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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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富士山一周マラニック、夜は満月で夜富士が綺麗だったと聞いた。
夜は走っていない自分は、それは分らなかった。
早朝、第二エイドから走り始めた自分は、道の駅「鳴沢」から見えた富士山が綺麗だった。
それから間もなく天気が悪くなり富士山は雲に隠れた。

痛い足を引きずり、鳴沢村・富士吉田市・忍野村・山中湖村と歩いたり走ったり、した。
籠坂峠を越え静岡県に、帰ってきたゾ~っと思った。
小山町・御殿場市・裾野市、自衛隊演習場の中を走る。

https://www.mod.go.jp/pco/obihiro/

ゴールである、富士山が日本で一番きれいに見える宿「大野路」が見えてくる。
あと少しだと思うと、走れる勇気がわいてくる。
その時、富士山が雪をかぶった富士山が山頂だけ少し見えていた。
富士山が応援しているように感じた。

26日は佐久間の山「竜頭山」に登る。そして水窪・佐久間と走る。
竜頭山は、私が少年の頃、斜面集落「横吹」を登っていた時に、国道沿いでは見えない山頂が、家近くまで行くと、その山頂が見えてきた。
若き頃、大きな山の麓での生活に憧れた。
しかし、私にとっての故郷の山は、まぎれもなく竜頭山だ。

日本一の富士山を楽しんで、自分の故郷の山を登る。
富士は日本一の山~♪
それは、富士山が日本一だと言っているのではない。
人間がかっててに順番を付けているに過ぎない事だ。
大切にしていきたい、故郷の山「竜頭山」
それと故郷。

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3・2・1、スタート
2019年5月18日の午前0時、富士山一周マラニック100㎞、が裾野市の日本一富士山が綺麗に見える旅館、ゆうゆうの里「大野路」からスタートした(^O^)/
わたしは多くの走る仲間と、その集団の中にいた。
が、ががが。
走り始めて300m
やはり、膝の調子が悪いと、その集団から脱落し、スタート地点の「大野路」まで帰って来た(笑)(泣)

膝の調子が悪い。
100㎞。走れる分けが無い。
今回は、参加だけはしよう。
そう思っての参加だった。
萩田さんのサポートカーに乗って、萩田さんの話を聞きながら、「大野路」をスタートしたランナ―の姿を見ながらの車での移動だった。
AP1(エイド)
今回はココでボランティア。
萩田さんは、ココの空き地を借りるとき、所有者の会社に話したら。
そこで働いている人も走る人だったそうだ、そしてその人も萩田さんの大会に参加したことがあると言っていたと言っていた。偶然にもそんなことがあったと話していた。
その人も急遽応援に来てくれた。
バナナは5当分。キューイも5当分。オレンジは8当分、切れ目を付けて。
カステラも一口サイズに。どら焼き4当分。
萩田さんはランナー目線で食べやすい様に考えている。
萩田さんのマラニックは、多くの繋がりで出来ている。
そう思ったボランティアだった。
しかし
それにしてもサブイ(水窪弁で寒いこと)走っている方が良い、とは思ったが走れない。

最終ランナーを送って、畑島さんが走れなくなって、二人はサポートカーで第2エイド(AS2)に向かった。
第2エイドでは、さくらさんから温かな味噌汁を頂いた。
サブイ身体が生き返った。
その味噌汁の温かさは、味噌汁の温かさはもとより、人の温かさも感じた。
第2エイドから見える本栖湖、その向こうに見える雪をかぶったアルプスが綺麗だった。

ココから走ろう。そう思った。
「ココから走ります」と萩田さんに申告した。
膝が心配だけど、ココまで何をしに来たのかと、人の温かさに触れ、雄大な景色の中にいて自問自答して見つけた答えだった。
畑島さんも走ると言った。
畑島さんの背中を追いかけて走った。

膝の故障。
走る前から萩田さんに相談はしていた。そんなとき。萩田さんから、ピンチとチャンスの話があった。
ピンチはこれからの生き方を好転していく良いチャンスだと。
ピンチをチャンスにしていく生き方、それは大切なことだ。

一緒に走った畑島さんからも、様々な体験からの生き様を教え頂いた。
30㎏
そんな小さな身体から大きなパワーを頂いた。

志野村を走っている時に、クニさんウッチャンクミちゃんが後から来た。
「大丈夫~」と言って抜かされる。
大丈夫ではないのです。しかし笑って済ませた。
山中湖(第3エイド)
円谷さんが居た。疲労困憊だったが元気が出た。
両手を合わせた。パワーをもらった。
人は、もうダメだ。と気力を失う。しかし些細な切っ掛けで元気が出るときがある。
それは(泡)だったりもする。

少し飲んで、先を急ぐ。
籠坂峠の上りで、見知らぬ人に声をかけられる。
第1回天竜川リバーサイドで、わたしのエイドで味噌汁を飲んだ人だという。
佐久間ダムの思い出を教えてくれた。
籠坂峠の下り坂で、その人たちは遠くに行って見えなくなった。

籠坂峠を下り切り、コンビニでオレンジジュースを買った。
青きんと山ちゃんが駐車場で休んでいた。俺は先を急いだ。
だが直ぐに二人に抜かれた。
歩きが入り、第4エイドまで長かった。道を間違えたのではないかと思った。
コンビニが出てボランティアの人が誘導してくれていた。
麦わら帽子の渡邊さんが居た。
牛乳が美味しかった。
第4エイドで休憩していたら、クニさんが来た。
のこり10㎞
その二人の後を着いていった。
腹の調子が悪くなり、交番に駆け込んだが
「治安維持のため使えない」
と断れれる(涙)
我慢に我慢を重ね、コンビニを見つけ何とかセーフ(笑)

最後の最後、自衛隊演習所の中の真っ直ぐな道、一緒に走った東京の人との会話が楽しかった。
奥武蔵野のウルトラの話し。オクムサシと言えばビキニ。
本物を見てきた話は参考になった。
男として、自分も見たい。と思った。

本物を見てきた人の背中を追ったが着いていけなかった。
時計は制限時間の18日17時5分前、遠くにゴール地点の建物が見えるが足腰は激痛が。
やっとの思いで着いたゴール地点、旅館「大野路」ゴール時間18日15時09分、制限時間には間に合わなかった残念。
今回は調子が悪く富士山一周はハーフになった。途中の第2エイドからのスタートとした。
それでも、わたしの大切な59歳の宝物になった。記録だ。
最後の最後、雲にかくれていた富士山が雲の隙間から少し現れた、私を励ましていたような気がした。

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毎年5月の連休に諏訪湖から天竜川を河口まで走る企画をしている人がいる。
わたしは
2016年 佐久間でボラ
2017年 早稲田から迂回路の新野峠から富山村・佐久間ダム・佐久間駅で仮眠、西渡(にじど)からバスで西鹿島、天竜川河川敷を走り時間外ゴール。
2018年 平阿岡駅から大嵐駅まで飯田線、あとはワープ無、完走。
2019年 体調不良のため、富山村からの参加

中部天竜駅から大嵐駅まで飯田線で移動、そこから富山村エイドステーションまで歩いていると、第一ウルトラ人発見! 丁度富山村名物「ハートの崖崩れ」の前だったので、写真を撮った。

話しは変わるが、朝のNHKBSで「おしん」を再放送でやっている。昔若かったころよく見た、そして泣いた。
昨日は奉公先で、おしんが大切に持っていたハーモニカをふまれ、おしんはお嬢様と取っ組み合いの喧嘩になりお嬢様が脳震盪をおこして終わった。
昔見て、知っているけど、見たかった。
エイドステーションで、それ「おしん」を見て走り始めよう。そう思ったが、エイドステーションにはテレビは無かった(泣)
無いか~。一度は諦めたが、待てよ「おしん」を見ようと頑張ってみた。先日、八嶽山(やたけさん)に登った時に知り合った人の家へ行って見た。
超長距離・ウルトラマラソンを走るようになり「諦めない心」こんな時に役だった(笑)

2019年天竜川リバーサイド、富山村エイドステーションを5月4日にスタートした。
佐久間町中部に親戚を持つ柿○さんと一緒に、柿○さんは二週間前にさくら道ネイチャーを走ったばかりだという、わたしの走力では、こんな実力の最上位の人とはとても走りながら話せないけど、今回かなりの距離短縮で話せた良かった。
柿○さんに富山村の信号機をつくった経緯を話し、押しボタンを押してもらった。
柿○さんは、諏訪湖からもう100㎞以上走っている不眠不休で。わたしは富山村から15㎞くらい走った。その時、柿○さんは道路わきの岩のところで少し寝ると言った。
そして私は一人で佐久間ダム湖岸を走った。しばらくして後ろから私を呼ぶ声が、何んと○澤さんだ。
彼女もかなり速い人、わたしは今年、腰筋肉の調子が悪く富山村からのスタートとした。諏訪湖から富山村まで100㎞以上のワープをした。ワープをして良かった~っと思った瞬間だった。
何もない佐久間ダム湖岸の道路に唯一ある砂置き場、そこの水道で水を補給すると、そこで働いている人が居たので声をかけた。
「ここの水は、山水なので沸かしてから飲んでいる、良かったら御湯をやるョ」
といってくれ、○澤さんは給水ボトルに御湯を貰った。
少し行くと、ヒロボー・しもさんエイドがあった。
わたしはコーラを貰った。ヒロボーさんは昼寝の最中だった。
ここから佐久間ダム湖岸で沢山なトンネルが続く、最後の「うなぎだる隧道」は長いトンネルが曲がりくねって自分の声も共鳴して誰か他に近くで話しているような感覚になる。
幽霊が出る、そんな噂も、なんとなくわかるような気がする。もっと昔は、もの隧道照明が無い時代があった。
昔オートバイ、DT250に乗っていてこのトンネルを抜けた後、ライトのヒューズが飛んで真っ暗なトンネルを他人の車の後を追いかけて走って帰ったことがある(怖)
 歩きが多くなってきたが、最後の「うなぎだる水道」走って佐久間ダムに出た。

長い長い(富山村から約25㎞)ようやく静岡県に入る、ココから浜松市になる。なんか一安心、そんな気分になるけど浜松市広いんですョ~。日本で二番目に。
長かったナ~富山村からの25㎞

この人は諏訪湖から走ってきた。
 
この元気、凄すぎる。
佐久間ダムのダムカードを欲しいと電力館にも寄ってみた。
佐久間ダムを下って、原田橋の建設業況を覗いて、少し行ってところで中部に下りる遊歩道に行く、佐久間病院の横を通り、なかっぺ橋を渡り、カズの横を通り、中部天竜駅、佐久間小学校、飯田線の鉄橋横の歩道を歩いていた頃に大粒の雨が、なんとヒョウが降ってきた。

(中天駅をスタート昔の写真)

急いで佐久間のスーパー「コープ」に行って休憩した。
外は大雨、他の連中 大丈夫かな~。。。。
そこで(泡)を買って外で休憩していると他の同じような人が次々と来た。
○澤さんが「行くョ」というので着いていった。
西渡に行く手前で、○澤さんはドンドン先に行ってしまう。
凄いナ~。素晴らしい。ひょうひょうと走る姿は美しい過ぎる。いや怖い、かな。
自分が情けないか(泣)
西渡のバス停で先に行ってはずのナオミちゃんが居た。
大輪の「ワタナベ商店」でナオミちゃんと別れ、わたしは真っ直ぐに行く。
後から来た柿○さんに抜かれた。
「途中眠く倒れるかも、行けるとこまで行きます」
凄いナ~。どんな身体しているのだ。筋肉の質が違うのか。わたしの身体はボロボロ。。。
4日18時30分、龍山のお風呂で休憩することにした。
展望風呂の浴槽から道路を見たが、暗い道路には走る人は見かけなかった。
休憩室で仮眠、20時15分前に、そこを出た。
秋葉ダム公園に、もしかしたら施設エイドがあるかもしれない、行ったら無かった。
トボトボと走り、船明ダムにもしかしたら施設エイドがあるかもしれない、行ったら無かった。
船明ダム堰堤を渡り、鹿島橋横を歩き、飛龍大橋(国道152号)を行く時に道路沿いに歩いてしまった。突き当り、そこを右に大回りをして飛龍大橋(国道152号)を渡る、長かった飛龍大橋、次の交差点で迷わづに二俣のコンビニに行くことにした。腹が減ったから。欽ちゃんヌードルで腹ごしらえ。
5月5日午前3時半、重い腰を上げ、天竜川河川の最後の行程を楽しんだ苦しんだ。

天竜川橋(新東名高速道路、浜松市浜北区、磐田市)
浜北大橋(静岡県道61号浜北袋井線)
あった。サポートの人だ。ヒロボーさんの知り合いの方だナ~。ボランティアを集めるのが大変といっていたナ~。
そんなヒロボーさんの熱い気持ちが伝わった人だ、感謝しかない。寒い時、あったかなココア身も心も温まった。
橋を数えての、この道、橋と橋の間がメチャ無茶長い。車だとあっという間なのに。
かささぎ大橋(静岡県道374号浜松袋井線)
天竜川橋(東名高速道路、浜松市東区、磐田市)
新天竜川橋(国道1号、浜松市東区、磐田市)
新新天竜川橋(国道1号、浜松市東区、磐田市)
あった。あった。エイド。
豊川の人だと言っていた。ありがとうございます。美味しかった。フルーツポンチ。
天竜川橋(静岡県道261号磐田細江線、浜松市東区、磐田市)
天竜川橋梁(JR東海東海道本線)
天竜川橋梁(JR東海東海道新幹線)
朝日がでて暖かくなり、眠気も出てきて途中自転車道路で横になり寝た。
サイクリストが行き倒れかと心配して声をかけてくれた。
「大丈夫です」と答えた。
 掛塚橋(国道150号、静岡県道316号舞阪竜洋線)
遠州大橋(国道150号、掛塚バイパス)
本当は、コースマップ上は、掛塚橋を潜り真っ直ぐ行くはずが、今回はトモゾウさんの道案内で違う道を行く。最後の遠州大橋は潜りましたョ。
そこから、太平洋までがケッコウ長い、1キロぐらいか、見えているが遠い。太平洋に注ぎこむ天竜川の最後、そこは水の勢いが無く砂に埋もれている。そこに釣り人なのか何台もの4輪駆動車、本当の河口は、ほんとうの河口はそこから東に、まだ先に。トモドウさんと二人、その河口を臨んだ茂垣苦しんだ行程を何のために苦しんだのか何のためになったのか、答えはわからない。
天竜川から注ぎ込んだ水と太平洋の海水が入り混じって波が立っている。そこに魚が多くいるのか釣り人がいる。竜洋モータースと書いた軽トラのオジサンが「どうだ」と聞いてきた。
一瞬走ることだと思ったが、すぐに釣り人の様子とわかり「釣れてませんね」と答える。

2019年の天竜川リバーサイドは終わりを迎えようとしている。
振り返り灯台からゴール地点を見るも、防潮堤の建設だろうか?、見えるはずのゴール地点が見えない。前を行くランナーを追いかけトモドウさんとゴールに飛び込んだ。

ビールはエビスとスパードライ、迷わずエビスの缶ビールを手にした。
発泡酒より、エビスビールは美味かった。
おわり。

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14日(日)に、ホウジ峠に走りに行った時から右臀部から太腿後ろ側が深部に違和感が、一週間走るのを控えていた。
金曜日の昼、調子が悪いので仕事を半日で終え、豊田町の成良治療室にて身体のケアをしてから余呉湖を目指した。
ラインで猪肉を持っていくョと連絡、ウッディパル余呉湖に夜七時に着いた。

身体のケア、揉みほぐしたその時はよいが、やはり違和感が。
そんな感じで前夜祭を終わり、バンガローの帰って睡眠ZZZzzz
20日(土)7時
ウッディパル余呉湖のスキー場をスタートした。

今回も、楽しい仲間が集まり走り出した。
昨日マッサージしたが、やはり、足が〜~痛い~。
騙しだまし、走った。

途中、いつものように踏切でストップ。
余呉湖に入って、一周二周、お、ユーレイが居た。
着物では走りにくいのか、裾をあげて生足をモロダシで走っている。
鼻耳ブ~
(* ̄ii ̄)ブー

手前のTシャツの人もたくさんいた。
飲むなら走れ、走ったら飲め

こんな人にも抜かれた。
「ナニ?」と聞いたら
「ブドウ」だって。
ネットで買った、そうだ。
あ、ワラーチじゃん。
凄すぎる。

私より、10歳以上も年上の山草人さんと並走、「もうダメ、先に行って」
今日はダメだ、もう少し走ったらリタイヤしよう。そう思ていた時に
7週目「下を向くじゃない、まっすぐ前を見よ」私にカツを入れる人が来た。
ヒロボーさんだ。
わかっちゃいるけど足が痛い。
ヒロボーさんの背中も小さくなってくる。
最後、周回、満身創痍、歩を止めないように進んだ。
朝7時スタート。制限時間は10時間、ゴールは17時
自分がゴールしたのは16時59分
しんしん五回目50周余呉湖を回った。
50週目は
ボロボロのゴールだった。

余呉湖、
天女の羽衣伝説ウルトラマラソンの楽しみは後夜祭
 

楽しい仲間と楽しく苦しく走って、最後に(酒)
そんな滋賀県余呉湖のイベントだった。

それにしてもユーレイ、チーム車座の人だと聞く、後夜祭のときもユーレイだった。
本物の顔はどんなんだかナ~、気になる(笑)

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毎年、コースは
やすらぎの湯~峰の沢橋~青谷ポケットパーク~青谷~大庭~不動滝~寺尾~瀬尻ドラゴンママ~瀬尻橋~上平山~下平山~やすらぎの湯
だったのが、今回はコース変更をしてみた。

やすらぎの湯~秋葉ダムの堰堤を渡り、大嶺の集落を訪ねた。大嶺の集落の頂上に、そこからの下りには岩明(ガンメイ)の集落がある。
岩明の集落を下りきって、
2018年3月のブログ
たつやま凸凹(春)スペシャルコース試走
この時には、夏秋の集落を目指したのだが、今回は下り白倉川まで行き、白倉川沿いを白倉峡を目指し走った。

 
昔、熊村方面から東海道自然歩道は龍山まで来たことがあるので、その分岐までは知っている。
そこから白倉までは初めての道だ。
初めて訪れた白倉の集落、意外と家の数が多かった。
60軒くらいあるだろうか?
富山村と似ている。富山村より急斜面ではない。
白倉川には白倉峡として遊歩道が整備されている。
 
白倉峡の遊歩道、入り口にも出口にも公衆トイレがある。
龍山村のときに整備したのだろう。
今、浜松市になり、様々な問題があることだろうと思う。
唯一働く場所だった村役場、そこで働く職員が浜松市の職員になることにより子も持つ世代の流失により人口減少。

白倉の集落から、二キロ先に行くと「龍山秘密村」に出る。
ココは国が進める故郷応援隊の人が経営しているという。
腹も減ったし、ココで持ってきた食べ物を出し合いお昼ご飯とした。

曇り空、雨が心配だったが、何とか降らないでいてくれた。
今回、参加してくれたメンバーの行いが良いのか、雨に見舞われることは無かった。

帰り
白倉峡の集落にピンクに咲き誇る桜の花に目が行った。
友さんが、サクラを見に行こうとの号令で、サクラ見物に行った。
その白倉の集落の真ん中に、大きなシダレ桜が満開だった。
昔、母親が佐久間の老人ホームに御世話になっているときに、白倉の人と話したことがある。
白倉に着たときには是非寄ってと言ってくれた。
農作業の人に聞いた、その家は留守だった。

(白倉のでは、ありません)

白倉の集落を後にして、ゴールである秋葉ダムに向かって走る。
西川の集落で秋葉ダム下流の吊り橋を渡り、秋葉ダムの千本桜を眺めながら、ゴールであるやすらぎの湯に着いた。
14時。
5時間ちょっとのマラニック、その後、やすらぎの湯での湯船で、朝登った大嶺の集落を眺め、ふとサクラ見物の人を見ると
マスクをかけた長身の人が、、、なんか見たことがあるような。

いろいろな出逢い、人も地域も景色も、そんなマラニック。
魅力を感じる。

2014年の動画↓

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浜北プラザホテルの宴会場入り口(左側)には「日日是好日」という大きな額があった。
入口の右側には「一期一会」と書いてある大きな額がある。
日日是好日→「毎日毎日が素晴らしい」
一期一会 →「一生に一度だけの機会」
経営者の教えを、その二つの額で垣間見ることができる。

一期一会
茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。
一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる。
ウィキペディアから。

今日は私の暮らす北遠(ほくえん)に3人の友が遊びに来る。
一期一会の考えで接しようと思う。
今日できる最高のおもてなしで、迎えよう。と。

話しは変わって、その三人とは、浜松市以外の人だ。
浜松市は今、浜松市市長選真っ盛りだ。
三人が立候補をして、選挙戦を争っている。
争点は浜松市の活性化、中心市街地を活性するには?

浜松市は元気がない。
中心市街地が衰退し、人口の転出超過が続く。

それは、人々が、より便利さを求めているから。
北遠(ほくえん)もそうだ。
便利→良い
不便→悪い
こうゆう図式が成り立っている。
人々はより便利な生活を求めている。そのことが問題ではなかろうか?
足るを知る。こと。
それが今の時代だからこそ大事ではないかと、便利なこと快適なこと、もちろん大切だけど、足るを知ること大切だと思う。

一期一会
今回、北遠に遊びにきてくれる三人を、おもてなしの心で迎えて、このような話をしようと思っている。
今日という日は二度とないのだから。
お会い出来て、ほんとうに良かった。
そう思えるように、こんな景色に出会えて良かった。
自分自身も、そう思えるように。
今日一日を楽しもう。と思う。

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富山村のレストランのオーナーからFBの友達リクエストが来た。


早々、承諾してメッセージで話した。


富山村の人口は70人前後だという。


そんな村は温泉がある。ダムカレーもやっている。


日曜日用事がない。


行こう。と計画していたが。


今日は、あいにくの雨。


そんなときに、知り合いが大阪を一人マラニックするとのLINE。


小雨ふるなか佐久間ダムを目指して走り出した。


エプソンGPSランニングウォッチをスイッチON


トンネルが多いため雨も気にならない、ラッキー。


クニャクニャ曲がった道が続く、ユルイ上りや下りもある。


夏焼の集落が見えた。富山村の集落が見えた。


富山村の集落の手前に、ゴールである湯の島温泉がある。


エプソンGPSランニングウォッチをスイッチOFF


な、なななんと159.2㎞


トンネルが多すぎて飛んじゃっている(涙)


湯の島温泉
http://www.vill.toyone.aichi.jp/cms/?p=1338
泉質 ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物泉
少し濁っていてヌルヌルする。
とってもいい温泉だ。

ひとっ風呂浴びて、メインのダムカレー。


レストラン栃の木を探しながら歩いていくも。無い。そんなレストランが無い。


メッセンジャーで電話したら通り過ぎてしまった、とのこと。


店のオーナーがマイカーで迎えに来てくれ、無事にレストラン栃の木に辿り着くことができた。


早速、ビール。待ちに待ったダムカレーを注文


素晴らしい~。


横山のダムカレーとはチト違う。
ダムカレー&送別会 ラン約40㎞


帰りもオーナーが大嵐駅まで送ってくれた。


いろいろ、ありがとうございました。、


飯田線車内で栃の木で出会った浦川の人と祝杯。


佐久間にカンパイ。


様々な出会いが自分を成長させる。


身長ではないよ(笑)

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ウッチャンが帰ったので、慰労会は男が6人

シェフ、伊藤さんの料理に今宵もはじまりました(^.^)/~~~

山芋をスリスル、最高のツマミの出来上がり。

露天風呂でほろ酔いで夜空を見上げた。

満天の星空が田舎の魅力。そのように感じた。


わたしより一回り年上のひとばかり、人生の大先輩のお話は役に立つことばかり。だ。

大先輩の中では自分は若者、配慮は欠かせない。我先に手伝のときには腰をあげないといけない。

返事は
「ハイ」

しし鍋が出てきた。
今年の肉は脂がたっぷりあったそうだ。
しし鍋に使用する、その肉はししの油が旨みを増す。
男の料理が酒の量も増やしていく。

この肉、地元の猟師から仕入れた。
ハ丁坂の峠から北に行った間庄の人から仕入れてきたのだ。

男6人、男同士だから出る話がある。
下世話な話。
身分が低い人たちではないので下世話な話とはチト違うかもしれない。
高尚な話、の方が良いのかもしれない。
神社の鳥居の話、、、。
鳥居は何を意味しているのか、わかるか?
何処の神社にも有る鳥居。

○×△※◆□◇・・・・・。

古来日本人は、この国を神の国として維持してきた。

この世に有る、あらゆるものを神として祀ってきた歴史がある。


昨日、西浦田楽を見てきた私は、この先輩の話に聞き入った。


下さんが言った。

だから奥さんを大事にしなさいョ。

っと。


夏には毎年恒例の富士山頂往復マラニックがある。

今年は
ゼロ富士クロス。
が、新しくできた。

しかし、わたしは富士山頂往復に参加する。

富士宮浅間神社の鳥居を潜って、その奥にある神秘的な山頂を目指す。

そう決めた。

先輩から多くのことを学んだ慰労会だった。。。

つづく。。。

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今回メンバーは5名

佐久間の中部天竜駅から西渡(にしど)を目指して走っていく。

ユックリぼちぼちマラニック

西渡到着、ココからはハ丁坂

峠では光明寺 に寄り道・道草

佐久間は小春日和、柔らかい日差しの中を楽しく散策。

ヤマンバの爪あとが残っていると言われるで伝説の岩は草陰でひっそりと隠れていた。

八丁坂の峠に立ち、振り返ると、天竜川の蛇行する勇壮な流れが眼下に見下ろすことができる。

八丁坂を超えると、急峻な山並みが目の前に迫る。

その山肌にくっつくように無数の部落がある。

南から
瀬戸・間庄・立原・横吹・島・・・・。

瀬戸から正面に竜頭山がそびえる。

わたしが幼少の頃、横吹で暮らしていた頃、毎日目にしていた故郷の山だ。

5月の最後の日曜日、毎年私たちはその山に登っている。

竜頭山スーパーマラニック

 
平和登山口での写真

今回、その竜頭山を右に見て走る。歩く。

ペースがユックリのタメ、ほうじ峠の伝承館で予約していたソバが心配になり、知り合いに携帯で電話。

「午後4時までは開いています、待ってるョ~」

そんな言葉に元気を頂いて、歩みを進めた。。。。。

途中、秘密のショートカットを入れた。

ウッチャンから伝承館に到着したとの連絡、ウッチャン早い元気イッパイ。オジサンはヘロヘロ。。。。

ついでにわたし達のソバも注文してもらった。

伝承館での食事、この時期は在来種の蕎麦粉でのソバ、だった。

野田やまびこ会の女衆がお出迎え。

伝承館を後にして羽ヶ庄を通て佐久間に向かう。

途中、羽ヶ庄の細沢さん家にモクレンの大木がある。

オバサンがいた。

昔、新聞で、そのモクレンの話が記載されていた。

何かの記念で植えたモクレン、春に綺麗な花を咲かす。と。

羽ヶ庄から佐久間までは急な下り坂、転がり落ちるように佐久間に向かった。

中部天竜の駅に5時には到着、今回ユックリのマラニックだった。

さ~って、よいよ、しし鍋を囲んでの慰労会(酒)

つづく。。。

PS
動画

 

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2月23日土曜日は佐久間しし鍋マラニック
10年前、ヒロボーさんに知り合って「佐久間でマラニックをやろう。走り終わて知り合いの別荘でしし鍋を食べ慰労会だ!!!」
そんな話が盛り上がって始まった。

思い出イッパイのマラニック。
去年は水窪の粒食いしもと に言っての食事だった。
今年は原点に返ってまたホウジ峠に行こうと思っている。

先ほどヒロボーさんに電話して聞いてら
「まだ参加者が数人だ」
と、そんな話だった。

折角、始まった佐久間に来てくれる規格、折角、ヒロボーさんが発案してくれた企画。
少しでも多くに人に参加してほしい。
私からも、皆さんの参加を募集します。
 

コースは↓
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=a38b90da4ee25439663ead22a4392ca9

集合場所はJR飯田線 中部天竜駅横の浜松市市営駐車場
時間は 9時30分集合、10時出発
会費は飲み食い代 去年は
男性 3000円
女性 2500円
でした。

よかったら是非、来てください。
佐久間町

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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