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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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俺たちは、地球という星で生活を営み、地球の長い歴史の中で生きる仲間だ。
西暦2001年から西暦2100年までの100年間、21世紀に人間として生活を共にする仲間なのだ。
そんな仲間の中で走ることが長い長い距離を走ることが好きだという人たちが集まり、15年前に12市町村が合併して出来た、日本で二番目に大きくなった浜松市を最北端の水窪協働センターから佐久間協働センターへと思い出を振り返り中ながら走り巡った。
 
地中は一つ。
その中の、日本、日本の都道府県の静岡県、その中の政令指定都市「浜松市」15年前に12市町村が合併して出来た巨大な浜松市を体験してほしいと企画したのだと申込用紙に書いてあった。
水窪協働センターを4日10時にスタート、佐久間協働センターに12時24分、龍山協働センターに15時35分、春野協働センターに19時27分、天竜区役所に1時18分、浜北区役所には夜明けの4時20分だった。
三人で行動を共にして、中の一人が遠鉄電車に乗ることを決めた。
また一人の人がコースマップに沿って進むことを選んだ。
わたしはリタイヤを決めた。
浜北駅前のベンチで横になった。
そんなときに女性ランナーが一人、浜北からのスタートを宣言して走り始めた。
私たちの、水窪からの想いを繋げてくれると走り出した。
 
浜北区役所までの89㎞、様々な思い出がある。
秋葉ダムでのウドンの味、秋葉神社下社の土産物屋ご好意で雨風をしのげたこと、ヒロ子ちゃんエイドに癒された、春野協働センターでの出会い、そこからの真っ暗闇のなかを天竜区役所を目指して進んだ。長い上り坂を上り、やっと着いた道の駅にエイドがあったこと。
コンビニで電話がかかってきて、思わぬエイドの話し、大雨で靴が濡れ足の裏がふやけて皮がむけ、着地の度に足の裏が痛い。
それでも前に進んだ。が、浜北区役所で終わりにした。
 
浜北駅前で、ゴールである浜松市役所を目指すことに決めた。目標は、。
湯風景しおり
https://yufukeishiori.com/
そこの駐車場で車に乗っていた知り合いにバッタリ出会い、風呂に入って積もる話をした。
 
仮眠室で寝ていると、ラインが来た。もう16時、着替え浜松市役所に向かった。連尺交差点には慶ちゃんがいた。
足元を見るとワラーチが運動靴に変わっていた。
ゾクゾクと走る仲間が集まってきた。16時55分、みんなで浜松区役所にゴールした。
 
2020年7月4日午前10時
水窪協働センターを走り始めた。
2020年7月5日午後5時
浜松市役所にゴールした。
新浜松市になる前の市町村を全て巡ることはできなかったけれど、とりあえず生きて帰って来ることが出来た。
ありがとうございました。
主催者にも走る仲間にも、出合った仲間にも。


15年前に新浜松市は12市町の合併により誕生した。
そのとき45歳だった私は60歳、還暦の年になった。
何処に暮らそうとも、この地球に生命体として生まれてきた仲間、みんな仲間だと思う。
ざまざまな出会いに、感謝します。

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相月のお寺「東林寺」から坂村真民の詩集を頂いた。そして読んだ。

坂村新民は高校の教師をしていて、自費出版で詩集を十冊以上刊行し、続いて刊行した個人詩誌『ペルソナ』も思うようにいかないで大変だったときに、森信三先生に会い、二度三度と合っているうちに「人生二度なし」と腹がすわり、月刊誌『詩国』を発刊を決意したそうだ。
そのときから、あらたな世界が展開するようになったと書いてありました。

まさに
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』
この言葉のとおりだ。

四冊の詩集の
「念ずれば花ひらく」「宇宙のまなざし」「二度とない人生だから」「朴のしおり」
歴史の川は下っていく
二十一世紀は宇宙の時代である。宇宙というのは、差別、対立のない庶民の時代ということである。
歴史というものは、川を下るように、差別のない庶民への時代へと自然に下っていくものである。決して逆流して上っていくことはない。
原文まま

明日は「浜松市誕生記念160㎞ウルトラマラニック」だ。
逆らわずに自然にまかせて走って行こう。

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コロナウイルスが大変だ。


しかし、静岡県の浜松市近くの人だけで、遠山郷を目指した。


メンバーは、ウッチャン山草人さん友さんヒロボーしんしん五名


わたしは今年還暦になった、夢街道は今年10回目だった。


50歳の春、走り始めた夢街道、今年はコロナで様々な事を考えた。


4月、夢街道の中止を決めた。


六月の始め、夢街道の道を初めて走ったときサポートしてくれた竹さんに連絡した。原点に帰って二人で走りたいと。


叶わなかった。


そして、今回のコソット夢街道2020になったのだ。


50歳の、春走り始めた夢街道、今年はコロナで様々な事を考えた。


10年前に始めた夢街道、それぞれの思い出がある。


浜松駅から町の中をただひたすら走り西鹿島、天竜川に架かる橋を渡り、それからは天竜川沿いに国道を北上、北遠を走り峠を越えて遠山郷に到着する。

浜松駅から遠山郷、目標は未来

未来に向かって走るマラニック

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毎年この時期に行っている。
 佐久間しし鍋マラニック
スタートは中部天竜駅(略して中天)今回は男性5名女性4名で走り始めた。
目指すは野田ホウジ峠の「伝承館」そこに行ってゾバを食べるのだ。
 
その「伝承館」そこは、今年度いっぱいで終了だそうだ。
地元有志らでつくるNPO法人などが市の補助金を受けて運営していた「伝承館」
原田橋の崩落、国道152号線の落石、交通アクセスが悪く来場者も減少、売り上げも減少、続けていくことが困難になってきたそうだ。
一番の原因は、補助金カット、新聞によると
市の補助金は一五年度に八十五万円あったが、年々減少して一九年度はゼロになった。そうだ。

走ることが趣味、なかなか高尚な趣味だ。
そんな人に、何か感じてほしい、近くに大型スーパーがあり便利な暮らしがアタリマエだと感じている人に。
世の中には、そのアタリマエがアタリマエではない人がいることに。
このような所に暮らすことを、行政に負担をかけている、と言う人がいる。効率が悪いと。
コンパクトシティにして都市部に人口を集中させる考えもあるのかもしれない、しかし、それで良いのか?
答えは分らない。
しかし、この分で行くと山間部には人が住まなくなる、住みづらくなる。

今回も楽しく走ることができた。
ありがとうございました(^O^)/
来年は水窪まで走りに行きましょう(^O^)/

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毎年、この時期に行っているマラニック「佐久間しし鍋・・・」
佐久間で走って、ラン友の別荘にて宴会、そのときにイノシシ鍋を食べよう(^0_0^)
そんな感じで始まったマラニック、なのだ。


動画は2015年

毎回、このマラニックの時に昼ご飯を食べる、ホウジ峠の「民俗伝承館」が今年度いっぱいで閉店するという。
今回は最後の伝承館のソバとなる。

始まりがあれば、終わりがある。
万物は流転している。
常に変化しているのである。
今回、佐久間しし鍋のメンバーは10名。悲しんでいずに楽しんで最後の伝承館の在来種のソバを食べよう。

 

「希望のあるところに人生がある。希望は新しい勇気をもたらし、何度でも、強い気持ちにしてくれる。」
参加者様、宜しくお願いします(^O^)/

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朝8時、愛知県民の森「モリトピア愛知」をスタート、Bキャンプ場から南尾根に登る。

西尾根を歩いていると、前を行く人と話すようになり、これからの行程を聞くと
「宇連山に登り、棚山高原・鳳来寺山・湯谷温泉経由で県民の森に帰って来る」と言っていた。

渡りに船、良い出会い、とばかりに、その人を師匠として後を着いていった。

西尾根・宇連山の分岐に9時43分

宇連山頂には10時10分だった。

師匠は、山頂から狭い道のコースを行くという。私に「着いてくるか?」と問われる。

さっき会ったばかりの人、もしかしてタヌキ・キツネにだまされているのでは?

後を着いていったらシッポが見えて、山の奥に連れて行ったりして(笑)

「着いていきます」('◇')ゞアイアイサー

と言って着いていった。

ダマされずに、鳳来寺山まで連れて行ってもらった。

途中、東海自然歩道を歩いた。

「新城トレイル」「奥三河パワートレイル」のコースも歩いた。

鳳来寺山頂には13時35分だった。

東照宮には14時41分

湯谷温泉に着き、道路を歩き、愛知県民の森には16時35分に着いた。

「モリトピア愛知」に公園のパンフレットを貰いに行くと、トレランの格好の人が、聞くと奥三河パワートレイルを走った人だという。
今日は、その練習に来たそうだ。

ココのコースは素晴らしい。

宇連山から棚山高原までが長いけど楽しい。のだ(笑)

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富士山の標高を覚えるとき「みななろう富士山のように」と教えてもらった。
日本で一番高い山「富士山」初めて登ったのは18歳のとき富士鐵工所で一緒に働いていたスズキと登った。東名高速から夜見た富士山が綺麗だった。

走るようになって、走る仲間から富士登山競争というレースを知って、挑戦した。2008年2009年2010年と参加した。
チャレンジ富士五湖は2012年2013年2014年と参加した。
ぐるっと富士山一周100㎞ウルトラマラニックはリハーサル2014年から去年まで毎年参加してきた。
そして富士山頂往復マラニック
2011(平成23) 年第09回、申し込みをしたが体調不良のため DNS
2012(平成24) 年第10回、到着時間18時50分総合時間24時間50分 時間外完走
2013(平成25) 年第11回、到着時間17時51分総合時間23時間51分 完走
2014(平成26) 年第12回、到着時間17時34分総合時間23時間34分 完走
2015(平成27) 年第13回、到着時間18時05分総合時間23時間45分 完走
2016(平成28) 年第14回、到着時間18時00分総合時間**時間**分 ワープ
2017(平成29) 年第15回、到着時間17時36分総合時間23時間31分 完走
2018(平成30) 年第16回、  母親の葬儀のためDNS
2019(令和元年)年第17回、     母親の初盆のためDNS

今年も富士山頂往復マラニックの申込の時期が来た、今年も参加したい。しかし。身体の調子が悪い。最近はジョギングをしていない。走れない。
それでも申込だけはして、なんとかしてみたいと思っている。

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中部天竜駅を始発の電車で名古屋に向かった。

中部天竜5時25分発、名古屋駅に8時01分に到着した。

待ち合わせ場所「金の時計」集合時間は9時15分、まだ大分時間がある。。。

ホームでウドン。酒も。

遅れてきたラン友と合流。

三人で名古屋のななチャンに会いに行く。

モード学園のビルも前でも写真。

田舎者、まる出し(笑)

 

9時前だけど、「金の時計」集合場所に、もう多くのラン友がいた。

コースは
 金の時計~愚痴聞き地蔵~ノリタケの森~円頓寺商店街~名古屋城~名古屋市政資料館~文化のみち~建中寺公園(昼食)~建中寺~カトリック布池教会~へちま薬師~鶴舞公園~大須観音~山王温泉喜多の湯

思い思いの格好でジョギング。

ノリタケの森で自己紹介、私は夢街道の宣伝をかねておどけて見せた。


昼食のとき、ウッチャンに頂いたSuki pass を使おうと「すき家」を探した。

スマホのアプリで「すき家」を見つけ探し回った。

4人で牛丼(並)4杯、ビール二本計2030円也。
コスパ最高。。。
Suki passを使うことができた。ミッジョンクリア。

佐久間では使うことができない(涙)


大須観音で休憩、御土産にと青柳ウイロウを買う。
名古屋だからウイロウ、と思った。

大須観音だから、大須ウイロウがあることを、名古屋のラン友の話で知った。来年は大須ウイロウにしよう。と思った。

ゴール、山王温泉喜多の湯。
温泉に入って、そこの食堂で(酒)

飲んで食って、夜中の7時。
名古屋駅まで徒歩、ランナーは歩くことは苦にならない。

私は帰りの電車が心配、名古屋駅を20時25分の電車に乗り、中部天竜駅に23時45分に到着。

なんとかその日のうちに家に辿り着くことができた。

JR東海、お得なキップ「青空フリーパス」2650円

存分楽しむことができました。

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令和2年今年で8回目となる、このマラニック、ウッチャンが来てくれて楽しく走ることができた(^O^)/

はじめ、下のようなコースをと考えていたが
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=9a603a9edbab0f2a4cb277649bd0f689

龍山のやすらぎの湯~小川往復約19,6㎞

雨模様のため、コース変更
急遽「秋葉神社に登りましょう」とウッチャンに相談した。

何時もの凸凹のコースを逆から、やすらぎの湯から下平山を目指した。
すると、雨がミゾレになり、ミゾレが雪になってきた。

高度を上げると、その雪は積もりラッセル状態(≧▽≦)

ところが、スーパー林道に出て秋葉山側に行くと、雪もなく参拝者も多くいた。

秋葉神社に参拝して、食堂で山菜ウドンを食べ、下山して、やすらぎの湯にゴール。

8時17分スタート、15時17分ゴール 29,8km
ウッチャン、ありがとうございました(^O^)/

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生中二杯にハイボール。先日の湖西連峰トレイルラン2020、走り終わってからの新年会、その二次会での記憶(笑)
二次会の会場は豊橋駅前「魚民」、まばゆいばかりの美ジョガーが隣に座りマラソンのベストを訪ねると三時間前半で走る走力の持ち主、話が盛り上がってきたが、多くの先輩方に「飯田線に乗り遅れたら大変だ!大丈夫~?」と心配され、泣く泣くその席を後にした。。。。
飯田線(豊橋20路42分発)水窪行きの電車に飛び乗った。
最終は中部天竜止まり、豊橋駅を21時50分、中部天竜には23時43分着、流石にこれだと次の日の仕事に差し支える。

永遠なのか、本当か~♪時の流れは続くのか~♪
湖西連峰トレイルラン2020、今年で12回目だそうだ。私はこの大会を12回参加している。
朝早く起き、着替えをして最寄りの公共交通機関中部天竜駅から始発の電車で二川駅に向かった。
浜松市の最北端の網走番外地の様な僻地だけど、このような電車が走っていることに感謝して飯田線に乗車した。
スマホの電源を切り持っていった、ありがとうを十万回唱えたらガンが消えてしまいました!という工藤房美さんの本「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」を読みだした。

二川駅でトイレによって、スッキリして外に出ると下さんがいた。サクラさんもいた。
三人で岩屋緑地公園に行くと知り合いのスタッフたちが所狭しと準備に忙しそうだった。
走っている仲間も、この日は地元を盛り上げようとスタッフとして働いている。

私、ゼッケン8番第一ウェーブでのスタート、なんか得した気分、9時30分のクラッカーの合図とともに走り出した。
前の方ならんでいたものの、抜かれるわ抜けれる、アッというっ間に第一ウェーブの最後尾、山道に入ったころは次のウェーブの人たちが押し寄せてきた。
山の登坂では躊躇なく歩く。このままで最後まで走れるのか、心配だった。
多米峠からのショートカットも考えた。
しかし、身体が温まったら身分もハイになり、後ろから来た友さんにも励まされ勇気がわいてきた。

多米峠カレーエイドにヤット着いた。カレー大盛りを注文!
これからの山道も考えずに大盛りのカレーに挑戦した、泡もちょうだいした(笑)
少々満腹状態、ゲップ。
友さんを追いか林道を走る。こんな状態で走って良いのか?ゲップ、ゲップ。。。
走れることにカレー食べれることに感謝して走った。

林道を走り山道に入り、歩く。後ろには走りたい人が着いてくる、先を譲る。そんな繰り返し。
しばらくしたら、若い女の子が後ろを「お先に」と声をかけるが道が分らないと、「着いていきます」と、話すと蒲郡から来たそうだ。仲間は後ろにいるそうだ。
それでも、あまりにもヨレヨレすぎて、その女の子はオッサンたちの前に行った。
その姿を目で追うと、短パンに生の足が光り輝いて見えた。オッサンの目には眩しかった。
友さんと「今回も湖西連峰走って良かったネ」とお互い納得した(笑)

お汁粉エイドは本坂峠、旧本坂トンネルの近くだ、この峠には怪現象・心霊スポットで有名だった。遠い昔には様々な事があったのだろう。悲しい過去も。
しかし、令和の時代、世の中は確実に変わった、生足のうら若き女の子が腰に手を当て美味しそうに缶ビールをグビグビしておった(笑)
後は同じ道を帰るだけ、廃寺跡から宴会場がある石巻山を目指す。林道走りが心配などと言っていた人が、ピューっと先にいって行ってしまった。
急な坂道で、さっきまで一緒に走っていた人たちの姿が見えなくなった。

一人孤独にゴールを目指した。
感謝・感謝・感謝
ありがとう・ありがとう・ありがとう
59年間、生きてこれて感謝です~。

何時まで経っても変わらない♪そんな事あるだろうか~♪
年齢を重ねると体力の衰えは必ずある。
昨日の自分と今日の自分、変わらないように見えて変わっているのです。

佐久間町が浜松市に合併したころ佐久間中学校の同窓会をした。
私たち45歳の頃

当時、お互い年くったな~っと思ったが、今見ると若かったナ~っと感じる。

世の中の幸不幸は、その人がその本人が感じていること。

飯田線の電車の中で読んだ本「遺伝子のスイッチ・オンの奇跡」に、こんなことが書いてあった。
ガンになり余命一ヶ月と言われた著者は病院の先生に療養計画書を渡されたそうだ。
そのことを疑問に思った著者は自分の人生なのだから自分で人生の計画を立てたといいます。
事細かく10年後までの自分の人生の計画を書いた計画書を書いて担当の先生に持って行ったと書いてありました。

そしたら、なんと、計画通りに事は進み、余命一ヶ月と主治医に言われてた著者が10年間ガンの再発もなく今こうして生きているそうだ。

今回の湖西連峰トレイルラン、主催者の萩田さんが良く言います。
年の初めに一年間の計画を立てる。計画を立てればその通りにことは進む。
その計画を遂行するよう、自分なりに考える、と。

今年の私なりの計画は、5月の還暦同窓会、6月の夢街道90㎞
夢街道は今年で10回目となる。

情熱の真っ赤な薔薇を~♪胸に咲かせよう~♪
ほろ酔いで飯田線にゆられ、車掌に起こされて、中部天竜で下車して、千鳥足で家路に着いた。
走れることに感謝。お酒を飲めることに感謝。夢を見ることに感謝
ありがとう。
石巻山の宴会でのカラオケで「幸せさかして」五木ひろし「情熱の薔薇」ブルーハーツを歌った。
大変楽しかった新年会だった(笑)

お疲れ様でした(^O^)/

動画です。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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