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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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日本の年金制度は、若い世代が支払う保険料を財源として高齢者世代に年金を給付する仕組みになっている。
世代間で支え合う仕組み、これを賦課方式という。
賦課方式では高齢者世代の生活の不安を取り除き、若い世代の今後の老後の不安や年老いた親への仕送りの心配を取り除く役割を果たしている。のだそうだ。
また、年金の運用の仕方には「賦課方式」と「積立方式」とがありそれぞれのメリット・デメリットが説明してあった。
税金・社会保障教育HP
https://www.mmea.biz/column/

半場に越してきたころの夏、消防団で盆踊りの警備をしたときの話し、私より五つくらい年上のある方が高齢の人に向かって「年金もらっている奴がエラソウコクじゃない!!」と怒鳴っている場面を目の当たりに見た。
横吹から引っ越してきた私には考えられない行為だった。高齢者は労わるものだと思っていた。町だと様々な人がいると思った。
それから数年たって、その五つくらい年上のある方は病気で亡くなった。その高齢の人は施設に入ったが元気に今も暮らしていると聞いている。

NHKの討論番組があった。団塊の世代、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれた人たちが60歳になり多くの人が定年退職を迎える。そんなとき。
その団塊の世代の人と団塊ジュニアの人たちとの討論番組だったと記憶する。人口ピラミッドの頂点の人たちが退職し日本はこれからどうなるのか、子を産み育てる若い世代はワーキングプアとか引きこもりなど様々な問題がある。そんな問題を若者と高齢者の間で議論する言葉のバトルだった。
多くの意見の中を割ってアナウンサーが「ちょっと待ってください」と話を遮り、あるビデオを見せた。定年退職を迎えた年代の人が豪華化客船で船旅をするシーンだ。若者の間でため息が漏れていた。
ビデオが終わり、議論が始まり、若者から非難の声が出ているときに、団塊の世代の中から女性のある人が手をあげて指名された。その人は。
「私たちは戦後の復興で多くの苦労をした、自分の金でそのような事をやって何で悪い」と、言ったのだ。場内はシーンとした。
その人の胸には教師と書いた名札が着けてあった。

今日からできる、誰にでもできる!「60歳を人生のピークに持っていく法」そのまんま東の本がある。そのまんま東の本は他に「芸人学生」も読んでいる。自分の波乱万丈の人生を面白おかしく書いてある良い著作だ。
その「60歳を人生のピークに持っていく法」の一部を抜粋する、p38中ほどから
そんな日本再生のカギは、60歳から70歳の世代の方たちが握っている。この方たちが「もう僕らは年金なんていらない。そんなのアテにしなくても、若い世代をアテにしなくても、自活して行けるよ」と言えるくらい心身共に健やかであるなら、日本もかつての勢いを取り戻していけるのではないだろうか。ほとんど破城している公的年金。この不安感が高齢者予備軍の方たちに翳りを落としているのだろうか。僕は社会人の責務として、今の高齢者を支えるために年金を納めているけれども、僕が受給者の年齢になってきてもきっと受け取ることはないだろうと思う。

昭和10年生まれの父親は60歳で年金を貰い始めた。しかし、病気ぎみの父親は佐久間病院に行き、せっせと病院にその金を納めた、病院友が沢山いた。大正15年生まれの母親は会社勤めの父親のおかげで年金をもらえていたと思う。がしかし、派手な買い物はしなかったと記憶する。私たち大家族を支える食料品の買い物の時に半額は母親が負担してくれた。

公的年金は、老後の生活の大きな支えとなるもの、日本の年金制度は賦課方式で、若い世代が支払う保険料を財源として高齢者世代に年金を給付する仕組みになっている。
働けるうちは働いて、保険も税金も納めるようにしたいものだ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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