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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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映画「最高の人生の見つけ方」でのモーガン・フリーマンのセリフです。
日航機事故で坂本九さんは亡くなった。世界中にヒットした「上を向いて歩こう」の作詞者は永六輔さん、その人の歌に「生きているということは」「いきる者の歌」がある。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きていくということは、その借りを返していくこと


母親から私は生まれた。その母親は80歳で特別養護老人ホームに入所した。
認知症だった母親は、夜の徘徊が数年間続いた。最後は村の衆や消防団、警察や警察犬、ヘリコプターまで使っての捜索があった。
寒い夜、捜索が打ち切り。もしかしてもしかするかもと思って、姉・親戚の人と家の続きの部屋を掃除した。

次の昼前、母親は半場の山中で見つかった。
救急車に乗り込む母親は「大丈夫だ」と言っていた。
その年の暮れ、家に電話が入った。
特別養護老人ホーム「さくまの里」からだった。
「お母様の順番が来ました。どうしますか」
と、私は
「スイマセン私一人では決めかねますので父親と相談します」
と電話を保留にした。そして父親に訊いた。
父親は、飛び起き。
「たのむゾ~」
と言った。
母親の特別養護老人ホーム「さくまの里」への入所が決まった瞬間だった。
母親の老人ホーム出の部屋は、3号館の二階、天竜川側、ベランダからはB型鉄橋が半場の村が綺麗に見えていた。
あれから17年、私は介護士になり、あのベランダからはB型鉄橋が半場の村が綺麗に見える部屋に行くことがある。17年前を思い出す。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きていくということは、その借りを返していくこと


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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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