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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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思い起こせば
12市町村が合併して浜松市が誕生したときに
家族で浜松市内に買い物に行こうとする
そんな時に
ウルトラマラソンを走る人に出会ったことが切っ掛けで
自分も、、、
フルマラソン以上の距離を走ってみようかナ~
そんな気持ちで
2005年の夏に
浜松駅南口から自分の暮らす佐久間町半場までの60㎞を走ったのが
浜松縦断マラニックの原点なのです(^O^)/

次の年
走る仲間を誘って
 
走った。
この年は、佐久間町中部で行われる
お祭りの日に合わせて走った。
中部に着き
お祭りで奉納される花火が天高く上がりドーンっと鳴り響いたときには
胸が熱くなった。

そして第三回からは、往復するのもいいかも?
そんな話が出て、往復になった。

あれから11年
いろいろな事があった。
ゴールも
上島キャンプ場から かぢや旅館伊藤さんの別宅・と変わって今回、また上島キャンプ場になった。
 
今回のメンバー
往復
ナオミ君・ヤスヒコ君・イノウエ君・シゲル君・シゲミツ君・ヤスイチ君・ヒロシ君・サダイツ君・シンマ君
カヅエさん・ヨウコさん・ヨシエさん・カツヨさん
往路だけ
ヤマナカ君・ワダ君
こんな人たちで政令指定都市になった北遠の佐久間町を目指し走った。

そんな浜松縦断マラニックの動画です。
↓↓↓↓↓

人それぞれ、見えてくる景色は同じでも
感じることは、また違って感じるもの。

あれから11年たったのか~。
感慨深いものがある。。。

政令指定都市浜松市になった佐久間町は
これを機会に、ココを引っ越して行った人が多くいる。
また、最近も、そんな人を見送った。
まるで、大きな地域に吸収された山間部の町は夢も希望も無いような所になってきつつあるような雰囲気だ。
でも、こんなところでも、希望はある(^◇^)

そんな希望の前で
記念写真(*^^)v


つづく

拍手[7回]

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浜松市の
山の奥
天竜区佐久間町中部
には
地割れ花火という
世にも珍しい花火があるという。。。。。

そんな花火を知り合いのラン友に紹介したく始めた
地割れ花火を見に行こうラン約40㎞
もともとは
佐久間町が合併した10年前、一人で浜松駅から自分が暮らす佐久間町半場まで走ったのが第一歩なのであった。
フルマラソン(42.195km)までしか走ったことが無い自分が、
フルマラソン以上を走る仲間と出会って、一人で挑戦した60㎞だった。
まだそのときにはサンストリートの前は歩道が工事中で走りにくかったのを覚えている。
秋葉トンネルを抜け、やっと来た山奥の町に龍山に新緑の眩しさを感じた。。。

次の年
ヒロボーさんに相談し
走る仲間で同じコースを走った。
私を入れて8名
真夏の日。
その中の二人は
あまりにも早く中部天竜駅に到着し電車で豊橋に帰った。
残る6名で、ゆっくりマラニック。
その日は
中部のお祭りの日。
走り終わってビールを飲み、仲間を連れて花火を見に行った。
一発目の花火が上り轟音とともに夜空に広がった大輪を見上げていると、胸が熱くなった。


泊りは
上島キャンプ場。
次の日の帰りは飯田線で帰るようにと言ったけど、浜松市に暮らす浜松市の町の方に暮らす人には飯田線で豊橋駅まで行って、また浜松まで行くことに理解できなかったようだ。
昨日来た道を歩いて帰っていった。。。
初めて自分が企画したマラニック「浜松縦断マラニック」の話。。。
ただ走るだけの疲労ではない、その他の疲労で、走る仲間が帰る後ろ姿を見送ったら家に帰って寝てしまったZZZzzz
  

その日の午後。
うっちゃんが、「佐久間まで走ってきたョ」
と携帯に連絡が入った。
ビックリ仰天
着替えて駅に行ったら、少しの差でうっちゃんは車中の人となっていた(;_;)/~~~

そんな思い出の「浜松縦断マラニック」
次の年には往復にしよう。と話が大きくなり。宿泊場所も中部のかぢや旅館になった。
その後、旅館の女将さんが高齢のため宿泊できなくなり、川合の伊藤さんの別宅がゴールになった。

ゴールが中部でなくなったので花火の話も無くなった。

また、中部自治会の行事であるお祭りの開催の日も、まちまちである。
田舎の行事は多忙で、お盆にも行事が多い。
お祭りの日程が決まるのは年度初めの頃。

浜松縦断に花火は無くなった。
だけど
地割れ花火は素晴らしい。多くの人に見てほしい。
そんな思いから
中部のお祭りが決まった時に参加者を集っている。
地割れ花火を見に行こうラン約40㎞
今回二回目
その様子は動画で↓


前回の動画↓


なんとか無事に終了した。
花火を見ながら美味しいビールを飲むことができた(^O^)/

次は、
浜松縦断マラニックだ。。。

拍手[8回]


私は第10回大会2012年から参加している。
息子が2011年の春、富士吉原駅前のアパートに引っ越し、そのアパートに泊まった朝、スタート・ゴールであった田子の浦港の白灯台に行ってみた。
ヒロボーさんの仲間はココから富士山頂を目指しているんだナ~。。。
2011年第9回大会に申し込むも、野暮なことがあり、参加できなかった(≧▽≦)
次の年から私の富士山頂往復マラニックが始まった。
2012年第10回 時間外完走
2013年第11回 完走
2014年第12回 完走
2015年第13回 完走
そして今回
2016年第14回 
は、時間内にスタート・ゴールである富士川緑地公園に戻ってきた。
18時00分、まさにギリギリ。。。

ゴール後
ヒロボーさんに「ポーズをとって」と言われるも。
その顔に喜びは少なかった。それは富士宮駅から富士駅まで240円でワープしたから。。。。。

残念な結果に終わったけど。
しんしん
56歳の「富士山頂往復マラニック」
それなりに楽しんだ。
今回は、ランナーの給水に使ってもらおうと佐久間の名水
消防署横の湧水を持って行った。
スタートは8月5日(金)18時00分から5分ごとに6組み分けての出発。
私はゼッケン88番、第2、18時05分出発。
蒸し暑い公園内を富士山を目指し走り始めた。
富士宮、浅間神社に20時12分
マックスバリューで夕ご飯
オニギリを買いたかったけど、すべて売り切れ。
270人ものランナーが全て買ってしまったのだろうか????
パンとコーヒー牛乳で夕食とした。
これからは上り、全て歩くことにする。
標高1000mは
23時15分
料金所跡
1時07分
睡魔が襲ってくる。
標高2000m
2時53分
新五合目
4時17分
ここから、登山口、一気に登るぞ!!
いつものように6合目「雲海荘」で500円のカップヌゥードルを買おうと思ったが、今回営業していなかった。
宿泊客が多かったのかナ~。入り口付近にもたくさんの人が寝ていた。
「雲海荘」横で、どこの国の人だろう。
一緒に写真。

富士宮口新七合目「御来光山荘」

まだまだ元気
ダンダン疲れてきて、お腹がすいて、マックスバリューで買ったソーセージを食する(^O^)/
表口「元祖七合目」
をパスし
八合目に到着すると
クニさんが居た(^O^)/
 

山頂から
タイガーマスクが下りてきた。

やっと到着、富士山表口九合目「万年雪山荘」


あと少し、ガンバルぞ~。。。

表口九合5尺「胸突山荘」

まだ山小屋がある。
何回登っても、山小屋、よっく分かっていない。
「雲海荘」→「御来光山荘」→「元祖七合目」→「池田館」→「万年雪山荘」→「胸突山荘」→「山頂」
よいよ頂上まで、あと少し。
イケさん発見!!

後ろに輝く、太陽で、なんか眩しい
イケさん。

しんしん
山頂に到着。。。
8時00分

剣ヶ峰に富士川から拾ってきた砂をまく。
山頂御迎え隊に、接待される。
本当にありがとネ~。

来た道を帰ろうと思ったが、持ってきた暑中見舞いのハガキを投函する富士山頂郵便局が御殿場ルート降り口の近くだったので、

帰りは
御殿場ルート、宝永山回りで帰ることにした。

5合目に着いたのは
9時50分
標高2000m
10時35分
料金所跡
11時55分
何と、ココでバイキンマンに出会う。
ジュビロ磐田の仮装マラソンではお馴染みの人だ(^O^)/

佐久間中学校時代の同級生(飛脚)もシッカリ知っていた。
標高1000m
13時13分
浅間神社
15時40分
もう諦めよう。
富士宮駅から電車に乗ろう。
そんな気持ちでフラフラ歩いていると。
何時もアイスを提供してくれるボランティアの女性が手招きを。。。。。
まさに地獄で仏、女神さま。。。
冷たい麦茶・ガリガリ君・きゅうり。。。
上手かった、勇気100倍。
よ~し
一度はあきらめたが、もう一度。
と走り始めた。
が、やはり、足が痛い。
もう無理。
富士宮駅の改札に向かった。
240円の切符を買った。
富士駅に下り。
地図を頼りに富士川直地公園を目指す。
18時、ギリギリにゴールした。

しんしん
56歳の
「富士山頂往復マラニック」が終わった。
ヒロボーさん
スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
動画です↓

今、平和で、こんなことを自分の趣味と言えるこの国に暮らしていることに
感謝です。
byしんしん

拍手[12回]

マラニックといえば、
山口100萩往還マラニック大会
http://www.hagi-o-kan.com/
でしょ。。。。

歴史街道 萩往還
「萩往還」とは、慶長9年(1604)毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道です。城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmのこの街道は、庶民にとっても重要な交通路となり、また幕末には維新の志士達が江戸や京へと往来し歴史的にも重要な役割を果たしました。
かつての道沿いには、藩主一行の宿泊所や休憩所となった御茶屋や駕籠建場など様々な施設が置かれ、また一里塚・往還松のような旅人のための道標も設けられており、今でもその面影を一部にとどめています。

こうして重要な交通路として明治中頃まで300年にわたり栄えていた萩往還ですが、山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていました。
しかし、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、歴史の道「萩往還」として復元されました。
 平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定されました。
萩往還マラニック大会HPから引用
 

また、10年前から、私が参加している
チャレンジマラニックin遠山郷
も、マラニック
渓流釣りが好きな神奈川県の若者が、少子高齢化で悩む遠山郷の村を何とかしようと思ったときに、マラニックを神奈川で企画・主催している最○寺さんに出会い、遠山郷でのマラニックが始まった。
最○寺さんが言うには
「都会でマラニックを企画して、人数が増えていくと、マナーの悪い人が目立ってきた」
また
「マラニックは、このように自然に囲まれ、その地域の人と触れ合い、楽しく走るのがイイ」
その様に言っていた。

また、昨日ブログで紹介した(ヒロボーさんラジオ生出演。。。 )ヒロボーさんのマラニック

私は
1月の
湖西連峰トレイルラン
5月の
ぐるっと富士山一周 100 kmウルトラ・マラニック
7月の
石巻山登山マラソン
8月の
富士山頂往復マラニック
10月の
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック
12月の
浜名湖半周忘年ラン
に参加している。

また、また、また
わたしが企画・主催しているのも・・・ある。
そのラジオで紹介された
マラニックの達人
ヒロボーさんに助言されながら行っている。
6月には私のマラニックの一つ

が、無事に終わった。

心配なのは、事故がないこと。
もし大きな事故が起き、企画・主催している人に責任を取られたらどうなるのか。
前、同志→「こころざしや主義・主張を同じくする人」 この様なブログを書いた。

だけど
心配していては、なにかあったら大変だ!!
そう思ってばかりいては前には進めない。


山口100萩往還マラニック大会
は、後2年
平成元年から始まった歴史ある大会は30回で最後とするそうだ
http://www.hagi-o-kan.com/archives/1398

ヒロボーさんがやっているような
マラニック
個人で自己責任で、スタートからゴールまで管理されていないマラニック
最低限のルール・マナーを守るマラニック
そんな時代が来るような気がする。。。
byしんしん

拍手[8回]

6月27日(月)
SBSラジオの情報ワイド番組
「IPPO」
その中の「IPPOセレクション」
でヒロボーさんの電話インタビューがあった。

マラニックはマラソンほど競うものではない。
その人のペースで楽しく走ればいい。
ヒロボーさんのマラニックは走った後は、必ず懇親会がある。
その懇親会で一言スピーチがあり情報の共有をし他に繋がればいい。
そんな話があった。
 

特別企画 遠鉄ビアバイキングエンジョイマラニック
走った後、汗をダラダラかいてからビヤガーデンで飲み放題。
そんなマラニックを企画・主催しているヒロボーさん
これからも元気で頑張ってください(^O^)/


ps
萩田博 
で検索してみた。
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=&oq=%e8%90%a9%e7%94%b0%e5%8d%9a&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4RVEA_jaJP649JP660&q=%e8%90%a9%e7%94%b0%e5%8d%9a&gs_l=hp...0l2j0i30l2j41.0.0.4.3814156...........0.9cbJX6K19SM
同じ名前で言語学者の人もいるのですネ。

拍手[7回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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