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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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城西小学校の閉校が決まり、城西小学校の同窓会をやりたいナ~。
そう、思っていた去年の春。
佐久間中学校の同級生の母親が亡くなり、通夜で○井君と出会い同窓会の話をした。
その夏、相月のお寺で施餓鬼があり○井君も話をして、
城西小学校同窓会2017
は、始まった。
幹事長 三○敏郎
福幹事 ○井 誠
事務局 新○ 勉

昭和46年度卒業
城西小学校同窓会
1904年(明治27年)から続いた城西小学校は平成28年度で閉校します。
112年の間、佐久間町城西地区の小学校教育を担ってくれた学校に感謝するとともに、過疎で衰退する地元の事を考える場にと、今回こてを機に同窓会を計画しました
日時 2017年3月18日(土)
会場 水窪「中村館」
会費 7000円
幹事長 三○敏郎
福幹事 ○井 誠
事務局 新○ 勉

当時、私たちのクラスは二組。
先生には往復ハガキでの連絡。
生徒には普通ハガキでの連絡とした。
大部分の人が佐久間町に住んでいない人だ、少しでも故郷を思い返してもらえるように
西渡(にしど)郵便局から西渡郵便局の風景印を押してもらって送ることにした。

真っ先に連絡が来たのは、北○先生
往復ハガキだったけど電話での連絡だった。
最近腰痛が酷くて参加できないとの連絡だった。
ハキハキとした声にはハリがありまだまだ若さがみなぎっているようだった。

2017年城西小学校同窓会
参加者は16名
タイムスケジュール
13時00分(城西小学校内見学)

13時30分(講堂に集合)

14時00分(見学終了)

15時00分(同窓会開始)

18時00分(同窓会終了)

今回は、城西小学校の閉校式があるので、それにからめての同窓会の計画だった。
城西小学校に連絡して、学校内を見学できないでしょうか?と聞いてみた。
最後だから、もしかしたら閉校の後、その小学校は解体されるかもしれない。
校長先生の配慮で、それが叶った。

私たちが小学校6年生のときの教室で集合写真を撮った。

城西小学校3階の教室の窓からは
城西の街並みとエス型鉄橋が見える。

校長先生に、城西小学校の閉校までの経緯の説明をしてくれないかとお願いした。
閉校後、城西小学校の生徒は佐久間小学校に行くのか水窪小学校に行くのがよりよい方法なのか。
何回も何回も会合を重ね、PTAの皆さんの話し合いがあったこと、先生は中立の立場で見ていたこと。

これも時代の流れの1ページ。

最後、校庭に集まり。
記念写真。

城西小学校の、この鉄筋コンクリートの校舎は、私たちが小学校2年のときに完成した校舎だ。
いい記念の1枚になるだろう。

それぞれの人の車に便乗して同窓会会場である水窪の「中村館」に向かった。
飲んで飲んで酔っぱらって同窓会が終わってからだと集合写真が写せなるかもしれないと、飲む前の集合写真。

後ろにある城西小学校の横断幕。
城西の太○さんに書いてもらった。
ありがとう。141年。
長い長い城西小学校の歴史は閉じた。

城西小学校の歴史は閉じたけど
また、これを機会に同窓会は続けていこうと思っている。
ヤハリ同窓会は地元で。

関連ブログ
小学校の同窓会をやろう!!
同窓会。。。
城西小学校の同窓会(その三)
城西小学校同窓会まで、あと少し
城西小学校同窓会の打合せ。






 

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無題
無事終わりましたね。

同窓会風景が目に浮かびます。
いい節目の時にやったと思います。

参加者それぞれの人生の
すばらしい1ページになったことでしょう。

みんながよろこぶことをやるということは
とても自分が幸せかことです。
ヒロボー 2017/03/21(Tue)10:12:18 編集
ひろボーさんへ
ありがとうございます。

ひろぼーさんの行動に影響を受け私も行いました。
人に喜ばれること。

ありがとう✨
そのように言われることは
何事にも帰れない自分の財産です。
「お金ではなく人のご縁ででっかく生きよ」
これからも ご縁を大切に佐久間で頑張って行きます。
しんしん 2017/03/21(Tue)12:26:57 編集
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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