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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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むかし、新城の鳥居強右衛門クラブが主催していた鳥居強右衛門戦国ランを走ったことがある。
岡崎城から長篠城址までの約60㎞
そのコースの途中に「くらがり渓谷」があり、一緒に走っている仲間に
「豊川の方から本宮さん山頂を通てここくらがり渓谷までこの道を来る」
そんな話を聴いたことがある。
 

今回、そんなコースの練習会がある話を聴いて自分も参加してみた。
本宮山の麓にある「本宮の湯」の駐車場に集まって準備体操をして本宮の湯からスタートした。
8時20分

仲間は登山道を登ったけど、私は岡崎中総の人たちと林道を走ることにした。
初めて走るコース、酷暑の今年の天気だったが、今日は涼しかった走りやすかった。
走りはじめて約一時間、登山道を登った仲間の後ろ姿を見かけ、その後を追いかけた。
9時30分 砥鹿神社(とがじんじゃ)奥宮に到着

そこには「本宮山に登ろう会」の
登山番付表があった。
そこには一日24時間に13回往復した強者の記録が記してあった。

山頂に到着したのが
9時40分
お腹がすいたので、走る前に本宮の湯駐車場でいただいた、ラスクを食べる。

ココからくらがり渓谷まで約7㎞ウッチャン・ともさん・ヒロボーの背中を追いかけた。

くらがり渓谷を目指してウマノセに向かった。
下りきるとくらがり渓谷の沢沿いではキャンプ・バーべキュー・沢遊びで楽しんでいる人たちがイッパイだった。
見覚えのあるコース・公衆トイレ、麓のお店にて
くらがり五平を食べた。
10時50分

もと来た道を帰る。
ユックリ坂道を走っていると人だかりが、なにかと見ればヘビさんの食事の最中だった。
ヤマカガジが蛙を丸呑みしているところ。
カエルの命を呑み込んでいるところ。
どちらも生きるのに必死なのだ。
自分も必死に山を登った。
奥宮に着いた。
12時15分

これからの下りは朝登った林道ではなく遊歩道を下った。
本宮山の遊歩道は岩の斜面が多く走れるものではない。足元をよっく見ながらでないと、転んだら大怪我だ。
ユックリゆっくり足元に注意しながら。
13時20分

麓の鳥居の所に無事に帰ってきました。
時間 5時間
距離 約28㎞
良いトレーニングになった。
やれやれ
天然温泉
本宮の湯に直行だ。
大人610円、リーズナブルなお値段、
音質:ナトリウム塩化物泉・炭酸水素塩泉
空の湯は本宮山の自然を感じながら心も体もリラックスして、とっても気持ちよい温泉だった。

後ろに見える棟が、空の湯だよ~ん~。。。
入れば解るよ~ん~(^O^)/

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浜松縦断は中部のお祭りの時に合わせての開催だった。
ところが祭りのときは宿泊場所が確保できなくなった。
 
今年は152号線の瀬尻地区の崩壊、そのための迂回、バスは迂回路を通れない為、西渡(にしど)からの西鹿島駅への移動はできない。
正確にはスタート場所に9時までに行くことができない。
飯田線で行くことにした(^O^)/
 
今日は飯田線・東海道線・遠鉄を利用で行くことにした(^O^)/
中部天竜駅~豊橋駅~浜松駅 新浜松駅~西鹿島駅
丁度、豊橋や湖西からのラン仲間と一緒の電車になったので、浜松駅前での記念写真を撮った。

今回の参加者
女性  5名
男性  5名
サポート1名
西鹿島駅をスタートした。

動画 ↓

参加のみなさん
ありがとうございました。
サポートの下さん
本当に感謝です~♪

2014年からの「地割れ花火マラニック」軌跡・轍
第一回2014年
第二回2015年
第三回2016年
第四回2017年
 
元祖
中部の祭りを見に行った最初のメンバー
 
かじや旅館を利用したときの写真


佐久間にも希望がある。
希望があった。
(^_-)-☆

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海抜0メートルから日本一の山富士山(3776m)までを目指そうというマラニック(マラソン&ピクニック)
凄いのは
富士山頂(3776m)剣ヶ峰を極めてから、もと来た海抜0メートルまで帰って来ること。
帰りの五合目からの真夏の走り歩きは厳しい厳しい道程である。
人はそれを
ゼロ富士という。

今年は、そのゼロ富士を走らないことに決めた。
DNSすることに、決めた。

環境省のホームページで0泊2日の弾丸登山を危惧している。
ゼロ富士は海抜0メートルから3776mまでの往復を丸一日(24時間)かけてのマラニックだ。
普通の人では考えられない事かもしれない。
しかし考えてほしい。
今の便利な世の中に暮らしている人に、これからの日本を先進国の行く先を、考えている人に。
車の社会になり、今でこそ五合目からの登山が不通とされてはいるが、先人の富士山詣ではみな自分の足で頂を目指したのだ。

末法の時代
末法というのは、仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされるウィキペディアから
自分のことは棚に上げ、人のことばかりを指摘する時代と解釈する。
そんな時だからこそ、
ゼロ富士は、自分にとっての修行と考える。

富士山世界遺産の決定 2013年
富士山頂往復マラニックは 今年で16回目になる。
毎年、夏 何人かの兵が富士山頂を目指し、海抜0メートルに帰って来る。

今年は、その兵の一人ではないが、遠く富士山の見えない佐久間町から
有徳の国、富士の国の静岡県民の一人として応援している。

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暑い熱い
夏がやってきた。
富士山頂往復マラニック
田子の浦港「みなと公園」から富士山頂に剣ヶ峰に行くのだ。
 

この挑戦の始まりは
7年前
息子が富士吉原に就職が決まった時
アパートに泊まった次の日の朝、スタート地点である田子の浦港に行った時、そこからの富士山に魅せられて決めた。
その年、申し込みをして始まった自分の挑戦
 2011年、この夏は、走れなかった。申込はしたが、、、。
2012年、時間外完走
2013年、時間内完走
1014年、時間内完走
2015年、時間内完走
2016年、富士宮から電車ワープ
2017年、時間内完走
そして、今年
2018年
は、どうなるか?

暑い熱い
富士山頂往復マラニック
この挑戦の一番の難所は、帰り。
富士山五合目に下りてきて、そこからの踏ん張りにある。

暑い熱い
富士山頂往復マラニック
ゼロ富士
自分の消えかかった炎を再び燃え上がらせようとする挑戦である。

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36名
無事に遠山郷まで辿り着くことができました。

動画1

動画2

3兄妹ソーシャルバンド「一途(イチズ)」
そのままでいて

みなさん
お疲れ様でした(^O^)/

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暑い中、約15㎞の
石巻山登山マラソン
毎年恒例になっている。
スタートは石巻山の麓、ゴールは石巻山ナツメ別館の前

スタート前の集合写真

9時30分スタート
石巻山の麓から、登山マラソン前にフラットな道路を走る。
折り返しから帰って来る俊足ランナー
ま、競争ではなく共走だからとマイペース。。。。
スタート地点に戻って来て、さて、ここからが登山マラソン

エッチらオッチら登っていく。
給水所には金髪三つ編みの少女が一人ラッパを鳴らして応援していた。
そこからの激坂は躊躇なく歩いた。
ナツメ別館まえを走り登山客に挨拶をして石巻山の山道に、ゆるいアップ・ダウンを繰り返し、折り返し地点に到着

帰り、すぐ後ろを走っているランナーに出会う。
激を飛ばして走り続ける。
ナツメ別館の前を走り、急坂を走り気持ちよく下っていくと、お腹が痛くなってきた。
暑い中の登山マラソンで汗でびっしょり。
ウエストポーチに汗がたまりお腹を冷やしたのだろうか。

麓の折り返し地点では最悪の状態

最後の登りでは腹痛との戦い。
気持ちも悪くなる。
脱水だろうか。熱中症だろうか。ガードレールにもたれる。
給水所にて自分が飲んだ空のペットボトルを持って、ゴールであるナツメ別館の前を目指す。
毎年恒例だった、石巻登山マラソン後の石巻山山頂へのダウンを兼ねた登山も、今回は遠慮した。

急いで旅館のトイレに向かった。
トイレ前で、シューズを脱ごうと思った瞬間、左足が攣った。
ふくらはぎを揉みながらのトイレ
何とか落ち着いた。
休憩室に向かって着替えを持って、お風呂、冬の湖西連峰トレイルランのときより人が少なくユックリ入れる。
さっき攣ったふくらはぎをマッサージして、汗びっしょりになった身体を労わった。
12時30分からは宴会が始まる。
誰かが変態の集まりだと言っていた。
真夏の登山マラソン
変態かもしれない(≧▽≦)

最後に変態がそろって記念写真

ナツメ別館のマイクロバスで、豊橋駅前まで移動、
「二次会に行こう!!」
そんな話で二次会会場に向かった。
カラオケ?
居酒屋?
向かった先は、居酒屋、刺身あり焼き肉あり、スタッフのナナちゃんは顔が小さい。
みんなの意見がまとまりアルコールは飲み放題。

ナナちゃんの後ろ姿

年寄りだから、しょうがない
より
年寄りだけど、すごいナ~
そんな人に出会える萩田企画でした(^O^)/

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10年、偉大なり。
20年、恐るべし。
30年、歴史になる。
50年、神の如し。
 (中国の格言)
 

12市町村が合併し、浜松市という大きな市ができて12年たった。
当時、佐久間町の役場の職員が説明していたように
「大きな浜松市に合併するということは、静岡市に合併した井川地区のようになるでしょう」
その事が現実に感じてきた。
 12年前、始めたマラニック

その12年前に始まった。始めた。私のマラニック。
これから佐久間町、どうなっていくのだろう?
不安だったあの頃。
佐久間町に暮らし、北遠のこと知らない自分、初めて走った竜頭山頂~山住方面
こんな素晴らしいとこがある。きずいた。

12回目が無事済んだ、今回の動画

 ど根性ガエル
知っていますか?
その歌び中に、こんな部分がある。
「にくいよ!このオ ど根性ガエル!!」
ドッコイ生きてる シャツの中
という部分がある
「どんなに不便になろうとも」
どっこい生きてる過疎の中~♪
そんな気分だ(笑)
いや(泣)かな。

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サハラ砂漠を走る。
そんなレースがある。
知り合いが、そんなレースに参加してきたという、その報告会があったので行ってきた。
砂漠を走る?
わからない人にネットで探したYouTubeを見てほしい

如何して、砂漠を走るのか?
「小さいころの夢だった砂漠に行くこと」
如何して、また行きたいのか?
「出会った仲間と再会を誓った」

ある人は、自分の生まれ育った境遇に、そんな自分が今できる事を求めてやってきた砂漠
スタートしてゴールを目指す。
人は、それぞれの人生を生きる。

最後、集合写真
買い物を済まして家路にを急いだ。
今日は
竜頭山スーパーM
来週は
上島キャンプ場で(酒)

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富士山の見えない静岡県西部地方の佐久間町からの参加
日本一の山、富士山を一周する大会、気が付けば6回目の参加になった。
 

ブログで振り返ってみた。

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2013

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2014

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2015

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2016

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2017

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2018

動画 ↓



大切な思い出
走ってよかった。参加してよかった。これからも宜しく。

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富士山をぐるっと一周する、距離にして100㎞
静岡県裾野市須山「富士遊湯の郷・大野路」ココをスタート・ゴールにするウルトラ・マラニックだ。
 

いつも好天に恵まれている富士山一周だが、今年は様子が違う。
天気予報は雨マーク。
走り初めて、坂を上りはじめると霧が濃くなり、視界が悪くなり、前を走るランナーのチカチカのライトをたよりに前進あるのみだった。
歩道のない所では右側通行、白線の内側、車の迷惑にならないようにパブリックマナーを守って、そうは思っているが道路の隅は側溝に蓋がない所が多く危険。
車が通るときは立ち止まることが多かった。
10㎞過ぎに交差点があるココを富士宮方面い行かなければならない、先行く女性ランナーが真直ぐに行ってしまった。
「おーい、そっちは違うョ~」
叫んで呼んだ。
村山浅間神社にトイレがある、そう思っていたが、神社に入るセコ道が分らず白糸の滝看板を右折した。
ガソリンスタンド、富士山往復のコースを横切って坂道を歩いて行くとエイドがあった。アリガタや~。。。。
白糸の滝、今回はパス、いっても何も見えないから。
ダイヤモンド富士を撮影するカメラマンも今回は誰も居ない。
富士山も、モチロン雲の中。。。

木工房・空豆を右折、ココから上り坂になる。
6時17分山梨県に突入。
7時30分 本栖湖が見える絶景ポイント。エイドに到着、給水・給食
8時44分 鳴沢の道の駅、ココで富士山が顔を出す。

60㎞を過ぎ眠気と疲労で満身創痍、しかし富士山が勇気を与えてくれる。
山中湖エイドの到着が
12時11分

元気なオネ~様に励まされる。
籠坂峠の上り坂は歩き、下り坂は走りとおした。
自衛隊富士学校に
14時02分
最後のエイドに
14時42分
迂回路選択チェックには、迷わず「本コース」に名前を記入した。

仁杉の交差点を右折。
マックスバリューを左にみて原里小前を右折して、コンビニでアイスを買って、ゴールである遊湯の里 大野路を目指した。
やっとのゴールは
16時04分
 

まる一日使っての富士山を一周するウルトラ・マラニック
主催者は走ることを楽しんでいただきたい、そう言っている。
走ることは苦しい、しかし、その苦しさがあるから、ゴール後の充実感がある。
 

それは人生も一緒、たいへんな事があったから今の幸福を感じるのかもしれない。
富士山も、少しの間見えたから感動したのかもしれない。

萩田氏のマラニックではゴール後、冷たいビールが待っている。
ゴール後には お風呂もある。

また、大宴会も用意されている。
2018年5月19日0時~16時04分まで走り。走り終わってから、お風呂に入って走った仲間との懇親会、夢のような楽しい時間だった。
夢のウルトラ・マラニック動画↓

本日、宿を後にして新東名で浜北インターで下り、国道152号線を北上した。
我が町は
12市町村が合併してできた新浜松市の隅っこの町、佐久間町、家に帰るには国道152号線の崖崩れの影響で、片側通行での不便を感じている。
早く工事が終わってほしいナ~。
不便なところに暮らしていて、少し便利になって幸福を感じるのかもしれないけれど、国道のライフラインの復旧工事が停滞していることに疑問を感じづにはいられない。


 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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