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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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29歳の春、半場に越してきた。その年、我が家に長男が生まれた。

家の前に佐久間部品と言う工場があり、その周りを走るようになり、次の年の「第17回佐久間駅伝」に初めて参加した。

私のランニング人生の始まりである。

「秋葉ダム桜マラソン」10kmに参加し、ハーフマラソン・フルマラソンと挑戦するようになってきた。

中学校時代の同級生にマラソン大会で出会って、その同級生がトライアスロンをやるようになり、私も自転車を買って挑戦するようになってきた。

冬はマラソン、春からは自転車に乗ろうと思っていたのだったが、44歳2004年の春、突然の頭痛・・・私はくも膜下出血と言う病気になったのだ。

その年の春は走る事は出来るはずもなく、せめてもの運動は、職場まで往復5kmのウォーキングだけ。

仕事からの帰り、佐久間病院の駐車場で佐久間中学校時代の同級生と出会い、20歳の時以来やっていなかった同窓会をやろうっと思いたった。

何時もの年なら、自転車に乗って遊びに出かけるのだけど、この年は1975年の佐久間中学校卒業アルバムをみながら、卒業生の住所作りに東奔西走したのだった。

そうして始まった佐久間中学校の同窓会、2005年に行い2010年にも佐久間で行った。

2010年 50歳の時、次は都会で浜松駅付近で同窓会を行いたいという意見が多く出た、その「55歳の同窓会」の打合せ、そのために6月12日(日)は浜松へ行くのだ。

それも走って。

44歳でくも膜下出血、私が今思うこと、生きててよかった~。

死は誰でもいつかは訪れるもの・・・だけど、私の希望としては80歳の同窓会を佐久間で行って、みんなで生ビールで乾杯したい、そう思うのだった。

 

 


 

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佐久間中学校を1975年に卒業した人の同窓会を5年ごとに行ている。

45歳で始まり、去年50歳での同窓会は佐久間町浦川で行った。

4年後の佐久間中学校の同窓会は、浜松での開催を予定している。

次の日曜日に、その4年後の同窓会をどのようにやるのか話し合いをするため、「同窓会の打合せ」を浜松駅付近で行おうと、先日同級生にメールした。

「浜松駅に午後3時に待ち合わせ、集まった人だけで打合せをしましょう」とメールを出した。

私は、佐久間から走って浜松駅に行こうと思っている。

朝5時に佐久間を出れば、午後の3時ごろには着くだろう。

佐久間から浜松駅まで60km。


 

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1975年の佐久間中学校卒業アルバムに載っている人の同窓会をやりたいと思ったのが、6年前 私44歳のころ。

翌年45歳で行い、今年50歳の同窓会を佐久間の清流荘で行った。

今日は、5年後の同窓会の話をしようと、地元 で同級生が経営している寿司屋「江戸芝」で 同窓会の忘年会ということで集まったもらった。

5年後55歳の同窓会は、2015年5月 場所は浜松駅前あたりでやろうと決まった。

地元の人が、佐久間でやるより、浜松とか外に出ての同窓会を望んでいたのだ。

IMG_0184.JPGIMG_0186.JPG






佐久間中学校卒業の人たちが集う同窓会、同窓会を佐久間でやりたくなるような、そんな町づくりが今後 佐久間町には必要ではないだろうか。

 

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私の佐久間中学校時代の同級生でオーストラリアに住んでいる人が居る。

前 このブログでも書いた。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/22/

その同級生が、先日佐久間に帰ってきた。

私は会えなかったが、他の同級生が会ったそうだ。

その同級生が、オーストラリアのお土産を持って来てくれた。

コアラの縫いぐるみとTシャツ。
ありがたいことです。

その同級生は、母親と一緒に彼女のオーストラリア メルボルンの家まで遊びに行くそうだ。

同級生の母親が内緒だよって言っていたけど。

今 ブログで大公開している。

怒られるかな~(>_<)
 

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第二回 佐久間中学校同窓会75 
                          佐久間町浦川清流荘にて

「ふるさと佐久間 また何時の日か、この地で
 佐久間中学校を1975年に卒業した人たちと集
 えることを願わん。」 
                                   佐久間中学校同窓会75 地元 実行委員会

今回、お正月1月2日に行った同窓会のアルバムの表紙に書いた言葉だ。

6年前の春、私は くも膜下出血になり、病院から退院してきて、一人歩いていたとき。

中学校当時の同級生に励まされ、中学校の同窓会をっと考え始めたのだった。

今回、二回目を無事に終えた。次は、佐久間を離れ、他の地域での開催となる。

本当は、5年に一回ぐらいは、ふるさと佐久間に佐久間中学校を1975年に卒業した人たちが集まり、楽しく昔を懐かしむのが良いのでは、と思っていたのだが。

地元の人たちは皆、次の同窓会は、よそで、浜松方面で開催を希望している人が大多数だった。

「人の心と、過去は変えられない。自分の心と、未来は変えられる」

今年も、佐久間でマラニックをやって、自分なりの楽しい佐久間での生活をエンジョイしよう(^◇^)

 

今日の午後6時から、地元で寿司屋をやっている同級生の店「江戸芝」で 同窓会のタスキ拭い、最後の飲み会だ。

 

 


 

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5年前の同窓会は各クラスごと代表にインスタントカメラで写真を撮ってもらった。

家族で浜松のイト―ヨウカド―に買い物に行ったついでに、現像してもらったのを覚えている。

沢山の写真を、同窓会に来たごとに振り分けたっけ。ムービーシアターで作成したフォトDVDと住所録と会計報告とともに送った。

今回は、フォトアルバムを作ろうとネット検索をして、Photobackにたどり着いた。

自分としては、結構いい作品に仕上がったっと思っているのだが。

送ってからの、皆の反響が楽しみだ。

去年と同様、ムービーシアターで作成した、フォトDVDも作った。

これには、「・・・佐久間を訪れた人々」と書き、「同窓会2010、同窓会2005、珊瑚礁、佐久間・水窪マラニック、浜松縦断マラニック、佐久間・・・しし鍋マラニック」と6ページの選択が出来るようにした。

フォト・アルバムが1月30日に配達予定になっている。

2月の上旬には、地元同級生でのタスキ拭いをやれそいうだ、これがすんだらやっと肩の荷が下りるというものだ。

色々大変だったけど、自分なりに満足している・・・ん~自己満足の世界だ。

Photoback↓
http://www.photoback.jp/about/index.aspx
みんながつくったPhotobackに登録したあるけど・・・わかるかな(*^_^*)

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同窓会の写真の整理に追われている。

第一回目の時には、デジカメdeムービーシアターで作成したDVDを来た人に贈った。

今回も、DVDを作り、来た人に送ろうと思っている。

しかし、このDVD何人の人が見てくれたのか疑問である。DVD良かったよっと言ってくれた人が、そんなには居なかったような?

今回は、フォトブックも考えている。

先生方には、送ろうと思っているが、皆に送ると・・・・予算オーバーになってしまう。

そこが 問題だ。

↓同窓会のフォトブック
http://www.photoback.jp/friends/preview.aspx?pbid=PBER-2327641001061927070&kw=26ED8629
 

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第二次世界大戦、特攻隊を語るとき、必ず言われる言葉です。死んでゆく兵士、見送る兵士、皆最後は戦死してしまうという悲しい意味。

散る桜の哀れみをみながら、同じように満開に咲き誇っている桜の中にも、やがて散りゆく定めをみる。
その生命と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、よりいっそう生命の輝きを強く感じることが出来るという趣旨なのです。

今回、第二回佐久間中学校同窓会 招待状の最後に。

散るさくら、残るさくらも散るさくら
                                    限りある人生、今を楽しみましょう。

っと書いた。

その時は、↑の意味も調べずに書いた。

44歳の時、くも膜下出血で倒れ、救急車で運ばれ、一命を逃れた。

そんな経験を持つ私は、その年。佐久間中学校の同窓会をやろうと、住所録作成のため、佐久間町内を東奔西走していた時に、中学校時代の同級生の死を知った。

45歳 早すぎる死。

そして、今年、第二回 佐久間中学校同窓会、の話が始まった時にも、同級生の死を知らされた。

そして、招待状の最後に、この「散るさくら、残るさくらも散るさくら」を書いたのだ。

限りある人生、今を楽しみましょう(*^^)v

っと。

 

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5年前の、2005年。25年ぶりに佐久間中学校の同窓会をやった。
しんしんはなんと 45歳。

5年後、同じ場所で同じ日に、第二回 佐久間中学校同窓会を昨日 行った。

前回は生徒45名 先生が2名。今回は生徒37名 先生3名。

去年の夏、7月13日(月)地元の同級生が集まり。第一回の同窓会の打合せを、地元の同級生がやっている寿司屋で行った。

50歳・・・誰もが忙しい時期だ、なかなか皆が集まるのは難しい。

ハガキは、先生方には往復はがき、生徒には前回と同じ普通の官製はがきで送った。

少し早すぎる、ともお思ったのだが、早めに知らせた方が予定を組むのに良いのではないかとの考えがあったのだ。

友達が友達を呼び、今回 この人数が参加してくれた。

お正月で、故郷に帰省していた人。もう佐久間には両親も住んでいないけど、久しぶりの同窓会にワクワクして飯田線に乗って来た人。

それぞれ、35年前の学生時代を思い出しながらの同窓会だったと思う。

先生方も、これから定年を迎える先生。定年して第二の人生をアメリカに求める先生。

まさに、今 50歳の私たちの見本となる生き方を見せてもらった気がする。
あ~っ 人生という山も、もうずいぶん登った。
       
        
昨日は、一休みし振り返って、過去と言う景色を眺めた・・・・そんな一日だった。

IMG_0014787.jpg







昨日は、昼間の一時から飲み始めて、二次会に行って、清流荘に帰って来たのは夜中だった(*^^)v

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同窓会のお誘いの手紙を出した先生の一人が、返信用の手紙に「卒業アルバムを貸して下さい」っと、書いてあったので、今日先生のお店に持っていった。

参加者、生徒33人、先生3人。

同窓会を楽しみにしている人が居る。

佐久間に帰るのを楽しみにしている人が居る。
f689e68d.JPG

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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