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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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命の値段で検索してみた。
HP「教育考現学」の「命の値段」がヒットした。
人間70㎏3000円 私は賛成です。
① 人間とは成分で考えれば
(70kgの体重のヒト)
成分 重量
酸素 45.5kg
炭素 12.6kg
水素 7kg
窒素 2.1kg
カルシウム 1.05kg
リン 0.7kg
イオウ 175g
カリウム 140g
ナトリウム 105g
塩素 105g
マグネシウム 35g
鉄 6g
フッ素 3g
ケイ素 2g
亜鉛 2g
ストロンチウム 320mg
ルビジウム 320mg
鉛 120mg
マンガン 100mg
銅 80mg
アルミニウム 60mg
カドミウム 50mg
スズ 20mg
バリウム 17mg
水銀 13mg
セレン 12mg
ヨウ素 11mg
モリブデン 10mg
ニッケル 10mg
ホウ素 10mg
クロム 2mg
ヒ素 2mg
コバルト 1.5mg
バナジウム 0.2mg
3000円で買えるから。
あくまで成分で言えば、ですが。
② 人はみな平等です。と言いながら、人は差別がある。一つのグループでも賢い人・要領の悪い人、男・女、様々なのに区別する、しかし成分表で言えばみんな同じ3000円、良いではないですか。
だから・・・・人間とは成分で言えば、たった3000円。その3000円の身体を精神・魂を磨いて値段では買えない人体と魂の融合した自分をつくり上げなくてはならない。それが人生というものと、私は思うのです。
追記
『賛成なら、あなたの命、3000円で売ってくれますか。』
嫌です!! 私は魂を持っている人間ですから。

命の値段で検索してみた。
他に



今回、この検索をしたのは、3000円の御寄付を頂いたから。
最初「三千円の命」と検索、続いて「命の値段」
コロナ禍、パソコンの前ばかりだけど、早く多くの人と宴会をやりたい。と思っている今日この頃です。
しんしん

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1969年11月3日の演説でアメリカ大統領ニクソンが「グレート・サイレント・マジョリティ」としてこの語を用いた。
当時、学生らによるベトナムからの即時全面撤退を求める反戦運動が行われており、メディアなどから注目を受けていた。
ニクソン大統領は選挙における公約として「平和裡の終戦」を掲げていた、「そういった運動や声高な発言をしないアメリカ国民の大多数は、ベトナムからの即時全面撤退を求めていない」という意味でこの言葉を使った。
日本でも1960年(昭和35年)のいわゆる「安保闘争」の際に、当時の首相岸信介がニクソンの「サイレント・マジョリティ」と近い意味の発言を行った。同年5月28日の記者会見で「(安保反対の)デモには一般大衆からの批難の声がないが、どう思うか」との質問に対し、岸は次のように述べた。
声なき国民の声に我々が謙虚に耳を傾けて、日本の民主政治の将来を考えて処置すべきことが私は首相に課せられているいちばん大きな責任だと思ってます。今は「声ある声」だけです。
安保反対運動に参加していない国民が多数派であり、彼らを声なき声と表現し、安保反対運動支持は少数派と述べた。
サイレントマジョリティーである無党派層の声を判断するために後継の池田勇人首相が1960年10月24日に断行した第29回衆議院議員総選挙(安保解散)では、岸が提唱して池田が発展させた所得倍増計画などの経済政策の恩恵を受けていた。
ウィキペディアから。
歴史にifは無いけれど、もし戦争が終わって貴方なら如何いう選択をしますいか?
昨日見たテレビで池上彰がカズレーザーに質問していた。
様々な選択があったのだと思う。しかし、日本は日米安保の道に進んだ。
歴史にifは無い
過去を変えることはできない。が未来をよりよくすることはできる。

それは、多くの人と話し合うことだ。
日本人は喋らないことを美徳としてきた、が今は違う。

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1928年(昭和3年)、大石先生は瀬戸内海に浮かぶ美しい小豆島の分教場に赴任する。
物語「二十四の瞳」は始まる。
大石先生は、いたずらっ子の落とし穴に落ち学校に来ることができなくなり、大石先生が担任する二十四の瞳の子供達は大石先生の元を尋ねる。


 
 
 
時代は1928年(昭和3年)から月日が経ち、長かった戦争が終わった。
大石先生は、また岬の分教場の教師として働き始める。
教え子達が大石先生の歓迎会をする。
その中に戦争で目が不自由になった磯吉がいた。
先生と撮った写真を見てた。目の見えない磯吉にも、この写真だけは見えた。
 


二十四の瞳、私の瞳。
私の目から涙がこぼれた。

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コロナ禍の前、春になると余呉湖に行くのが楽しみだった。
面積約1.8平方キロメートル・周囲約6.4km、水深13m、湖岸沿いの遊歩道10周+3㎞、70㎞のウルトラマラソン
マラソンもだが、仲間内の前夜祭、走り終わってから走ったみんなで盛り上がる後夜祭も最高だった。
何年の余呉湖だっただろうか?
帰ってきて身体の不調を感じた。
インフルエンザだろうか?
仲間内のFBで、そんな症状の人がいた。
私も私も身体の調子が、、チョットと。
一週間後、近場の走る仲間に出会い話した。
いつも風邪など皆無の人も今回は大変だったと言っていた。
どうも発生元は東京から来た○○さんだとも風の噂であった。そんな話も私の耳に入った。
その時、別に、その人を、ドウノコウノ、ではない。
「ふ~ん」
くらいにしか思わなかった。
あれから何年たっただろうか、今はコロナ禍、それだけでは済まないような時代になったと感じる。
春、開催されるウルトラマラソン、様々な思い出がある。
当時はインフルエンザだった。
今はコロナでの感染を心配している。
インフルエンザでもコロナでも重症化して大変な事態になることもある。
また、そのまま治る場合もある。
コロナが発生してから一年と少し。
人間は何を学んだだろうか。

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倫理とはgoo辞書によると
人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」
とある。
また「日本看護協会」のページによると「これは善いことか、正しいことか」と判断する際の根拠を、「倫理」と言います。と書いてある。
川の流れが、上流から下流に流れるように、人の行動も倫理ある人の中で流れていくのだと、思う。
人間は過去に奴隷と言う制度があり、人間が人間を差別していた時代がある。
時代は流れ、現代。
そのような事は無い。
日本には、昔、北朝鮮に拉致された被害者がある。
今、その家族が「救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」を結成して家族を返してほしい。と訴えている。
私には何もできない。かもしれない。
だけどやれることはやりたい。
日本の歴史の中で多くの事があった。その中の拉致被害者の、こと。
政治家の人たちの中で、ブルーリボンバッチを付けている人もいるが、付けてない人もいる。
政治家の人たちは全員付けるべきだと思う。
政治家の人たちこそ「倫理」を学ぶべきだと思う。
「法」は「倫理」の一部だが、同じではない。法には強制力が伴う。倫理には強制力は、無い。

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コロナ禍、今の時期
政府ではマスコミでは県外への移動の自粛を求めている。
そのコロナは、去年の冬から全世界を覆っている。テレビでは世界のコロナでの被害を流している。
私もコロナになるのは、恐い。恐怖を感じている。
が、佐久間町から隣町の東栄町の山に行ってきた。

朝、6時前家を出発して東栄町のコンビニによって甘酒を買った。それを知り合いのところに持って行き、それから集合場所に行った。
こんな時期だから知り合いの場所にはよるのは控えようと思った。

集合場所には二名、仲間がいた。
「他の人は?」
そんな呼び声に、私は
「三人」と、答えた。

明神山を目指し、三人で歩いた。
他の人は、天竜川リバーサイドのダメージで大変そうだった。
東栄町の山間部に歩みは進み、家々に咲く花が目に入った。
アヤメは、アヤメ科アヤメ属の多年草である。カキツバタはアヤメ属の植物である。
「アヤメには線がある」と。

尾籠の村から登山口だ。
二人の要望で、岩山には行かず直接明神山を目指すことにした。
いつも尾籠から明神山を目指す人には出会ったことは皆無である。が、今回は数クループの人に出合った。
柿野登山道との合流地点で二名の人にあった。
「これから急登が続きます」と言った。

登山道にはシャクナゲの花が咲いていた。
急登をよじ登ると、イワカガミの可愛い花が揺れている。
遠くに黄砂で曇る山の稜線が見える。
新緑が眩しい。

山頂に着くと、多くの登山客がいた。
豊川市から来た男女。山で食べるカップ麺が美味しいと言っていた。
乳岩から登ってきた人は登山口の有料駐車場に車を止めてきたという。
値段は1000円だったと。
明神山の頂上にたつ登山客は何人いただろうか。それぞれに其々の感じ方をしただろう。

そこに外国の人と若い女性が、私たちがいる展望台に登ってきた。
女性は軽装だった。なんとスカート。
乳岩登口から、結局ここまで来てシマッタ、と。
下山時、地図をみて悩んでいたところを私は
「どこを降りても大変だよ」と言った。

山頂に着いたのが御昼、昼食の自分で握ったオニギリを食べ、下山した。
ウマノセから見える鳳来湖が綺麗だった。
遠くの新城・豊川かな、街がぼやけて見える。

とうえい温泉に帰って来たのが午後3時
マスクをかけて、とうえい温泉の施設に入る。
施設内、人はいるが会話は少なく活気に乏しいと感じる。

三人食堂でラーメンを食べた。
三人、この時期に明神山、距離は18㎞とか。
二人は天竜川リバーサイドのダメージで山頂まで行けるか心配だったそうだ。
「アリガトウ。今日は良かった」と言ってくれた。

「アリガトウ。こちらこそ久し振りに会えて楽しかった」と言って。
別れた。

写真は今回の山行とは関係ありません。

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渋沢栄一の本に「論語と算盤」がある。
その本の中に「視・観・察」とあった。
視→みる。目で見る。じっと見る。「視力」「凝視」
観→みる。くわしくみる。ながめる。「観客」「観測」「参観」
察→あきらか。あきらかにする。よくみる。くわしく調べる。しる。「察問」「観察」「診察」

その人が何をしているのか、その人が何によっておこなっているのか、そしてその人がどこに安らぎを持っているのか。
今日は人と会う約束をしている。「視・観・察」の目でその人を観察してみよう。

 

「視・観・察」その人、を視て観察する。


観察とは、対象の実態を知るために注意深く見ること。その様子を見て、その変化を記録すること。どれだけその変化を見つけられるかが重要である。

そう言えば昔、職場のある男女が入籍したとの話があった。
あまりの突然のことで私はビックラこいた。
他のある人に(同じ職場に働いている人)そのことについて聞いてみた。
「ビックリしたネ~」と。
「どうだった、知ってた」
その人は
「あまり観察していなかったもんで、分からなかった」
と。

その時は、観察???と思っていたが。
今回、論語と算盤を読んで「観察」の大事さが分かった気がする。
「視・観・察」その人、を視て観察する。こと。

今日は日曜日、大河ドラマ「青天を衝け」がある。
楽しみである。

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おはようございます。
コロナ禍のなか様々な事が変化しようとしている。
弱い立場の者が声を上げている。
女性蔑視・男尊女卑、そんな言葉がある。

いや、そんな言葉が、あった。そのように言った方が正解だろう。

道路でジョギングをしている。
大きなトラックの走る音が近づいてくる。
道路の隅を走っても邪魔なのかもしれない。
エアーブレーキの排気をかぶせられた。


そんなこともあるが、やさしく声かけられることもある。
道路では弱い立場の人間の歩行と言う行為
昔、幼少の頃に見た標語を思い出す。
「狭い日本、そんなに急いで何処を行く。昔はみんな歩いてた」

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佐久間町民話の郷会館、午後二時から天竜土木事務所から国道152号線の通行止めに関する説明会があった。
★令和2年10月13日発生の県道大輪天竜線法面崩壊についての説明
★国道152号線秋葉トンネル法面崩壊についての説明
★国道152号線秋葉トンネル変状についての説明
★国道152号線大瀬隧道北山腹崩壊についての説明
★質疑応答
大瀬トンネル北側の巨石の破壊の件、危険状態を見ながら交互通行できることはしないのか?
そんな質問があった。
他県で同じような事例があり、高速道路をその間タダで通すことをした地域がある。浜松市も、そのような考えはないのか(怒)
「部署が違うから」
そんな話があった。

 


今の状態は、浜松市でありながら、天竜区でありながら。
迂回路が三遠南信道を廻ってくれと言っている。
天竜区役所に用事で訪れる場合、一度愛知県に入ってそれから浜松市北区に行って天竜区の南側の天竜区役所に行くようになっている。

 

この152号線は浜松市だけの問題ではない。
この国道は遠くは長野県飯田市遠山郷・茅野市を経由して上田市まで繋がっている。
災害に強い、国道152号線の整備を切に願っている。
天竜土木事務所の職員ヨ。
一度、長野県遠山郷の152号線を見てほしい、こんな道づくりを北遠の人たちは希望している。

 

静岡県も浜松市も山間部に目を向けてほしい。
このままで行けば山間部に暮らす人がいなくなる。

浜松市も静岡県ガンバレ~!!

 

山間部も都市部も暮らし良い浜松市を切にお願いしたい
<m(__)m>

 

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15年前
佐久間の御祭の花火大会のとき、半場子供会で焼き肉があった。その次の日、中学生の長男と自転車で佐久間から諏訪湖を目指した。
天竜川の上流を知りたかった。源流、諏訪湖を訪ねたかった。
朝6時前から走り、新野峠を越え、新野の道の駅で朝食を食べた。
新野を下り、天竜峡を越え、駒ケ根で力尽き駅前のビジネスホテルで終わりにした。

2018年の春、天竜川リバーサイドマラニック225㎞があり、中部天竜駅から電車で諏訪湖のある岡谷駅まで行き諏訪湖にある釜口水門に行った。
天竜川の源流だ。諏訪湖の奥には雪をかぶったアルプスが見えた。

「人はみな大河の一滴」
日本人も韓国人も、アフリカに暮らすアッチの人も。
時代の流れの中で生きている一滴の人間なのだ。

五木寛之さんは幼少の頃、親の仕事で朝鮮半島にいた。
戦争が終わり、多くの日本人が日本を目指した。
そんな過去を、そんな経験をした人に話を聞きに行くと、話そうとはしてくれない。
悲しい過去より、明るい未来を考えようとする日本人

そんな過去が、人生の暗い部分が、今の生活をありがたいと思う。
喜怒哀楽
喜びも楽しみも大切なことだけど。
怒ることも哀れむ事も大切なことだと。

韓国には、韓国の過去がある。
     日本には、日本の過去がある。
「人はみな大河の一滴」

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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