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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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本当は前日に静岡市に入りマラソンフェスタに顔を出し、と思ったけど。
まさかの地元自治の会議が前日の9日夜に、泣く泣く、それに参加して、朝早くからの参加となった。
愛野駅を5時55分の電車で行けば間に合う。私は家を3時30分に車で出発した。
愛野駅から約一時間、電車に揺られ、静岡駅に、ランナーの流れに乗って集合場所へ。
ボラの人に、お願いし、写真撮影
ココの大会、規則で仮想禁止・タスキも禁止とか。走るときは外して走りました(笑)
私はゼッケンF〇〇〇〇最終のほうからのスタートだ。ユックリ走るには丁度いい。目標は完走
スタートラインを越えてランナーの流れはスムーズに流れだす。
ゆっくりゆっくり歩みを進める。
折り返しの流れ、走ってくる智さん発見!!、早い。。。
追いつけるかも、とペースを上げるが。折り返し地点ははるか向こう。
すぐに諦める。
富士川の橋を渡ると奇麗な雪化粧をした富士山が、その姿が私の折れそうな心を支えてくれる。
しばらく走り喉の渇きを感じスポーツドリンクをエイド毎に口にするように心がける。
塩分濃度減少で熱中症という苦い経験は二度としたくはない。
ハーフを超え、徐々に足に違和感が、だましだまし進む。
30km地点か。見覚えがあるパンダが。
写真を撮って、パワーを注入
残り7,195㎞は、何時歩こうかと思ってた。
沿道の「足の痛い人」の声には、思わず手を挙げた。
ここを走っている人は、みな痛いのだ。。。と思った。
やっと訪れた、ゴールの瞬間、ガッツポーズで、と思っていたが。
計測マットを超え、隅のほうで、今まで走って来た方向に頭を下げた。


アリガトウ。静岡マラソン。
アリガトウ。今までの自分

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おもてなし とは、心のこもった 待遇 のこと。 顧客 に対して心をこめて 歓待 や 接待 や サービス をすることを言う。 「 もてなし 」に「お」をつけて、 丁寧 にした言い方である 。 2013年 ( 平成 25年) 9月7日 に、 国際オリンピック委員会 の 第125次IOC総会 で、 滝川クリステル が「おもてなし」と発言したことから、この言葉が 世界 に広まった。 滝川クリステルは、 東京にオリンピック を招致する アンバサダー として壇上に上り、 フランス語 で「日本のおもてなし」というものを紹介した。 このことにより、「お・も・て・な・し」は 2013年 の 新語・流行語大賞 に選ばれるまでになった 。
ウィキペディアから
地元のおもてなしの心が感じるマラソン大会だ。
21回大会まで参加して、私は感じた。
地元の応援が多い、こと。コースでは、そこの地区ごとに多くの人が応援に参加してくれる。
幼稚園児や高校中学校のブラスバンドの人たち、走る人も応援する人も楽しんでいる様子が伺える。
今年、その
開催を決定した。
コロナ禍、どの様にやるのかは未だ分っていないが、開催するとHPに書いてあった。
は先着:4000人で行うそうだが。
其々の地域、それぞれの「お・も・て・な・し」を考えているのだと思う。
オリンピックもマラソン大会も、他人事ではなく自分事として考えている。

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今年で31回目になる、このマラソン自分の記録を覗いてみた。
初めて走ったのは1993年、33歳のとき3時間54分58秒で走っている。
この時は袋井商業高校がスタート・ゴールだった。懐かしいナ~。。。。

袋井クラウンメロンマラソンも小笠山総合運動公園エコパができ会場を、そのエコパに移した。
今回のフルは、わたし初めての仮装をしての参加とした。
青空の下、エコパをバックに 中学生ボランティアに写真を撮ってもらった。

しんしん、仮装へのデビューなのであった。
長いマラソン人生、よく続いてきた、自分で自分を褒めてあげたい。
さて、この年になると、マラソンの楽しみは、記録ではなく記憶、長年走ることが趣味で繋がりができた人に会うことが楽しみの一つなのだ。
仮装はしていても、骨髄バンクのタスキをしていることで、多くの仲間に声をかけてもらった。写真も撮ってもらった。
スタート会場ではヒロボーさんと一緒に走りはじめた。私の兄姉の同世代のヒロボーさん、私より10歳以上年上のヒロボーさんである。
エコパのトラックを半周して外に出る、人人人の中を走っていると、ランニングパトロールのシャツが前を走っている、声をかけると池さんだった。
調子がイマイチだとは聞いていた、昨日の勉強会でナオミちゃんから袋井を走るとは聞いていた。
スタート前の人ごみでキョロキョロ探しても見たが、見つからなかった。が、目の前を走っていた、心配していたが声をかけると元気そうだった。お先にと言われ少し先を走り始めた。
「サンタさん頑張って~」そんな沿道の応援を背にエコパスタジアムから袋井の茶園に囲まれたコースに向かった。
袋井メロンマラソンは年末のマラソンとあってサンタの仮装は多いのだった。しかし、その人たちは速い、とても着いていくことは出来ない、自分のペースを守って走ることにした。10キロ地点を過ぎた頃だろうか、「マミちゃんです♥」そんな声をかけてくれる人がいた。
見るからにはオジサンにしか見えない。しかし髪の毛を縛って着ている服も、女性の感じ。????

彼は性同一性障害なのだという。
男性なのに「本当は女として生きるべきだ」と確信する現象を「性同一性障害( gender identity disorder, GID)」
その人と分れ、先を行く、しかし、その彼も(彼女?)と抜きつ抜かれつ走るのであった。
ハーフを過ぎ、自分の身体もキシミはじめた。足の裏が痛い、腿の内側がピリピリしている、攣りそうだ。
去年の浜名湖100㎞の脱水が蘇る(サンタ脱水症状で救急車)そんなことになったらシャレにならない。

不安な心と戦いながら走っていると、後ろから女性が声をかけてくれた。
「バンクの人ですか?」
「私、登録者で、今適合者だと選ばれているところです」
その人と、しばらく骨髄バンクの話をしながら並走した。
令和元年、その年の年末、師走、そんな時に走っている。身体のアッチコッチの痛みに耐えながら。
その彼女は、提供者に選ばれ感激していると言っていた。楽しみにしているとも。
人は、人には様々な人がいる。私もその中の一人だ。

ハーフを過ぎ、30㎞地点を過ぎ、最後の直線、フラフラ走っていると、クラチさんが軽快な足取りで走ってくるではないか。
10キロ付近で走っているクラチさんは大変そうだったのに。
しばらく一緒に走った。ところが着いていくことが出来なくなった。
クラチさんの背中が遠くなった。

最後のエイドで中学生ボランティアにバナナを貰って、ミカンを頂いて、最後のエコパを目指す坂を、歩いた。
若い、初マラソンだという青年と話しながら。
坂を登りきり、エコパの外周をユックリながらも走った。酷使した足をダマシだまし走った。
ところがマンホールのチョットした所につまづいて、その調子に右足のフクロハギが攣った。
「ギョエ~」自分で、そこを揉んだ。
さっき一緒に走った青年が、心配そうに声をかけてくれた。
何とか治まって、また走りはじめた。
エコパスタジアムに入ると、人々の歓声とオーロラビジョンに写るランナーの姿があった。
帰ってきた。
記録は
5時間37分07秒

着実に記録は下っている。
しかし、走り通せたことに感謝している。
いや、たとえ途中リタイヤしても、ココに来ることができただけで満足としよう。

 人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ。
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。
何時か死がやってくる時が自分にも来るだろう。
人は人、自分には自分の生き方がある。
令和元年、無事に完走できたことを有り難いと感じた。

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とき:平成31年3月31日
(男性:504名 女性:160名 計664名)
浜松市民の参加は394名(男性303名女性91名)
遠隔地
東:千葉県
西:滋賀県
最高齢者
男性:83歳
女性:77歳

 
私は、知り合いと、こんな格好で参加した。

秋葉ダム桜マラソンは、1991年のとき31歳のときに水窪のフジユニバンスの先輩ランナー(ユキ兄)と走ったところだ。
わたしの初マラソンだった。
my記録

あれから28年後。
私は、その桜マラソンを走るために集まった集団の中にいた。
わたし達三人のタスキを見て、ある人が声をかけた。
「浜松市の献血センターで働き始めたのですが、、、、どのような団体?」
「静岡県骨髄バンクを推進する会の者です。」
と丁寧に答えた。
その他、様々な人と話した。
年配ランナーは、昔の手書き時代の記録表を懐かしく語った。

そうこうしているうちにスタートだったのか、664名のランナーが移動し始めた。
ユックリゆっくり進んだ。すきまを見つけて前を急いだ。
同じタスキの人が、前を行く。追いかけた。
ボランティアの人が沿道から私に声をかけてくれた。
高野さんだ。
膝の調子が悪く走っていないみたいだけど、ボランティア活動で秋葉ダム桜マラソンに携ったのだ。
彼の分まで頑張ろう。自分なりに。

ココのコースは、秋葉ダム湖畔を往復するコースだ、しばらくすると速いランナーが帰って来る。
激を飛ばすが、自分は自分のペースを守る。
あの人が、こんなに前を走っている。自分にとってのライバルが。
折り返しを過ぎ、頑張ってスピードをと思うのだが、今は無理はできない。
自分のペースを守って走る。

あと3㎞、若いランナーと並走する。
初マラソンだという。
知り合いが、袋井メロンマラソンを走ったので、自分も走ろうと考えていると言っていた。
「35㎞の壁があるペースを守っていけば大丈夫」
「頑張れ。」
「今は、ココを頑張りまいか」
と、お互い激を飛ばしあった。
すると、彼のペースがあがった。
若さだナ~。

あと2㎞
あと1㎞
桜の花が満開の桜並木の下を必死に走る。
1991年、わたし31歳の時にも必死になって走った道だ。
無事にゴールできた。
48分50秒

ゴールタイム。順位。
もちろん大切な記録だけど。
それ以上の大切な経験をさせていただいた
秋葉ダム桜マラソン
ラン友、ボランティアの人たち。
ありがとうございました。
しんしん

 


 

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今日は浜松市の山奥、龍山町で

秋葉ダム桜マラソン10㎞

ダム湖畔の駐車場に着き、スマホを見たら。

知り合いからラインがあった。

受付会場のテントの崩壊写真とともに

「秋葉ダム。まさかの雨!嵐!アタシ、とことん、雨女か?」

とコメント。

は~。

受付会場に行き龍山協働センターの所長に出会い、大変だった話を聞く。

今日の平成最後の秋葉ダム桜マラソン、風が強く吹いていた。

『風が強く吹いている。。。』しんしん

おわり。

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30歳代前半、初マラソンが「磐田大藤マラソン」次が「小笠・掛川マラソン」次がココ「袋井クラウンメロンマラソン」だった。
初マラソンを走った時、マラソン(42,195㎞)とは、こんなに大変なのかと、思った。
そんな大変なマラソン(42,195㎞)今は年一回、毎年年末に行われているココの「袋井クラウンメロンマラソン」が一本だ。
袋井クラウンメロンマラソン2016
袋井クラウンメロンマラソン2017

このマラソンに向けて朝ラン10㎞、続けていた。
それが続けられなくなって、迎えたマラソン。
前日は水窪で「山に生きる会」の忘年会だった。
水窪を朝5時に起き、水窪協働センター前の駐車場に置いた車で袋井を目指した。

いつもの仲間とであい。
走る用意をしてスタート地点に向かった。

スタジアムの陰で4時間半の列は冷える。前列に行くと編み笠のgakuさんを見つけ横に並んだ。
フルマラソンの部スタート9時10分
エコパスタジアム内から多くのランナーがフルマラソン(42,195㎞)先のゴールを目指した。

気負いは無かった。
走り込みも満足に出来なかったから。
しかし、4時間半までにはゴールできるかナ?安易に考えていた。
知り合いのランナーが次々と私を抜き去っていく。
あの人は、まあ、と思い自分のペースを守って走る。
後半にエネルギーを残す。そんな走りだ。と。
「ブログ覗いていますョ~」
そんな声をかけてくれる人がいた。
ワラーチ(サンダル)で走っているような音がしてきた。
浜名湖100㎞で知り合った人だ。
関東から袋井に走りに来た女性ランナーが居た。
袋井の田園風景に感動していた。
袋井クラウンメロンマラソンは。電車の駅からも近く東名高速道路の袋井インターからも近く、遠方から参加のランナーからも高評価だ。
参加料6000円も魅力の一つではないだろうか?

ワラーチの男性と並走していたが、いつの間にか着いていけなくなった。
中間地点を越えたあたりだろうか、人黙りがあった。
AED(自動体外式除細動器)を使って一人のランナーに施していた。
坂道の途中だった。

周りでは苦しそうに走っている人もいる。
自分も苦しい。
次の坂は歩いた。
歩いても走っても同じようなスピードだし。

それでも、周りの流れに沿って走った。
萩田さん下さんサクラさんエイド発見!!
サクラさんに声をかけ腰を下ろしトン汁を頂いた。
三人、多くのランナーにトン汁お汁粉の接待で大変そうだった。
その後、下さんには挨拶できたけど、萩田さんは忙しそうで声かけられなかった。
残り9㎞、少しお腹の調子も悪かったけど下さんの激励で力が沸いた。

歩くようなスピードで走る。
4時間半という目標は当に捨てた。
最後の直線、隣に同じように歩いている人に声をかけた。
自分の息子のような年頃の青年だ。
関東から来たそうナ。
日光の60㎞を走ったことがあるそうだ。
たわいもない会話の中、大きい身体を揺らせ私たちを抜き去って行くランナーが。
「杉浦さ~ん」
声を掛けたら、杉浦さんだった。

その後、その杉浦さんは風のように私たちを後にして走り去った。
私たちは二人、最後のエイドまで歩き、そこを過ぎてから走り出した。
無理はよくない。しかし折角ここまで来たのだ、最後の坂は苦しもう。
ホ・ホ・ホ、苦しい~。。。

僕は僕であって僕でない。
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
先日読んだ村上春樹の本からの引用だ。

神様から借用している。
大切な身体、有難いことにゴールまでの時間を共にした身体。
その時間は5時間03分23秒

 

2018年も多くのことがあったが無事にゴールで来た。
袋井マラソン、2018年は年末を迎える。

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ハーフを走りに行った。

最近マラニックばかりなのでスピードを上げての走りは皆無。

ハッキリ言って疲れた。

ジュビロ磐田は毎年参加している。

如何してかというと、多くの磐田市民が沿道に出て応援してくれるから。

また、仮装があるから沿道で応援している幼稚園児たちも大はしゃぎ。だ。

今日も会社員・飛脚・恐竜・加藤茶・非常口など多くの仮装の人とお会いした(笑)

走っているときも、10㎞地点ふきんから並走した、ドラゴンボールの悟空が居た。

「カメハメ・ハ~」と沿道にやると倒れてくれる乗りの良い人もいた。

折り返し地点の手前では「いちご一会」のバックプリントを発見!!!!!

エールを頂き、ガンバルはずだったけど、そこからが地獄の道程になった。

ペースが落ちる。

最後の5㎞が長かった。

それでも歩くことなくゴールを目指した。

ネットタイム
2時間04分28秒
情けないタイムだが、私なりに頑張った。

写真は佐久間中学校時代の同級生

まだ少年だったころ、58歳のオジサンを見たらすごいカンロクだったけど、今の58歳は少年のようだ。

本人は、そう思っているけど、若い人から見れば、やっぱオジサンだろうか?

このバンクのタスキを付けてのランも長いこと続けた。

ドナー登録は55歳まで。

オジサンは、バンクのタスキを付けての啓発活動をマラソン大会でやっているのだった
(^O^)/エイエイォ~。

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毎年年末に開催される袋井のフルマラソン(42.195㎞)に参加している。
自分が走りはじめの頃は袋井商業高校をスタートゴールでの大会だったのが、2001年(平成13年)に静岡県小笠山総合運動公園スタジアムが完成し、 そこでのスタートゴールになった。
その頃からのランニングブームで参加者も多くなり。静岡県西部の一大ランニングイベントになった。

袋井市には、私が暮らす佐久間町の佐久間中学校時代の同級生がいる。
大会がエコパ開催になり、彼の家に近くになり。そんな彼と何時も同じエコパの廊下で出会う様にしている。
自分たちが30歳の頃に龍山の桜マラソンで初めて出会ったときには
「お互い健康のことを考えないと」
などと話したものだが、今彼は仮装でのマラソン参加に命を燃やしている(*^^)v


私は10年前、佐久間町がまだ合併する前に、行政区として存在しているときに、静岡県市町村対抗駅伝大会に参加しているときに、佐久間町で駅伝メンバーとして走っている時に。
 ある病気をして、その病気が治って、佐久間町が浜松市に合併して、病み上がりでユックリの朝ランをしているときに、駅伝メンバーの仲間から、
「○木さんが白血病になった」
○木さんとは駅伝メンバーの仲間
そんな話を聞いた。
5月の浜名湖クォータで新聞に載っていたあの人が如何して。
健康、自分の運命、当たり前と思っている今の環境、何もかもがアタリマエではなくアリガタイこと、だと思って、、、きた。

それから始めた
「骨髄バンクに協力してください!」
のタスキをつけてのマラソン参加(^O^)/

走る仲間はみんな友だと思っている。
動画↓

記録
4時間26分09秒
楽しい苦しい時間でした。
袋井クラウンメロンマラソン
大会に携った多くの人に
感謝です~(^O^)/

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ハーフを走ってきた。
参加人数6340人
 
佐久間中学校時代の同級生を久しぶりに会う。
彼は何を思ったのか仮装で、この衣装で、全国のマラソン大会を走っている。

ジュビロマラソンは去年までハーフも仮装の部があったのに、今回は仮装の部は無かったそうだ。
どうしてかな~。
主催する側にも様々な考えがあるのだろう。
だけど、仮装を趣味としている人もいる。そんな人をドンドン呼び込み磐田を全国に発信できる良いチャンスではないかな?
 

そんなことを思ってスタート地点に行くと、ハーフ仮装の部が無くなったというのに「そんなの関係ない」とばかりに色々な仮装の人が居た。

人の列の先頭から、仮装ランナーを拝見しながら歩く。
 
非常口さん

 
スーパーマリオさん

 
鉛筆・ドラエモン

 
消しこむ・赤鉛筆

 
サンタクロース・ドラえもん

 
ドラエモン・ケガ人

 
アラビアの熟女

 
デイモン閣下

等々。。。

2017年11月12日(日)
9時20分
しんしん
ジュビロマラソン、ハーフの部をスタートしたのであった。
以下は動画でお楽しみください(^O^)/

順位 447位
記録 2時間00分32秒
ネットタイム
   1時間58分17秒
しんしん 57歳
なんとかネットタイムでは2時間を切ることができた。
めでたし・めでたし、と思って
走り終わり記録を掲示板に見に行くと、知り合いの女性ランナーと出会った。
久しぶりと言って彼女の記録をみると
1時間36分だった。
走るたびに記録がおちていく自分の不甲斐なさに撃沈してしまった。
 
まだまだ若い。
もう少し頑張ろう(^O^)/

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最近、マラニック・ユックリジョギングばかりなので、疲れた~。。。
 
豊根村役場前を十時スタート。
豊根村にある豊根ダムのみどり湖を往復する大会だ。
秋の紅葉の季節、エメラルドグリーンのダム湖と紅葉が素晴らしいロケーションの中でハーフは疲れたけど楽しかった21㎞だった。

記録は
1時間49分02秒
順位
400人中
30位
ま、50分を切れたので良しとしよう。
 
閉会式でとよね・みどり湖ハーフマラソン
実行委員長の○藤○さんが
「来年もみどり湖マラソンに、来てくれるかな?」
そんな挨拶があったので、思わず
「お!」
と叫んだ。
来年も再来年も参加したくなる大会だ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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