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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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 森信三
死は人生の総決算である。肉体の朽ち果てたあとに、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間に成した真実のみである。』

考察
自分の命の火が消えた後も、尚そこに残る、その人の面影。例えば、子供だ。そこに宿っているのは、間違いなくその人の血であり、細胞である。

だとしたら、まだ死んでいない。続いているのだ。人間は、そんな『命のリレー』をして、もうずいぶん時間が経っている。

別に、より多くの人の記憶に残ればいいというわけではない。例えば、生まれてすぐに死んだ赤ん坊の命はどうだ。親の勝手な都合で、流された尊い命はどうだ。その命は、人知れず消えていった。誰にも知られることなく、生まれて、すぐにその命を追えたのだ。

 

より多くの人間の記憶に焼き付くのが良いのであれば、これらの人間の命は、『無価値』であるということになる。

 

しかし、それはない。

 

断じて、それはない。

 

それに、『より多くの人間の記憶に焼き付く』のであれば、歴史的な幼児無差別連続強姦殺人魔だってそうだ。それに該当することになる。では、そうした人間の価値が高く、人知れず死んだ命が無価値だと思うだろうか。 

断じて、それはない。

山本周五郎は言った。

『人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。』

https://www.a-inquiry.com/
ココから抜粋!

 

森信三
『人生二度なし』
人は生れ、幼年期 少年期 青年期 壮年期 中年期 高齢期 老齢期と生きて行く。
幼年期   : 0~ 5歳
少年期   : 6~14歳
青年期   :15~30歳
壮年期   :31~44歳
中年期   :45~64歳
前期高年期 :65~74歳
中後期高年期:75歳~

良き人生の先輩の生き方を見習い、自分のこれからの人生を考えていきたい。



良き出逢いに感謝!!

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それはイメージ。

先日ラインで エミール、クーエの法則の話が来た。

イメージが大切だと。

たとえば五円玉を木綿糸で吊るし、自分の目の前で持っていたとする。

その五円玉を、右左にスムースに動かそうと自分なりに努力しても簡単にはスムーズには動かない。ぎこちない揺れ方をする。

しかし、その五円玉を「動け。左右に動け」と頭の中でイメージすると。

あーら不思議。しばらくすると、その五円玉が左右にユラユラ揺れる。


イメージが大切だと、その人はタップダンスで観衆の前で演じている人だ、そんな人だからこそイメージの大切さを教えてくれた。

私が暮らしている佐久間町、誰が何と言おうとも楽しい。

そんなイメージを持ちたい(笑)

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そのように思いたい。

しかし、それは自己満足。

それで良い。

人に迷惑をかけていなければ。

だけど、知らないうちに誰かが迷惑だと思っているかもしれない。

ほくえんの風を感じながら。

昨日はホウジ峠「伝承館」にソバを食べに行った。

この前、走った しし鍋マラニックの写真を置いてきた。

ジャンジャン。。。

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平成12年5月
職人魂
このようなブログを書いた。
今回、またキーチャにお願いした。
隣りの家との境のところ、から家の玄関まで、を。コンクリートにしてほしいと。

隣りの人は、同じ横吹から半場に越してきた人で私より4歳年上の人だ。
自分と同じで朝早起きで、隣りの人は家周囲の草取り。私は朝ラン。
どちらも変わり者、と見られているかナ(笑)

ところが、その人は、朝すれちがっても、こちらから「おはよう」といっても何時も黙っている。
その人の母親が半場に来て横吹の話をした、仕事から帰って来るのが楽しかった。
その人の母親は、なっちゃん。
こんなブログを書いた。
なっちゃん
なっちゃん2
その人の弟も喋らない人で、たまに半場に来ても、顔を見ても、挨拶ひとつない。
なっちゃんが言うには、小さいころ郵便やさんに「おまえの家には聴覚障碍者がいるカ~」と言われたそうだ。
「そんな育て方した覚え はないが」と言っていた。
何しろ喋らない。東京で数学の先生をやっているという。教員にも様々な人がいるナ~。。。。

 
自分の家が隣より少し高い所にある、コンクリートにすることを、隣りの家に話しておいたほうがいい。
隣りの人は奥さんの方がよく喋るので、旦那さんは仕事で会う機会がないから、その奥さんに聞いてみた。
しかし、やはり、そこの旦那さんにも話した方が、と思っていた、4月11日木曜日の朝ランの途中、丁度その旦那さんが居たので話してみた。
そのとき、いきなり言われた言葉だった。
「お前は好きなことばかりやって、偉そうなことを言っているがやることやらない」
「如何して」と聞くと。
「安全協会を変わりにやっても、挨拶ひとつない」
「親睦会、葬式にも出てこない」
と。
駅伝は走りたいナ~。親睦会も自分の用事があるときには出れないョ~。葬式?半場10班の付き合いはやっているつもりだがナ~。。。。
売り言葉に買い言葉、わたしからも反撃した!
「た~ぶれんナ。やることやってるワ!」
「お前こそ、いろいろなこと経験しにゃダメだゾ~!!!」
といって、その人を背に、残りのジョギングコースを急いだ。

頭に来た!。
同じ横吹から来た人だからと思っていたが、、、、。

ところが、走っていると火照った頭が、冷静になってきた。
家の周りの草取り、彼は何時もやっている。
私は毎週外に遊びに行っている。
彼から見れば、自分は、そのように感じているのだ。と。

人は自分中心に考える。
思いやる。そうゆうことはあまりできない。
そこで争いがおこる。

昨日、左官屋キーチャがきて、庭のコンクリートをやってもらった。
その仕事を私も手伝った。大変な仕事だ。だった。
休憩中に、キーチャの昔修業時代の話を聞いた。厳しかったと、その厳しさがあり今を楽に感じるのだと。
その隣との関係も話した。聞いてもらった。
「新間君ほど村の仕事やっている人はいないョ。神楽だってやっているし、オカシイよ、それは」と。
そんな言葉が嬉しかった。。。

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 毎年、旧暦1月18日の月の出から翌日の日の出まで、夜を徹して行われる西浦田楽


今回は丁度、金曜日になり、見学に行くチャンス。


西浦田楽とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD

今回は萩田さんを誘って行ってみた。


能衆が来る前、たき火にあたり暖をとっている、若い女性が二人、隣にきてたき火にあたりに来た。


「何処から来たのですか?」
わたしの質問に
「東京から来た」
と答えた。
大学の知り合いが行くといったので付き合いで来たと言いう。

隣の女性は、中国からの留学生だと。


日本の印象は?
の問いに、人が親切。町が綺麗。
と言っていた。

萩田さんのスペイン巡礼の旅の話。
タイ・ローマ・カナダの旅の話。

水窪で海外の話に花が咲いた。


向かいの席の人が話に加わり、その留学生と中国語で話し出した。


湖西市の人だという。


多分化共生の街、流石、湖西市素晴らしい。


東の山から月が上るころ、20数名の能衆がたいまつを焚いて田楽堂に上ってきた。


わたし達があたっていたたき火は能衆の休憩所、追い出される。


人は出たが誰だかわからない荷物がある。


能衆の一人の「片付けてください]」の言葉に、みんなで知らない人の荷物を表に出した。


演目が始まり、見物客が能衆の西浦田楽の祭事に息をのむ。


この行事を西浦の人々は粛々と続けて来たのだ。


庭ならし・御子舞・地固め・地固めもどき・剣・剣もどき・猿舞、演目は続いていく。


例年より今年は温かい、しかし、深夜になると寒さが増してくる、年寄りの身体にはこたえる。


腰を上げ、売店で濁り酒とうどんを買って休憩所に身を寄せた。


浜松市引佐のひよんどり保存会の人がいた。


川合のコイジさんが居た。


元教員の人が数名いた。


その中に沼津から来た人がいて西浦田楽の魅力を語っていた。


家内は興味がないので磐田の娘の家だとか。


男ばかりなので話がエゲツなくなる。


エゲツないのはコイジさんだけだけど(笑)


西浦田楽、男の祭り、男はそんなもの。


勝手に思った。

深夜を回ったころ、仮眠をしに帰った。


田楽の里の管理している人は、都会から西浦に越してきたという。


ココを終の棲家として選んだ土地だという。


ココは人が良い温かい土地柄だと言っていた。


店が少なく買い物ができない。病院が遠くで病気になったら如何するダ。


そんな不便な土地だけど、ココを選んでくる人がいる。


西浦田楽、1300年の繰り返し。


自分の命が今の時代を繋いでいる。


それは人々の生命の繰り返しの中でタスキを受け継ぎ今を走っているのようなものだ。

 

今日は朝8時、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集合
佐久間ダムまで走って行こう!!
そんな約束をしている。
10時からは
佐久間しし鍋マラニック
  
つづく。。。

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遠鉄バス北遠本線
私の暮らす佐久間町、平成の合併で浜松市になった。
このバスは上限690円で、運賃はこれ以上 上がらない。
西渡からは乗ったことがあるが、水窪から乗ってみたくなった。
ということで、水窪からバス乗車

2017年1月時点では、遠鉄バスの一般路線では最も運行距離が長く、ジェイアール東海バスの時代は全区間の通し運賃は1470円だったが、遠鉄バス移管時に上限運賃制により630円に値下げされた。(2017年現在では消費税増税、運賃改定の為690円である。)
ウィペディアから

西渡・椎の平・大輪・下村ココで690円
ココからは運賃はあがらない。ずーっと690円のままだ。
数名の御客を乗せバスは山間部を天竜川沿いに下っていく。
浜松で用事があるから。山間部で全ての事が済めばいいが都会での用事がある。
このバスが無くなれば車での移動ができないものは飯田線により豊橋経由で浜松に行くしか手段は無い。
不便。
こんな不便な土地に暮らす価値があるだろうか?
しかし、ソレゾレに意味があり理由があり、そこで暮らしている。
不便だからこそ、そこで生まれるものもある。

西鹿島駅に着き、走る用意をして走り出した。
西鹿島駅から浜松駅を目指す。
そこから中田島砂丘で防潮堤を見学、西に向かい八千の湯をゴールとしたい。

つづく。

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職場で野菜(レタス&トマト)が販売された。


レタスを三袋購入して、一袋お世話になっている職人のキーチャに渡そうかと思った。


仕事が終わり。
空の弁当箱とレタスを持って徒歩で帰ってきた。


キーチャの家はカギがかかっていた。


携帯に電話しても繋がらない。
家に電話してお兄さんが出てきたのレタスのことを伝えた。


ホットとした時に、気がついた。


いつも背負って職場に通っているリックが無いことを。


家まで近いので、空の弁当箱を置いて、ジョギングシューズを履いてリックを職場まで取りに行った。


本日の夜ラン

4㎞

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参加予定チーム
100チーム
棄権チーム
4チーム
多くの人が佐久間にやってきた。

今回、佐久間中学校の生徒が、全員ボランティアの佐久間駅伝のスタッフとして働いてくれた。

佐久間は過疎たけど、アッタカイところ。
そんな感じが伝わっただろうか?

 多くの人に考えてもらいたい。
過疎高齢化のこと。

大人も子供も

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一時間前に里に行き、母親の顔を見て会場に向かった。
痴呆歴10年以上。
 
の私の母よ
自分の家が分らなくなって、散歩に出かけて迷子になって、捜索願が出て、近所の人に迷惑をかけたことが数知れず。
地域の区長さんから さくまの里を紹介され、入所の手続きをして順番待ちになって半年後、施設長さんから電話か来た。
2007年の冬
施設長:「老人ホームに入所できますが、、、如何ですか?」
 私 :「配偶者である親がいないので相談してから電話します」
父親の部屋に行き、その事を話すと
父親 :「たのむゾー」
早速手続きをしてさくまの里の三号館に入所して、部屋のベランダから観た景色が、綺麗だと思った。
母親は入所を拒むこともない状態だった。
 
水窪町の上村に産まれた
人生のスタートは水窪だった母親
水窪上村スクリプト公開↓
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled3.html
斜面集落の横吹に嫁いできて、老後半場に来て痴呆になり佐久間の里に入所

そんな母親が お世話になっている特別養護老人ホームさくまの里の新年会に参加してきた。
会長さんの挨拶の中で「君たちはどう生きるのか」の本の紹介があった。
自分一人で生きているのではない、みんなのつながりの中で生きているのだ。

施設長の挨拶で、今の佐久間町の人口推移の話が合った。
五年前から1000人ほど佐久間町の人口が減ってきた。

隣の若い職員と話し、子供を持つ若い夫婦のココでの暮らしぶりを聞いた。

地元で暮せることは、ありがたいことだ。
しかし
いま現在、地元が過疎で疲弊して暮せる状況でない方向に進んでいるという現実がある。

今回、資料でいただいた、
佐久間町の人口推移・人口ピラミッド
多くの町民に参照していただきたい資料である。

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昨日、愛車2シーター(フャレデイK)が車検のために近くのモータースにもっていってもらった。
今朝は何時もと違う代車、これも2シーター。。

朝ユックリ寝すぎてしまい、起きた時には時計は6時半を回っていた。

車だから、10分のすれば職場に着く。
そう思った。
が.

ところが、その代車、朝からご機嫌斜め。

セルが回ってエンジンがかかったが、吹かない回転数が上がらない。

ボソボソとローかセカンドでユックリしか走って行かない。

なんとか300mくらい走って、昔の牛乳屋さんの前まで行き、その昔の牛乳屋さんの横に駐車して、職場までダッシュすることにした。
あいにく外は雨降り。

B型鉄橋を渡り、特別養護老人ホームさくまの里の横を走り、中部の商店街へ。
そこのがんばらまいか佐久間でやっているいどばたで、知り合いのオバちゃん塩○さんが
「なんだいね雨の中、風邪ひくに~」
「傘かしてやるか~」
と声かけられ
「いろいろあってネ」
と言って職場を目指した。
早くいかないと遅刻になると懸命だった。

職場に着いて、雨でぬれた上着を着替え、何食わぬ顔で何時ものルーティンワークを始めた。

やれやれ、しかし、走るのが趣味でほんとうに良かった。


車は便利だが、それが用を足さなくなったとき、不便を感じる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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