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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ある会社の社長は
「人間にとって最も大切なことは、人と付き合い、本を読み、旅をすることだ」
と言いました。
原文まま
この言葉は、昔ライフネット生命の社長、今は立命館アジア太平洋大学の学長の人の言葉だな。と、感じた。
哲学を中心とした「生とは何か」を問うのがかつての教養で「いかに生きるか」を問うのがこれからの教養と言ってもいいかもしれません。
これも原文まま

教養なき自分が本を読み始めた。
ブログも書こうと思っている。
これは、物覚えが悪い自分が読んだ本の中に
インプットも大事だがアウトプットも大切
本を読み知識を吸収することも大事だが、人と話し議論することも大事だと言うこと。
今はコロナ禍、ブログで書いて、自分で読み直すことも大事だと思て書いている。

出口治明さんが言っている
人・本・旅
この三つが大事だと、言うこと。
これは、15年前、萩田氏に出会い、ウルトラマラソンを知って、そんな人と走ってきた思い出、そんなことから。
旅ラン、走りながら偉大なる先輩の話に耳を傾ける事を知った。
夢街道」も「ほくえん旅ラン」も、そんなことが原点にある。

藤原正彦「国家と教養」を読んでる途中、私のスマホにメールが入った。
ほくえんを応援してくれる信念の男、城内さんからのメールだった。
YouTubeで藤原正彦さんとの対談があると書いてあった。

マイノリティー(社会的少数派)を応援してくれる人、中にはおるのだと感じた。
過疎だから出来ることもある。
過疎になったからこそ、考えることもある。
バカにする人もいるけど、応援してくれる人もいる。

この動画の音楽もイジメのない社会を目指すバンド一途(イチズ)の「そのままでいて」と言う曲だ。

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過去を振り返る、ことに寂しさを感じる。
夢街道の追憶
最初に2011年参加したメンバーは私のホームページにある。
ココの第一回夢街道の赤字をクリックすると出てくる。

第一回目から伊藤さんは西渡で待っていてくれエイドをしてくれた。
近藤さんも観光協会として私たちを迎えてくれた。

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夢街道の追憶
過去を振り返る。これから夢街道はどうなって行くのか。過去を振り返り未来を夢見る。

ブログには残していなかったけど、三回目だったけかナ~。
前日大雨が降り、飯田線が不通になり水窪駅までしか下りの電車は行かなくなった。
近藤さんは電話で、遠山には来ないでください。と言われた。
青崩れ峠を越えた、遠山側の山が動いて崩れそうだとの連絡が入ったのだった。
夢街道、予定の日より3日前の連絡だった。大雨の時の話しだった。

金曜日仕事を休みを取っていた。
幟を付け看板を付け夢街道の準備をして遠山に向かった。
台風が去り、曇り空から青空がのぞいていた。
天気は良いけど、走り終わり帰る人は電車は、平岡駅には来ない。
途中の城西駅によってJRの連絡先に電話した。まだ不通のようだ。
車で兵越峠を超えるとき、参加者に
「泊まる人は遠山まで行けますが、電車で帰る人は水窪までしか行けません」
と言おう。決心した。
しかし、荷物はどうしようか何かいう人がいるだろうか。悩みは尽きなかった。
遠山の観光協会につき、そこのシンちゃんが
「たった今JRから電話が来ました。飯田線開通です」
助かった、地獄で仏、天は見放さなかった。ホットした。

「遠山には来ないでください」
その人はその人の立場として、当然の言葉だろう。
また自分は自分に聞いてみた。
「如何して、こんなことやるのだろう」
もし、なんかあったら責任は誰とるダ。言われたことがある。
責任・責任・責任
その回の夢街道は私一人で浜松駅に行き、参加者と出会った。
ウッチャンと今は亡きヨッピーが言った。
「近郷さんは?」
私は言った。
「原点に返り自分の荷物は自分で背負って走って下さい」
ウッチャンとヨッピーが言った。
「近藤さんも本当は来たいんだよ〇×▼△・・・」
私はスマホで近藤さんに電話をかけ、二人に渡した。
その年
遅れて近藤さんは夢街道のサポートに来てくれた。

近藤さんは何故、ココまでしてサポートしてくれるのだろう。
それは遠山郷のため、だと思う。
「何のために貴方は、そんなことをやるのですか?」
第四回目に来た女性の新聞記者の問われた言葉だ。
何のために、何のために、何のために
難しい問いだ!
その女性記者は
「地域おこしのためですか?」
と、聞きな直した。
その時は、地域おこしではない自分のためだと思った。
今は
11回目になた今は、通りすぎて感じたこと、
人との出会いが、大切な思い出とともに自分の宝物だと思う。
しんしん

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森町三倉「勉強会」
戦前師範学校の生徒に行った授業、森信三先生の記録の本「修身教授録」の読書会
長い年月をかけて読み終わった。
講師の先生が言った。
「この本で森信三先生のどのような言葉が印象的でしたか?」
私は『尚友』だった。
他にもためになる言葉はあった。
自分には尚友という言葉が一番腹に落ちた。

この本は、到知の付録としてついていた一日一語のあるページに書いてあった、藤原ていさんの言葉から知った。
しかし
その時は本を読むことはなかった。
それが
コロナ禍、三人で明神山に登ろう、三人ならいいだろう。そう思って計画したチャレンジ明神山である。その時、ある仲間が、その藤原ていさんの話をした。
そして、その本を図書館で借りて読んだ。
感動して、自分の本棚に置こうとアマゾンで買った。そして藤原ていさんの本『旅路』も合わせて買った。
そして『旅路』はその、ある人に贈った。
森町三倉「勉強会」に通うようになり本を、読むようになり、「バカの壁」養老孟司「国家の品格」藤原正彦の本を読んだ。
その本に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」につなげていく、そのように書いてあることが記憶に残った。
藤原ていさんの本を読み、先人たちが、どのような想いで、子供を守り種を繋いできたのか、戦争があり、人々は敗戦の苦しみを知った。
私たち戦争をしらない時代に生きた者は、そんな先人たちの遺した書物で、過去を知る。

藤原ていさんは藤原正彦さんの御母さんだ。
その母親に育てられた人だからこそ、国家の品格は出たのだと思う。
「流れる星は生きている」
私は朝の4時ごろから走るのが常だ、
夜空に星がある。流れ星に出会うこともある。
流れ星は、その星の生命が無くなって流れていく。
私たちが暮らす地球は星の欠片が集まって何十億年前にできたのだと言う。

大正の時代に生まれた藤原ていさん
五木寛之さんは 1932年昭和7年生れ。
その人も終戦は平壌で知らされたという。
その人の本に
「山川草木悉皆成仏」という言葉がでる。
草木山川だって、等しく成仏できると言う意味だ。
流れる星は生きている
星も同じ。
流れ星に手を合わせる。自分の願いを言うのではなく、ただ手を合わせる。

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15年、いや、もっと前の出来事、
3人で佐久間の居酒屋(ミノル)で飲んだことがある。
パソコンが流行りだし、ホームページをつくったわたしは、佐久間のそんな知り合いができ企画したのだった。
ネットの繋がりの三人だった(男二人女一人)
その時の飲食代を
「飲み食いしたものは、その人が払う」
した。

それから数年たち。
佐久間中学校の同窓会の話になり、会費の事で悩んだ。
女の人はあまり飲まないと思い、少し安くしたほうがと思っていた。
地元の同級生に相談したら、
「女だって酒豪がおるゾ~一緒にした方がイイ」
そんな話しで一緒にすることにした。

ワリカン(割り勘)
同じ集まりに参加した、同じ会費を払って参加した。
だから参加したみんなが楽しいと思う会にしたいと思っている。

今佐久間町の天竜川にかかる原田橋、立派な橋がある。
今は三千人を切っている小さな町につぎ込まれたその橋の総事業費47億円だと言う。
これもいわば、みんなの税を負担してもらったわけだ。
ワリカン(割り勘)
だと思う。

ワリカン(割り勘)
で会費を集め、その会費でその会を運営する。
そして、その会で、その会に参加した人、みんなが楽しいと思えるようにする。
楽しいと思えば、次にも着たいと思ってくれる。
その会は栄える。

萩田さんいう三方よし
売り手よし買い手よし世間よし
それは、参加者だけでなく、主催者だけでなく、最後の「世間よし」に意味があるのだと思う。

みんなが良いと思う、世の中、近江上人が商売の心得としての三方よし
昔書いたブログ→近江商人、三方よしの考え
日本に暮らすみんながココに暮らしてよかったという国にしてほしい。

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21㎞ハーフを走ると、磐田市の其々の地域で様々な趣向を凝らした応援がある。
消防署のラッパ隊、高校の中学生のブラスバンド、幼稚園児の応援団、磐田市のゆるキャラしっぺい太郎に仮装した人、祭囃子の人たち・・・・・。
今年は、そのジュビロ磐田メモリアルマラソンは止めることを決定した。
多くの人を集めてのイベント、この時期の開催は難しい。



しかし、時は流れている。
自分なりにやれることを、やる。
応援してくれる人は必ずいる。

と、信じて。

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昨日、金曜日、
仕事を終わり、城西郵便局へ車で行った。
切手を買い貼り、風景印を押してもらい、城西郵便局のポストに投函した。
人の繋がりが、来年以降に続くようにと祈って。
今回、夢街道は18名の参加、初めて参加した人が3名います。
この人たちが
夢街道
どう思ったのか?
また
自分はどう思ったのか?

自分としては「また会いたい」そう思われる自分になりたいと思っている。
夢街道も、ただ走るだけではなく、完全完走だというだけではなく、
都市部から山間部に走る、ことの意味、そんなことを考えてほしい。
中部天竜から帰った人がいた。
兵越峠に迎えに行った人がいた。
生ビールを一杯で我慢した人がいた。
一人ひとりが、それぞれにそれぞれの夢街道を感じてくれただろう。

城西から佐久間に帰ってくる途中、雨がひどくなった。
家に帰って、カッパを着て、家近くの河川の掃除に行った。
家族での夕食の時、それぞれの携帯に、アラームが鳴った。
浜松市防災ホッとメールだ。
北遠は、浜松市の中で危険地域となっている。土木の予算は北遠に多く使っているのだろう。
夢街道、都市部から山間部への道。
このような所に暮らしている自分だからこそ、意味ある企画だと思っている。
本棚に坂村真詩集がある、その中の
しんみん五訓
クヨクヨするな
フラフラするな
グラグラするな
ボヤボヤするな
ペコペコするな
と、ある。



念ずれば、花ひらく


必ず。

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2019年の暮れ、コロナが中国から現れ世の中は変わった。
聞きなれないカタカナ言葉がテレビ報道機関から流れてくる。
パンデミック(感染症の世界的大流行)クラスター(感染症集団)オーバーシュート(爆発的感染拡大)テレワーク(在宅勤務)
その中でも
ヘイトクライム(憎悪犯罪)
それは
人種や民族、宗教、性的指向などへの偏見、差別、増悪、それからの犯罪行為を指す。
ヘイト→憎悪。反感。嫌悪。クライム→犯罪。法律上の罪。
2019年の暮れ、コロナが中国から現れたことにより、その中国に問題があるかのような発言もある。
人は自分は正しいと思い発言するので、人のことを気にしなくなる。
歴史上、ヘイトクライムによる様々な出来事があった。
日本でも
どうしてこのような事が起きるのか。
それは
自分のやっていることは正しい行動である。そう信じていること、だと。
その「正義」が、他の考えの違う人を排除する傾向に走るのだと。



逆に、自分自身を批判的に考える。
こんなことやってていいものだろうか?と。
自分には自分の「正義}がある。相手には相手の「正義}がある。
ヘイトクライム(憎悪犯罪)
そこまでは行かないまでも、小さな争いがある。
差別的言動がある。

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今読んでいる本に、こんなことが書いてある。
 
その例として
 部下に
「ガンバレよ」「しっかりやれよ」とメールで電話で伝えても思うように目標はあがらないと、実際に自分がその人に会って直接話さないと思いは伝わらないと。
フェイス・トゥー・フェイスの関係がとても大切なのだと、書いてある。
その本の著者は、ライフネット生命、保険会社の社長の本、今は、その人は違う仕事をしている。
中古の本を扱っている「ネットオフ」で買った本です。
その人は、
部下に直接話し、一緒に食事に行き、酒を飲んだりして、その人とコミュニケーションをとること
この関係、自分の行動が大切なのだと。
フェイス・トゥー・フェイスの関係がとても大切なのだと、書いてあるのです。

しかし、今はコロナ禍、
フェイス・トゥー・フェイスの関係をつくるのは難しいときなのだ。
一人での行動
人は貴方の言葉ではなく、行動を見ている。
私は思う。
人は自分をどう見ているだろうか?
そういう生き方ではなく、自分が自分を見て、自分なりに
「ああ、自分なりによく生きた」
と思えるような生き方が良いのだと、思う。

人は貴方の言葉ではなく、行動を見ている。
人は貴方の言葉ではなく、行動を見ている。
人は貴方の言葉ではなく、行動を見ている。
人は貴方の言葉ではなく、行動を見ている。
助けてくれ~~~。。。
最近走っていないので、もう走れないかもしれない(涙)

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人の人生は面白い。中村さんの人生、またハチャメチャな人生、若いときの経験が現在の自分に今の中村さんの人生に繋がっていく。

今回、夢街道に19名の参加したいとの連絡が来た。
断られた人もいる。
連絡が無いのに、参加した人もいる。
それはそれで・・・・。イイのかも、と今思う。
この人たちは、私の人生に現れた、役者の一人ひとりだと思っている。

今はネットでの出会いがある。リアルでもネットでも良い友に出会う事、大切だと思う。

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吉田拓郎 祭りのあと。
そんな歌がある。今日から普通の日がやってくる。
人を怨むも恥ずかしく、人を褒めるも恥かしく、何のために憎むのか、何の怨みで憎むのか。
しんしん
60歳のとき、コロナが来た。
計画していたことを、全て辞めた。一年間だった。
しんしん
2021年の春
61歳
夢街道の後処理をやっている。
まとめたファイルには第6回夢街道からの会計報告がある。
しんしん
55歳のしんしんに負けるな。
まだまだ61歳、まだまだ人生は長い。
人生を語らず
超えて行け、そこを 超えて行け それを
来年はもっと楽しい夢街道にするゾ~。




寂しさを、楽しさに変える。
変化していこう。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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