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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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生きていくということは、誰かに借りをつくる事
今は亡き隣のおばちゃんが言っていた。
「生きている者の務め」
兄が亡くなったのは、癌だった。
埼玉の出張先で、吐血して救急病院に運ばれたと連絡が来た。
タダの胃潰瘍だと思っていた。
義理の姉は、四男と三男を連れて佐久間に来た。
次の日、埼玉県の獨協病院に行った。そして癌の告知を受けた。
あれから二十年以上たった。義姉は逝った。
永六輔さんの「いきるものの歌」がある。
そこのセリフに
もし世界が平和に満ちていても、悲しみは襲ってくる。
殺されなくても人は死に、誰もがいつか別れていく。
世界が平和でも、悲しい夜はくる。
誰もが耐えて生きていく。
思い出と、歌が、あなたを支えていくだろう。
とある。
人は生まれ、やがて死んでいく
映画「最高の人生の見つけ方」でのモーガン・フリーマンのセリフだった。
甲府から帰るとき、最後に義姉に向き合い
ありがとう
と合掌した。そして佐久間に帰ってきた。

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無題
ちょっぴりもの悲しくて、懐かしくて、知った名前がたくさん出てきて面白かった。自分が元気だったら二人で酒でも飲みたいぐらいだ。べんちゃんは凄いよ。生き様がかっこいいと思う。でも、もう少し気楽に生きよう。
兄貴の同級生 2023/03/14(Tue)20:43:12 編集
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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