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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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5年前に、始めたマラニック
夢街道90㎞

次の年
青崩峠の信州側が深層崩壊で危険な状態になった。
その年から、兵越峠を越えて遠山郷に行くようになった。
夢街道100㎞
に名称も変えた。

今年は
最初に私が夢見た街道「夢街道」は
一回目90㎞2回3回4回目は100㎞
そして第5回目の今年は
青崩峠を越える90㎞にしようと思っている。

私にとっての夢街道
その街道が

土曜の新聞で、その街道を「祭り街道」としたいとの話が記載れていた。

祭り街道・夢街道

この道に多くに人が行き来し、賑やかな街道になることを願っています。
祭り街道が日本遺産になることを願っています。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/24/japan-heritage_n_7132990.html

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10年前に、佐久間町が浜松市に合併!!
役場の職員が私たちの暮らす集落に来て
合併の経過を説明に来た。
そのとき、その職員は
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「やがて佐久間も、このようになるでしょう」
と言って帰っていった。


その後、佐久間町で採用された役場の職員は
「今は浜松市だから、市内どこに住もうと勝手だ」
と、佐久間を出ていった人が増えた。

今宵もはじまりました(^.^)/~~~
は、香川県観音寺市 まちなか活性プロジェクトだ、
今、地方は衰退してると、国を挙げて地方創生を叫んでいる。


佐久間町は、浜松市になり、国にとって地方とは浜松市
浜松市にとって山間部の佐久間町は、これからどうなっていくのか。


遠い先の事を考えて、悩んでいてもしょうがない。
今、佐久間町に住んでいる人も、理由がありココを出ていった人も
仕事で佐久間に来ている人も、酒好きな人が集まって
年に一回、飲もうではないか。


(片桐先生送別会にて)

それが
今宵もはじまりました(^.^)/~~~ in佐久間
次の予定
場所:浦川キャンプ場


佐久間町が、浜松市に合併したとき
佐久間中学校の同窓会を始めた。
本当は、この同窓会を、佐久間でず~っとやろうとしたのだが、去年から浜松市の市街での開催になったので、、、、、次はこれにした(^O^)/

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今日は歯の治療に浜松の歯医者さんに行く。
それは、ある人からの紹介してもらったからだ。

数日前から予約を取っていた。

その予定が入っていた時、
走る仲間からメールが来た。
「しし肉が欲しいです」
「次の土日にしし鍋をやるので、金曜日に持ってきてくれませんか?」

相月の亀ちゃんに電話、
しかし、もういい肉はないとのこと。

間庄の三輪さんを初会してもらい、電話。
快諾

走る仲間に電話して
「いいけど、金曜日は用事があるから、川合の○原さん家に預けておく」
と連絡して、その日は終わった。

そんな時、天竜川の増水で、原田橋の迂回が通行不能となった。
またですか。
浦川に人たち大変だな~。
他人事のように思っていた。

川合の○原さんに電話して、走る仲間の しし肉を預かってほしいとの話をしたら・・・。
快く応じてくれた。
そして
「どうやって、ココに持ってくるの?」
・・・・・・。
そうか~、目と鼻の先の川合地区、そこまでの行く手段が、佐久間ダムの放水で無くなっていたのだ(+o+)
原田橋はもう壊れて無くなっているのだ。
「何とかする」そう言って電話を切った(*'▽')

そのとき自分の考えは二つ
飯田線で行くことと、××××で行く事。

 

水曜日
しし肉をゲット。

家の冷蔵庫に保管

次の日の木曜日の朝
計画を実行した。
凍った しし肉を新聞紙で包みリックに入れて、××××で行く事にした。
半場を6時出発、川合に着いたのが6時45分、無事に しし肉を○原さんに渡し、半場にまた××××で帰ることにした。

××××で帰るのはいいのだが、問題は その××××で帰る道が、あまりにも危険だという事だ。

途中、崩れているところがあり、一歩間違うと天竜川に落ちるかもしれない
狭いトンネルはシャガンデいかないと抜けられない。

半場に着いたのが7時30分
無事に帰ってきた。
朝ご飯を食べ、無く食わぬ顔で仕事に出勤したのだった。。。
ジャンジャン(^O^)/

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ジョギングには恵まれていると思う。
佐久間町。

適度に明かりはあるし、歩道もある。

今宵もはじまりました(^.^)/~~~
で、晩酌をして、
夕ご飯を食べ。

いい気持ちになって、コタツで少し寝て。

夜ランに出た。

半場→中部→半場→佐久間→半場
約8.5㎞

風呂に入って睡眠。


写真は
  
B型鉄橋

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野球にはあまり興味がない私だが、日曜日の朝 TBS「サンデーモーニング」で、知ったこの話。。。

ヤンキースからフリーエージェント(FA)となり、8年ぶりに広島復帰を決めた黒田博樹投手(39)が28日、マネジメント会社を通じてコメントを発表。年俸20億円にのぼるメジャーの巨額オファーを蹴り、プロ野球人としての集大成を古巣で…と下した空前絶後の選択。「野球人生の最後の決断。新たなチャレンジをしていきたい」。短い言葉に決意を込めた。
YAHOO!ニュース

黒田博樹投手、野球人生の最後の決断。
集大成として広島に骨を埋める覚悟を示した、広島の球団側も背番号「15」を残しそれを待っていた。

男気あふれる黒田のコメントもいいのだが、
広島カープ球団も、それを支えるファンも、魅力があるのだろうな~。

少ないけど佐久間にも帰って来ている人はいる。
また、帰ろうか迷っている人もいる。

人生の最後、故郷の佐久間で暮らしたいと思っている人も、、、きっといると思う。

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先日のマラニックのときに、、
青崩峠から兵越峠に向かう遊歩道を歩いているときに。

走る仲間から質問された。
「新間さんはリニアのこと、どう思う?」

この話は、私、ず~っと前から考えている。
4月の「名古屋ハーフ」を走り終わってからの慰労会
FBのラン友の仲間が集まって楽しく飲んで騒いだ。
東京・大阪・名古屋の仲間。
遠くは北海道からやって来た。
東京から新幹線で名古屋まで1時間半。
「新幹線があるから、リニアなんて必要ない」
そんな話が聞こえた。


9月の「チャレンジマラニックin遠山郷」
この大会の時に、関係者が開会式で
「リニアの話が出ています。東京からの選手も将来は1時間くらいで遠山に来ることができるでしょう」


そんな話を聞いた都会のランナーが
「リニアなんていらないョ~。南アルプスを貫くトンネルなんて環境破壊だ!」

そんな話も・・・・・。

4月、「静岡骨髄バンク推進する会」の総会の時
私は佐久間から西渡まで走っていき、西渡から二俣までバス、二俣本町から掛川駅まで天浜線。
掛川から藤枝まで自分の足で走ってみた。
東海道を走ってみたかったのだ。

掛川から日坂峠を越え金谷に出たらSLが走っていた。
昔の人は、いくつもの峠を越え旅をしていたのだろう。今はこの峠の下にはいくつものトンネルができ浜松方面から静岡に行くにも便利になった。
車っでも電車でも。

100年前の日本の風景


このような昔の日本を残していきたい。

 戦後、新幹線が、今リニヤの話が。
神谷正昌先生のお話でもあるように
その後、新幹線は次々と路線を延(の)ばし、人々の生活圏(けん)は広がり、新幹線が走る静岡県や栃木県、
群馬県などから東京への通勤や通学も可能になりました。一方で、新幹線は大都市への人口の流出を促(うなが)し、
地方の過疎化の要因の一つになったという指摘(してき)もあります。

そんな話もある。
人々が昔のように移動する手段を自分の足に頼っている時代ではない。
 
 

そうだ!!。今は、便利な世の中 21世紀を生きているのだ。
そして、時代は流れていく。

リスクとベネフィット
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88

なるべくリスクは最小に、、、、。
リニヤの計画を進めてほしいと思ている。
都会に住もうと、田舎で暮らそうと、今の日本は暮らしやすい国だと思う。
皆で協力して日本を盛り上げよう。

参考にしたHP

日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60280160X20C13A9TY1P01/

JWSSNニュース(^з^)-☆
http://jwssnnews.blog.jp/archives/30194940.html

「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-07-22/2014072214_02_1.html

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同じ景色を見ても、人はそれぞれ感じ方が違う。
護国神社で自分は何を感じたのか、、、、。
今の平和な世の中は、戦争という惨烈な過去の上に成り立っているのだと改めて感じた。
動画です


ロイヤリティ・フリーの無料音楽素材「甘茶の音楽工房」さんの曲
雪解け
を、お借りして作りました。

ボランティアでの曲作り。
私のマラニックもボランティアの人に助けられている。

人は皆、助け合って生きている。

これからも、平和な日本が続きますように。
また、世界中が争いのない世の中になりますように。


byしんしん

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護国神社(護國神社、ごこくじんじゃ)は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社。東京都を除く道府県に建立され、その道府県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とする。
ウィキペディアから

城西地区 戦没者慰霊祭 解散
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%80%80%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%80%80%E8%A7%A3%E6%95%A3
4月27日(日)
戦没者慰霊祭に行ってきた。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%80%82
8月24日(日)

佐久間町時代は毎年、城西戦没者遺族会の人たちは護国神社に行っていたそうだが、
浜松市に合併してからは、もう行くことができなくなった、、、護国神社、

城西戦没者遺族会は今年で解散する。
よって城西戦没者遺族会で護国神社に行くのは最後になる。

西渡(にしど)で待ち合わせ、バスに乗り、城西戦没者遺族会の会長の挨拶、昔懐かしい人と語らいながら、、、。

バスに揺られて数時間、私たちは護国神社に着いた。




 


 


遺品館によった。


静岡県戦没者
異品館
亡きわが子・父・夫よ、
今数々の思いをこめた遺品の前で、もの云わぬあなたに語りかける。
遠く過ぎし日々の思い出を・・・・・・・。


 戦争が終わって十数年たってから生まれた世代、私たちは親に人生の先輩に
様々な苦労話を聞いてきた。
今回、この護国神社に遺品館にきて先人たちが国を護ろう戦った、、、、こと。
また、今、この国に居るものが先人たちの事を祀り頭を垂れること。

忘れてはならない、
と、思った。


バスに帰り、一行は、
家康公ゆかりの清見寺へ。









日本一の千手観音様で有名な
 大學寺へ。





 
 

    そして、焼津でお土産を買って帰る。
 
  
中山間地に住む家族への
お土産は、海産物がベストです(≧▽≦)
  

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久しぶりにブログ書きます(^O^)

土曜日は奥三河の山「明神山」に登ってきました。

計画では
乳岩登山口→明神山→岩山→尾籠→とうえい温泉→
ココからバスで東栄駅前へ、そこから電車で東栄駅→中部天竜駅
の予定。
 朝の電車
 中部天竜  三河川合
 5:26 →  5:53
 6:06 →  6:33
(320円)
バス
 とうえい温泉 東栄駅前
17:47 →  18:04
帰りの電車
 東栄    中部天竜
18:14 → 18:32
(240円)

朝早く目が覚めたので、中部天竜駅を始発の電車で行くようにした。
まだ暗い朝、一人でリックを担いで駅まで歩く。
飯田線の中は私一人。
もちろん、三河川合駅下車も私一人。

山登りの様子は↓動画で(^O^)

(キャプションでの誤りがあった)
(マンリョウではなくセンリョウでした)
修正です

山頂でお昼、見知らぬ登山者と話をしていたら。
携帯が鳴った。
年の離れた姉からだった。
「今日、祭りだから酒を飲みに来ない?婿さんも来ているから、一緒に酒を飲みたいと言っていたから」
始めの計画では、とうえい温泉でユックリしてバスで帰ろうと思っていたのだが・・・・。
予定変更、佐久間まで走って帰ることにしよう(^O^)

家に帰って、動画をアップして、城西へ。

小学校時代に行ったきり久しぶりの城西のお祭り。
懐かしかった。
懐かしい友にも出会った。

酒もたくさん飲んだ。

その日は水窪に泊まり。
次の日、城西の車を置いてあるところまで走って行く。
途中、知り合いとすれ違い
「どこまで行くだいネ。乗してくに」
「ありがとう。帰りに乗せて、それまでは走っているデ。」
城西に向かって走っていると
ちょうどナカセで後ろから車が来たので乗せてもらう。

家に帰って、朝9時から竜神の旗立。

それが終わってから。
また城西へ。

城西地区の神楽を見に行くため。
初めて、その地区の神社(日月神社)に行った。

10月4日
法条峠の「風流北条峠の観月会 」の時の動画は後半の部分がメモリー切れで撮影できなかったので後半を録画したかったのだ。
しかし、お宮での撮影は後ろ姿での撮影だった。残念。

「風流北条峠の観月会」での動画

「城西地区 日月神社の奉納神楽 」での動画

土曜日・日曜日と忙しく遊ぶことができた(^◇^)
 
今年の半場のお祭りにて、禰宜様とツーショット。

PS
日月神社に登って行く途中、村の人と話していると
「アッチャのお兄さんかネ」と言われた。
私より一回り(12歳)年上の姉。
そんな姉のお兄さんと間違われた(泣)
そんなに老けて見えるのだろうか(涙)


 

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昨日、仕事の帰りに、お酒を買いに途中の酒屋(竜美屋)で、お酒を買いに入った。

そこの店主に

店主:「朝早くキャップライトを着け走っていたが、何時から走っているだいや?」


 私:「??????私、今朝は走ってないよ」


私、ココに暮らすようになって26年、走り続けて25年。
佐久間で走っている人はダイタイ・・・・わかる。

たぶんあの人と勘違いしているんだな~。

走る人、それぞれの考え目標があって走っている。
ある人は「ダイエット」ある人は「健康のため」ある人は「自己実現

私は今、ウルトラマラソンに興味を持ち日々の練習に励んでいる。

なかなか普通の人には理解ししくいかも、朝からライトをもって走ること。
「走る馬鹿」

そんな時、水窪の小松屋製菓のHPを見た。
↓HPから引用

田舎では昔から、 「栃の木を、切る馬鹿、植える馬鹿」 なんて言われています。
まずは 「切る馬鹿」。 これは、桃栗とは違い、栃の場合は実をつけるほどの成熟した木になるには、100年近くかかるため、
 先祖が植えてくれた「栃の木」を切るのは、それまでの数十年の歴史が一瞬にして消えてなくなると言った意味から
「切る馬鹿」 と言われています。 続いて 「植える馬鹿」。 これはもうおわかりだと思いますが、自分がこの木を植えたところで、
 実が成る姿を見る事はない、孫、ひ孫の代でようやく実が成るであろう、という事から「植える馬鹿」と言われています。
 小松屋製菓では、「切る馬鹿」 にはなりませんが、 2代目から 「植える馬鹿」 にはなっちゃいました。
 「植える馬鹿」のスタートは、私が小学校低学年の頃でした。
あれから30年あまり。今年もわずかな本数ですが、「植える馬鹿」 はやめられませんね。


「走る馬鹿」

浜松駅から佐久間まで走ったり、浜松駅から浜松市を突き抜け飯田市の遠山郷まで走っている。
 

佐久間町に帰ってきて、佐久間駅伝に誘われ走るようになり。
もう25年間走っている。

「走る馬鹿」 ・・・・・やめられない(*^^)v

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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