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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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汗と涙の日記シリーズ「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
実をいうと私も62歳で一年間、介護の仕事に就いたことがある。
いろいろと納得する言葉が実体験が、私の胸を突く。 だろうと、この本を手にした。
本の最初にある
「それでも私が続けるワケ。介護職員が立ち尽くす老いと死の現場」
そして私はページをめくった。
想像をはるかに超えた景色
著者はハローワークで紹介された介護職員養成講座で半年間通い終了証書をもらい介護職に就いたそうだ。
私は約20年前、母親が介護が必要になりそうなころ、通信のNHK学園の社会福祉学科を一年間勉強し続け介護福祉の免許に挑戦しまぐれで合格した。
その次の年の年末、母親は家の近くの特養に入所した。
ちょうど社会福祉学科で一週間実技研修に通った施設だった。
そこで11年間お世話になった母親は地元のお祭りの時に危篤の知らせを聞き亡くなった。
そんな母親を見て感じて、62歳最後のチャンスだと思い。介護の仕事に就いた。
20年前とは、想像を超えた世界を見た。実習と現場とに違いも。
私の母親は、認知症で、家族で行方不明になった母親を探し回ったことが幾度もある。
施設に入って、すごく助かったのを、ほっとしたのを覚えている。
施設に入った時には、もう息子である私の名前も知らないようだった。
父親が亡くなった時も、葬式には参列できない状態だった。
そして母が死んで、私は介護職の扉をたたいた。
そして、母親が入所した時の部屋に、今度は入所者の家族としてではなく、介護職員として部屋に入り、天竜川を望んだ。
B型鉄橋が半場の村が奇麗に見えた。
 
さて本題の、この本は、実に現場の事をよく書いている。
利用者の事、介護職員の序列関係、読んでいて納得することばかりであった。
よくぞここまで書いてくれてと、アッパレをあげたい。
是非買って読んでもらいたい本だと思った。
(私はメルカリで中古を買った)
老人の介護の現場について、様々なことを経験して、最後に著者は
あと数年で私も高齢者になる。これまで情けなく反省の多い人生だった。それでも私はいささかも後悔はしていない
と書いてあった。それは「その時々を必死に生きてきたからだ」とも書いている。
そして、介護職を続けていくと締めくくっている

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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