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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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わたしの暮らしていた横吹(よこぶき)では母親のことをカーチャーと呼んでいた。
大正15年生れ、
水窪の上村に産まれ、城西村の横吹という斜面部落に20歳の時に嫁いできたバリバリの昭和を生きた女性である。
気はキツイ。
早くに夫に先立たれ、実家である上村に帰るはずだったが、横吹の姑に「おまえが居なければ死ぬしかない」と脅かされ夫の弟である今の私の父親と一緒になったときく。
 
佐久間町は町立の幼稚園を造るのがはやく、私は城西幼稚園一期生である。
幼稚園の頃から定期券を持って園と学校に通っていた。
小学校のある日、わたしは定期券を落とした。
鬼のように怒られ、探して来いと言われ、泣く泣く横吹の道を捜し歩いた。
また、なにも勉強などしずに遊び歩いている私をひっつかんで殴り飛ばしたこともあった。


今思えば、昭和の中期、横吹に暮す貧乏な家には、子どもの定期券を余分に買う余裕はなかったのだと思う。
横吹のみんなが貧乏、食うに大変な世の中だった。
相月の駅から30分ぐらいかけて山の中腹にある斜面集落「横吹」の家に帰ってきて。
育ち盛りの子供は、腹ペコだ。
「カーチャー腹減った~」
と畑に向かって叫ぶ事がよくあった。
暗くなるまで畑で働いていたカチャーだった。
横吹の家の食べるものといえば、冷えたジャガタがあればもうけもの。
梅干は大量につけたあった。
秋には庭にある柿を取って食うくらいだった。


カーチャーは土方の仕事をするようになり、秋葉ダムの仕事にも行ったときく。
休憩中に出たお菓子がポケットに忍ばせていることがあった。
珍しいお菓子だと、持って来てくれたのだ。
そんなカチャーに感謝したことがあっただろうか?


わたし達が横吹を去ることを決め、サクドウで引っ越し荷物を降ろし佐久間町の中では便利な中部天竜駅近くのところに越してきて、そこで暮らすようになった。
昔から体に染みついた百姓という仕事もしなくなった。
やることがなくなった。
そんな生活の変化が、カーチャーの痴呆という病を進行させたような気がする。


カーチャーは気が強くて、おっかなかった。
うるさく文句を言われるのではないかと、いつもオドオドしていた自分がある。
そんなカーチャーが、物忘れが多くなり、父親が世話をしていた。
夜昼となく家を出ていき帰って来ることでができなくなる。
徘徊。
自分が自分の部屋で寝ていると、夜中にきて分けの分らないことを話し続けることもあった。
父親がカーチャーが居なくなったと相談に来て、夜中探し回ったこともある。
仕事中に電話が来て、家に帰って親戚を呼んで、近所の人も集まって、町内放送で連絡してもらい。
警察・消防も出動して。
警察犬も駆り出され、捜索したこともある。
その日は分らなく捜査は打ち切られた。
夜中になって、姉が部屋を片付けはじめ「もしかすると、もしかするから」と言っていた。
カーチャー死ぬのかナ~。
と思って一夜を親戚の人たちと過ごした。

次の日、朝早くから捜索隊が再開され、山の鉄塔近くで発見された。
裸同然で、寒い中、もうダメかと思っていたら、そうではなかった。
その年、区長と民生委員の紹介で近くの特別養護老人ホーム「さくまの里」が紹介された。
その年の年末、その老人ホームから連絡が来て、入所するようになった。

80歳の12月、さくまの里に入所。
カーチャーの部屋からはB型鉄橋と半場の家々が綺麗みえた。

80歳からさくまの里に御世話になって92歳で、この世を去った。

母親 カーチャーは幸せだったのだろうか?

仏様の部屋の遺影は、カーチャーの若い時の写真に差し替えた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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