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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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そんな映画をご存じだろうか?
あゝ野麦峠
そんな峠が静岡県と長野県、浜松市と飯田市、水窪と遠山の境にあるそんな県境の峠を2022年1月8日土曜日に超えてきた。
静岡県側は新雪に足跡があり、その足跡を追って登ってきたが、長野県側は足跡はなかった。
青崩峠には、まだ水窪町が行政区だった当時の教育長孫六氏の言葉がある。
多くの女工さんが越えた峠だと書いてある。
そんな少女たちが青崩峠に立ち、遠くに水窪の街並みを見てある少女が言った。
「しばらく家には帰れネイ」
その言葉を聞いて一人が泣き、その涙を見たみんなが泣いたそうだ。

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12市町村が合併してできた、新浜松市、その隅っこに北遠に暮らす私。
特別指示する、政党はない。
暮しを良くしてほしい。どうにかしてほしい。道を国道152号線を崖崩れの心配のない立派な道にしてほしい。
そんな思いもある。
過去、森町三倉「勉強会」でそんなことを話したことがある。
ある人が
「そんなことをしたら過疎がますます進む」
と。
私は言葉を失った。
その人はタブン、ストロー現象のことを言いたかったのだと思う。
ストロー現象とは
大都市と地方都市間の交通網が整備され便利になると、地方の人口や資本が大都市に吸い寄せられること。ストロー効果。
コトバンクから


『幸福の羅針盤』
そんなメールが舞い込んできた。池谷さんからのご意見だ。
第100代内閣総理大臣が岸田文雄氏に決まりましたね。
私的には高市早苗さんのようにはっきりと物が言える方が総理になって欲しい…と思っていましたが、一番無難な岸田氏になりました。
決まった以上はリーダーとして、良い政治をして行って欲しいなと思います。
私にとっての良い政治とは、国民一人一人の意見を聞く政治ではなく、本当の国益を考えた政治です。
国民一人一人の意見を聞いていれば決して良い国にはなっていきません。
意見を聞くというよりも、国民一人一人が「もう少しストレスを感じずに生きられる社会」を
創造していってもらいたいなという気持ちの方が強いです。
ストレスを感じずに生きられる社会というのは、未来に対する不安ができるだけ少なくなる社会、
という意味ですが、「医療・福祉」「教育」は100%無料にしていくことで、不平等感が少なくなり、
今よりは安心して暮らせる社会になるのではないかと思います。
大学までは学費は一切無料にして、その代わり本当に学びたい人たちだけがきちんと学べるように
入学試験を難しくしていくという感じで良いと思います。
誰に対しても門戸は広いけれど、本気な人じゃないと難しいよというスタンスでいい。
少子高齢化は国にとっては早急に対処しなければならない問題なので、安心して子供を産める世の中、環境の整備を整えると同時に、子供を産んだらお祝い金をどんと支給すれば良いと思います。
子供を産まない人、独身から不平等だと言われる…なんてそんなことを言っているからどんどん少子化になり、経済規模が小さくなり、労働力が不足して多くの人が割を食うことになるんです。
本当の国益を考えたら1部の人たちから非難されてもやり抜くべきだと私は思います。
将来的な国益よりも目の前の人気や、国民におもねることばかり考えていたらこの国はもっともっと衰退に向かっていってしまうのではないでしょうか?
生命の安全、維持、そして教育を平等に受けられる機会というこの2つさえきちんと確保されていれば、自力で生き抜く力を養っていくことができます。
教育の格差は将来の経済力の格差に比例しますし、経済力の格差は健康状態にも比例します。
だからこそそこの2点は国が責任をもってすべて保証するので、私たちについてきてください!と言える覚悟、方針ってこれから大事なのではないかなと思うのですが、どうなんでしょうね。(*^^*)
とにかく岸田氏にはあまり周りのノイズに振り回されることなく、トップに立つということはなんだかんだ器はあるということですから、思いっきり自分の思い描くビジョンを共有してやっていてもらいたいと思います。


私にもある選挙権
北遠に暮らす私、そんな人が国道を整備を懇願する、気持ち。
「そんなことをしたら過疎がますます進む」という人、それぞれその人の考えがあるかとも思う。
私は思う。もっと思いやりを持った人が多くなる世界にしてほしいと思う。
私には『幸福の羅針盤』からメールが来る。
羅針盤・コンパス
目指せ
「もう少しストレスを感じずに生きられる社会」

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半場多目的公園を出発したのは
朝の六時
友さんとウッチャンと三人で六月に登った山
戸口集落から(第二発電所出口上流)からの登山でGPSをたよりの道なき道の登山だったように感じた。
それでも、辿り着いた戸口山山頂、そこからは歩道も整備され眺望も開け快適だった。
が、「希望」「健康」「叡智」
戸口山は別名三盛さんと呼ばれ、地域の人に親しまれている。
三盛さん、山でなくて「さん」
地域の学校の歌の歌詞にも入っていて歌われている。
見よ赤石の三つの峯
そう
「希望」「健康」「叡智」と歌われているのだ。
「健康」が頂点だとすれば、戸口よりのピークは「希望」
その「希望」のピークに行けなかったのが、チョット残念だった。
その、行けなかった「希望」を探しに行った。
「叡智」のピーク、佐久間の街並み、その向こうに佐久間ダム、遠く富山の山(八嶽山・日本ヶ塚山)などが見える。
開けた歩道を降りると反射板がある。そこから上り「健康」戸口山山頂がある。
そこを下って、友さんウッチャンと戸口集落から上ってきたところがあった。
「希望」は、と思い、探すと、遠くにピンクのリボンがなびいていた。
そのリボンをたよりに登ると「希望」のピークは、あった。
歩道には紫の山野草が咲いていた。
「希望」のピークから、今来た道の先、整備されている、向かっていくと下っていくと、
山の作業の道だろうか、縦横無尽に出来ている。
歩道がわからなくなり、もと来た道を帰ってきた。
「希望」「健康」「叡智」を通て。
「希望」を等高線のユルイ、方向に行ったのだ。
そして今回、戸口集落を超えて、林道の途中からの登山をと考えた。
それも、自分の家から、
半場多目的公園→戸口集落→戸口登山(希望・健康・叡智)→半場登山口→半場多目的公園

GPSを入れ忘れ、登山口の前に入れた。
戸口からの登山ではヤマップは頼りになる。
途中山仕事に人(夫婦)出会い話をした。
下山の時にも登ってくる人がいた。
もう何回か、この山を登っているみたいだ。
その人も夫婦みたいだった。
半場多目的公園に帰ってきたのは
11時30分
戸口登山口から林道歩き、大輪の橋が見え綺麗だった。
戸口集落から登ることができたなら、もっと素晴らしいコースになると思う。
戸口山(三盛さん)
昔は、地域の人に親しまれていた山、今はその存在もわからない人が多い地域になってきた。
先人の人たちが遺してくれた、もの。

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何回も言うようだが、戸口山は地元では、別名三盛山(みつもりやま)と呼ばれている。
見よ赤石を かたどれし
わが校章の 三つの山
と佐久間の高校で校歌として歌われている。
そして
希望・健康・叡智をば
示すを常に うち仰ぎ
と、その校歌は続いている。

写真は佐久間町の豆こぼしトンネル(国号473号線)の佐久間から出口付近で撮ったものだ。
左から
「希望」「健康」「叡智」
とした。
今回、道に迷った。
「叡智」のところで、写真のように、尾根沿いに降りてこなかった。
道が整備されている方うに歩いて行ったのだ。
リボンもあり、どんどん降りていくと、山の作業道が至る所に出来ていて、その道も消えていた、それでも目を凝らして降りていくと、廃車のマイクロバスがあった。
そこからは、山道は分からなく作業道沿いを歩いていく、すると沢の流れる音が聞こえた。
完全に間違えたな。
そう思って、もと来た道を(作業道沿い)を歩いていると、前から人が三人歩いていた、声をかけると、佐久間森林組合の人だそうだ。
その人たちはGPSを頼りに来たそうだ。現在地を確認し、ヤッパリ違っていることを再確認した。
「もと来た道を帰る」
と言って、私は同じ道を登った。
「希望」に帰ってきて、佐久間方面の道を確認したが、道はない。
「健康」「叡智」と通って帰る。
「叡智」からの景色が、朝は霧がかかっていた浦川方面が、その霧が無くなり綺麗に見えた。

この写真が、「叡智」の地図だ、等高線の緩くなっている方面に進んだのだ。
6月13日に戸口から登った。
その時も、戸口方面の登山道は確認できなかった。
道なき道を進んだ。
だから、同じ道を帰ることにした。

水窪は「山に生きる会」そんなNPOがあり、地元の登山道の整備を目的とした集まりがある。
佐久間も、こんな良い山があるのにナ~。と思った。

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私が暮らしている「半場」その地域に山があり。
その山に、昔、カミナリが落ち、火事になったという話がある。
私がまだ幼かった頃。私がまだ「横吹」に暮らしていた頃の話だ。
地域の消防団が出動していたそうだ。
「家のトーチャーも出動した」
(トーチャー父親のこと)
「上野」に住む同級生が話していた。
目の前にある戸口山の横の山だと指差した。

友さんとウッチャンと三人で戸口山に登った。
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど「希望」のピークが見つからなかった。
「健康」戸口山山頂1026mは高い木があり眺望は無かった。
そこから下って次の「叡智」そこは鉄塔が経っていて佐久間方面が綺麗に見えた。
そこから下って、少し上がったところに「半場山」があった。
大きな木が、大きかった木が、焼け落ちた姿だろうか?
中身のない空洞の木だった。
その横に、祠があった。その祠にはハート形が逆さになっていた。

次の日曜日
本当は、遠山郷に行こうと思っていたが、自分の暮らしている自分の地域の山へ
登ろうと思っている。

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ベランダを造っている。
去年からコロナが猛威を振るっているから外出ができない日々、如何しよう。
そこでドローンを買った。家でのDIYが始まった。
8月の終わり。友さんと山から丸太を運び、ベランダを造りだした。
不格好だが、自分なりに頑張った。自分で自分を褒めてやりたいと思った。
が、ヤッパリ不格好、だ。

今日、職場の近くの、元中小企業の社長さんが、私の、そのベランダを見に来た。
すご~っく褒めてくれた。
褒められすぎ、コッチが恥ずかしいくらいだ。
褒められるということは、なんだかうれしい、気分。。。
この丸太がイイ。この木が味があってイイ。センスあるな~~。。。
そして
ここんところ、こうんな感じにした方がイイんでは?
わたしは、そうか~ココんとこを直そう。
そう思った。

後から考えてみると、
人を使う、上手な言葉かけだと考える。
8分褒めて、2分指摘する。
だけど、その人は、意図的に、そういう言葉かけをしているのではないと思う。
話をしていて、今までの経験から、そのようになってきたのだと思う。

それにしても私は調子に乗りやすい。
褒められて、一生懸命にやり始めた。
あの人に褒められたい一心で。

それは、どんな事でも、そうではないかと考える。
言葉がある。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。


昔、神奈川県の知り合いから。こんな言葉が送られてきた。
そして
その言葉には続きがあります。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
と。

その人の名はトドさん
私は、そのコメントを見て泣いた

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一匹のタイ焼きの、一生を歌った歌、およげたいやきくん。
毎日の当たり前の生活、転機が訪れる。
見たこともない大海原に飛び込んでいく。

毎日毎日楽しいことがある。
しかし
怖いこともある。
でも
大きな世界に飛び込んで、たいやきくんは楽しく暮らした。
ところが、エビを食べ、釣りあげられ、
見知らぬおじさんに食べられた。
やっぱり ぼくは タイヤキさ。
少し焦げあるタイ焼きだったのだ!

およげ!たいやきくん。
その歌は
1975年にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』から流行った曲だ。
当時若かった私は毎日毎日の仕事に明け暮れていた。
そんなとき、ハング・グライダーを知った。
大空を飛ぶのは楽しかった。
そして
そんなことをヤメ、佐久間に帰ってきた。
走り始めた。
小笠掛川マラソンを走って帰ってきて、家で一人昼間から缶ビールを飲んでいたとき、電話が鳴った。
ハング・グライダーの昔の仲間からだった。
「謙さん、死んだ」


およげ!たいやきくん。
その歌には、タイ焼きの真理が書いてある。
タイ焼きは、何のために生まれたのかと。
タイ焼き屋の店主は、タイ焼きを買ってもらい、お客さんに食べてもらいたい。
タイ焼き屋の店主(店のオジサン)はいうなれば神的存在だ。
タイ焼きは最後、おじさんに食べられる。
始まりがあれば、最後がある。

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昨日はズームを使っての遠隔勉強会に参加した。
高校二年生、ある青年が「大学って如何していくのですか?」そんな問いに
多くの大人の人たちが、その青年の話に耳を向けた。

10名ぐらいだろうか
各グループに分かれディスカッション、大学を中退した人の話があった。
私は、高校も出ていなく、社会人になり通信教育のNHK学園に通った。
リーダーから、
「通信教育を終わってから大学に行く、そんな選択は考えませんでしたか?」
考えた。
そう言えば、NHK学園社会福祉学科
そんなのに通った覚えがある。
名古屋の大学に行き、斜めになっている教室で先生の講義を聞いた覚えがある。
今考えると、講義内容より、休み時間タバコを吸う学生の姿が気になった。

ディスカッションでは学歴社会の話が盛り上がった。
アメリカではナンバープレートに出身大学が書いてあるとか。
皆行っているのだから、大学には行くべきだ。

私の考えも言ってみた。
教育に御金がかかりすぎる。
20歳、成人、そんな年齢になっても子どものためだと親は御金をかける。
また
それを商売にしている人がいる。
そんなとき、ある人が
「大学は合格したら入学金を払わなければいけない」
その言葉に反応した人が多かった。

参加者の一人に、成人式前の働いていない青年がいた。
「ひろゆきの動画にハマって、働かない選択もあるのかナ~」
との話があった。
私はスマホでヒロユキで検索をした。
様々な意見があった。
割れ物に触るような。

二時間の時間が、あっという間に過ぎた。
何時も9時には寝る私には着いていけなくなり、アンケートを書いて退室した。
まだまだ居残り組がいるようだ。
違う世界に飛び込んだ
自分
まだまだ分らないことが多い。インターネット
YouTubeのライブ発信の事が知りたかったけど、恥ずかしく聞くことができなかった。

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今、コロナ禍、人との巡りあいはリアルでもネットでもある時代になってきた。
私の地域でもネットで知り合って結婚した人の話もある。
何故巡りあうのか、私たちは知らない。
人との巡りあい、それは行動することだ。何もしなかったら何も起こらない。

夏休み、私は上野村に行こうとした。そして新潟県燕市、石川県能登の昔の友に会いに行こうと計画していた。
ところがコロナ禍・緊急事態宣言、断念した。

上野村は、1985年(昭和60年)日本航空123便墜落事故があった御巣鷹山の登山口にある人口1000数人の村だ。
その当時の村長の適切な対応の話が出口治明さんの本に紹介されていた。
その本を見て、昭和60年、自分が結婚した年を思い浮かべ、その年の事故の追悼のために一人追悼登山を考えていた。
ところが、登山口に向かう林道が崩落で登山できない状況だとの話だった。
上野村だけでも行こう、そう思ったがコロナ禍
断念した。

何故巡りあうのか、私たちは知らない。
人との巡りあいはリアルでもネットでもある時代になってきた。
コロナ禍・緊急事態宣言
日本は強制的な制限をしていない。
感染のリスクが無いよう自分なりに注意して近場の、我が地域と同じ過疎の村にでかけようと思っている。
目的は、ある。

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平成元年生まれの子供達の物語、だった。
時代は進み、そんな時代に生まれた男女。少年少女の頃、の出逢い。
お互い恋をしたり、結婚をしたり。
様々な出会いがあり、すれ違いがあり。
最後、
時代は平成を過ぎ令和の時代になった。
そして二人は、再会する。
二人は30歳になっていた。

平成元年生まれと言えば、ゆとり教育で育った時代の子どもたちだ。
私の子どもも、そんな時代に育った。
学校に、これからの教育についての話し合いで呼び出された。
土曜日半日の授業が無くなる。
子どもも先生も、ゆとりをもって教育を受けたり教えたり。
そんなことを言っているのか、と漠然に思った。

それぞれの時代があり、それぞれの考え方があり。それぞれの生き方がある。
偶然に授かった命、ゆとり世代に育った人たち、その人たちが日本の未来をつくっていく。
昭和35年生れ、そんな私に昨日メッセージが来た。
同世代位の人からだ、それぞれの考えがある。

映画「糸」を観た。
平成元年生まれの子供達の物語、だった。
何故巡りあうのか、私たちは知らない。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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