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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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2015年23名
2016年08名
2017年09名
2018年09名
2019年10名
場所 水窪「中村館」

今回で5回目を無事に終えることができた。
10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史になる。50年、神の如し。(中国の格言)
続けることは大切なことなのである。
「継続は力なり」
 
走ることも続けていきたい。

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毎週日曜日の夜放送されている「ポツンと一軒家」を見た。


今週は四国地方の山の中にある一軒家だった。


普通乗用車だと狭くて大変な道路を進んで行く。


山の中腹にある、その一軒家は高齢の夫婦が二人で暮らしている家だった。


我が佐久間町も、そんな所は多い。


わたしが暮らしていた横吹も、今は三軒になった。
(純粋の横吹の家は二軒)


そのうち一軒の嫁さんが最近亡くなったときく。


その人はわたしが中学生の頃、横吹に嫁いできた。


中学生だった自分は、その家の庭で嫁様の来るのを他のガキ友と待っていたのを覚えている。


最近も佐久間町に暮らしている人が、天竜に家を建てたと噂で聞いた。


佐久間町で働くところがあるのに、暮らすところは町場に家を移し、父ちゃんは佐久間まで通っている、そんな人が多い。


なんでかナ~????

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インテリア西川
そんな浜松の事務所で酒を飲み、水窪祭りでの仮装の話になり誘われて今年は、その人たちの仲間に混ぜてもらうことにした、水窪祭りの仮装大会だった。
仮装の内容は、水窪に暮らす年寄りたちが水窪弁で水窪の昔を懐かしむ様子を語り、最後に水窪音頭を踊りだす。そんな感じだった。
いかいで こがいで よかっつら~♪
    はんるかぶりだよ いっかもないか~♪

思い想いにジ~さん・バ~さんに仮装して、先ずは地元の春日神社に行く、一日の水窪祭りでの仮装の無事を祈願して二礼二拍手一礼。お神酒をいただいて、いざ仮装。。。
向市場の仮装会場に出発した。
音響の調子は、イマイチ。が本番になったら、なんか調子がいい。春日神社の祈願の賜物、かな(笑)

昔、懐かしい「く~姉」がいた。
リックを背負って「本町に行ってアツ姉のところに遊びに行く」と言っていた。しわだらけの顔をしわだらけの顔にして笑っている顔が昔のままで懐かしかった。
本町の仮装審査では、向市場の間違えを二度と繰り返すこと無く、やったつもりだ。
が、下品な無いように、10点マイナス、だそうだ(笑)
 
大里の審査会場、小畑の審査会場と、何とか終わり、第一日目の水窪の仮装大会は終わった。
仮装が終わり、小畑から向市場に帰る途中、本町の山に生きる会交流所により、いろいろ話しているときに「さっき米屋の八幡カオルがよってったゾ~」との話を聞いて、わたしと友さんたちは米屋に向かった。
米屋金物店の扉を開けて、呼んだら。。。出てきた~、、、。本物の八幡カオル、、、。
「いま何時~」・・「都チジ~」との掛け声で写真を撮った(笑)

水窪は凄い、素晴らしい。。。
芸能人や、様々な議員さんがイッパイ来ていた。
先ず、今回の会所である向市場に行ったとき、朝の七時の電車で向市場の駅に降り、会所に入ったら、一人ワイシャツにスラックスの人がいた。
そうか、早くから仮装の格好をしているのだ、と思っていた。水窪の人は仮装にかける意気込みが違う、そう思ったいた。
わたしの左側に座っていた。朝から会所では酒を飲んでいる。様々な話の中で、そのワイシャツに人に誰かが
「昨日は何処に行っていた」そんな話をしていた。
そのワイシャツの人は
「青森県の自衛隊を廻ってきた」そんな風に答えた。
俺は
「三沢基地とか?」
と、そのワイシャツの人に尋ねた。
「三沢基地、行ってきました」
そのワイシャツの人が答えた。
それまで、わたしは、その人は水窪の人でワイシャツとスラックスで今日の仮装に備えたいるのだ。と思い込んでいた。
反対側の人に、小さな声で聞いてみた。
「このひと自衛隊関係の人?」
な、なな、なんと、その人は静岡県の県会議員の人だった。。。(泣)

その他、各仮装の審査委員会場には浜松市の市議会議員の人たちが要所要所にいる。
また
一日目の夜、大里から本町まで行く途中に、なんと、城内みのる先生がいるのではないか。
酔った勢いで写真を撮ってもらったが、暗くてわかりずらい。

この話には、つづきがある。
わたしは城内実さんの議員報告のメールを貰っている。
何時もは、そのメールあまり読まないのだが、つい先日の「安定と挑戦の内閣発足」のメールだけは読んでみた。
新聞で小泉新次郎議員が環境大臣に初入閣と言う記事が出た。そんな時の話だ。
伝えたいことがありメールをした。

安定と挑戦の内閣発足
を見て、ぜひ応援したくてメールしました。

小泉内閣で郵政民営化があり、田舎はますます衰退していきました。
しかし、その郵政民営化に反対する人もいました。
大きな流れに乗っていけない人が、ダメになっていく。
そんなふうな風が吹き荒れた時代だったと思います。

田舎も、今、そんな感じです。
子を持つ家族が、天竜へ浜北へ流れていきます。

14年前、無所属として戦った同志の活躍、城内さんの環境副大臣の活躍、期待しています。
日本は、今のところは原子力発電で安定的な電気の供給を考えるべきです。
渡辺昇一さんの本を読み自分なりに納得しました。

それが、元総理経験者の人が原子力反対を叫んでいます。
小泉進次郎新環境大臣に期待しています。
どう父親を説得するのか?

原子力(悪)
自然エネルギー(良)

この考えは良くないと思います。
原子力(悪)この考えが蔓延して原子力関係で働いている人に冷たく当たる人が増えています。

様々な人がおり、様々な考えがある。

多数派が良いのではない。少数派でも素晴らしい考えがある。
そんな世の中を期待しています。

田舎は今、ココでは暮らせなくなるのではないかと心配な声があります。
そんな心配から、子を持つ世帯が出て行くのだと思います。

上手く言えませんがメールしました。
浜松市の北(ほくえん)も応援してください。

佐久間町半場
新間 勉
ブログ「ほくえんの風」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/

城内さんと写真を撮り、周りの人が城内さんと様々な会話をしている中で、その城内さんから自分が出した、このメールの話が出た。
この人を探していると、そのメールのコピーを手にして話していた。
「そのメールはわたしの出したメールです。宜しくお願いします。北遠のこと佐久間・水窪のこと」と話した。
感動した。
見捨てられた地方、そう感じていたけど、見捨てていない人がいる。
城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト
いいだ21ネット
世界へはばたく子どもを育てたい!
 ・「政治は未来のためにあり、未来は教育がつくる!」
 ・「正直者がばかをみることのない世の中にする!」
                 を信条とします。

途中、昔懐かしい人に出会った。
フジユニバンス水窪事業所で一緒に動いていた仲間だ。
(水窪では一緒には働いていたを、一緒にウゴイテいたと言う)
本町で、アツ姉が。二日目の向市場では三人知っている人がいた。一日目ニコニコしていたが、その日は誰だか分らなかった。それが二日目近くに寄ってみたら「なんだチャイね~」と声をかけた。昔の思い出が蘇った。

令和元年「水窪祭り」
二日目の仮装は、裸の大将、だそうだ。
わたしは先生の、役らしい。
先生と書いた麦わら帽子を渡された。

二日目の仮装が終わり。
二日間よく歩いた脚は豆だらけだ、一緒に帰った三人で軽く片付けをして16時14分の飯田線に乗るために向市場の駅に向かった。
ドクターヘリが向市場の集落の上を旋回している。救急車のサイレンが鳴り響く。何かあっただろうか?

ドクターヘリの写真をパチリ。
向市場の駅で電車待ちの女の人に、その写真を見せた。
「また祭りでバカみたいに飲んでヘリで運ばれたダラ」
キツイお言葉、、、。
二日間、水窪祭りは楽しかった。様々な出会い、語らい、酒も美味しかった。

2015年
水窪祭り
 2016年
  水窪祭り
  2017年
 水窪祭り
2018年
 水窪祭り
水窪のお祭りは賑やかい。いつも賑やかでなくてもいいが、せめて学校が存続できる人口を維持するためには如何すればいいのか。
田舎でも医療や買い物の心配がない、そんな地域になることだと思う。
ドクターヘリ、大変ありがたいことだ。消防署、これも有難いことだ。

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日曜日は去年亡くなった母親の一周忌だった。

親戚とともに亡き母のことを思い出し般若心経を唱えた。



続いて修証義


修証義 般若心経もそれなりに意味がある。

凡人はただただ唱えるだけだ。

普通の生活・暮らしていけることに、感謝すること。

月光は何処に暮らしていても降り注いでいる。

 

夜ラン

月明りの下のランニング、日々の暮らしに感謝。

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元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る~♪
こんな歌いだしのさだまさしの曲「案山子」

案山子 (さだまさしの曲)
「案山子」(かかし)は、日本のシンガーソングライター・さだまさしが1977年11月25日に発表したシングル。「雨やどり」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「関白宣言」などと共にさだの代表作の一つとされている。同年のアルバム『私花集』のほか、『さだまさしベスト』などのベストアルバムに収録。また、ライヴ・バージョンも多数存在する。
都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌である。
解説
さだによれば、この曲のきっかけは大分から福岡へ弟の佐田繁理と共に移動する際に、列車から見た景色だという。
その日は雪が降っており、車窓から雪の中に案山子がぽつん立っているのを見たさだは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけた。繁理は鈍い反応しかしなかったが、さだはその風景と、自身が経験した都会での一人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついたという。さだ曰く「曲の原風景は津和野(島根県)、インナースリーブの表紙の写真の撮影は琵琶湖のほとり」とのこと。
なお、「お金はあるか」「『金頼む』の一言でもいい」という歌詞があるが、これは親からの仕送りだけが頼りだったさだ自身の経験が基になっており、冒頭のメロディは、アマチュア時代に既に書かれていたものを使用しているという。
ウィキペディアから

1977年(昭和52年)この曲は発売されている。
「お金はあるか」「『金頼む』の一言でもいい」という歌詞があるが
あれから平成の時代になり、故郷に暮らす親に おれおれ詐欺が横行する時代になった。

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 森信三
死は人生の総決算である。肉体の朽ち果てたあとに、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間に成した真実のみである。』

考察
自分の命の火が消えた後も、尚そこに残る、その人の面影。例えば、子供だ。そこに宿っているのは、間違いなくその人の血であり、細胞である。

だとしたら、まだ死んでいない。続いているのだ。人間は、そんな『命のリレー』をして、もうずいぶん時間が経っている。

別に、より多くの人の記憶に残ればいいというわけではない。例えば、生まれてすぐに死んだ赤ん坊の命はどうだ。親の勝手な都合で、流された尊い命はどうだ。その命は、人知れず消えていった。誰にも知られることなく、生まれて、すぐにその命を追えたのだ。

 

より多くの人間の記憶に焼き付くのが良いのであれば、これらの人間の命は、『無価値』であるということになる。

 

しかし、それはない。

 

断じて、それはない。

 

それに、『より多くの人間の記憶に焼き付く』のであれば、歴史的な幼児無差別連続強姦殺人魔だってそうだ。それに該当することになる。では、そうした人間の価値が高く、人知れず死んだ命が無価値だと思うだろうか。 

断じて、それはない。

山本周五郎は言った。

『人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。』

https://www.a-inquiry.com/
ココから抜粋!

 

森信三
『人生二度なし』
人は生れ、幼年期 少年期 青年期 壮年期 中年期 高齢期 老齢期と生きて行く。
幼年期   : 0~ 5歳
少年期   : 6~14歳
青年期   :15~30歳
壮年期   :31~44歳
中年期   :45~64歳
前期高年期 :65~74歳
中後期高年期:75歳~

良き人生の先輩の生き方を見習い、自分のこれからの人生を考えていきたい。



良き出逢いに感謝!!

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それはイメージ。

先日ラインで エミール、クーエの法則の話が来た。

イメージが大切だと。

たとえば五円玉を木綿糸で吊るし、自分の目の前で持っていたとする。

その五円玉を、右左にスムースに動かそうと自分なりに努力しても簡単にはスムーズには動かない。ぎこちない揺れ方をする。

しかし、その五円玉を「動け。左右に動け」と頭の中でイメージすると。

あーら不思議。しばらくすると、その五円玉が左右にユラユラ揺れる。


イメージが大切だと、その人はタップダンスで観衆の前で演じている人だ、そんな人だからこそイメージの大切さを教えてくれた。

私が暮らしている佐久間町、誰が何と言おうとも楽しい。

そんなイメージを持ちたい(笑)

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そのように思いたい。

しかし、それは自己満足。

それで良い。

人に迷惑をかけていなければ。

だけど、知らないうちに誰かが迷惑だと思っているかもしれない。

ほくえんの風を感じながら。

昨日はホウジ峠「伝承館」にソバを食べに行った。

この前、走った しし鍋マラニックの写真を置いてきた。

ジャンジャン。。。

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平成12年5月
職人魂
このようなブログを書いた。
今回、またキーチャにお願いした。
隣りの家との境のところ、から家の玄関まで、を。コンクリートにしてほしいと。

隣りの人は、同じ横吹から半場に越してきた人で私より4歳年上の人だ。
自分と同じで朝早起きで、隣りの人は家周囲の草取り。私は朝ラン。
どちらも変わり者、と見られているかナ(笑)

ところが、その人は、朝すれちがっても、こちらから「おはよう」といっても何時も黙っている。
その人の母親が半場に来て横吹の話をした、仕事から帰って来るのが楽しかった。
その人の母親は、なっちゃん。
こんなブログを書いた。
なっちゃん
なっちゃん2
その人の弟も喋らない人で、たまに半場に来ても、顔を見ても、挨拶ひとつない。
なっちゃんが言うには、小さいころ郵便やさんに「おまえの家には聴覚障碍者がいるカ~」と言われたそうだ。
「そんな育て方した覚え はないが」と言っていた。
何しろ喋らない。東京で数学の先生をやっているという。教員にも様々な人がいるナ~。。。。

 
自分の家が隣より少し高い所にある、コンクリートにすることを、隣りの家に話しておいたほうがいい。
隣りの人は奥さんの方がよく喋るので、旦那さんは仕事で会う機会がないから、その奥さんに聞いてみた。
しかし、やはり、そこの旦那さんにも話した方が、と思っていた、4月11日木曜日の朝ランの途中、丁度その旦那さんが居たので話してみた。
そのとき、いきなり言われた言葉だった。
「お前は好きなことばかりやって、偉そうなことを言っているがやることやらない」
「如何して」と聞くと。
「安全協会を変わりにやっても、挨拶ひとつない」
「親睦会、葬式にも出てこない」
と。
駅伝は走りたいナ~。親睦会も自分の用事があるときには出れないョ~。葬式?半場10班の付き合いはやっているつもりだがナ~。。。。
売り言葉に買い言葉、わたしからも反撃した!
「た~ぶれんナ。やることやってるワ!」
「お前こそ、いろいろなこと経験しにゃダメだゾ~!!!」
といって、その人を背に、残りのジョギングコースを急いだ。

頭に来た!。
同じ横吹から来た人だからと思っていたが、、、、。

ところが、走っていると火照った頭が、冷静になってきた。
家の周りの草取り、彼は何時もやっている。
私は毎週外に遊びに行っている。
彼から見れば、自分は、そのように感じているのだ。と。

人は自分中心に考える。
思いやる。そうゆうことはあまりできない。
そこで争いがおこる。

昨日、左官屋キーチャがきて、庭のコンクリートをやってもらった。
その仕事を私も手伝った。大変な仕事だ。だった。
休憩中に、キーチャの昔修業時代の話を聞いた。厳しかったと、その厳しさがあり今を楽に感じるのだと。
その隣との関係も話した。聞いてもらった。
「新間君ほど村の仕事やっている人はいないョ。神楽だってやっているし、オカシイよ、それは」と。
そんな言葉が嬉しかった。。。

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 毎年、旧暦1月18日の月の出から翌日の日の出まで、夜を徹して行われる西浦田楽


今回は丁度、金曜日になり、見学に行くチャンス。


西浦田楽とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD

今回は萩田さんを誘って行ってみた。


能衆が来る前、たき火にあたり暖をとっている、若い女性が二人、隣にきてたき火にあたりに来た。


「何処から来たのですか?」
わたしの質問に
「東京から来た」
と答えた。
大学の知り合いが行くといったので付き合いで来たと言いう。

隣の女性は、中国からの留学生だと。


日本の印象は?
の問いに、人が親切。町が綺麗。
と言っていた。

萩田さんのスペイン巡礼の旅の話。
タイ・ローマ・カナダの旅の話。

水窪で海外の話に花が咲いた。


向かいの席の人が話に加わり、その留学生と中国語で話し出した。


湖西市の人だという。


多分化共生の街、流石、湖西市素晴らしい。


東の山から月が上るころ、20数名の能衆がたいまつを焚いて田楽堂に上ってきた。


わたし達があたっていたたき火は能衆の休憩所、追い出される。


人は出たが誰だかわからない荷物がある。


能衆の一人の「片付けてください]」の言葉に、みんなで知らない人の荷物を表に出した。


演目が始まり、見物客が能衆の西浦田楽の祭事に息をのむ。


この行事を西浦の人々は粛々と続けて来たのだ。


庭ならし・御子舞・地固め・地固めもどき・剣・剣もどき・猿舞、演目は続いていく。


例年より今年は温かい、しかし、深夜になると寒さが増してくる、年寄りの身体にはこたえる。


腰を上げ、売店で濁り酒とうどんを買って休憩所に身を寄せた。


浜松市引佐のひよんどり保存会の人がいた。


川合のコイジさんが居た。


元教員の人が数名いた。


その中に沼津から来た人がいて西浦田楽の魅力を語っていた。


家内は興味がないので磐田の娘の家だとか。


男ばかりなので話がエゲツなくなる。


エゲツないのはコイジさんだけだけど(笑)


西浦田楽、男の祭り、男はそんなもの。


勝手に思った。

深夜を回ったころ、仮眠をしに帰った。


田楽の里の管理している人は、都会から西浦に越してきたという。


ココを終の棲家として選んだ土地だという。


ココは人が良い温かい土地柄だと言っていた。


店が少なく買い物ができない。病院が遠くで病気になったら如何するダ。


そんな不便な土地だけど、ココを選んでくる人がいる。


西浦田楽、1300年の繰り返し。


自分の命が今の時代を繋いでいる。


それは人々の生命の繰り返しの中でタスキを受け継ぎ今を走っているのようなものだ。

 

今日は朝8時、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集合
佐久間ダムまで走って行こう!!
そんな約束をしている。
10時からは
佐久間しし鍋マラニック
  
つづく。。。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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