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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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斜面集落「横吹」そんな我が家に上るとき、何故こんな山の中腹に家があるノダ。と、思った。
幼少のころの記憶にある。
そんなとき母親が言った言葉
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
大正の終わりに生まれ、二十歳で「横吹」に嫁に来た、母親の言葉を思い出す。
「横吹」を去って数十年たって、そんな言葉に違和感を覚え、今その言葉を振り返る。
自分より上の立場の人を考えるな。下の人のことを考える、こと。
もっと大変な想いの人がいることを考えろ。かな。
だけど、人は、誰かを羨ましいと思い、そこへ辿り着こうと努力していく生き物、その結果、便利な今の生活が叶ってきたのだ。
「上を見て暮らして今がある」
昭和の中期、私が育った環境は、戦争が終わり年々、便利なものが我が家に入り込んで生活が快適になってきた。電化製品、プロパンガス、その他
便利を求めるが故に、捨てたものもある。
斜面集落「横吹」には生活道路を造る計画があった。しかし、それは叶わなかった。我が屋までの間に他人の土地がある。
私たちは「横吹」を捨てた。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
「上を見るな、下も見るな。今の自分を生きろ」
何方も間違いではない。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
大正の終わりに生まれ、二十歳で「横吹」に嫁に来た、母親だから出た言葉だろう。
青春という人生の盛りに戦争があった。
今は、その母親の時代ではない。そんな時代ではない。自由の時代だ。日本は。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
世界では、その母親が経験した戦争をしている国がある。
日本では、便利さを追うが故に豊かさを見失って行く人がいる。

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12月はなぜ師走と呼ばれるのでしょうか。
由来や意味が気になりますよね。
よく知られているのは「師とは僧侶のことで、年末になると読経などの仏事が多く、僧侶が忙しく走り回る」というもの。
ネット「記念日のしおり」から引用

私の山登り仲間に和尚さんが居る、忙しそうだから誘えない。
12月8日(木)
に竜頭山(1352m)に登った。雪があるかと思ったが、まだだった。
今年中に雪は降ると思う。雪が降った時に、また登りたい。
山は良い。
私の心を癒してくれる。
忙しい毎日を忘れさせてくれる。

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真っ暗な渋沢ゲートの駐車場を歩き、第二駐車場を歩き、やっと着いたダムの駐車場
リックを愛車の荷台に乗せた。
人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。
その重き荷物を下ろし、二日間の山行で疲労した身体全体に達成感が込み上げてきた。
相棒は
「遠山郷の観音冷水を汲んで家に帰る」と言う
私は聖岳に登ったことを大蔵さんに伝えたく木沢小学校へ行こうと思った。
誰もいなかったら家に帰ろう。
木沢小学校に着いたら、校庭に車三台、事務所には明かりがついていた。
中には松下さんと校長先生、他に知らない人が二人いた。
「大倉さんは?」
その問いに松下さんは
「ちょうど今朝東京に帰った」
と答えた。
大蔵さんとは登山家
また
遠山郷、木沢小学校に来る藤原学校がある。
その藤原さんは経済アナリスト
遠山郷には凄い人が来ている。その中に萩田さんもいる。

今回、木沢小学校に泊まった。事務所でビールを飲んだからだ。
そのとき居た、知らない二人は藤原学校の生徒で、経済を学び、これからの自分の生き方を考えているそうだ。
私の知らないことを話してくれた。
分からないことだらけだ。
そこに少し、今回一緒に山に登った相棒の話しと同じ様な意見があった。
新聞・テレビ・雑誌では教えてくれないこと。
また、新聞・テレビ・雑誌を信じ込んでいる人たちのこと。

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
このサミエル・ウルマンの詩も、遠山郷で知った。
和田のスナックのトイレに書いてあった。それを席に戻って言ったら、隣の席の人が感動して私にその全文をコピーして渡してくれた。
遠山郷にか様々な人が来ている。

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山登りも苦しい時があり、感動するときがある。
テントで朝の三時半には起きた。
寒い。
外に出てテントを触ると凍っていた。
用を足し、着換えをして、相棒のテントに行った。
まだ暗い中、テント場から聖山頂にアタックをかけた。
明かりを頼りに、分岐の向かった。
富士山が見えるところで、富士山側から朝日が昇った。
小聖岳には昨日出合った73歳の二人組がいた。
「お先に」と先を急いだ。
ガレ場を登る。ハイマツが斜面に沿って這うように生えている。
雨風に冬の寒さにも耐え生きてきたハエマツたちが聖岳の斜面に群生している。
3013m
聖岳山頂に登頂した。
360度のパノラマは素晴らしい。
遠くに下栗の村が見える。日本のチロルだ。
そこから「しらびそ高原」に向かう道路を北に向かうと「しらびそ高原天の川」のホテルの赤い屋根が見える。
若いときトドさんのサポートで走ったコースを思い出す。
奥聖岳に行こうか。止めようか。せっかくだから行こう。
そこに三角点があった。東側には富士山、相棒に測量の話を聞いた。
奥聖岳から帰って、聖岳山頂に、73歳の人が双眼鏡で飯田の街並みを覗いて
「私の家が見える」
言っていた。
自分の家から見える。聖岳を登った。いつも見ていた聖岳を、聖岳から見た身分の家、その人は何を感じたんだろうか。
私たちは、登頂記念にと、山頂にてワインでカンパイをした。その人に写真を撮ってもらった。
下山
テント場に行きテントをたたんだ。遅い朝食を食べた。
重いリックをかついで、分岐を目指した。
そこから、あの急登だった、あの道を下った。下りは楽なはずが、足が重い。
肩のベルトが食い込む。
ゴンドラのところにヤット着いた。
あの73歳の二人組がいた。
ココから林道歩き、歩いていると、後方から誰かくる。振り向くと一人の女性が軽装で歩いていた。
「トレランですか」
と、私は訪ねた。彼女はニコッと微笑んだ。
「聖往復?」と聞くと。
「易老渡からグルット一周してきた」と言って私を後にして颯爽と走って行った。
後ろ姿が眩しかった。
相棒に訊くと、どこか避難小屋に泊まったのではと言っていた。
便ヶ島の山小屋で、飲み物を買う。その人に、その女性の話をした。
「その子は一日で、そのコースを走っている」
山小屋の主人も知っている人だそうだ。
振り返れば、今回の登山、多くの単独の女性の登山客がいた。
歩き始め、ゲイト前で出会った人、分岐から聖岳に向かうとき下山してきた女性も単独だった。
山でもマラニックでも女性は強い。
ココでハンドライトを出した。ココから林道歩きだ。
途中から真っ暗闇のなかをライトの灯りをたよりに歩いた。
渋沢ゲートの駐車場を越え、ダム下の駐車場に着いた。私の愛車が待っていた。
今回の聖岳の登山、私にとって良い思い出になった。
相棒の撮ってもらった写真をユーチューブに残しました。
友さん
ありがとうございました(^O^)/

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一日二日と、南アルプス聖岳(3013m)に登ってきました。
それは
2022年9月17・18日遠山郷で「勝手にチャレンジマラニック」を走っているとき下栗から聖岳を見て
「登ってみたい」
そんな言葉から計画を立てたのだった。
「チャレンジマラニックin遠山郷」
平成の大合併、浜松市は太平洋沿岸の町が山深い北遠を飲み込んで大きな政令指定都市浜松市を目指した。
ちょうどそのころ、北遠最北端の村「水窪町」の長野県側の隣村、南信濃村は飯田市と合併をした。
日本でも長野県は国の思惑が叶わず合併が進まなかった地域が多い。
阿南町・泰阜村・天龍村etc
南信濃村は、合併賛成派と合併反対派が二つに割れ大変だったそうだ。
様々なことがあり、南信濃村は飯田市と合併した。そんな翌年「チャレンジマラニックin遠山郷」始まった。
そして、私は、そのマラニックで、山好きのタカノさんと一緒に走り。
遠くの南アルプスを指差し
「あのとがっている山、あれが聖岳だ」
と教えてくれた。
そのマラニックに参加するたびに見上げていた聖岳だった。
ラン友の山好きな人に連れられての山行
私は、このためにジャンボ白鳥でテントを買った。
7年前、人生の先輩から譲り受けたリックにテント・シュラフ・カッパ・ダウン・飲み物・食べ物を詰め込んだ。
アンバマイ館に朝の5時に集合、私は一時間前に着いた。
ワクワクしていた。
渋沢ゲートに6時に向かった。
ダムで帰ってくる人がいた。満車だそうだ。
私たちはダムの駐車場に車を止めた。
ダムの駐車場で登山の準備をして歩きはじめる。
7時
第二駐車場も満車、関東のナンバーが多い。
渋沢ゲートで登山計画書をだし、林道を又歩く。
便ヶ島に8時
まだ、ココからも林道がある。しばらく行くと聖岳の名物ゴンドラがある。
私たちは上流の木橋を渡る。
ここからが急登。汗が噴き出る。リックの重さが肩に伝わる。
苔平にやっと少しの平らなところ。
やっとの思いで分岐に着いた。リックを下ろし聖岳を目指そうかと、時計は午後2時過ぎ、行けるところまで行こう。三時半になったら帰ろうと話し合った。
少し上がったところで富士山が東の山の奥に姿を現していた。
感動した。南アルプスからの富士山、東名高速から見る富士山のように左側には宝永山がある。が、しかし、私の目の前の富士山はまた違った山容をしている。
尾根沿いを歩き、小聖岳に着いたのが三時半、聖岳は見るだけ、明日の楽しみにして、テント場に帰ることにした。
分岐に戻り、リックを背負って、テント場がある聖平小屋を目指す。
木道を渡るとテント場、聖平小屋に
テント場には、すみに小川が流れて、そこが水場だ。トイレも綺麗な設備だった。
カップ麺、ソウセイジ、それを肴にワインでカンパイ。
夜は更け、空イッパイに星がマタタキ始めた。
明日は早い。18時には就寝した。

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「やさしさ」「おもいやり」そして『きぼう』を育てる様にと、その種は全国に広がった。
宇宙飛行士山崎直子さんと宇宙を旅したアサガオの種
現在、日米欧ロなどの15カ国がISSを運用している。ISSは2024年まで運用することは決まっているものの、2025年以降どうするかは定まっていない。
ロシアは2024年以降でISSから撤退し独自の宇宙ステーションを建設する方針を打ち出している。
様々な国が協力して手掛けた国際宇宙ステーションISS
だった
協力しないと出来ないことがある。
自分勝手に出来ることもある。

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ある人が亡くなった。
その人は「愛国心」を取り戻そうと言っていた。
その人の本は
を買って読んだ。
愛国心、そう聞くと右翼系の人が怒る。
それは愛国心を叩き込まれて日本は戦争に行ったと
9条を守れ
9条があるから今の日本は平和だと言う人がいる。
ホントかナ~
先の本の中で
日本が侵略戦争を行えば、世界を敵に回すことになるだろう。石油を含む一切の資源、さらには食料さえもストップされ、日本は瞬時に滅亡する。こんなことを望む者なぞいるはずがない。民主主義が完全に崩壊して気の狂った絶対的独裁者でも現れない限り、そんな事態は起こりえない。
p148
原文まま

この本は、初版発行が2013年
安倍晋三さんの思いが世界に届き、世界が平和になるときが来ればイイ。
そう思う。
其々の国の人が自国を愛し、そして世界を愛するは日が来るように願う。
家族愛→地域愛→国家愛→地球愛

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毎年、多くの先生方を送っていた離任式
今年は、私が送ってもらう時が来た。
出会いがあれば、別れもある。
佐久間に生まれ、佐久間で育ってきた。
介護の仕事
私に出来るだろうか、心配なことは多くある。
それも自分が選んだ道なのである。
千里の道も道も一歩から。
一歩一歩きずきあげて行こうと思っている。
62歳
自分の道、自分の夢街道を、自分なりに色付けをして走っていく。

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ライフラインとは
生活・生命を維持するための水道・電気・ガス・通信などの施設。
私の暮らす浜松市、その北部、北遠、そこは今光回線の工事をしている。
工事している人に聞くと
「二月の末までに工事を完了する」
と言っていた。
そこから各家庭で使えるまでには・・・わからないそうだ。
2005年
平成の合併があり、長野県飯田市になった遠山郷でマラニックが始まり、参加した。そのときには遠山郷の民宿にはケーブルテレビがあった。そしてチェレンジマラニックin遠山郷の放送があった。
そして今は光がきて通信環境も快適だという。
愛知県である東栄町、本郷のとうえい温泉、そこに車を置いて、明神山に登った。
そんな自分のマラニックで知り合いになった本郷の人の家にも光回線は来ているとの話だった。
ようやく、よ~やく、北遠に我が家にも光が、来る。

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https://suplife.or.jp/2021/12/12/%e5%a5%87%e8%b7%a1%e3%81%ae%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b9%e3%83%b3%e3%80%8c%e5%b0%8f%e8%aa%ac-%e9%87%8d%e6%9d%be%e6%b8%85-%e3%81%8d%e3%81%bf%e3%81%ae%e8%bf%91%e3%81%8f%e3%81%ab%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%81%af/
子どもたちの文書力には驚きました。
また
読書をしていることにも。
イジメ・不登校で悩んでいる子どもたち。
しかし、その経験が今の自分になっている。
今の私もそうだ。
多くの経験が、今の私を作っている。
私の動画に、3兄妹バンド「一途」の曲が流れている。
伝えたいのは絆の大切さ。いじめ・自殺防止。夢の叶え方。
と、HPに書いてある。
https://1zu.jp/
チャレンジマラニックin遠山郷2016
https://www.youtube.com/watch?v=Dyd5JePNSF8&t=550s

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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