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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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11月19日(土)
朝から雨降り。
日曜日は
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
大丈夫だろうか?

トレラン(トレールランニング)山を走ること。
今までは、
湖西連峰トレイルラン
小笠山トレイルラン
などに参加したこはあるが、こんな本格的なのに参加するのは初めてだ。

多くのランナーが
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
を楽しみに集まった。

また、多くのスタッフが
川根本町で行う
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
を盛り上げようと頑張っていた。

第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
当日は
天気予報で予想していたとうり晴天になった。

1000人募集して930人のランナーが集まった。
このランナーが、山を越え、千頭の街に向かった。

林道はともかく、登山道は
前日の雨でドロドロヌルヌル、、、、。
状態。

これを環境破壊という人がいる。

今年の
UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)
雨でコース変更を余儀なくされたと言いう

しかし
この壮大な、山で、若い人たちが過酷なレースに挑む。
また、そんなレースを企画している。
 

浜松市に合併した
中山間地、佐久間町に暮らす一人として、多くの人が山に訪れてくれるのを
期待している。

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コースは
中部→半場一周→旧佐久間中学校一周→下平→羽ヶ庄→法条峠→野田→城西→水窪→水窪駅の22㎞

本社フジユニバンスからフジユニバンス水窪事業所に転勤願を出し
地元(横吹)に帰って来たのが29歳の頃
昭和64年(1989年)の冬、昭和天皇が崩御され平成の年号になった春
3月、半場に越して半場の村付き合いが始まった。
水窪のフジユニバンスの仲間に誘われた、佐久間駅伝の練習のため走り始めたのがその年の6月
一周約1㎞の佐久間部品を3周するのがやっとだった。

あの時から27年、多くのことがあったけど、まだ走っている。
今日は22㎞
日曜日のハーフ(21.0975㎞)は1時間42分33秒だったから、その日の疲れもあるし、今回の起伏のあるコースを考えると
2時間ぐらいあれば走れるだろうと思いスタートした。

私の使命は
ただ走るのではない。
主に、走る人の道案内や、ランナーのサポート
道先案内人。を、してほしいと言われている。

佐久間から下平に向け登っていく頃、数人の人と一緒だったが、羽ヶ庄のパノラマポイントに着くころには前後には誰も居なくなった。
羽ヶ庄から見える矢岳山の紅葉が綺麗だった。
法条峠で水を一杯もらい、下り坂が続く、腹がゆすられ右腹が痛くなる。

城西にて国道152号線に合流。
前に一人走っている。

水窪商店街を抜け、水窪駅にゴール。
時間は2時間1分、かな?

汗を拭き、着替えを済まし。
水窪駅駐輪場から水窪の街を撮った
 
家は多いが、空き家も多くあると聞く。
若い人は職を求めて町を出ていく。

北遠の風を感じながらの22㎞

秋晴れに恵まれ、遅れていた紅葉は今、真っ盛り。
街の風景は変わっていくが
自然の景色は何も変わらない。。。

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2014年4月14日ブログ
百田尚樹の「海賊とよばれた男」を読んだ。

あ~。ついに映画になったカ~。
この映画は観なければ。年を越せない。

また
2014/01/01
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ。
2014/01/03
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ(その2)
2014/02/07
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ(その後)

そして
2014年1月11日ブログ
"しんしん"浜北サンストに行く。

この映画
海賊と呼ばれた男
も、佐久間町からサンストまで走って観に行こうかナ~(^O^)/

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昔、武家政治の時代。
封建制度の下、君主が庶民に領地を分けた。
その、一か所の領地を命を懸けて守ること。
一所懸命
 
百田尚樹の「影法師」を読んだ。

死を覚悟して生きていた武士の時代。
そんな歴史を繰り返し来た今の日本は平和な国だ。

タイムは悪かろうと良かろうと。
仮装だろうと、何だろうと。
同じハーフマラソン(21.0975キロメートル)先にあるゴールを目指して走る。
一生懸命に走る。
 
一生懸命
「物事を命がけでやる」という意味。

命がけで走ってるつもりはないが、突然の疾患で命を落とす場合がある。
レースに出る場合は、しっかり練習を積み普段のメディカルチェックを怠らない様に。。。

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水窪
NPO法人「山に生きる会」
から
第30回 常民大学合同研究会 の案内が来たので行ってみた。

と き 平成28年11月12日(土)
ところ 浜松市佐久間町 
    「佐久間歴史と民話の郷会館」小ホール
 
主催 常民大学合同研究会運営委員会
   於波良岐常民学舎(群馬)
   立川柳田国男を読む会(東京)
   鎌倉柳田学舎(神奈川県)
   花巻常民談話会(岩手県)
   遠山常民大学(長野県)
   飯田柳田国男研究会(長野)
   遠州常民文化談話会(静岡)

講演 磐田市
   浜松市

研究主題◆常民大学と地域文化
ー後藤民族思想史の検証と発展ー

 
柳田国男が、昭和初期に書いた名著『都市と農村』のなかで、次のように述べていることを改めて考えてみたいものである。
「それぞれ人又は一家が、世の流行と宣伝とから独立して、各自の生計に合わせて如何なる暮らし方をしようかきめてかかる風が起こればそれでよいのである。
この風習さえ一般になれば、第一次には都市の支配を免れ、すなわち地方分権の基礎はなるのである」
(引用は現代表記)
 生活に追われ、時間に制約されるころが、食生活をも貧しくしていく。
 働くために時間を制約されることが、さらにまたさまざまな精神の喪失をさせていく。
 たとえば、古いいい意味での文化伝承を営み伝えてきた年中行儀や冠婚葬祭の儀礼が姿を消しつつあり、簡略化と都市化が進んでいる。
 以下省略

常民とは
民俗伝承を保持している人々を指す民俗学用語で、最初に使用したのは柳田國男である。「庶民」の意味に近いが定義は一定しない(柳田自身も明確な定義を示さないままであった)。
概要
現在一般的には使われないが、元来は「山人」に対する「里人」を意味する言葉であった。日本の民俗学の創始者の一人、柳田は、初期の研究においては村などに定住せず山々を巡り歩いた山人を研究していたが、彼ら山人に対して一般の町村に住む人々を指す意味で「常民」を使用した。
しかし、柳田の研究の対象が里人に移るに至って、この言葉の用法は変わっていった。
ウィキペディアから引用

この研究会の中で最初に
近畿大学名誉教授・文化功労者
野本寛一先生の記念講演があった。
「この国を方途をさぐるー山のムラで学んだことからー」
われわれ一人ひとりの主体性をどうするか、一人ひとりが主人公で考えなければならない。行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない、自分はどうだなのだ。だからどうするんだ。というふうに考えなければならない。

昨日は一日、このような研究会を聴く機会に恵まれた。

多くの人の考え方がある。

今日は、これから
ジュビロ磐田メモリアルマラソン
ハーフだ。

マラソンの半分の21.0975キロメートルを走る。
走る人にも多くの人がいる。

行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない。
ただ一生懸命、走るだけ。
ただ一所懸命、ココで暮らすだけ。
 byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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