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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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45歳から始まった、私たち昭和34年35年生まれの佐久間中学校同窓会。

45歳50歳と続き、今までお正月にやっていた同窓会も次は夏に開催になり、2014年の8月23日に仮予約をしたそうだ。

45歳の同窓会を始める時に私が作ったhomepage
http://run2.ina-ka.com/sakuma75.htm

その時、掲示板も作った。
http://320.teacup.com/tsutomu/bbs#

来年も、なつかしい友に再開できる。

今から、楽しみなのである(^^)

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私、44歳の春に、大病をしまして。
このまま死んじゃうのかな~・・・・・・・・などと思ったことがありました。

その時は、夢と希望があり・・・私、いろいろなことに挑戦をしていました。

39歳でNHK学園に入学し、42歳で卒業、その年にNHK学園の社会福祉学科に入学し介護福祉士を取得しようとしていました。

社会福祉学科を卒業するときに、介護福祉士の試験も受け、卒業の年の3月に最後の実技試験がありました。

4月になり、その大病が私の身に降りかかり、入院・・・・・・・そして病院を退院して家に帰った時に介護福祉士の合格通知がポストにあったのだった。

浜松の聖隷病院を退院し、父親の運転する車で浜松から佐久間に帰ってくる時は、山は新緑の季節だった。

その年の、夏・・・・私は佐久間中学校の同窓会をやろうと思ったのでした。

そして、その年に同窓会ので掲示板をteacupで借りて作ったのだった。

回りくどいですが・・・・・同窓会の掲示板は、こんな感じで作ったのです。

同窓会の掲示板
http://320.teacup.com/tsutomu/bbs#

以上

 

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今日は、佐久間中学校75の忘年会だった。

集まった人は、纐纈・み~やん・さとし・てんしん・ぶちゅ~・ミツ・イマイズミ・私の8名だった。

佐久間の地元で、寿司屋をやっている人がいる、その店「江戸芝」での忘年会だった。

集まった人は、それぞれ忙しい時を都合を着けて、この忘年会に来てくれたのだろう。

ありがたいことです。

2年後の同窓会、次は浜松で行うと言う。

今から、その同窓会に向けて、浜松に住む同級生は準備に頑張ってくれている。

これも、ありがたいことです。

今日も一日、美味しいお酒を飲んで気持ちよく酔う事が出来た一日でした。

おやすみなさい。

お(^o^) や(^O^) す(^。^) みぃ(^-^)ノ゛

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55歳の同窓会まで、後二年。
同窓会の打合せを、佐久間ではなく天竜で行ったらどうでしょう?と言うメールがあったので、

了解しました。
11月10日何処へ何時に参上しましょうか?
しんしん
と返信した。
ところが、次に来たメールでは、やはり佐久間での話し合いになる内容だった???
佐久間に住んでいる人は、佐久間に来てほしくない???のか、浜松に住んでいる人が佐久間にワザワザ来るのが大変だとか気を使っているのか?????。
佐久間に住もうと、浜松に住もうと、同じ日本に暮らしているのに。
佐久間(過疎・ダメなとこ)浜松(便利・いいとこ)との感じで劣等感があるのか?
今は私、同窓会を始めたときのように、佐久間で佐久間でとの感じはなくなった。
佐久間でやったり、浜松でやったりすればいいのだと。
少しは私〇くなったのか(^^)


私の思いをわかってほしく、私は下のような内容のメールを送った。


こんばんは。
今日は長女の赤ちゃん(私にとっての初孫)を浜松に連れて行きました。
しばらく孫ともお別れ(^^)
 
話の続きです。
この動画を見てほしいです。
 
荘川桜物語は、小学校の授業でも取り上げられたり、テレビでドラマ化されたりしているので知っている人も多いことと思います。
その荘川桜の移植作業を見て、佐藤良二さんは、桜にみせられ、桜の苗を名古屋~金沢まで植えて行きました。
JR東海バス名古屋支店地内にある「1号桜」の横の碑に佐藤良二さんがこの世を去る間際に残した言葉が書いてあるそうです。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」と。
この荘川桜の話は全国に広がり、全国の小中学校に荘川桜が植えてあるところが多いそうです。
近くでは、龍山にあります。
 
荘川村では、毎年荘川桜が咲くころ、ダム建設で荘川村を去った人や、荘川村に残った人で、荘川桜の下で宴をやるそうです。
 
そう、私も5年に一度ぐらいは、この佐久間で・・・との思いがあったのです。
 
しかし、半場に「三好野」があった頃、50歳の同窓会の話をその三好野で酒に酔ってみ~やんと話したことがある。
 
み~やん:「こんなとこ(佐久間)何やっても良くならないよ」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「同窓会も浜松かどっかでやった方が良い」
 
 私  :「5年に一回ぐらいは佐久間で・・・・・・」
 
み~やん:「清流荘でやってもうまいもんないし」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「こんなとこ、俺も金があったら出て行きたいんだよ~。みんなそう思ってるよ~」
 
 私  :「・・・・・・・・・」(だったら出てけ!!)
 
こんなことを話した気がする。
 
そこで、50歳の同窓会の時はアンケートを書いて貰ったのです。
 
アンケートの結果は↓の掲示板にアップしています。(ハンドルネーム中部は知〇です)
50歳の同窓会が清流荘で終った時、み~やんが二次会にいくぞ~っとみんなに声をかけていて、私が清流荘の宴会が終った後の会場を見回すと、揚げ物のなどの残骸が残っていたのを覚えている。
み~やんの、「外に出てうまいものを食いたい」そうだな~と思ったのを、覚えている。
 
清流荘に泊まったのは、俺とコウリュウと森下君と村田君。
森下君はおとなしいのだが、コオリュウと村田君は夜も遅いのに、ラーメン食いたい、ツマミは無いか!!と大変だった(^^)
私の心には、こりゃ~佐久間では無理だ(^^;
と思ったのだった。
 
話は変わって。荘川桜の話。
佐藤良二さんが桜を植え、作ったさくら道、250kmに及ぶ長いさくら道を、走ろうと言う”さくら道遠足”というマラニックがある。
 
浜松市市制記念12市町村を走ろうと言うマラニックを企画している人や走っている人は、この”さくら道遠足”を走ったことのある人がいて、私もそのマラニックに興味が出て、荘川桜を見てみたい、佐藤良二さんの植えた桜の木を追いかけ、荘川村に行ってみたいと思うようになりました。
 
私は、29歳の時、半場に引っ越してきました。
佐久間町が浜松市に合併し、NPOがんばらまいか佐久間ができ、参加して浦川の島中に「ふるさとの森」を作る企画が始まり、参加させてもらいました。
いままで町会議員だった人や、役場で重役の人が、いつもはスーツを着ている人が、鍬や窯を手に奮闘している姿を見て、嬉しく思いました。
今は亡き、大平さんと島中の運動公園でお弁当を食べたのが良い思い出です。
 
ところが、そのNPOがんばらまいか佐久間も他の佐久間町に住む人が、批判的に思っている人が多いのも確かです。
佐久間町は佐久間地区・浦川地区・山香地区・城西地区とそれぞれ違います。
佐久間地区も佐久間・半場・中部と。
1975年に佐久間中学校を卒業した同級生もそうです。
みんな違います。
 
みんな違うのは、あたりまえ。そんな違う人が集まる。違わないのは佐久間という地域に子供のころ育まれたこと。
そこで、文頭での佐藤良二さんの言葉である。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」
佐久間ダムは完成し佐久間がダムで潤って居る頃、佐藤良二さんは、こんな気持ちで桜の木を植えていた。
 
中学校一年のころ、沖縄に引っ越していった、中部さんは、私がこの荘川桜の話をブログで書いたら、コメントに こう書いてくれました。
 
御母衣ダムは実は私の産まれ故郷なんですよ(^^)
父の仕事の関係で、私は荘川桜のあった村で・・・まさしくダムの湖底に沈んだ所で産まれたんです。
そうなんですか、その桜の二世が天竜区にね(^^)
父は当時ダム建設の会社に勤めており、その関係で岐阜から佐久間小学校に1年生の時転校してきたんですよ。  当時は佐久間ダムの奥の新豊根ダム建設で佐久間小学校には全国から大勢の転校生が出たり、入ったりして賑やかでしたね。
懐かしいです。いつか訪ねてみようと思います。
 
同級生の中にも、色々な人がいます。
私もその一人(^^)
 
しんしん

私の思いは届いただろうか。

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明日は、佐久間中学校同窓会75 住所録作りの予定だ。

前にも書いたが、この佐久間中学校同窓会75は、私が43歳の春 くも膜下出血になり、手術してからのリハビリ中に、やることが無いから始めたのが始まりなのだ。

丁度その年、佐久間町は平成の合併で浜松市になろうとする時だった。

役場の職員が、私の住んでいる半場に その説明に来て「佐久間町は浜松市に合併することになりました。本当は天竜以北での合併を望んでいたのですが・・・・・」との説明だった。

静岡市の井川地区が静岡市に合併した例をあげて、佐久間町はこれから井川地区の様になるでしょう。っと他人事みたいに説明していったのが、とてもさみしかったし腹が立った。

この年、佐久間中学校同窓会75の住所録を作り、次の年 佐久間町の浦川の清流荘で第一回 佐久間中学校同窓会75は始まった。

佐久間町は、浜松市に合併し人々は町へ引っ越していくけど、5年に一回ぐらいは過疎になった佐久間に集まり、楽しく昔の思い出を語り合い酒を飲めるところになればいいな~。

そう思っていた。

ところが、ところが、佐久間には気の利いた旅館も少なく、地元の同級生も「せっかくの同窓会、佐久間なんかより町に行きたい!」そんな意見が出てきたのだった。

そこで、55歳の同窓会浜松駅付近になったのだ。

明日は、私の作った その時の住所録を新しく作り直おすのだ。

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今回の夏の飲み会を計画してくれたのは、須永さん。
場所は はままつ地ビールレストラン「マイン・シュロス」
私が店を訪れると、大見ちゃが会計をやっていた。

席決めのクジを引くと私は西條秀樹だった(^^v

会の様子は下の写真を見てください。
(クリックすると大きくなります)
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50歳過ぎると人生は楽しい。
55歳の同窓会が今から楽しみである(^^)

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今日は「夏の飲み会」の日だ。
この飲み会は、6月9日(土)に再来年行なう「佐久間中学校同窓会」の打合せのため浜松で同級生が集まった時に、須永君が「次は夏、やるか!!」と話があり、彼から同級生名簿に載っている人に往復はがきを送ったことにより開催することになったのだ。

「同窓会の打合せ」ブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Date/20120612/1/

ハガキを送る前に、彼から、私の名前をハガキに載せていいか断りのメールが届いた。
(今回は私、名前だけ。浜松の町に住む人に全てお任せ)

往復はがきを作成するときに、いろいろ悩んだり、大変だったことがあっただろうと思われる。

彼には、ありがとうと言い、ビールを沢山 注いでやろう(^^)

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ホテルの部屋で、昨日買ってあったサンドイッチを食べながら、佐久間へ帰る身支度をしていた。

昨日の60km、今日は流石に浜松からは佐久間は体が持たない。

スマートフォンで遠鉄電車の時刻表を見ると、始発が6時8分・・・・。

5時半にホテルをチェックアウト、新浜松駅に行くとシャッターは閉まっている。

このまま遠鉄沿いに歩いていくことにする。

浜松よサラバ、アクトタワーよサラバ。
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八幡の駅前で6時、今回はこの駅から西鹿島まで行くことにしよう。

電車は北へ進んでいく。
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西鹿島まで来ると、かなり田舎に来たような雰囲気が・・・・しかし、佐久間は西鹿島からまだ、42kmも・・・・ある。

鹿島橋を渡り、鳥羽山トンネルを潜り、ローソンの交差点を左折し、天竜林業高校の前をスルーしていく。

船明ダム湖畔沿いに歩き、走り、歩みを進める。

龍山トンネルを抜けると、秋葉ダムが見えてきた。

ダムの下の町、小腹がすいたので「三角屋」の玄関に入ると、まだ準備中とのこと。
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秋葉ダムの公園で、リックから昨日の酒のつまみ”ピーナッツ”と自動販売機の飲み物で、空腹を満たした。

ここから、大輪まで20km。

昨日の睡眠が足りなかったのか、眠気が襲ってくる。

峰之澤橋の所で横になり、仮眠。

気分もスッキリ、また天竜川を北上・・・すると一人の老人が路肩に座っていた。

話すと、昔 お茶の機械を修理する仕事をしていたそうな。

今は亡き、私の父親、祖父、横吹の人たちの話題でしばらく話をした。

大輪からは国道152号線沿いだ、今まで歩いていたので ここからは小走りするようにする。

西渡(にしど)の集落が見えてくる。
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西渡のバス停横の「みどり屋」でいなり寿司を注文、今日初めての米だ・・・・・。

ここからは8kmかな?、ゆっくり走ってカントリー・ロード、豆こぼしトンネルを抜けると佐久間だ。

旧佐久間中学校の横を走り。

天竜川橋りょう横の歩道を走り。

半場の公園にゴールイン。
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今回は、同窓会の打合せのために、浜松駅まで自分の足で走って行った。

なつかしい友に出会い、酒を飲んで、夜通し楽しむ事が出来た。

今日は、その昨日走ってきた道を、また自分の足で大地を踏みしめ帰ってきた。

佐久間町は その昔、先人たちが浜松市への吸収合併を決めた。、今 佐久間町はそこに住む人たちはなのを思っているのだろうか?

合併したのが良かったのか、はたまた悪かったのか、それはまだわからない。今を生きる私は、今を大切に、今を楽しく過ごしていきたい・・・・・ただそれだけ。

次の土曜も浜松で飲み会だ(^^v

 

 


 

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6月9日(土)私が浜松まで走って来たのは、「同窓会の打合せ」があったからだ。

佐久間から浜松駅まで60km。

走る事が好きだけど、浜松まで来て酒が飲める♪そんな目標(目的)を持って走ってきた。

開場は有楽街の「わたみ家」で二時間飲み放題のコースを予約してある。

ホテルにチックインして、風呂に入り、ベッドで仮眠と思っていたが眠ることが出来ずに一人近くのコンビニへ買い物。

ホテルのロビーで待ち合わせたOさんとIさんとで、最初に話し合い。

Tさんから電話「サゴーが解らない????」

話し合いもそこそこに、Tさんを捜しに新浜松駅に三人で行く。

Tさん捜しだし、4人でわたみ家に行く。

わたみ家に着くと、もうMさんは来ていた。

そのうち、KさんSさんNさんが来て9人集まり、同窓会の打合せが始まった。
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みんな、に久ぶりに顔を合わせた人ばかり、積もる話があるけど、Iさんが同窓会の打合せのレジメを持ってきて55歳の同窓会は何処でやるのか会費はいくらでやるのか話をしていた。

あっと言う間に2時間が終わり。お会計・・・・。
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二次会は、佐久間中学校の一学年先輩の人が経営するカクテルバー「トライアングル」に行く。

店内は結構混んでいて、マスターは忙しく顔を見ることもできないくらいだ。

私は"水窪フォーレスト"を注文、抹茶風味のカクテルだ、他の人もそれぞれ気に入ったカクテルを注文し宴はますます盛り上がってきた。

店を出る時、忙しかったマスター(ちっくん)が出てきて一緒に写真。
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我々同級生は三次会にとカラオケに行くことになった。

俺は「島人の宝」「松田聖子メドレー」などを歌った気がする・・・・・??

カラオケからの帰り、OさんSさんと三人でザザの前のラーメン屋、こてこてのにんにくラーメン。

そこからは二人と別れ、私は一人、今日のホテルへと歩いていく。

明日、佐久間まで走っていくことも忘れ、ただただ飲んでしまった。

早く帰って、寝よ(^^)

 

 

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55歳の同窓会は浜松の駅近くで行いたい。そのため55歳の同窓会は浜松市街に住む人で考えてほしい。

去年、浜松に住む同級生にメールを出し、参加者を集い、浜松で行う同窓会の話し合いを行ったら私を入れて3名集まった。

今年も同じようにメールしたら9名の人から返信があった。

話し合いの会場は、有楽街の居酒屋「わたみ家」

今年も私、この時は走って浜松に行くのだ。

「佐久間中学校75」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/545/

「55歳の同窓会」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/544/

「佐久間中学校同窓会75」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/370/

私の家の前を朝の5時出発 その前に写真。
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小雨降る中、快適に走り、佐久間を脱出。

船明ダムまで来ると、道路も広くなり、新しくできたローソンや墓石の店が並んでいる。

鹿島橋の歩道を渡り、浜北へ。浜北バイパスをひたすら南下、このころには天気も回復し暑いくらいになってきた、体も疲れてき大変な道のり。

サンストリートの横を走り、しばらくすると遠くにゴール地点に立っているアクトタワーが小さく見えてくる。
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ホテル コンコルド・浜松市役所の横を走り。

ザザシティーの交差点を左折し、浜松駅に着いたのが2時、去年より一時間早く着いた。
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同窓会の打合せは6時から、ホテルに行き早めのチェックインし風呂に入って少し寝るとするか(^^)

 

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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