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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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紅葉の峠ウォーキング
第3回 青崩峠古道歩こう会(信州から遠州へ歩いて国境を越えよう!)
にボランティアで参加してきた。
(わたしは水窪山に生きる会からの要請)
 

主催/西浦区民交流の場管理組合・遠山郷やらまい会
後援/遠山郷観光協会
後援/浜松・浜名湖地域 食×農プロジェクト推進協議会、飯田市、南信濃公民館、南信濃振興公社秋葉街道深遠ネットワーク、中日新聞社、静岡新聞社・静岡放送
信濃毎日新聞社、南信州新聞社、SBS信越放送、飯田ケーブルテレビ
協力/山に生きる会、遠山山の会、南アルプスジオパーク研究会

水窪の西浦田楽の里に集合して、バスに便乗し遠山側から青崩峠を越えて遠州(水窪)の方面を目指した。
わたしは先導を歩き案内をした。
いつも走っているけど、ユックリのウォーキングもまた楽しかった。
新しい出会いもあった。

帰りは、水窪のイベント「夢街道」に行って餅投げで数個の餅をゲットした。
水窪の人が素早くてナカナカ餅を取ることができなかった。
修行が足りないナ~。。。

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アイアンマン ワールドチャンピオンシップを知っているだろうか?

毎年10月、満月の一番近い日の日曜日に開催される。

世界最高峰のトライアスロン大会。水泳2.4マイル(約6.8キロ)、バイク112マイル(約180キロ)、マラソン26.2マイル(約42キロ)を競うワールドクラスの実力者たちが競う大会。

その大会に、わたしの知り合いが参加、そして完走。

豊橋でアイアンマンハワイ2018報告会があったので参加してきた。

 
わたしの隣の人が「中田さん75歳」だ、そのアイアンマンハワイの完走者でである。

アイアンマンハワイ、トライアスロン、よく分らない人は下のリンク先の動画を観てほしい。

アイアンマン ワールドチャンピオンシップ 2018
https://www.allhawaii.jp/event/358/

ココの動画に中田さんもいる。

多くの人が中田さんに質問していた。
その中に
「スタートは年代で分れているのですか?」

わたしも少しだがトライアスロンをやっていて、少しだが知識がある。
アイアンマンハワイは、男も女も若い人も年寄りも障碍者も一緒に大砲も合図でスタートする。
そしてゴールを目指す。

そこに中田さんが参加した。
中田さんは
2012年(70歳)
2018年(75歳)
参加。
次なる目標は五年後、80歳での参加だそうだ。

アイアンマンのスローガンは「Anything is Possible (不可能はない)」
https://translate.google.co.jp/#en/ja/Anything%20is%20Possible

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男はつらいよ フーテンの寅
そこで忘れてはならないのは水窪のフーテンの寅



この寅さんからある日、わたしの所に電話が来たことがある。
カナリお酒が入っているようで呂律が回らない様子(笑)
「ツトム君いっしょに老親ホームに慰問にいかまい」
そんなことを電話で話した。

前置きはそのくらいにして、下の動画

寅さんのセリフがタマラナイ。
寅さんお風呂に入った裕子さんが気になる。
寅さん:「なんだ叔父ちゃん無い考えてるんだ」
叔父ちゃん:「おまえと同じことだよ」
寅さん:「いい年してなんだョ~。汚いョ。卑猥だョ。」
叔父ちゃん:「何言ってんだ、このバカ。俺はただ今日も日がくれたナ~と思っていただけだ」
寅さん:「ウソだよ~。今言ったじゃないか俺と同じ考えだって。ハハハ」
寅さん:「ハハハ~。。。。あれ~」
爆笑。
この笑い、寅さんの表情。最高傑作だったナ~。

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人間学を学ぶ雑誌「到知」9月号特集内発力
その中で、侍ジャパンの監督を務めた小久保裕紀さんの『毎日新聞』の記事のことが書いてあった。
小久保さんはプロ二年目で本塁打王を獲得。だが天狗になり、翌シーズンは散々。一方イチローは三年連続の首位打者へ驀進中。《その年のオールスターゲーム、外野を二人でランニング中に彼に聞いた。「モチベーションが下がったことないの?」。するとイチローは私の目を見つめながら「小久保さんは数字を残すために野球をやっているのですか?」と言った。「僕は心の中に磨き上げたい石がある。それを野球を通じて輝かしたい」。自分はなんと恥ずかしい質問をしたかと、顔が紅くなった。彼の一言で「野球を通じて人間力を磨く」というキーワードを得た》内発力で生きている人間の真骨頂をこのイチローの言葉にみる。
原文まま

TJAR2018のDVDが手に入った。
TJARとはトランスジャパンアルプスレースの略、日本海の富山湾から太平洋の駿河湾まで、約415kmを人間の足だけで駆け抜けるレースのことである。
二年ごとに行うそのレース、望月さんは4連覇中で、16年大会では4日23時間52分という大会記録を打ち立てた。
その望月さんが2018年のTJARでは、これまで誰もやることのなかった「山の原点に戻ったチャレンジ」を掲げた。
TJARのルールは、途中の山小屋や自販機で買い物してもいいことになっていますが、食料もすべて背負って、お金を使わずに行きたい。ただ、水については、山小屋で湧水を引っ張っているところでも協力金というかたちで有料のところもある。なので、そこは自分の中ではよし(利用可)としようかなと。水以外の装備・補給食は全部背負って静岡まで行くというチャレンジをしたい。と大会前のインタビューで話していた。
そして今回TJAR2018のDVDを観て、成し遂げた姿を拝見した。

イチロー選手の言葉・望月さんの想い
人に如何して走るのかと言われる時がある。そんなときイチローのように
「僕には心の中に磨き上げたい石がある。それをランニングを通じて輝かしたい」その様に答えよう。と思う。
望月さんはインタビューの最後に、トレイルランナーと登山者の関係、マナーの話があった。
トレイルランも登山の手段の一つ、登山者もトレイルランナーも、お互い気持ちよく山の頂を目指せたならいいと、山という自然の中で相互に思いやれ、助け合えるよう、そのきっかけになればいいなと思っています。と最後を締めくくった。

イチロー選手の言葉に感動し
望月さんの想いを、TJAR2018のDVDから感じた。

本日も朝ラン。空には星が輝いていた。

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水窪盆栽クラブ。

そんな団体に加入している。

如何して?

それは
今年の2月、水窪の知り合いから電話が入り、そんな人たちと名古屋に盆栽を見に行った。
そんなことがきっかけだった。
盆栽の展示会に行ってきた。

西渡(にしど)で待ち合わせ、会長の車に便乗して4人で舘山寺を目指す。

フラワーパークは
駐車料金200円
入園料10月~2月までは500円(園内で利用できる300円お買物券付)
なんと安いことでしょう。


水窪のオジー三人、佐久間のオジー一人で、浜松フラワーパークに入園。

早速、水窪盆栽クラブの目的である「老鴉柿(ろうやかき)」を見学した。

しばらく見学し、会長から盆栽の講釈を聞き、外に出た。

お買物券100円で、フラワートレインに乗って、温室のところまで行き、シャボテンを見学し、そこでたこ焼きを食べた。

そこを出て、次は菊花展、見物人は私たちだけだった。

外に出て、観光バスが4台、そこの長野県の観光バスのガイドさんとお喋り。
「長野の、ドコだイネ?」
浜松と言っても、北の外れ、長野県の人とは親近感がある。そんな感じ。

ガイド
「佐久市からです」

そこから会話が広がり、面白い時間を過ごした。
そんな会話が楽しかった。

帰り、車に乗って、一目散に山間部に帰って行った。

せっかく街に出たので、遊んでくるのかと思いきや。
みるもんみたら、はやく水窪に帰りたい。
そんな感じだった。

帰ってきたら
2時半

家でラーメン食って、昼寝した。

ジャンじゃん。

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八っ塚実先生の資料館で撮影した書だ。

人は見方によって人それぞれに同じ風景でも感じ方が違う。

10年前の「佐久間・水窪スーパーマラニック」
6時45分集合7時00分、中部天竜駅をスタートだった。

40分に集合場所である、市営駐車場に車で行ったら、すでに多くの人たちが集まっていた。
ある人が
「一番近くの人が、一番遅い、なんたることか」
かな?そんなようなことを言っていた。
わたしも、こんなに早くみんな集まってビックリ、ひらに誤った。
そんなとき、佳江さんは、こうわたしに話した。
「しんしんさんは、いっつも朝早く起きて大会に参加してるだネ~。えらいネ~」
感じ方も人それぞれだ。佳江さんの笑顔に救われた。
そしてみんなで竜頭山を目指した。

みなそれぞれ感じ方が違う。
同じゴールを目指す仲間でもそれぞれの感じ方が違う。
しかし、同じゴールを目指す仲間が増えたことは有り難く感じる。
今まで走ってくることができて良かった。
仲間・家族に感謝です。

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浜松縦断
何時のときだろう。
かぢや旅館に宿泊し朝出発するときの写真

佳江さん若い。
たつやま凸凹
にも来てくれた。
下平山の廃校になった小学校の跡でウッチャン、貴ちゃんと一緒になって両手を天に向け広げている。
    
子どもが通わななくなった小学校に大人が、年に二回だが行くようになった。
思い出の一枚。


下の写真は、峠の国盗りM
近藤さんの娘さんと鍔本さんとの写真
佳江さんが目立つから若いお嬢さんの方から声をかけてくれたんだったネ。
遠山のマラニックのときはまだ幼かった娘さんも大きくなって見違えて分らなかった。
佳江さんが居たから出会うことができた、そのように思っている。
   
東栄温泉にて写真、明日は
チャレンジ明神山
だったけど、中止にしたから。
 

2015年の
チャレンジ明神山
は、雨のタメにコース変更
しかし、花祭りを見に行ったネ。

途中の学校廃校跡での御昼ごはんは楽しかった。
雨の日、天気が悪い日も、それなり楽しんだマラニックだった。

名古屋いいとこ2015
これも楽しい思い出。
ピンクの上着が似合っている。

みんな楽しい楽しい思い出。
佳江さんが居たから多くのラン仲間にも出会うことができた。
そのように、ほんとうに思っています。

なかでも、わたしの、お気に入りの写真
は、↓

写真、左側で横目でウッチャンを見ている姿がかわいらしく感じます。
今年の
竜頭山スーパーマラニック
の登山口での写真。

佳江さんの思い出はたくさんたくさんあります。
多くの写真んもあります。

12市町村が合併して、佐久間町が浜松市になり。
ウルトラマラソンを走る仲間とであい。
ウルトラの母といわれる佳江さんと知り合いになれて、わたしの
夢街道90㎞
に多くのラン仲間を誘ってくれたのが佳江さんでした。
笑顔の絶えない、誰ととでも、すぐに打ち解ける、佳江さんと出会うことができたから
今の私がいるのです。
 
夢街道90㎞コースの
最後の遠山郷のバイパスに入ったところに、今年の
 チャレンジマラニックin遠山郷
前日に10月桜を植樹しました。遠山に行ったときの楽しみになりました。
10人のラン友とで植樹に参加、遠山郷として、青崩トンネルが七年後出来上がった時に、花いっぱいの南信州になるようにとの計画だそうです。夢街道90㎞で遠山に桜を見に行こう!とのサブタイトルもできそうです。佳江さんも一緒に行きたかったのに。。。

佳江さん
あなたは太陽のような人です。
おおくの人に笑顔というひかりを与えてくれました。
当たり前のように誰もかも皆に幸せというひかりを振りまいてくれました。
わたしも佳江さんに幸せのひかりを頂きました。
佳江さんに頂いた、そのひかりを夢街道を続けることで、多くに人につないでいこうと思っています。



多くの幸せのひかりを与えてくれた佳江さんに感謝です。









             

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NHK大河ドラマ『西郷どん』が面白い。
明治維新、波乱の新政府、しれつな権力闘争、役人たちの贅沢三昧な暮らし。
そんな時代を経て今の時代がある。

士農工商、厳しい掟があり生まれた身分により自分の運命が決まっていた。
そんな時代から自由な時代に変わっていった。

西洋から多くの技術、暮し、考え方が日本に入ってきた。

昭和20年
太平洋戦争があり。
多くの日本人が犠牲になった。

戦前、日本人は行動を起こすときの判断の基準に人として良いか悪いか、で決めていった時があった。
調和を大切にした考え方だった。
戦後、欧米の考え方が浸透して、自分にとって得か損かに変わっていった。
個人主義に変わっていった。

戦争が終わって、戦後の復興には、その考え方は良かったのだろう勤勉な日本人は良く働き日本を世界の新興国へと築き上げた。

今の時代、日本は世界でも長寿国になった。

しかし、良いことばかりではない。
年配者の中で、また先生と呼ばれる人で、尊敬できる人が少なくなったことだ。
 

先生と呼ばれる、ある人が
「過疎化の問題は、ショウガナイこと」
わたしより年配の、ある人が
「佐久間町の町の議員を選んだアンタらが悪い」

そんなことを平気で言う輩を育てたのは戦後の教育が荒廃してからに他にない。
と思う。

日本人は、本来太古の昔から「調和」という意識を持って生きてきた、これから日本は世界の中心に立って「調和」という考え方を目指していくべきだ。

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佐久間町が合併したとき、ヒロボーさんに出会いマラニックを知った。


その夏、自分も浜松駅から自分の暮らしている半場まで一人で走った。
60km


次の年、何人か集めてその60㎞を走った。
中部のお祭りの日。

 

2010年6月第一回「夢街道90㎞」
浜松駅から遠山郷まで走った。

浜松・浜北・天竜・龍山・佐久間・水窪 青崩峠を越え遠山郷まで90㎞


今年8回目、城西の書道に先生に書いてもらった看板。


来年は地元ではない人に、ココのエイドをお願いしようと思っている。


故郷である山間部を去った人がいる。
そんな人が笑って帰って来ることができる郷になればいい。
むかしまだダムがなかったときには佐久間にも天然のアユが遡上してきたという。
 
過疎で疲弊している山間部にも多くの人が上って来ること不可能ではないと思う。
わたしの夢。

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「分かれ道」「岐路」という意味らしい。


人生の岐路

 
横吹に生れて小さなときには
まっすぐ前を向いて必死に頑張っていたと思う。
(記憶には無いけど)
多くの人生の岐路に出会い、そのたびに悩み苦しみ行く道を選択し今の自分になっている。
それは、この前
水窪から大津峠を越え、天龍村の平岡駅まで37㎞を一緒に走った。
ウッチャントモゾウさんも同じである。

その夜、水窪の中村館で酒を飲んだ人たちも同様である。


みなソレゾレの人生を生きているのである。

むかし水窪にあったフジユニバンス水窪事業所で働いた仲間である。

その中の一人に信州平岡の鶯巣から飯田線に乗って水窪のフジユニバンスまで通っていた人が、今回の飲み会に参加してくれた。
その人はカラオケで松山千春の『大空と大地の中で』を歌った。
キイの高いところが出てとても上手だ。

果てしない大空と広い大地のその中で♪

みなソレゾレ人生の岐路にたち、ソレゾレの判断できめ今の自分を生きている。

に育つ花ならば力の限り生きてやる♪ぞ~♪

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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