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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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55歳の同窓会まで、後二年。
同窓会の打合せを、佐久間ではなく天竜で行ったらどうでしょう?と言うメールがあったので、

了解しました。
11月10日何処へ何時に参上しましょうか?
しんしん
と返信した。
ところが、次に来たメールでは、やはり佐久間での話し合いになる内容だった???
佐久間に住んでいる人は、佐久間に来てほしくない???のか、浜松に住んでいる人が佐久間にワザワザ来るのが大変だとか気を使っているのか?????。
佐久間に住もうと、浜松に住もうと、同じ日本に暮らしているのに。
佐久間(過疎・ダメなとこ)浜松(便利・いいとこ)との感じで劣等感があるのか?
今は私、同窓会を始めたときのように、佐久間で佐久間でとの感じはなくなった。
佐久間でやったり、浜松でやったりすればいいのだと。
少しは私〇くなったのか(^^)


私の思いをわかってほしく、私は下のような内容のメールを送った。


こんばんは。
今日は長女の赤ちゃん(私にとっての初孫)を浜松に連れて行きました。
しばらく孫ともお別れ(^^)
 
話の続きです。
この動画を見てほしいです。
 
荘川桜物語は、小学校の授業でも取り上げられたり、テレビでドラマ化されたりしているので知っている人も多いことと思います。
その荘川桜の移植作業を見て、佐藤良二さんは、桜にみせられ、桜の苗を名古屋~金沢まで植えて行きました。
JR東海バス名古屋支店地内にある「1号桜」の横の碑に佐藤良二さんがこの世を去る間際に残した言葉が書いてあるそうです。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」と。
この荘川桜の話は全国に広がり、全国の小中学校に荘川桜が植えてあるところが多いそうです。
近くでは、龍山にあります。
 
荘川村では、毎年荘川桜が咲くころ、ダム建設で荘川村を去った人や、荘川村に残った人で、荘川桜の下で宴をやるそうです。
 
そう、私も5年に一度ぐらいは、この佐久間で・・・との思いがあったのです。
 
しかし、半場に「三好野」があった頃、50歳の同窓会の話をその三好野で酒に酔ってみ~やんと話したことがある。
 
み~やん:「こんなとこ(佐久間)何やっても良くならないよ」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「同窓会も浜松かどっかでやった方が良い」
 
 私  :「5年に一回ぐらいは佐久間で・・・・・・」
 
み~やん:「清流荘でやってもうまいもんないし」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「こんなとこ、俺も金があったら出て行きたいんだよ~。みんなそう思ってるよ~」
 
 私  :「・・・・・・・・・」(だったら出てけ!!)
 
こんなことを話した気がする。
 
そこで、50歳の同窓会の時はアンケートを書いて貰ったのです。
 
アンケートの結果は↓の掲示板にアップしています。(ハンドルネーム中部は知〇です)
50歳の同窓会が清流荘で終った時、み~やんが二次会にいくぞ~っとみんなに声をかけていて、私が清流荘の宴会が終った後の会場を見回すと、揚げ物のなどの残骸が残っていたのを覚えている。
み~やんの、「外に出てうまいものを食いたい」そうだな~と思ったのを、覚えている。
 
清流荘に泊まったのは、俺とコウリュウと森下君と村田君。
森下君はおとなしいのだが、コオリュウと村田君は夜も遅いのに、ラーメン食いたい、ツマミは無いか!!と大変だった(^^)
私の心には、こりゃ~佐久間では無理だ(^^;
と思ったのだった。
 
話は変わって。荘川桜の話。
佐藤良二さんが桜を植え、作ったさくら道、250kmに及ぶ長いさくら道を、走ろうと言う”さくら道遠足”というマラニックがある。
 
浜松市市制記念12市町村を走ろうと言うマラニックを企画している人や走っている人は、この”さくら道遠足”を走ったことのある人がいて、私もそのマラニックに興味が出て、荘川桜を見てみたい、佐藤良二さんの植えた桜の木を追いかけ、荘川村に行ってみたいと思うようになりました。
 
私は、29歳の時、半場に引っ越してきました。
佐久間町が浜松市に合併し、NPOがんばらまいか佐久間ができ、参加して浦川の島中に「ふるさとの森」を作る企画が始まり、参加させてもらいました。
いままで町会議員だった人や、役場で重役の人が、いつもはスーツを着ている人が、鍬や窯を手に奮闘している姿を見て、嬉しく思いました。
今は亡き、大平さんと島中の運動公園でお弁当を食べたのが良い思い出です。
 
ところが、そのNPOがんばらまいか佐久間も他の佐久間町に住む人が、批判的に思っている人が多いのも確かです。
佐久間町は佐久間地区・浦川地区・山香地区・城西地区とそれぞれ違います。
佐久間地区も佐久間・半場・中部と。
1975年に佐久間中学校を卒業した同級生もそうです。
みんな違います。
 
みんな違うのは、あたりまえ。そんな違う人が集まる。違わないのは佐久間という地域に子供のころ育まれたこと。
そこで、文頭での佐藤良二さんの言葉である。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」
佐久間ダムは完成し佐久間がダムで潤って居る頃、佐藤良二さんは、こんな気持ちで桜の木を植えていた。
 
中学校一年のころ、沖縄に引っ越していった、中部さんは、私がこの荘川桜の話をブログで書いたら、コメントに こう書いてくれました。
 
御母衣ダムは実は私の産まれ故郷なんですよ(^^)
父の仕事の関係で、私は荘川桜のあった村で・・・まさしくダムの湖底に沈んだ所で産まれたんです。
そうなんですか、その桜の二世が天竜区にね(^^)
父は当時ダム建設の会社に勤めており、その関係で岐阜から佐久間小学校に1年生の時転校してきたんですよ。  当時は佐久間ダムの奥の新豊根ダム建設で佐久間小学校には全国から大勢の転校生が出たり、入ったりして賑やかでしたね。
懐かしいです。いつか訪ねてみようと思います。
 
同級生の中にも、色々な人がいます。
私もその一人(^^)
 
しんしん

私の思いは届いただろうか。

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すばらしい
しんしんさん
すばらしいブログです。
こころが入っている。
時代が変わっても
変えてはならないものがあります。

いつか
荘川桜を見に行くマラニックを作ろうと思う。
いっしょに行こう!
ヒロボー 2012/11/13(Tue)12:25:50 編集
ヒロボーさんへ
今日の朝ラン、夜空には満天の星が瞬いていました。
夜明け前、半場のから見える天竜川から霧がわいて、その霧が天に登っていく竜のように、私の目には見えました。
道路わきの家からは味噌汁のにおい、中部のお寺から鐘の音が聞こえる。
半場に家を建てようと、決めたのは25年前の自分です。
大事にしていきたいです。佐久間町。

PS
荘川桜を見に行くマラニック、お願いします。
2泊3日ぐらいで、民宿に泊まりながら宴会をしながらがいいです(^^)
しんしん 2012/11/13(Tue)17:59:00 編集
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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