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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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第100回目を祈念する夏の高校野球
今年、三重県津市白山町、津市中心部から車で30分以上かかる過疎地域の県立高校が、三重県の代表に選ばれた。
 
写真は佐久間高校焼津水産高校

その高校は、以前は部員不足に苦しむほどだったが、監督らを中心に草だらけのグラウンドを一から整備して環境を整えた。
『下剋上だ!』
過去10年連続初戦敗退、そんな弱小チームが雑草軍団が夢の甲子園の土を踏んだ。

三重県立白山高校ホームページ
http://www.mie-c.ed.jp/hhakus/

場所は
三重県津市白山町南家城678
最寄りの駅はJR名松線「家城駅」日に数本しか電車は無い。

JR東海 アクセス検索してみた。
 
中部天竜駅で青空フリーキップを買っていってみたくなった。

白山町は2006年01月01日津市に吸収合併した地域だ。

2006年(平成18年)01月01日
10市町村が合併してできた地域だ
久居市、河芸町、芸濃町、美里村、安濃町、香良洲町、一志町、白山町、美杉村

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静岡県でランニングパトロールが始まるらしい。

ランナー募集は8月21日(火)以降、静岡新聞紙面や公式サイト、協賛企業店頭などで詳しく説明があるらしい。

ランニングパトロールで検索してみた。

ひょうごふれあいランニングパトロールのホームページがヒットした。


警察署の前にランナーが集まり、同じシャツを着て走りはじめる。
街ゆく人に声を掛けながら。

あなたが走れば、社会が変わる。
を、キャッチフレーズにランナーの地域貢献だ。

参考ブログ
ランニングに新しい価値を〜ランニングパトロール〜

 

今、ネットなどが関係するむかしでは考えられなかった事件が多いと感じる。
少しでも地域の役に立てることができるのなら協力したい、です。

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映画
男たちの大和
太平洋戦争末期において、連合国軍による沖縄諸島侵略を食い止めるために向かった戦艦大和の乗務員の生き方が描かれた作品

終戦記念日の 8月15日
一通のメールが届いた。致知出版社からだ。
若者たちよ、君たちが生きる「今日」という日は死んだ戦友たちが生きたかった「未来」だ。

戦艦大和の乗務員として、その沈没を体験、上官である高射長の命と引き換えに一命をとりとめた八杉康夫氏の若者に向かってのメッセージだった。
昭和史をきちんと教えずに利己的な人物ばかり育てる今の教育現場の実態や、
海軍で出会った当時の立派な大人に比べて現在の大人が幼稚なことを嘆き憂いつつも
将来を担う若い世代に希望を託し大和の真実を語り続けている。
八杉氏は、その真実を語り続け、いつか再び戦友たちに会ったときに
「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」と胸を張りたいと綴っている。
 

八杉氏とは
昭和2年 広島県福山市生まれ
18年15歳で海軍志願、20年戦艦大和の乗務員となり、4月沖縄特攻で撃沈されるも生還。陸戦隊員として訓練中、原爆投下で救護活動に行き、被爆者となる。30年から戦艦大和の資料集めに奔走し、55年から大和探索。60年第4次探索で海底に沈む大和に再会。大和の語り部として講演を続けている。

平成30年8月6日
私は広島にいた。
広島・長崎ピースランの見送りに行った。
 宿泊は福山市駅前だった。八杉康夫氏の福山市だ。


中高年よ、私たちが生きている時代は戦友たちが生きたかった「未来」だ。
自分自身に言い聞かせる言葉だ。
昭和史をきちんと習い、利己的な人物にならないようにしなければ。

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むかし、日照り続きで作物が全滅寸前というときに、村人みんなで龍王渕にお祈りしておった。
日照りが続いたときに龍王ごんげん様に雨乞いをすると必ず雨の恵みがあるという物語の場面
龍王ごんげん
 
佐久間町は
柳田国男の遠野物語を意識していたのだろうか?
民話伝承の岩手県遠野地方に、古くから伝わる伝説や昔話などを収集。日本民俗それを世界に伝えようとしてできた遠野物語。
佐久間町は遠野にはなれなかった。
 
バブル期、多くのお金があった時期、地方は今の地域をどうにかしようと考えた。
それが、龍王ごんげん遊歩道にも感じる。

今日は相月のお寺に行って来た帰り。
夏の仏教行事、施餓鬼に行ってっ来た帰りによった。
龍王ごんげん動画音楽甘茶の音楽工房

餓鬼(がき)
俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。
お盆には亡くなった祖先や家族たちの供養を行うのと同時に、餓鬼の供養も行なって徳を積むことで自分にも救いがあるとされています。
それが施餓鬼

徳を積むこと
餓鬼の供養も行う
自分の先祖だけでなく、広く拝む。

世界が平和でありますように。

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月地区
天竜にもあるが 東栄町にもある。
 
愛知県北設楽郡東栄町の花祭り。
命の躍動を感じる祭り。
河島英五が遺してある曲がある、それが
「月の花まつり」

今、子供である河島アナムが唄っている。
「月の花まつり」
全ての者が死ぬんじゃなくて、空に上って星になって、また時間がったったら地上に咲く花となる

その歌に一部に
別れて行った人も
帰ってきておくれ
肩をだきあって
許し合おうよ
との詩がある
 

中部の祭りのも都会に行った人が帰って来てくれていた。
何もかもが巡りあえるよ
生きていれば旅を続けていれば
命はやがて空に昇って
地上を照らす幾千万の星
 
兄は49歳で亡くなった。空に昇って地上を照らす星になった。
私は生きている、地上に暮らし花を咲かせなければならない。

希望のを。

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8年前父親が亡くなり、家系図をつくり、話に聴いていた父親の兄弟について知った。
10人もの兄弟がいたが、戦争前の食料不足栄養不足で小さいころに亡くなった兄弟がいたと。
春、私の地区では慰霊祭があった。
次の春、慰霊祭の話が合ったけど仕事の都合で断った。
次の春、その春は仕事の休みの日だった。
慰霊祭に行って来た。←ブロブを書いた。

城西地区の慰霊祭はこの時解散する話をした。
次の年
城西地区戦没者慰霊祭解散 。←ブログを書いた。

昭和十七年十二月十八日午前六時十分
ニューギニア島ブナにて於て戦没
             俗名 新間徳一
                                    享年 二十四歳

叔父の位牌を目の当たりにした。

今回、広島に行った。
広島平和記念公園まで走った。
それぞれの団体が、平和について意見していた。
若者が平和について語っていた。
「アベの悪政治を通してはダメだ!」

若者が自国の総理に向かって言う言葉だろうか?

自分の国を愛さない人、自分の国のリダーに芥をいう人

叔父の位牌は、その他の人と共に天に消えた。
しかし、自分の心に残っている。

家族の概要
大切な家族がどのように生きかた、広島の旅はそんな理由もある。

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広島の旅
最後は福山市の駅前に宿を予約してあった。
(カプセル&サウナ日本)
チェックインは午後4時、まだ時間があるので荷物を宿に預け福山駅から瀬戸内海を目指し走った。
暑い熱いギラギラと輝く太陽の熱、舗装道路からの照り返し、溶けてしまいそうな暑さだ。
道沿いにバラの花の花壇がある、福山市はバラの町だそうな。
2015年9月18日に「福山市ばらのまち条例」を制定し。この条例は、市民と行政が一体となってばらのまちづくりを進め平和の尊さや心の豊かさが実感できる活力ある福山の実現をめざしています。
と謳っている。

コンビニによってガリガリ君とスポーツドリンクを買って体を冷やす。
しばらく走ると、釣り用品の店が出る、海ももうすぐか?
橋が見えてきた。

川沿いの遊歩道沿いに歩き芦田川大橋の下の日陰で休む。
もう帰ろ。暑いし、かえって風呂に入ろう。
瀬戸内海の広い海までは行くことは断念した。

今回 走ったコース

片道約5㎞
福山駅に帰ってきて北出口にある福山城を散策

駅でお土産を買い、ついてに明日帰る中部天竜駅までの乗車券も購入
7時24分(福山駅)

↓のぞみ

9時20分(名古屋駅)
9時29分(名古屋駅)

↓こだま

9時57分 (豊橋駅)
10時08分(豊橋駅)

↓伊那路

11時21分(中部天竜駅)
乗車券   8960円
新幹線   4540円
伊那路    590円
 計     14090円

宿に行きサウナに入って汗を流した。
風呂上がりに休憩室で高校野球を見ながら生中二杯
ウツラウツラ少し眠った。
腹が減り、外に飯を食べに出る。
目についた、この看板

焼き肉
スタンダードコース
2280円
飲み放題
1280円
上ハラミ・ケタカルビ・ハナハナ
何だかわからないが食べた、腹いっぱい。
しかし一人の食事は味気ない。

ビルに帰って就寝。
カプセルの中に忍び込んだ。

予約の時に
「一番安いの」
と言ったので、今回はテレビも無い。ラジオも無い。
何も束縛するものがない。
ただ眠るだけ。

8月7日(火)早朝7時24分
バラの街 福山駅を後にして新幹線は発車した。
4時間後には、11時21分には、杉の街 佐久間町に到着した。
何年か前に佐久間町が町として存在しているときに、杉の街として提案する人がいたのだろう。
佐久間町で検索してみた。
ウィキペイアがヒットした。
佐久間町(さくまちょう)は、かつて静岡県磐田郡に存在した町である。
2005年(平成17年)7月1日、周辺10市町村とともに浜松市へ編入合併され消滅した。同時に地方自治法第202条の4に基づく「佐久間地域自治区」が設置された。
2007年(平成19年)4月1日に浜松市が政令指定都市へ移行したことに伴い、天竜区の一部となった。政令市化後も佐久間地域自治区は存続したが、2012年(平成24年)3月31日をもって廃止された。
ウィキペイアから

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基本的に「見る」と書き、「観る」「視る」「診る」「看る」は意味を強調したいとき使う漢字である。
「観る」「視る」「診る」「看る」を「見る」と書いても間違いではない。

テレビなど、なんとなく見るのであれば「見る」を使い、じっくり見る場合は「観る」を使う。

「看る」は、「看病」「看護」の熟語があるように、世話をするという意味で、病気のこどもを「看る」などと使う。

八ツ塚先生は、母親の看病のため大好きだった教員の仕事を退き離任式で、こんな言葉を残している。
「人間には自分がしたいことを断念しなければならない時もある」
八ッ塚先生の本を読み
このブログ
https://blog.goo.ne.jp/fuifui_dec02/e/bc7bc960321445137bc013b9530d9684
で八ッ塚実先生の資料館の事を知った。

松永駅を降り、北口には八塚酒店があった。
テクテク歩いて町人に先生の資料館の話をして聞いてみた。
丁寧に教えてくれた。
チャイムを押し、頭を垂れて資料館を観たいことを伝えた。
資料館は家の隣の車庫の上だった。
奥さんの後に着いて階段を登ると下がり切っていないガレージに頭をぶっつけた(涙)
学級歴史年表
受け持った生徒の一人ひとりの歴史が、そこにはあった。

授業も本物を使う八ッ塚先生は「百姓一揆」の授業で番傘を買い当時の一揆で使用したという番傘をつくった。

人権がテーマの授業では

まさに本物の授業を展開しての人なのだと思う。
人権?
 人権を説明する前に
権力
 自分たちの暮らす社会には、様々な権力関係がある、警察と一般市民。会社の経営者と、被雇用者。学校の先生と生徒の間に力関係がある。
どのような社会においても、権力は生まれてくる。秩序をつくるために権力は必要だが、その権力を乱用することがある。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」という格言もあります。
 何も策を講じなければ、弱い側は虐げられる一方になりかねません。そこで、権力関係の中でも人間の尊厳が守られるように、弱い側が「人権」という概念を生み出したのです。
人権
 人間が人間らしく生きるために必要な権利
あなたは、どっちを選ぶ?
生きていく日々、あなたは選ぶ!
特権・人権
みんなで生きる道・自分だけを守る道
生徒たちに考えさせる授業

生徒との絆を大切にして生きてきた八ツ塚実先生の資料館を訪ねて来て
今思う。

こんなにも膨大な資料、デジタルで保存して後の世に伝えていかなければならないと。
働くということ、お金を稼ぐということ、今の世の中お金に支配されてはいないだろうか?

そんなことを感じながら
本物の中学校教師、八ツ塚実先生の資料館を後にした。

薔薇の町「福山市」
広島県の旅、最後のレポートに
つづく

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行かねばならぬ
そう思って何年もたった。
今回、思い立って行くことに決めた。
広島駅のコインロッカーに荷物を預け、広島平和記念公園まで走った。
あの、原爆投下の日も今日のように暑い時だったそうだ。
テクテク走っていると、やけに人が多い所に遭遇、警官・機動隊が集まっている。そんな人の向こうに原爆ドームが、あった。

73年前の今日
原子爆弾はこの建物の南東約160メートルの上空約600メートルでさく裂した。
特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていた、この建物は大破・全焼して館内にいた全員が即死した。

ココに来た理由は、もう一つある。
広島ー長崎リレーマラソン
の見送りである。
スタートは9時、まだ時間があるので原爆ドーム横のベンチに座っていた、その横のカメラを持っていた年配の人と話す機会に恵まれた。
元教員で徳島県の人、昔修学旅行で子供たちと何回も訪れた原爆ドームの話、精霊流しは夕方行うと教えてくれた。
川下に学校があり、原爆で黒く焦げた学校の壁面にチョークで教職員の被災状況の連絡を書いてあった、そんなお話をしてくれた。

リレーマラソン参加者らしき人が集まってきた。
見たことがある人が何人かいた
今回の
見送り隊

ピース・アイチとその仲間たち
のメンバー

私は菊池さんを慕って広島に来た。
ウルトラマラソンを知らない8年前、菊地さんに浜松駅から遠山郷までの90㎞を一緒に走ってもらった。
真夜中の道、様々な話の中に広島―長崎リレーマラソンの話があった。
その地に今日来た(走らないが、そんな走りを見送った)

真夏の暑い中のリレーマラソン
そんな人を見送って、自分はもと来た道を広島駅を目出し走りはじめる。
おっと、その前に広島中央郵便局に暑中お見舞いを投函。
デパートの前では職員がお茶を道行く人に差し出していた。
広島駅から平和記念公園まで片道2,5km
往復だから5㎞のジョグ
ロッカーで着替え、次の目的地「松永駅」行かなければ。。。
それは最近読んだ本
ヤッつあん先生の「人間学」
大人になるということ
思春期という節目
本の著者
八ッ塚実先生の資料館に向かったのだ。
広島駅で在来線で松永駅に向かおうとしたら、先の豪雨で通行不能の区間があるらしく新幹線を利用して行くことになった。
広島駅10:59発
 ⇩新幹線
 三原駅11;25着
三原駅11:29発
 ⇩山陽本線
松永駅11:55着
山陽本線の舎窓から先の豪雨の影響か崩れている山肌がいくつも見えた。
そういえば、リレーマラソンの菊地さんは4日5日と災害ボランティアに行って来たといっていた。
隣の家は被災していないのに、すぐ隣の床下は泥だらけだった、といっていた。
運がいいとか悪いとか、人はトキドキ口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う

見る・看る・観る
よ~くみる
八ッ塚実先生の資料館に
つづく

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幸せって何だっけ何だっけ~♪


美味しいものを食べること?


海外旅行をすること?


より便利なところで暮らすこと?


結婚すること?


様々な幸せの感じ方がある。


今回、私が送った著中見舞い。
夢街道に携った人への、感謝の気持ち。


富山村(とみやまむら)郵便局の風景印を添えて。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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