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円谷幸吉
1940年(昭和15年) ~ 1968年(昭和43年)まで生きた男 陸上競技 長距離走・マラソン選手、陸上自衛官。
一人の道
フォークグループ ピンク・ピクルスのシングル曲である。
ある日走った その後で
僕は静かに 考えた
誰のために 走るのか
若い力を すり減らし
マラニックで長距離を走る。
走る仲間と会話しながら楽しく走る。
100㎞走って富士山が走る私たちを見守ってくれているような気がする。
富士山一周マラニック
走り競い合うのではなく、共に走る。
マラニックすること。
円谷幸吉が亡くなって50年、世の中はだいぶ様変わりをした。
二年後には東京オリンピックがある。
こんな時期だからこそ思い出す。忘れてはならない事だと思う。
地球が一つの共同体、ある地域で起こることが地球全体に影響していく。
日本は平和で豊かだ。
給料も高い。
日曜の「噂の東京マガジン」噂の現場
でのこと。
中国人が多く住んでいる埼玉県西川口のチャイナタウン化しているところを取材してインタビューを受けた若い中国の人が話していた。
「日本の大学に通い日本の大企業に勤めたい、中国の企業より給料が高い、、から」
むかし、昔、そのむかし
わたしの父親は地元(城西)の製材に勤めていた。
そして、私が中学校の頃、地元の勤務をヤメ、豊橋の製材に出稼ぎに行くようになった。
「同じ仕事で給料がバカ違う」
そんな話を思い出す。
グローバルな時代、人々はより豊かに快適な暮らしを求めて移動する。
12市町村が合併して出来た新浜松市、二年後政令指定都市になり新浜松市は日本の大都市の仲間になった。
その新浜松市の隅っこ、佐久間町に暮らす。
日本は世界に類を見ない高齢化社会を迎えている。
日本人は日本の中高年は
富士山を一周走る。100㎞
そんなことをは発信し続けたいと思っている。
日本は平和で豊かだ。
競走ではなく共走
走り競い合うのではなく、共に走る。
マラニックすること。
噂の現場
埼玉県西川口市の駅前が中国人でいっぱいチャイナタウン化している状態だという。
人口が増え地域が潤うなら問題ではないが、そこにマナーの悪い人が居て地域住民が困っているという話だった。
ゴミの出し方、中国人同士のケンカ、etc。
余りにも中国人が多く、そこに住む中国人のインタビューで
「日本語がわからなくても暮らすことができる」
そんなのが印象的だった。
また、若い人は日本の大学に通い、将来日本の企業で働きたいとの希望を語っていた。
そのなかで、高齢者のマナー違反があるとの話をしていた。
マナー・エチケット
公共の場を使うときに必要なルール、パブリックマナー
基本的に、マナーの考え方は「人のことを気遣う」ということ。
次の土曜日は
ぐるっと富士山一周ウルトラウルトラマラニック100k
パブリックマナーを守って大人の遠足を楽しもう。
そう思っている。。。
2018年5月6日放送
「西郷入水」
の録画を見た。
吉之助と月照は冬の錦江湾に飛び込み、暗い錦江湾に漂う二人の姿で終わりを迎えた。
佐久間町が合併したとき、近所の人に誘われ詩吟に通ったことがある。
その中の一つに
月照十七回忌があった。
相(あい)約(やく)して淵に投(とう)ず 後先(こうせん)なし
豈(あに)図(はか)らんや波上(はじょう) 再生の縁(えん)
頭(こうべ)を回らせば 十有余年の夢
空しく幽明を隔てて 墓前に哭(こく)す
訳
お互いに抱き合って海中に身を投じたのだから、死期に後先はないのに
どうしたことか私だけが再生のえにしを持った。
かえりみすれば、すでに十年余りのことになるが
あの世とこの世と空しく生をへだてて、私は悲しみに沈み墓前に泣き伏すのである。
(忌辰)辰は日、忌日と同じ、祥月命日
(再生)生き返る
(幽明)現世とあの世
(哭(こく)す)大声をあげて泣く
みじかいあいだだったが詩人をやった時期があった。
経験したことは、決して無駄な事ではない、そのように感ずる。。。
強い人になるにはたくさん
の挫折が必要です。
優しい人になるには
何度もの哀しさが必要です。
この言葉は、先日行われた「さくら道国際ネイチャーラン」に参加した知り合いの投稿から知った。
様々なウルトラマラソンのコース上に選手の心を癒す言葉が書いてあることがある。
言霊
古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。
苦しい場面で出会った言葉に救われて、100kのゴールを目指したことがある。
様々な言葉は、その人の考え方、自分の今の状況によって、その人の心に落ちる。
先日、お見舞いに行った、芋堀の人からのメール
このような添付ファイルがあった。
言霊の力
おそるべし。
100万回のアリガトウ
おそるべし
平成30年4月13日(金)
佐久間から滋賀県浜市余呉町までウルトラマラソンに行く途中の出来事です。
バンガローで飲む様々なドリンクを積み、焦る気持ちでいたのでしょうか?
静岡県側の狭い道を通り抜け、愛知県側の国道151号にはいったとたん、目の前に赤い旗が。
そう、速度取り締まりでした。
どうして?
そう、春の交通安全週間。
自分、安全協会のメンバーで、今日、ほんとうは当番日、山ちゃんに「その日は滋賀県に行く用事があるので参加できません」と報告したのだった。
なんてこったい。。。。
手痛い授業料だナ~。
安全協会、ウルトラマラソン、その他いろいろ、今自分はそんなことを何のためにやっているのか?
イヤイヤやっていたのでは自分の為にならない。
そんなことを今回の悲しい出来事で考えた。
半場に越してきて、家族で新城のユニーへ買い物
日用品、買い置きの食料等々。。。
ユニーの駐車場で車の運転席に座り、まだ買い物に行っている子供たちを車中で待っているとき。
そのとき、後ろの席に座っている母(まだ元気だった母)が
母:「丸ごとバナナ食うか~」
と言ってきた。
そんな、食わない、いらない、と言い返した。
運転席で雑誌を読んでいたら、アマーイ香りが、後ろで母が丸ごとバナナを食べていた。
私:「カロリー取り過ぎだぞ~」
母:「昔、食えんかったで今食う~」
丸ごとバナナをまるさら食べちゃた。
カロリー取り過ぎー。
まだ60歳代だった母、食べるのが好きだった母
母
今年の6月で92歳
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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