
片付けについて「余分なものがあるから、必要と思うものを残しておく」との話が合った。
とう言えば、先日YouTubeで観た、「坂の上の雲」で秋山好古が弟の秋山真之を東京に呼んで下宿先での会話を思い出した。

余分なものはいらん。
そうは言っても
今現在、自分の身の回り。余分なものだらけかな~?
片付けか~。
 
勉強会の昼休み、
第16回富士山頂往復マラニックの”公開抽選”をした。

貴重な経験をした。
車を飛ばし、佐久間に帰って来て、今度は半場親睦会第二回定期総会。
やることが多くある。

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佐久間に暮らして、もう何年にもなるが、始めて見た自然のイノシシ。
朝早くのランニングでも会うことのなかったイノシシ、車で走っても会うことのなかった。
イノシシに荒された歩道を見てイノシシいるとは聞いていた。
そんなイノシシを、森町三倉に行く車の中で見た。
 
三倉の小学校を通り過ぎてすぐ、大きなイノシシ(お父さん?)を先頭に道路わきからゾロゾロト出てきた。
そんな姿に愛くるしさを感じたが、あと少し早く走っていたならば衝突していたかもしれなかったと思うとゾッとした。

今日は2018年初の勉強会。
 初めの挨拶
 「今年は二日に新城運動公園んから田峯観音までの初詣ランで始まりました。先ほど萩田氏から消えてたまるか新世紀しずおかの新聞の切り抜きを見してもらいましたが今、佐久間の現状は多くの人が引っ越して行く状態です。昨日Amazonで買った君たちはどう生きるかという本が着ました。今から80年前、太平洋戦争がはじまろうかというとき書いた本です。
夢街道90㎞Tシャツを作り今年もこのマラニックを成功させたい、2020年にはTシャツのデザインも変え世界平和の事を考えたい」

チョット大げさかもしれないが、君たちはどう生きるかを読んで今を生きる自分として思った事を素直に語ったつもりだ

休憩になり、ランニングタイム。
今日は、何時もより長い距離を走りたかった。
19㎞を走った。
ジョグノートでの一月の累計距離302.5㎞
やった~。300㎞越え。

午後になり、本日は平澤興「生きよう今日も喜んで」の読書。
目次
一  朝に希望夕に感謝
二  人生に無駄はない
三  仕事は祈り
四  癖は飾りもの
五  一流の人は明るい
六  道というもの
七  生かされて生きる
八  自己との対話
九  自らを拝む
十  一日生涯
十一 四苦即四喜
十二 大西良慶さんに

この勉強会が始まったのは森信三「修身教授録」の読書からだった。
よっぴーのひと言
「難しすぎて・・・・。」
そこで、他のためになる本も持ってきての読書会になった。
森信三「修身教授録」
今読んでいる
君たちはどう生きるか
吉野源三郎

どちらも戦前の本だ。
この人たちが、日本の行く末を考えて考えて出した著作だ。

いま自分は平和な日本に暮らしている。
君たちはどう生きるか
裕福な家に育つコぺル君が、貧しい家の浦川くんの家に行ってその生活ぶりに仰天するところ
四 貧しき友
の所を読んでいる。

朝、出会ったイノシシ親子
衝突しないで、ほんとうによかった。

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12月1日(金)夜
水窪
NPO法人山に生きる会の会議、終わってから29年の忘年会があった。
私は6時半までの仕事なったので、忘年会の始まる途中、会の初めの来賓あいさつの途中からの参加になった。

「水窪町森林組合長」
の挨拶。
森林環境税の話。
YAHOO!ニュース
知っている?森林環境税の使い道
田中淳夫の話が載っていたので読んでみた。
地方自治体が独自に課税するもので、ようするに森林を中心とする環境保全に使うための目的税、浜松市は政令指定都市なので浜松市で徴収するようになっているのだろう。たぶん。
挨拶の後、忘年会の酒の席で、その森林組合長と元NPO会長の話を聴いたいた。
元NPO会長
「今ある山の駅を拠点に、これから10年後20年後を見越して、水窪に残していきたい環境」
「自分は生きて、その光景を見ることができないかもしれないけど、それでも」
森林組合会長
「実際の今の水窪の人口は2000人強、10年20年後には1000人以下になる可能性がある」

佐久間のNPOがんばらまいか佐久間では、このような本物には会うことができなかった。
ほんとうに自分の暮している地域のことを思う、本物の人との会話。

12月2日(土)
森町三倉
修身教授録を読む読書会・勉強会
9時15分

↓ 近況報告

10時30分

↓ 軽くジョグ

12時00分 昼食

13時00分


↓ 修身教授録 第22講~第24講

15時00終了

17時00分 神楽坂峠の茶屋にて忘年会。

午前中の近況報告で、11月に自分が登った明神山のこと、走ったハーフマラソン二つのレースこと、そして昨日の水窪のNPO法人山に生きる会の忘年会での話のことを話した。

修身教授録では第22講「鍛錬道(Ⅰ)」第23講「鍛錬道(Ⅱ)」第24講「性欲の問題」の読書。森信三先生は生徒にこの授業で何を伝えたかったのか?

第22講「鍛錬道(Ⅰ)」第23講「鍛錬道(Ⅱ)」
戦争前の森信三先生の生徒に向けた教え、そのもっと昔にはもっと厳しい教えがあった。
その教えに生徒もついてきた。

第24講「性欲の問題」
性欲はわれわれ人間にとって、最も貴重なものであって、だんじておろそかに考えてはならぬ。
昭和12年から13年にかけて行った「修身」の講義録、40歳前半の森信三先生が大阪天王寺師範学校(現・大阪教育大学)で生徒に向けた性の教育。

参加者の中から、「性欲の問題」の読書の後の話し合いで、今の日本の少子高齢化の問題についての意見があった。
今の若い人の考え方、自分の子供たちのこと。日本の未来のこと。

そのとき、昔買った致知の本を読み返して、出会った言葉。
「巻頭の言葉」ウシオ電機会長 牛尾治郎
新しい時代の価値基準を見極めよ
 戦前の日本では、個人は全体のためにあるという教育が施され、それが善とされていました。それは”善か、悪か”が社会の価値基準になっていた時代といえます。
これがアメリカの占領政策を経て個人の権利が重視される時代に入ると、”損か、得か”が価値基準の主流になりました。”善か、悪か”に比べて、”損か、得か”という卑しい印象もありますが、敗戦の窮状から脱してく上では的確な基準でした。
中略
衣食住が満たされ、生活が豊かになってくると、各人が好きな暮らしをしたいという欲求が高まり、社会の価値基準は、”好きか、嫌いか”シフトしてきました。機能性よりも、見た目や個人の好みを重視した商品が求められるようになり、ブランド品が持てはやされるようになりました。
しかし、それがいき過ぎると、大衆の心理を悪用した儀物が出回ったり、いかがわしい人間がにわかに大頭してくるようなこともあります。国民はしだいに”本物か、偽物か”を判断の基準とするようになったのです。
中略
いかなる未来を選択するか
現在のような、”本物か、偽物か”の時代に注意すべきことは、本物は善で、儀物は悪という極端に走ってしまうことです。
いま、憲法改正の議論が高まりつつあります。日本の憲法をよりよいものとするために議論を尽くすことに私も異存はありませんが、そこに日本ばかりを善とするエゴイズムに陥ってはなりません。
日本を分母にして善悪を考えるのではなく、アジア、そして世界全体の幸福を見据えた、ヒューマニスティックな憲法を求めて議論が発展していくことを、私は切に願っています。
中略
いかなる価値基準に従って歩んでいくか。
それによって日本の未来は大きく異なってきます
人間学を学ぶ本「致知」から一部抜粋

”善か、悪か”
”損か、得か”
”好きか、嫌いか”
”本物か、偽物か”

今回の森町三倉での勉強会&読書会
来年の私のマラニック「夢街道90㎞」の参加者を一人でも走ってもらえるようにと思い参加した。夢街道の宣伝をした。



楽しいから参加する。それはそれでモチロン良いかの知れない。
”損か、得か”も。
しかし、私の「夢街道90㎞」
授業「地域」過疎高齢化についての学びのマラニック。今年のテーマは「絆」
日本で二番目に大きくなった市「浜松市」を突き抜け長野県南信州「遠山郷」までの90㎞のマラニック。浜松市を突きぬけるマラニック。

市の中で一番広い市は高山市、しかし高山市と浜松市は違う浜松市は政令指定都市、
浜松市は都市部から山間部までの格差がありすぎる政令都市だ。
浜松市になったこどで、若者の山間部からの流失は怒涛のように始まった。

そんな政令都市浜松市を都市部から山間部へのマラニックは意味あることだと思う。

この道が、多くの人が行きかうようになり、山間部にも活気がみなぎる所になるようにと願うマラニックです。
今年の動画↓

来年の動画が、もっと素晴らしくなるように。

参考ブロブ
山草人のモノローグ

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毎月一回、森町三倉で行っている
勉強会・読書会
何時もは森信三先生の本「修身教授録」を読んでの授業だったが、9月から少し変わった。
それは、ある人が
「チョット難しすぎる、昭和初期の森信三先生の言葉、難しすぎる」
わたしも同じように思っていた一人。
しかし、難しいなりに、わかろうとするのが良いのではないかとも思っていた。

生き方のセオリー
人間学を学ぶ本「到知」の編集長藤尾秀昭著
第一章
言葉とともに生きる
第二章
運命を好転させるもの
第三章
忘れ得ぬ人との出逢い
第四章
学びが人間を創る

この本を読んで始まった今回の勉強会・読書会
チョットした 心の工夫が 人生を好転させる

わたしが読んだのは
第一章の松下幸之助さんの言葉
100人募集して30人集まった時、30人しか集まらなかったのではなく、30人も集まってくれたと考えること。
全て肯定的に考えること、おかげさま、人のせいにはしない。
成功したら他の人の協力を感謝し。
失敗したら自分の不甲斐なさを反省する。

また、本の中で
『森信三訓言集』に心を洗う
が、あった。
本によると、私たちが買って読んでいる本「修身教授録」は
森信三氏による修身(=道徳)の講義録。
昭和10年代初め大阪府天王寺師範の専修科の教室にて授業内容・風景を当時三人の生徒が書いた内容だ。

夜には水窪で、わたしが昔働いていた職場の人たちとの飲み会がある。
今回は10名の参加者。三回目になる、この集まり。

お蔭さま。
楽しい飲み会になるといいナ~。。。

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二次会は最後までは付き合わなかった。
早めに就寝、寝床で修身のお話を思い出しながらの睡眠。爆睡。
 
隣で爆睡中の爆音に気が付き目が覚めた。
何時だろうか?
辺りは真っ暗、走る用意をし、布団で目をつぶるも寝付くことはできない。

夜明け前、森町三倉ムーハウスの玄関を開け、運動靴を持って外にあるソファーに座る。
外は真っ暗。AM4:00
チョットした屈伸運動を終え走りはじめた。
ハンドライトをたよりに上り坂の道路を、昨日寄った「神楽坂」方面に向けて走りはじめる。
山や木の陰で狭くなった空が時より見える。その狭い空に星が輝く。
斜面にある郷にでて、狭い空が少し広がり、私が唯一知っている星座「オリオン座」が見えた。
その横に、ひときは輝く星(後から聞いたら金星ではないかと言われる)その上に切れるような三日月が、、、、ぽっかり浮いている。
汗をかき息が弾み、峠に着いたのが5時近く、あたりは白み始めていた。
ココの峠を、北に下ると川根に至る。
峠のフェチとしては、せっかく極めた峠、下ってみたい、そして下ったところにある郷に行ってみたい、そんな衝動に駆り立たれる。
が、
少し下ったが、帰ってきた。
峠に帰り、その道を今まで走ってきた道を帰ることもできるが、もう一本の南に尾根沿いを向かう道を行くことにした。
この道は、数年前、山草人さんの後を着き走ったことがある道だ、昔の記憶を辿って走ることにした。

杉林の中のジョギング、夏の季節の終わりを告げえるヒグラシの合唱が聞こえる。
昨日、勉強会での「血・育ち・教え」その中の「血・育ち」変えることのできない昔からの自分。
横吹で生まれて横吹で育った、横吹(よこぶき)斜面集落。
山で一人で走っていると感じる。一人で気ままに走る自由さ楽しさ解放感。
血統も育ちも良くないけれど、戦後それを個性と呼ぶようになった。
個性、灰汁、だらけの自分だけど「それでいいのだ

  随分走ったが、そろそろ目的地に着いてもいいのではなっか、そう思ったころ、こんな看板が。

「美しい自然は、みんなの財産です。自然を破壊するような行為はしないで下さい」
自然保護

そこが三差路、真っ直ぐ行くと上り坂。左に折れると下り坂。
そろそろ山を下るときだと考え、左の道を選び下りの道を進んでみた。ところが右手を沢が流れる、この道。見覚えが無い、もう少し進むと何か思い出すだろうか?
ヤハリ違っている、もと来た道を帰る上る、さっきの三差路、今まで来た道を戻ろうか、それとも真っ直ぐすつづいている上り坂を行こうか、悩んだ末、真っ直ぐの上り坂を進んだ。
その上り坂を登り切ると、今まで杉林の中だったのが、広葉樹に囲まれてのコースになった。何となく昔の記憶が蘇る。
数キロ進むと下り坂、昔の記憶に重なり合いこの道ではないかと確証してきた。
不安だった気分も安堵に代わる。道は下り坂。下り坂、、、最高(^O^)/

人生下り坂最高!
こころ旅。火野正平気分(^O^)/
 

苦しみがあり。不安な事があったり。偶然の出会いがあったり。道に迷ったり。
毎日が旅、
am5:50 森町三倉ムーハウス、無事に帰って来ることができた。

朝食の味噌汁に感謝した。

am9:00
萩田氏「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会

別にキリストの信者でもないが、巡礼の旅に行ってきた。
萩田氏、69歳の原動力は何だろう。

莫大な資料、旅を有意義なものにする行く前の準備、普通の人では考えられない下準備。
自分の財産は、人との繋がりだという萩田氏、自分も参考にしたいところが多くある。

今回の巡礼の旅、ヨーロッパ「スペイン」の歩き旅。

私、昔書いたブログ
#旅は人生そのもの。
ノンフィクションライター沢木耕太郎の本
深夜特急新潮社
 第三便 飛光よ、飛光よ
たまたま出会った本で感動し書いたブロブ
インドからバスを経由してヨーロッパまでの旅の話。
萩田氏に最後質問した。
「スペインを32日間787㎞歩いて最後サンティアゴに着き、大西洋を見た感想は如何でしたか?」

未だ海外にすら行ったことが無い自分。聴きたいことは山ほどあった。

コース設定をシッカリして、仲間を連れての旅。
当初、萩田氏が「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」に行くことは聞いていた。
そのときは、誰かほかの人が、私の知らない萩田氏の仲間が、計画を立て、その仲間に連れられて行くのだと、勝手に思い込んでいた。

その資料をまとめ、今回の
「カミノ・デ・サンティアゴ巡礼の旅」報告会に至った。
その苦労たるものは尋常ではないだろう。
萩田氏のよく言う言葉
「時間が無い、お金がない、それはやりたくない」
萩田氏だからいえる言葉だろう。

報告会が終わり、片付けを済まし、次は希望者でアクティ森横のソバ処「ほっとり」で昼食をとることになる。

その後、希望者で「大田川ダム」へ。

このダムは、発電用のダムではない。
治水の他、河川維持用水や上水道用水確保の目的を持っている。

話によると、さっき蕎麦を頂いた近くの「アクティ森」で、ダムカレーが食べれるという。
何時か食べてみたいナ「ダムカレー
竜川のダムカレーより工夫がされているみたい。
https://twitter.com/tsunagarubike/status/834240284657528832

一周2.5㎞の遊歩道を散歩、途中少し走る。

二日間大変お世話になった諸先輩にお礼のあいさつをして佐久間への家路を急いだ。
途中、家に夕ご飯にとピアゴ森町で寿司を買う。

周智郡森町は平成の合併で単独での道を選んだ。
袋井からの強烈の合併の話をけって単独での道を選んだ。
森町三倉は、森町の山間部の里だ、昨日は、その三倉にある「神楽坂峠の茶屋」にて夕食を食べた。

森町三倉ムーハウス
は、元佐久間町の人所有の別荘だ。
城西地区と聞く、私の兄と姉と同じ年頃だとい聴く。

佐久間町は佐久間ダムができたとき城西村・山香村・浦川町・佐久間村が合併して出来た町だ。
そして平成の合併で浜松市に編入合併を選んだ。

佐久間に帰る道程、天竜あたりに家があればどんなに楽だろう。
その様に思う時がある。


今回、森町三倉に勉強会に行く。
そんなことをwifeに告げたら。
 先に書いた

「片岡鶴太郎、離婚したんだって」こんな言葉が気になった。
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

ガビーン(≧▽≦)

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「片岡鶴太郎、離婚したんだって」
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000002-spnannex-ent

 
毎月、森町三倉ムーハウスで私たち仲間での勉強会がある。
8月19日(土)
8:15(ピアゴ森町)→8:15(ムーハウス)勉強会準備・近況報告・・・・・
勉強会は、そんな感じで始まる。

年間の計画があり、月の計画があり、勉強会があり、自分の手帳に今日の計画を入れていた。
自分が暮らしている田舎「半場」
お祭りが終わり、盆が過ぎ、盆踊りが終わって、盆踊りの片付けが雨で延期になり、丁度この日に重なった。
「用事があるから」
勉強会を優先で、森町に行くこともできたが、村の盆踊りの片付けを終わってから森町には行くことにした。
 

勉強会は、午後から本番
森信三先生の本「修身教授録」
この本のを読んでその講の内容を基に話し合うの勉強会なのだ。
今回は「血・育ち・教え」
「血」 → 遺伝
「育ち」→ 家族の教育
「教え」→ 家族以外の教育

森信三先生は「血」「育ち」は根強い力を持っていると言っている。
「血」「育ち」に対しては、よほど立派な教えを説かないと、このあくというものはなかなか容易なことでは抜けないと言っている。

自分の「血」と「育ち」における卑しさが、自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現われているかということを、まず知らなければならぬと思うのです。
と言っている。

この卑しさに気づく手がかりは、気品のある(血筋も育ちも良い人)の言動から學が良い。
と言っている。

ああ、なんと、この自分の今までの言動の卑しいことか、「血」「育ち」の悪い、このあくだらけの自分よ。
そう思う。そう思っていた。そう感じ始めた。

そんな卑しい自分を直すには、「血」「育ちの」の良い人の言動を見習うこと。
私たちの周りの人で「血」「育ち」の良い人を参加者の中で上げてもらった。
関東のアノ人、関西のコノ人、近くにもいるじゃない、あの人育ちが良いのでは?
様々な人が上がった。
 

森信三先生の本「修身教授録」
戦前、天王寺師範学校で行われた森信三氏による「修身科」の講義録。
平成の時代に生きる中高年が、先生の本を基に勉強会。
侃々諤々と話が弾む。

そんな時、ある人が、この内容の
このあくというものはなかなか容易なことでは抜けない
「このあく、灰汁、このあくは、戦争が終わり今の時代、教育の世界では、個性と呼ぶようになった」
そんな話が合った。
 
個性か~。
卑しい自分に、光が差した瞬間だった。
個性か~。

卑しいランナーだった自分は
気分が良くなり本日の勉強会は終わりを迎えた。

もう、何年やってきたのだろうか、この「勉強会」
毎月一回行っている「勉強会」
予定が合わず参加で出来なかったこともあるが、なるべく参加するようにしている。
森町三倉ムーハウスで行っている「勉強会」何時もは日帰り、ここで解散だが、今回は合宿での参加者もある。

日帰り参加者は、帰っていく。
何人が宿泊するのだろう?
食事は?
夕ご飯は「神楽坂峠の茶屋」だという。

こんなとこに、御食事処があったのか。

料理もオシャレ。

アユは揚げ物

塩焼きでしか食った事なないアユ、揚げたアユもまた美味。

お酒も入って、カラオケは「ららら」
ムーハウスに帰って二次会
卑しい自分だけれど、お酒もホドホドに就寝ZZZzzz

つづく

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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