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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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江戸後期の僧・歌人。良寛さんの戒語、戒めの言葉。


毎月一回、森町三倉で勉強会をする。


老若男女が集まって。


今回は、「良寛戒語」


◎のところがある。


子供をたらす


たらすとは、騙すの意味


良寛さんは子供の頃、親に


「そんなことすると、カレイになる」


と言われカレイになるかもしれないと心配したことがある。


そんな経験から出た戒めなのか。

良寛
辞世の句

うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ

散る桜 残る桜も 散る桜

人は生れ、そして死んでいく。

それが人生というものなのだ。

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相月のお寺(東林寺)に墓参りに行ってきた。


線香・香の花・水・洗い道具・選定ハサミを持って。


軽トラで。


東林寺には、新間家の先祖、水子地蔵、私の兄、三つの墓がある。


隣りのナッチャンが生前言っていた。


「生きてる人の仕事」


今は亡き人のおは墓の掃除は、今生きている人の仕事だと、今感じている。


東林寺の墓地に着き、他の墓を見る。


中日の過ぎた今日、みな綺麗にされている墓が多かった。


しかし、香の花が枯れてみすぼらしくなっているところもある。


我が家の墓が、その一つだった。


墓掃除が終わり、線香を祀る、横吹の知り合いの家にも。


折角相月まで来たのだ。住職に会って行こう。


そう思い電話するが出ない。


畑仕事をしている人と、相月の話をしていると住職夫婦が寺に帰ってきた。


寺に入り、住職と今読んでいる「深夜特急3」でのインドの話を少しする。


境内の位牌に手を合わせに行く、檀家の人の写経が数枚あった。綺麗な字だ。


私も進められたが断った。


本当はやりたいけど、時間が無いと自分なりに言い訳が次々うかんだ。


帰るころ、就職が


「良寛の般若心経があるが持っていくかネ」と、言った。


森町三倉の勉強会、次の土曜日は「良寛 戒語」だ。


ご縁を感じる。


良寛、江戸後期の曹洞宗の僧。


「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛さんの詩が有名だ。

 

『戒語』

・言葉の多き
(口数が多すぎる)

・口の早き
(早口である)

・話の長き
(話が長い)

・もの言いのくどき
(物言いがくどい)

・表裏口
(言うことに表裏がある)

・口に耳をつけて囁く
(ひそひそ話)

・こころにもなきことを言う

・負け惜しみ

・人のことばを笑う

・人惑わしのこと
(人を惑わすこと)

・客の前に人を叱る

・憎き心もちて人を叱る

・人の嫌がるおどけ

・人の傷つくことを言う

・人の嫌がることを言う

・人の障りになることを言う

・人の困ることを言う

・人の恥かくことを言う

・人を驚かすおどけ言う

・人を嫉む(ねたむ)ことを言う

・人に腹立たすことを言う

・人を見限ることを言う

・行き過ぎたことを言う
(大袈裟に言う)

・まぎらかしことを言う
(紛らわしいことを言う)

・よそごとを言う
(他人事を言う)

・逃げごとを言う

・鼻であしらう

・説法(法談)の上手下手(の評価)
(人の説法の評価をする)

・人の器量のあるなし
(人の器量についてああだこうだ言う)

・差し出口
(でしゃばって、お節介を言う)

・講釈の長き

・手柄話

・自慢話

・物言いの果てしなき
(果てしなく話をする)

・減らず口

・己が悪しきことを人に塗りつくる
(自分の罪を人に被せる)

・人のもの言いきらぬうちにもの言う
(人が話しているのに、遮ってものを言う)

・話の腰をおる

・子供に知恵をつける

・子供をたらす
(子供をだます)

・たやすく約束する

・よく心得ぬことを人に教える
(自分の理解していないことを人に教える)

・人の話の邪魔をする

・あなどること
(相手を見下げて軽んずる)

・しめやかなる座にて心なくもの言う
((葬儀など)しめやかな場面で心無いことを言う)

・人の隠することをあからさまに言う

・親切らしくもの言う

・推し量りのことを真実になして言う
(推測の域のことを、あたかも真実であるかのように言う)

・悪しきと知りながら言い通す

・物知り顔に言う

・人を敬いすぎる

・神仏のことを軽々しく沙汰する

・軽はずみにもの言う

・さしたることもなきことを細々と言う
(なんでもないような事を、いちいち細かく言う)

・いささかなことを言い立てる
(重大でないことを、強く主張する)

・人の気色を見ずしてもの言う
(人の顔色や様子を見ないでものを言う)

・人を侮ること

・己の意地を言い通す

・よく物の講釈をしたがる
(講釈くさい)

・老人のくどき
(老人のくどい話)

・若いものの無駄話

・口をとがらしてもの言う

・過ちを飾る

・押しの強き

・珍しき話の重なる

・口まね

・田舎ものの江戸ことば

・都ことばを覚えしたり顔に言う

・よく知らぬことを憚り(はばかり)なく言う

・人の寝てからの大話

・寝入りたる人をあわただしく起こす

・寝付かれぬ人のかたわらに話する

・憂いある人のかたわらに歌うたう

・間の切れぬようにもの言う

・わざと無造作に言う

・悟り臭き話

・学者臭き話

・茶人臭き話

・風雅臭き話

・さしてもなきことを論ずる
(大したことないことを論じる)

・言うこと言わぬ

・あまりしらじらしくもの言う

・あくびとともに念仏

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コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
 何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
と、言ったそうだ。


今の人は考えなくなった。
先生のいうことを、黙って納得して聞くイイ子を育てていく教育だと。
養老先生は言っていた。


どうしてだろう?
何故そうなるのだろう?
不思議だ。

そう思って考えていても答えは出ない、その様な事はたくさんある。

そんなとき、人はショウガナイ、そんなもんだ、自分の考えることではない。
と、諦めてしまう。


昔の富士鐵工所、今のフジユニバンス、そんな会社のQCサークルで、如何して何だろうと思ったときは
「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」と考えろと教えてもらった。


様々な本を読み答えを探しても見つからない。


ぼや~っと、灯りは見えてきているような感じはするけど正確な答えは見つからない。

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養老先生の講演で、幼少期の体験が非常に大切なことだと言っていた。


先生の場合は、幼き頃、信州で戦争が終わったと大人に言われ、膝の関節がガクガクしたと話していた。


つい昨日まで、日本は戦争に負けるわけがない、と大人たちが言っていたのに、時代が変わった。突然。


そんな幼いころの延長線上に、今の自分があると。


自分にとって「横吹」の生活は何だったのだろう。


「横吹」での生活が原点だと思う。


あの生活があり、今の生活がある。


今を感謝して、明日を生きる。

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「バカの壁」を読んで養老先生のファンになってしまった。
養老猛司「バカの壁」を読んだ。


ネットで養老先生が長野県岡谷市での講演があったので見てみた(*^^)v

長野県では「学びと自治で築く新時代」と県をあげて県民の学びを進めている。


長野県は面白い県だ。


遠山郷のマラニックの後夜祭で、長野県民が集まって長野県歌をみんなで歌う。
信濃の国、長野県(^^♪

また、中学生のとき地域の山(3000m級)に登る学校行事があるそうだ。
(今は安全のために少なくなったそう)


コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
だそうだ。

そこから話が広がっていく。

「バカの壁」養老先生の物を考える視点が面白い。

養老先生は、わたしの親父の世代の人だ。

子供の頃、GHQがきてチョコレートを渡された世代だ。

教科書に炭で黒く塗りつぶされた世代だ。

大人は、なんとかってな人々なんだと思った世代だ。

明治維新のとき、様々な大人の話はあるが、そのとき子供はどの様に思ったか?

そんなことを、話していた。

そのときの子供が、明治の時代を引っ張ってきたと。

終戦のとき、様々な経験をした人が、戦後の復興をしてきた。

小さいときの様々な経験が、人を作っていくのだと。


感覚→運動

五感を使う。

マラニック、これは最高の学びだと、このユーチュウブを見て再確認した!(^^)!

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昨日の勉強会で「ニュートン微分積分」の話が出た。
7月の勉強会で、ヒロボーさんからの宿題で「偉大な人の伝記を読め」があったのでアイザック・ニュートンの伝記を、その人は読んだそうだ。
私は通信教育の高校生活だったので「微分積分」という言葉を聞いたのは40歳過ぎの中年と呼ばれる時期に初めて聞いたのだった。
ニュートンといえば、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した。そんなことぐらいしか知らない自分は、興味津々と聞いていた。
「ニュートン微分積分」この公式を用いて簡単に速度がわかる。とか言っていた。真剣に聞く私と目があい質問された。
まったくチンプンカンプン。の、わたし(≧▽≦)

昔、N学の通信教育のレポートで微分積分の問題が出た。土曜日で仕事が半ドンだったころ仕事が終わってから、化学室にこもっている理科の先生に、こっそりレポートを持って行って、微分積分の問題を聞いてみたことがある。
答えだけを聞きたかった。だけど丁寧に説明してくれた(自分はチンプンカンプンだった)。
若い先生として、生徒に微分積分を教えるにあたり、どうしているのだろう?
その先生はロケットの速度の導きに使えると言ったけど、ませた生徒には「そんな仕事はしないから、いいもん~♪」と返されるそうだ。

『バカの壁』著者養老孟司先生は、学生たちに、勉強するという行為の意味を、こう伝えている。
「知るということは根本的にはガンの告知だ」と。
「君たちだってガンになるときがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と
知るという事は、そういうことだと。
富士山頂マラニックで、田子の浦から走り富士宮・料金所跡・真っ暗な九十九折の道路を必死に歩みを進め五合目近くで、振り返ると夕方走り出した田子の浦港・富士市の夜景が見える。
必死に走って歩みを進めたからこそ、その景色に感動を覚える。こと。そういうことだと、私は解釈した。

宝塚 ブスの25ヶ条

1.笑顔がない
2.お礼を言わない
3.おいしいといわない
4.目が輝いていない
5.精気がない
6.いつも口がへの字をしている
7.自信がない
8.希望や信念がない
9.自分がブスであることを知らない
10.声が小さく、いじけている
11.自分が正しいと信じこんでいる
12.愚痴をこぼす
13.他人をうらむ
14.責任転嫁がうまい
15.いつも周囲が悪いと思っている
16.他人に嫉妬する
17.他人につくさない
18.他人を信じない
19.謙虚さがなく傲慢である
20.人のアドバイスや忠告を受け入れない
21.何でもないことにキズつく
22.悲観的に物事を考える
23.問題意識をもてない
24.存在自体が周囲を暗くする
25.人生においても、仕事においても、意欲がない
宝塚劇団には歌劇団の人なら誰もが目にする場所にこの「ブスの25ヶ条」の紙は貼り出されたそうだ、25の戒め。
この反対の頃を思い考え生きることがいいのではないだろうか?
第9の
☆.自分がブスであることを知らない。
★.自分がバカであることを知らない。

ヒロボーさんの勉強会に参加するようになり。
様々な人と森信三先生の「修身教授録」を読んでいて、そんな人の考えを基に話し合って、何時の日にか自分もみんなと同じように感じていた。
★.自分がバカであることを知らない。
自分がバカであることを忘れていた、よ~な気がする(笑)

しかし、最近思うのである。
こんなバカがいるからこそ天才とか秀才とか偉い人が輝いているのだと。
これからも胸を張って生きて行こう。
バカに誇りを持って行こう。
そう思った(笑)

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今日は森町三倉での勉強会だった。
 修身教授録
第15講 「一時一事」
第16講 「良寛戒語」
こんな予定で始まったけど、第15講 「一時一事」の感想で話が膨らんできた、のだった。
第二次世界大戦、あの戦争は何だったのか?
「誰が考えても負けるとわかっている」と、その時代背景を分ろうとしない。また、調べようとしない。
いや、人間学を学ぶ月刊誌「到知」には、そんな記事が書いてあったのだけど、そんな人たちにの耳には目には入らなかったのだろうか?
戦争の時代、特攻で若い命が散った
【終戦記念日特別配信】 若者よ、君たちが生きる「今日」という日は死んだ戦友たちが生きたかった「未来」だ
この記事を観なかったのだろうか?
https://www.chichi.co.jp/web/20180815yasugi-1/
享年31歳、命をくださった高射長


「ゼロ富士」「ゼロ戦」
富士山を24時間以内に往復するマラニック、そんなことを企画している人がいる。
そんなことをしていると「何れ事故があり、死者が出る!」と言った人がいる。
そんな忠告があったが、聞いていたのだろうか?
今年は、そのゼロ富士に富士山一周をプラスした「ゼロ富士プラス」を企画した。
来年は「ゼロ富士」はどうなって行くのだろうか?
「ゼロ戦」太平洋戦争で特攻でアメリカ空母に突っ込んだ兵士がいる。
戦争のとき、手が届くような先輩が特攻を志願した。今生きる者がそれを間違いだったと語る、田舎に暮らし施餓鬼をやって戦没者供養をしてきた者にとって不思議に感じる情けなく感じる。

今日の勉強会第15講が終わってからの会話が長くなり、第16講「良寛戒語」は来週にとなった。
良寛和尚といえば
「散る桜 残る桜も 散る桜 」があまりにも有名だ。
この句は太平洋戦争の末期の特攻隊員の遺書に見られるそうだ。
私は佐久間町が浜松市に合併したとき、佐久間中学校の同窓会を始めることになった。
同級生の実家を訪れ同級生の住所を調べた。そのときにある同級生の母親が
「息子は数日前に岐阜のホテルで亡くなった」と言われた。
その第一回の同窓会のときハガキに、その「散る桜 残る桜も 散る桜 」と書いた。今ある人生楽しみましょう。と添えて。

人は生れ、そして死んでいく。
何時どの様に死を迎えるかわ誰もわからない。
『現在は過去の結果である』また『未来とは今の積み重ねである』
その今は、それは多くの先人立ちが育んでくれた今なのだ。自分だけが造った結果ではないのだ。
今日という日を、ありがたいと想い一日を暮らすことである。
未来に汚点を残さない生き方が肝要である。と考える。

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人間学を学ぶ月刊誌chichi到知
記載している内容は素晴らしい、自分の心にズドンと響く内容が多い。分かっているけど本読む時間が無いし、とか悩んでいるとき、昔の到知を開いてみた。2016年3月号、そこの《巻頭の言葉》ウシオ電機会長牛尾治郎『清規と陋規』を読み返していた。
清規(せいき)とは表向きの道徳。陋規(ろうき)とは裏の道徳だそうだ。
陋規、裏の道徳、????今の人には分らないかもしれない。
それは大泥棒ネズミ小僧治郎吉がお金持ちの屋敷から盗みを働き庶民に、その金をばらまいた。
またヤクザの世界にも義理と人情の世界があった。
悪の世界にも、それなりの道徳があったという話しだった。

そんな昔の2016年3月号の到知p34に「日米資本主義の父が願ったもの」渋沢栄一とフランクリンとの記事が目に留まり目を通した。
日本の渋沢栄一と米国のベンジャミン・フランクリンは資本主義の父といわれ共通点が多いと斎藤孝明治大学教授が、その二人を語った内容だ。
生まれた国も生きた時代も異なる二人の精神的基盤となったもの、行動原理は何だったのか。また、二人の願った社会とはどんなものだったのか。
アメリカの独立宣言は1776年、ベンジャミン・フランクリン70歳のとき。イギリスと戦って独立し、アメリカ合衆国という国が生まれ、その中でフランクリン、は経済はもちろん社会貢献という面でも中心的な役割をした。
渋沢栄一は明治維新という日本の独立の渦中の中で、天下国家を論じるだけではなく経済をもって国の柱としなければいけないと考えた人です。
二人の心を支えた『論語』と『聖書』
士農工商、商業は卑しいものと言われていた時代から生きた渋沢栄一は経済発展で卑しい人にならぬよう『論語』道徳の心を持っていた。

日本に、素晴らしい人がいるのだナ~。そんなことを思ってネットで検索してみた。
「渋沢栄一」
するとなんと!
2024年度前半に日本の紙幣の図柄が変わり一万円札の肖像画が、渋沢栄一になると4月9日に発表したとあった(ビックリ)

日本!!素晴らしい。。。
自分!!アンテナ低い(涙)

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この日は勉強会&読書会だったけど、母親の初盆の飾りつけの展示会の用事で午前中だけの話し合いだけになった。
数日前朝早く、オジサンから電話がきて
「その日、休みを取る」と。
「その日は用事がある」と言ったら。
「たった一人の母親だゾ~」云々。。。
「わかりました、時間は追って連絡します」
そんな会話があり。
勉強会を午前中で終わり、水窪の展示場にかけつけた。

たった一人の母親。
バカな息子だけど、初盆、ちゃんとやらなければ。
カーチャーの思い出。

第36回「人生を学ぶ」勉強会
第二部修身教授録
第9講「情熱」
第10講「三十年」
今回は自分で読むことにしよう。

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昨日の修身教授録、勉強会&読書会、主催の萩田さんの悩みの話があった。
それは保険屋さんが良く言う「2人に1人はガンになる」「3人に1人はガンで死亡する」という言葉からガン保険に入ろうか入らまいかの悩みであった。

私は、この会に出会い、悩める自分の心が落ち付いてきたと感じる一人である。
自分、このままでいいのだろうか?
とか思っていた、そんなときがある。あった。
「やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い」
そんな言葉で励まされたことがある。

誰だって悩みがある。
自分の昨日の悩みは、スマホを忘れた事。
たぶん家に、自分の部屋の寝床の枕元にスマホを充電したままになっていると思う。
もしかしたら、西渡(にしど)のミドリ屋で塩大福を買おうとするときにジャージのポケットから落としたのかもしれない。
悩んだ。

森町三倉の勉強会&読書会が終わり、家路を急いだ。
佐久間までの車の運転、最近の腰痛で難儀だ途中、龍山の やすらぎの湯によって腰を揉んで帰ろうと思って寄った。
大きな風呂に入り、ストレッチをして、マッタリして、腰の調子も少し良くなった。
脱衣所で着替え、ボーっとしてたのか、休憩室に行って、またストレッチ。
受付の人に挨拶をして、駐車場に行って車に乗って秋葉ダム堰堤を走っていると時計が無いのに気づいた!
慌てて やすらぎの湯に戻って脱衣所に行ったら、あった、大切な時計。
は~。

そこから佐久間を目指し、まだ車での移動、ようやく家に到着、部屋に行って枕元・・・あった。スマホがあった。助かった。ホッとした。
一日スマホのない不安な時だった。スマホがあるとホッとする♥
スマホを起動して予定を見ると、なんと、夜7時半半場親睦会の会合の日だった。
悩み事は誰でもある。人それぞれいろいろな悩みが。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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